3-15 約束の日と対峙する剣

 それはどれだけ望んだって、どれだけ手を伸ばしたって、もう二度と届かない遥か彼方。


『姫様の頬は、桜餅みたいでござるな』

『ちょっとユウヒ! 私ってそんなにぷっくりしてるのかしら!?』

『いやいや、べつに侮辱する気など! むしろほら、桜みたいに明るくて餅みたいに可愛らしいという……』

『それってただ良い感じに言い換えただけじゃない。貴方も言うようになったわね!』

『ふふっ、おかげさまで。でも拙者としては本当に好ましいのでござるよ。その頬のもちもち感も、血色の良さも、姫様が健やかに育っておられる証でござるゆえ』

『それは……一理あるわね! そうよ。これからこの広い大陸に伝説を刻もうってときに、がりがりのひょろひょろじゃ気合だって入らないわ! というわけでユウヒ、貴方ももっと食べなさい! 前々から思ってたけど貴方はちょっと痩せ過ぎよ』

『えっ、なぜに拙者も!?』

『決まってるじゃない、貴方は私の侍なんだから。一緒に食べて、一緒に育って、それで一緒に強くならなきゃ! というわけで、今日はとことん甘味屋を回りに行くわよ!』

『あ、そういうことでござるか……しょうがない。このユウヒ、姫様のためなら地獄から甘味処まで、どこへなりともお供するでござるよ』


 春ごろのリョウラン領の空には、いつも薄桃色の花びらが舞い散っている。それはリョウラン領固有の樹木であり『桜の都』の由来ともなった『桜』の花びらだ。

 太く立派な樹木にたくさんの小さな蕾。春の間だけ咲いては散りゆくその花は、リョウランにおける春の風物詩であり、領外から人を呼び込む名物であり……そして春という、新たな芽吹きと出会いを告げる希望の季節。その1番の象徴でもあった。


 ――かつて拙者が桜餅に例えたその頬は、今や音もなく積もる雪のように白く、干乾びた餅のように固く。

 彼女は己が腹から溢れた真紅の布団に被さり、ただ静かに眠っている。

 四肢は強張り、呼吸は止まり、その眠りが覚めることは永遠にない。

 それを理解した瞬間、からりと虚しく音が響いた。

 私の手から、刀が滑り落ちた音だった。



 ◇■◇



 だだっ広い街道の脇に、1本の看板が立っている。そこにはこんな文面が書かれていた。


『この先の遺跡は現在、調査のために一時閉鎖されております。ご迷惑をおかけして申し訳ありません』


 そんな丁寧口調に対して、しかし図々しく寄り掛かる者が1人いる。


「…………」


 ぼさぼさな黒髪を適当に纏めて、茶色のぼろ布フードを纏っている。アカツキはぼんやりと看板に寄り掛かって、のどかな空を眺めていた。

 ……どれだけの間そうしていたのだろう。ふと、青年の声が聞こえてくる。


「もしかして、エグニダの行方が気になる?」


 アカツキが振り返ると、そこには相方ブロードが立っていた。


 ――結局、2人は”約束の日”までに確たる証拠を挙げられなかった。剣の都と神威との繫がり。そしてニルヴェアの屋敷で起きた事件の黒幕を捕まえるための証拠を……。


 だから彼らは予定通り、剣の都の郊外にある遺跡。そこからほど近い草原で少年少女を待っているのだが。


「唐突になんでござるか?」

「いや、なんていうかさ……最近よくぼーっとしてない?」

「べつにそんなつもりはないが……ま、しかしエグニダの行方か。気になると言えば気になるな。奴の改造された肉体、そして情報収集能力は厄介だ。それに……やつは『暁ノ一閃』をもろに喰らってもなお生きていた。闘志も潰えていなかった」


 ――また会える日を、楽しみにしている!


