ハンナの魔法陣修行〜魔法陣暴走少女に振り回されて大変なので彼女の謎を解明します

譜田 明人

第1章 異世界転移編

第1話 出会いと転移

 小雪のちらつくくもりぞらの下、古めかしい図書館にロイヤルブルーのマントを纏った小柄な老人が入っていった。吹き抜けの広大な部屋が迷路のように幾つも連なり、天井まで届くかというような高いしょだなが整然と並んでいる。


「まったく、VR仮想現実の世界なのに、なぜわざわざ紙の本なんだ? フルダイブ全感覚体感型なだけにみょうに紙の質感の再現性がいいのだけは認めるけど……」

 

 その老人はブツブツと言いながら歩き続ける。杖をつきつつもそれを全く必要としないような軽快な足取りだ。時々長い白いあごひげをわざとらしく触っては、キョロキョロと辺りを見回す。

 

 やがて、とある区画へと続く通路で立ち止まった。


 目の前に浮かび上がるポップアップ画面に表示された地図を確認し、次のしょだなに続く通路を曲がる。


 だが、唐突にそこで立ち止まった。

せんきゃくか」

 彼が目指していた本棚の前に、大男がたたずんでいたのだ。


 その大男が手にしている本を見た瞬間、老人は目を見開いた。

 そしてギュッと杖を握りしめ、咳ばらいを一つすると、意を決したようにその姿調で大男に声をかける。

「すまぬが、その本はもしや『魔法陣実行こうげん』かの?」


 男は老人をいちべつすると「そうだ」と一言だけ発し、本を開いて読み始める。

 

「実はのぉ、わしはその本を研究資料として長年探しておってな」

 それを聞いた途端とたん、大男はふと顔を上げてゆっくりと振り返った。

 

「ロイヤルブルーのマントと長い白いあごひげ。そしてその奇妙な形の杖。もしや、魔法陣言語学者のアキか?」

「ほほう、わしを知っておるのか?」

「このマギオーサVR世界の魔法陣研究者であんたを知らない者はいない」


 その言葉に老人――アキは目を細める。そして、その大男をよく見た。

 

 がっしりとした体格に、190cmはあろうかという長身。

 カーキのズボンに薄茶色の長い上衣。

 太い皮ベルトと生成り色の長袖シャツが見える。

 羽織ったマントも含め、全てが色褪せ長く着込んだような風合いだ。

(典型的な冒険者の衣装を少し変えただけのアバター仮想キャラ設定……、いや待てよ?)

 アキは大男が身につけているペンダントに目がいく。

 そのせいこうさと、複雑な幾何学模様のちゅうみつさは、その人物が普通でないことを物語っていた。

 それを持つ人物に一人だけ心当たりがあることを思い出す。


「おぬしこそ、そのペンダント……もしや最近うわさのヨシミツかの? 確か『異色の魔法陣がく系術者』だったか?」

「ふん」

 大男――ヨシミツは、アキの言葉を無視し、本のページをめくる。


「のう、その本、この老いぼれに譲ってはくれぬか?」

「断る」

 ぶっきらぼうに即答し、あくまで本から顔を離さない。


「なんとかならんかの? わしの研究に必要な大事な大事な本なのじゃ」

 アキはこんがんするように改めて問うた。


 しばらくアキを無視したヨシミツだったが、ふと何かを思いついたように顔を上げる。

 アキの方を見ておもむろに一言。

「条件次第」

 

「条件とな?」

 アキは興味が引かれたように聞く。

 その反応に鋭い目でアキを見据え、ヨシミツは言った。

「魔法陣記述言語に関する最新の研究成果」


「なるほど、そうきましたか」

 アキは思わず口調を変えていたことを忘れて呟いた。笑みさえこぼれる。その条件が面白いと思ったのだ。

 彼の研究分野はとくしゅで、関わりのある研究者は少ない。それに興味があるという人物は珍しいのである。

 

「どうしようかのぅ」

 アキは再びわざとらしく返事しようとしたが、通路からいきなり現われた女性の声にさえぎられた。

 

「あのー、おじいさん、魔法陣研究者のアキさんですよねー?」

 両手のひらを前で合わせ、瞳をキラキラさせて小首を傾げる美少女。

 アキのことをじっと見つめるその笑顔にアキは思わず見とれてしまった。


 そして内心アキはその少女のセリフに驚く。

(私を名指しで来た? どうやって居場所がわかったんだ? ユーザーの居場所の特定は不可能なはずだが? しかも、なんだこの女性の存在感の薄さは? 背景が透けて見える?)