「間違いなく、また相まみえるのだろうな」

「……一応、見張りで確認したのはヴァルフレア1人だけだったけどね」


 ここで言う見張りとは、今朝がた件の遺跡を2人で見張っていたときのことである。

 2人はそのとき、ヴァルフレア1人だけが遺跡に入っていったところを確かに目撃していたのだ――だが、目では見えなくとも。


「ヴァルフレアが入る前から、すでに遺跡内にいくつかの気配があった。それも、おぬしから貰っていた見取り図にはないような場所で、な」

「隠し部屋や通路があるってことかな、まぁそんなとこだろうとは思ってたけど。でも相変わらず便利だねその能力……気配の中にエグニダのはあった?」

「なにぶん距離が遠いゆえ、そこまでは分からん。上半身をぶった切られた数日後に戦いに来る阿呆もおらんだろうとも思う。だが、そもそも上半身ぶった切られて生きているようなやつにその手の常識を説くのもアホらしい」

「……やっぱ、来るかなぁ」

「立ち塞がるなら斬る、それだけだ。一度目は剣を断った。二度目は体。ならば次は命を絶つ。三度目の正直だ……この刀に誓って仕損じはせぬよ」

「三度目の正直、ね……」


 ブロードはしばらくなにかを考え、それから言う。


「……エグニダのやつは君の事情についてとやかく調べ、だらだら喋ってくれてたわけだけどさ。もしそれを気にしてるんだったら……」

「『僕はいつだってありきたりなことしか志せない。だから僕は、僕を助けてくれた恩人を信じてる』」

「!」


 アカツキの口から出たその言葉は、ついこないだのエグニダ戦でブロードが口にした言葉そのままであった。


「エグニダの言葉におぬしは惑わされなかった。どうもおぬしを含め、この世には拙者のような流れ者でも信じてくれる奇特なやつが何人かおるらしい……ならば拙者はそれで十分だ。だからあんな三流騎士なんぞに」

「なーにらしくないこと言ってんのさ!」


 パシンッ! と快音がアカツキの背から響いた。「うぉっ!?」アカツキの背中を急に叩いてきたのはブロードであった。


「やってくれたな。侍の背中を不意打つとは……」

「あれっ? てっきり避けられると思ってたんだけど……本当に、らしくないんじゃない?」

「ブロードのくせに言ってくれる」

「確かに僕なんかが口出しすることじゃないのかも。でもアカツキ、君はさ……かのリョウラン家の姫様にも認められた由緒正しき宵断流、その最後の後継者なんだろう?」

「む……」


 アカツキの眉根にしわが寄った。その一方で、ブロードは語りのテンションを上げていく。


「そしてユウヒ・ヨイダチの冤罪を世に明かし、宵断流に着せられた汚名と殺された姫様の無念をそそぐ。それが君の目的のはずだ。だったら『何人かに分かってもらえばいい』なんて言わず、もっと図々しくなりなよ。『今に見てるでござるよ真犯人! 貴様の首根っこひっ捕まえて、再び宵断流が返り咲くための礎にしてくれるわ!』ってくらいにさ?」


 冗談めかした口調と言葉。しかしそれはアカツキに笑顔をもたらさなかった。むしろアカツキは余計に苦い表情を見せて。


「おぬし、拙者のことをなんだと思っておるのだ……というかなんなのだ今更」

「いやね? 君のモチベはこの際どうであれ、ユウヒ・ヨイダチの冤罪だけは是が非でも晴らしてもらわないと、僕の将来設計にも関わってくるんだよ。だからしゃんとしてもらわないとさ」

「はぁ……?」


 アカツキはいよいよもって胡散臭い物を見るような視線をブロードへと向けたが、しかし当の本人はそれをさらりと受け流して。


「あれっ、言ってなかったっけ。僕は将来、ユウヒ・ヨイダチの自伝を描いて一儲けしたいんだよ」

「…………」


 アカツキが心底嫌そうな顔をして、ブロードが心底楽しそうに語りだす。


「だってさ! 今や廃れかけた本格剣術の使い手たる侍が自らの冤罪を晴らし、主君の仇を討って、そして最後には再興した宵断流の弟子に囲まれて長い生涯を終えるんだよ? 絶対熱いって!」