 見慣れない現象に混乱したアキは、よく観察しようと少女を注視した。

 

 初心者ユーザーにありがちな標準装備の赤いワンピース。

 大人っぽいが体系だが、浮かべている笑顔は非常に子供っぽい。

(雰囲気的には女子高校生くらいに見えるが……)


 アキは、ふわりと揺れる長い金髪に目をやり、彼女のアメジストの様な瞳に魅入られた。

 が、いかんいかんと頭を振りながら、コホンと咳払いする。

「お嬢さんは、どなたかの?」

 

「初めまして、わたしは……」

 と言いかけて、少女は首をかしげた。えーっと、と言いながら、何かを思い出そうとするように目をつむったかと思うと、大きく目を見開いて小さく叫ぶ。

「……そう、ハンナ! ハンナです! えーっと、魔法陣コンテストで優勝したいので、魔法陣言語を教えて欲しいんです!」

 満面の笑顔でそう言うと、彼女は両手を胸の前で小さくガッツポーズのようにした。


 その瞬間、アキは彼女の姿に再び違和感を覚えた。

(今は普通に見える? いや、今度は何か薄く輝いて見える?)

 その奇妙な現象に内心動揺しつつも答える。

「魔法陣言語はそう簡単には習得できないのぉ。それにわしは弟子なんか取らんのじゃ」

「そんなこと言わずに、おねがいしますー!」

 ハンナは何故か必死の表情だ。

 

「アキ、俺の条件はどうする?」

 ヨシミツは、二人のやりとりを無視して、めんどくさそうな顔をして聞いてきた。


(あの本は絶対必要だ。しかも、ヨシミツの術は以前見たことがあるが、非常に興味深いものだった。交換条件で……もし彼の魔法陣も研究できるのなら願ったり叶ったりだな)

 アキは少し期待に胸を膨らませ、

「ヨシミツ、おぬしの技も少々教えて貰えるのならその話に乗ろうかの」

と答えた。

 

 ヨシミツはそれを聞くとニヤリとする。

「交渉成立」

 なにやら満足そうな顔だ。


 アキは、未だにすがるような目で見つめているハンナの方を向き、諭すように言う。

「ハンナさんとやら、悪いが他を当たってくれんかの。魔法陣言語はまだ研究半ば、専門家以外に教えるような代物ではないのじゃ。お嬢さんのような初心者には到底無理じゃの」

 ハンナはそれを聞くと「うー」と顔をゆがませ「でも、どうしても必要なんですぅ!」と泣きそうになる。

 

 だが、彼女はすぐにハッとしてヨシミツの方を見た。

「ヨシミツさん、でしたっけ? あなたも確か有名な人ですよね! 知ってますー! わたしに魔法陣を教えてくれませんか!?」

「断る」

「えー、そんなー!」

 ハンナは再び、崖から突き落とされたかのような表情をしてうなれた。


 その時、ずーん、という音と共に、建物が揺れた。

「何だ? 地震か!? VR世界で?」

 アキは原因を探ろうという鋭い目で辺りを注意深く見た。

 

「上!」

 とヨシミツが叫んだ。

 三人が同時に見上げる。

 

 頭上の高い天井が薄く光り輝き、黒い球体が徐々に出現し始めるのが見えた。

「何だあれは?」

 空間自体にひびが入ったように見える。アキは眉間にしわを寄せ、思わず分析しようとしたが、再び、ごごごっと地面が揺れ、天井に細かいひびが入り、崩れ落ちそうになっていることに気付く。

 

 同じくそれに気づいたヨシミツは「まずい」と叫ぶなり、片手を挙げた。

 同時に何重もの同心円が青く光かがやき、その円と円の間に複雑で優美な曲線を中心とした幾何学模様が現れ、直径2メートルほどの魔法陣として展開する。

 

 アキも即座に同じように魔法陣を展開した。アキの魔法陣は、何かの言語で書かれた円が回転する複雑な形状だ。

 

 二人はほぼ同時に防御のための障壁を発動させた。


 その瞬間、天井が徐々に崩れだし、落ちてきた破片などが障壁に弾かれる。

 露わになってきた黒い物体をアキが注視した瞬間、その中に人影が見えた。

 その影の顔がニヤリと笑い「みつけた!」と言ったように見えた瞬間、

「キャー!」とハンナが叫んだ。

 と同時に、突然彼女の身体から光がほとばしる。彼女を中心に巨大な光る魔法陣が広がったのだ。


 その魔法陣から光の奔流が黒い球体まで伸びてゆき、どんどん吸い込まれていく。

 そして徐々に黒い球に無数の光の穴が開き、光が漏れ出し始めた。まるで内部から黒い球が分解されつつあるように見える。

 

「なんだアレは?」

 障壁を張って堪えていたヨシミツは、それを呆然と眺めている。

 

 次の瞬間、さらに別の魔法陣がハンナから光り輝きながら出現した。


 ヨシミツとアキはぎょっとしてハンナの方を見る。そして、その魔法陣が普通と異なることに気がついた。

 大きさといい、構成といい、複雑さといい、見たことのない術式なのだ。

 二人は輝きが強くなりつつある魔法陣を見た瞬間、嫌な予感が頭をかすめた。

 

「おい、よせ!」

 ヨシミツは慌ててハンナを止めようと叫んだ。その魔法陣を発動させてはまずいという直感が働いたのだ。

 だが時既に遅く、強烈な閃光が辺りを包み込む。


 そして、三人はそこから忽然と消えたのであった。


 後には、何事もなかったように、元の静かな通路だけが残された。

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