「おい。人を勝手に老衰させて架空の弟子に囲ませるでない……冗談としても笑えんぞ」

「まぁそこら辺は冗談なんだけど、でも自伝は結構やる気なんだよね」


 その時点でアカツキの口からは二度目の「はぁ?」が飛び出していた。だがブロードはそれもしれっと受け流して。


「だって将来はこんな危険で過労な仕事なんてやめたいしさぁ。そのあとはもっと楽で楽しい仕事で生計立てていきたいわけじゃん? それが趣味ならなおさら良い。ほら、僕は潜入捜査の嘘身分として記者を名乗ってるわけだけど……でも、それを抜きにしても楽しいんだよね。物を描くのってさ」

「そのわりに黒騎士にはボロクソ言われておったがな」

「あの三流騎士に見る目が無いだけだよ! とにかく僕が君とこうして協力関係を結んでるのは、そういう下心も込みなんだよね。もし君の冤罪が晴れれば僕は君という恩人に恩を返せるし、ついでに僕の将来も確約されるから仕事を止める目途もついてwin-win! ってなわけだからこれからも頑張って――」


 アカツキはすっ……と手を挙げて、一言。


「いや、そもそも自伝とか普通に嫌だが……」


 ブロードは一瞬固まって、それからおそるおそる。


「……マジ?」

「まぁ、マジ」

「え、うそ……僕の将来どうすんの……」

「知らんがな」

「なっ……なにが、逆に聞くけどなにが駄目なの!? 君はこういうの絶対ノリノリでやる方だと思ってたのに!」


 ブロードがずずいと近寄り問い詰め寄ったが、しかしアカツキの態度は変わらない。


「まー拙者としてはどうでもよいのだが……でもほれ、拙者を描くというのは、すなわち姫様を描くということでもあろう?」


 姫様――かつてアカツキが仕えていた、リョウラン家の三女。彼女の身に起きた事件についてはブロードも当然知っている。


「そりゃあね。だって2人は切っても切り離せない関係だろ?」

「だからだ。拙者は良くても姫様のことを茶化されるのが気にくわん」

「うーん、茶化すつもりはないんだけど……」

「自伝とて物語ドラマだ。なればそれはドラマチックな場面の切り貼りといくらかの脚色で作られる物だろう。そうしなければ人の一生など娯楽にならぬからな」

「それは……一理あるかもね。なら君はそれが気にくわないの?」

「少なくとも姫様にそれをされるのはな。そもそも、拙者が本当に大事にしたいのは……物語に残らぬような些細な日々と、文章に起こせぬような想いだ。だ、か、ら!」


 瞬間、ブロードの頭をこつっ、となにかが打った。ブロードが反射的に見上げると、そこには1本の木の棒が。ブロードの頭を小突いたのはアカツキであった。彼女はいつの間にやら拾っていた木の棒を、バトンのようにくるくる弄びながら言う。


「この話はここでおしまいだ。確かに拙者はおぬしには感謝しておるが、それはそれとして将来設計とやらは他を当たるのだな」


 アカツキはすっかりいつもの、からかうような笑みを浮かべていた。

 だがその一方で……今度はブロードの表情が真面目なものとなっていた。


「たしかに、君の要望に沿うような物は自伝じゃ描けないかもしれない。それでも……自伝に限らないけどさ、なにかの形で思い出を残しておくのは、きっとそんな悪いことじゃないよ」


 アカツキは、木の棒を弄ぶのを止めた。それからただ静かにブロードへと目を向けて。


「どうしてそう言い切れる?」


 問えば、答えはすぐに返ってくる。


「個人的な感想であれだけどさ、こんな世の中でこんな仕事だし僕だっていつ死ぬか分からないじゃん? だから自分の生きた証の1つや2つ残せたらなんとなく安心するし、物書きが好きなのはそういう理由もある。それにいつか僕がいなくなっても、僕が遺したなにかが誰かの人生を変えるかもしれない。そう思うと……ちょっとワクワクしない?」


 答えに対する答えも、すぐに返す。


「……よしんばどこかの誰かの人生を変えたとして、それを死んだ当人が知ることもあるまいて」


 だけど、またすぐに返ってくる。


「まぁ死んだあとなんて実際は分かんないけど、でも今そうやって空想できるのが楽しいんだよ僕は。ってことでさ、今すぐ決めなくてもいいからまた考えてみてよ。ね?」

「ね? と言われてもな……」


 アカツキはそこで言葉を切った。

 彼女はそのままブロードから視線を外すと、その右手に持っていた木の棒をぶんと振り回して、ぴたりと一方向を向けて止めた。棒の指す先にはだだっ広い街道が広がっており、他にはなにもないように見える。だがアカツキには見えている。


「とりあえず、死後のことを今相談しても縁起が悪いだけであろう? まずは、この先の戦を生き残ることだけを考えるのだな」


 その一言に導かれるように、街道のずっと奥から二つの影が近づいてきた。

 少しずつはっきりしてきたその姿は、バイクと馬。そしてそれを駆る少年と少女。やがて彼らはアカツキたちの下まで真っ直ぐ辿り着くと、


「たぶんセーフ!」「間に合いました!?」


 2人一緒に声を張り上げて、2人一緒にアカツキへとその顔を見せた。

 赤褐色の髪の少年と金色の髪の少女。2人はそこそこ傷ついていた。

 擦り傷切り傷かさぶた絆創膏包帯……傷や治療の跡は顔に、そして服から覗く肌にいくつも付いている。だがそれでも2人の眼は活力に溢れている。五体満足の肉体にも力が漲っている。

 女侍の口元には、自然と笑みが浮かんていた。


「よくぞここまで送り届けてくれたなレイズ、ハヤテ。そしてよくぞここまで来たな、ニア殿」

「ったり前だろ!」「頑張りました!」


 加えてヒヒィン! と馬が鳴いた。みんなの元気な返事に一層笑みを深めながら、アカツキはニルヴェアへと視線を定める。


「さて、いきなりで悪いがニア殿。少々試したいことがあるゆえな。ハヤテから降りてこっちへ来てくれぬか?」


 そう言ってアカツキはその場を離れて、人気のない街道の真ん中辺りに立った。その手に持った木の棒をぷらぷらと弄びながら。

 一方、呼ばれたニルヴェアもきょとんとして、しかしすぐに馬から降りてアカツキのそばへと歩いていった。2人の間が狭まっていく。3歩分、2歩分、あと、1歩の距離まで――

 ビュンッ! 木の棒が空気を切り裂き、ニルヴェアへと突き出される!


「うわっ!」


 ニルヴェアが驚きの声を上げた。しかして彼女の体は、すでに回避行動に移っている。ぐっと身を反らして突きを回避すれば、あっという間に木の棒は引っ込んだ。

 ニルヴェアはその棒を目で追う。するとその先にはいる。アカツキが、一回転しながら踏み込んで、その勢いで!


(横薙ぎ!)


 ニルヴェアは閃きと共にその身を屈めた。瞬間、ひゅおっと大気が鳴り響いて頭上を木の棒が掠めていった。ぴすっ、と頭をわずかに撫でる感触に臆さず顔を上げた。するとアカツキは派手な一撃を振ったせいで胴体ががら空きであった。だからニルヴェアは迷わず拳を握りしめて、


 ――殺!


「っ!?!?!?」


 全身を貫く怖気がニルヴェアを突き動かした。反射的にその場から飛び退いてアカツキを見れば、彼女はただゆるりと佇んで、じっとニルヴェアを見つめている。

 ニルヴェアの全身が、寒気に凍り付いてる。頬からは冷や汗が伝い、筋肉が強張り、思考が委縮して――パンッ!

 ニルヴェアは両手で頬を思いっきり叩いた。そのあとにはもう、なにもかもが吹き飛んでいた。


「かかってこい!」


 胸を張って、堂々と言いきった。するとアカツキはその口端を鋭く吊り上げて。


「く、くくくっ……『気当て』をこうもあっさり弾くか……!」


 一体なにが面白いのか、小刻みに肩を震わせて笑っていた。「へ……?」ニルヴェアはぽかんとした。そんな2人の間に少年の声が割り込んでくる。


「おいおい、試すのはいいけどいきなり過ぎんだろ」

 

 2人の間に立ち入ったのはレイズであった。


「なにを言う。いきなりでなければ試しにならぬではないか、なぁニア殿?」


 アカツキがそんなことを言えば、ニルヴェアも構えを解いて歩み寄ってきた。


「あはは、確かにそうかもですね。それよりさっきの、なんか全身にゾワッと来たやつってなんだったんですか?」


 ニルヴェアは先ほどの一瞬を頭の中で反芻していた。横薙ぎを避けて殴りかかろうとしたその瞬間。アカツキに見下ろされたその瞬間、『見えない一撃に弾かれた』そう表現しても差し支えないほどの強烈ななにかを感じた。そしてそれはアカツキいわく。


「『気当て』という技だ。自分で言うのもなんだが、優れた剣士は己が気配すらも剣と成す……つまりは殺気を飛ばして相手をビビらせる技だ。拙者としてはそこそこ自信があったのだが……しかしそれをこうもあっさり弾くとは、ニア殿は良い胆力を身に付けたのだな。それとも天性の才というやつか?」

「後者じゃね? こいつ肝っ玉だけはハナから無駄に丈夫だったし」

「無駄に丈夫ってなんだよ! まぁでもそんな大層なものじゃないですよたぶん。ほら、僕ってまだまだ弱いですし。だから強い獣も強い人も、大体死ぬほど怖いんですよ」


 それを聞いてアカツキは「ふふっ」と声を上げた。


「なんでも強くて怖いから1周回って慣れる、か。それもまた才能かもしれんな……」


 とひとり言のように呟いて、それから彼女は別の方向へと顔を向けた。その先には1人の青年が立っている……口を挟むタイミングを失い、すっかり置いてけぼりになってしまったブロードが立っている。


「ここまで動ければ、頭数くらいには入るでござろう?」


 ブロードは呼びかけられて、はっとして、それから困った顔をする。


「だ、だからって君なぁ。もうちょっとやり方とか……」

「「……誰?」」


 そういえば、少年少女はブロードのことを知らないのであった。

 ぽかんと丸くなった2×2つの瞳に、ブロードもようやく気づいた。彼はすぐに2人に近づき、それから自己紹介をする。


「ごめんごめん。アカツキのせいですっかりタイミングを逃しちゃったけど、僕は越境警護隊のブロード・スティレインだ。アカツキから聞いてるとは思うけど、僕も彼女に協力して今回の事件を追っている。えっと、君がレイズくんで……貴方が、ニルヴェア様ですね」

「えっ、あ、はい……」


 様付け。敬語。久々のうやうやしい対応にニルヴェアは困惑したが、ブロードはそのまま綺麗に頭を下げる。


「申し訳ありません。越境警護隊として、本来は真っ先に貴方の護衛に向かうべきだったのですが、今の今までお守りできず……」

「い、いえいえいえ! 顔を上げてください! 全部僕が選んだことですし、というか僕が協力してもらう立場なんですから、様付けとかも全然いりません!」

「そ、そう? それじゃあ……」


 ブロードは言われた通りに顔を上げて、しかしすぐに悩む素振りを見せる。


「だったらなんて呼べばいいかな。ニルヴェア……さん? くん? ちゃん?」

「えっと……なんなら呼び捨てでいいですよ?」

「高貴な人にそれはちょっと気が引けるけど、まぁそう言われて断るのも逆に失礼か……だったら、ニルヴェア。君に言っておくことがひとつある」


 次の瞬間、ブロードの表情はもうピンと張り詰めていた。


「僕は越境警護隊として君を連れて行くのは正直反対なんだ。君は本当はただの貴族で、まだ子供で、しかもおそらく敵が狙っている目標そのものなんだ。それでも君は……」

「行きますよ、なにがなんでも。大丈夫です! 自分の身は自分で守りますし、『行くな』という言いつけ以外ならなんでも守りますから!」


 間髪入れずに言いきられた答え。ブロードは観念したように溜息を吐いた。


「だよなぁ。どう見てもやる気満々だもんなぁ」


 それから彼は両手を上げた。それが降参の白旗代わりであることは明白であった。


「ぶっちゃけ、僕からしたら君がここまで来た時点で詰みなんだ。ここまで来たからには僕らの方が敵に察知されている可能性も高いし、だったら君を1人残して行く方がむしろ危ない。それに、さっきのアカツキとの一戦は実際良い身のこなしだった。確かに自衛ぐらいは任せても良さそうだ……」


 と、ブロードはそこで優しげな垂れ目をむりやりキッと鋭く尖らせて。


「た、だ、し! 敵の狙いは君だってことを自覚して、基本は後ろに下がること! それと、もしもの時は僕らよりも自分の身を第一に行動すること! そのくらいの判断はできるよね!」

「はい!」

「ならよし! それじゃあ、突入前に作戦と陣形の確認を……」

「あの、ブロードさん。その前にこちらからも1ついいですか?」

「ん、なんだい?」

「えっと……そもそもの話なんですけど、越境警護隊って言うわりに……」


 ニルヴェアは周囲をきょろきょろと見渡した。ブロード、アカツキ、レイズ。他には看板とだだっ広い街道と草原ぐらいしか見当たらなかった。


「ここって、ブロードさん1人しか来てないんですか?」

「ぐうっ……」


 ブロードが苦し気に悶絶して、その隣で「くふっ」とアカツキが笑った。


「痛いところを突かれたでござるなぁ」

「うるさいエセ侍……その、なんというか、内輪の事情ってやつかな……や、一応僕だって1人じゃないんだだけどね? こうして時間を取れたのも仲間の協力あってのことだし。まぁでも諸々の事情がありまして実働要員はまぁご覧の通りと言いますか、はは、お恥ずかしい限りで……」


 ブロードは言い終えるやいなや、すぐに首をがくっと落として項垂れてしまった。どこか哀愁漂うその姿に、ニルヴェアは「えぇ……」とちょっと引いた。

 だが、それを吹き飛ばすように。


「ある物使ってなんとかするのがナガレの流儀!」


 少年の元気な声が響きわたった。


「むしろこうして予定通り集まれただけ上出来ってもんだろ!」

「レイズの言う通りでござるな。ままならないことに贅沢言ったところでなにも始まらんぞ?」


 師弟コンビのお気楽な方針に、ブロードの表情も少しだけ緩む。


「話には聞いていたけど、本当に似た者師弟なんだね」

「そうでござろう?」

「弟子じゃねぇ!」


 そんな掛け合いを見て、ニルヴェアもくすりと笑った。


「なんか久々だな、そういうの」


 そして〆に、ブロードがパンと手を叩いた。


「とにもかくにも作戦会議だ! ま、正直突入してからはなるようにしかならないけど、陣形ぐらいは決めとかないとね」


 と、レイズが横から手を挙げた。


「ちょっといいか? なるようにしかならないっつっても遺跡の見取り図ぐらいあんだろ。侵入経路とかは考えなくていいのか?」

「それなんだけど、あの遺跡って本当に小さいんだよ。正面に入り口がひとつ。ちょっとした通路が1本。そんで大広間がひとつ。それだけ……公の情報ではね」


 そこにアカツキが補足を付け加える。


「だがおそらく隠し部屋や通路の類はあるだろう。ゆえに敵の総数は未知数。その上、罠の可能性もあり得る……『機械兵』のこともあるしな」

「機械兵? 聞いたことねーな」

「うむ。おぬしたちと別行動をしている間、拙者たちもエグニダ……おぬしたちの言う黒騎士の屋敷に乗り込んだのだが、そこで人を模した機械に襲われたのだ。とはいえ所詮は機械仕掛け。標的を見つけ次第単純な動作で殴りかかるだけゆえ強さ自体は大したことないが、しかし無生物ゆえ気配が読めないのと鋼鉄の体の硬さが……」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 慌てて会話に割り込んできたのはニルヴェアだった。


「え、エグニダって、あの白騎士エグニダですか!? 兄上の護衛騎士の……!」

「そうそうそのエグニダでござる」

「うそ、あれの中身があれなの……そんなぁ、いやだったら剣ノ紋章持ってたことにも納得いくけど、うわぁほんとにショックだ……」


 ニルヴェアはその場で頭を抱えてしゃがみこんでしまった。一方、そんな彼女の様子にレイズはきょとんとして。


「……誰?」

「あの黒騎士の正体はヴァルフレアの護衛騎士エグニダ……つまりヴァルフレアに最も近しい騎士だった、ということだ」

「まじか。つーことは……」


 レイズが言うのをためらったその先を、ブロードが引き継ぐように言う。


「この事件の黒幕はやはり剣帝ヴァルフレア・ブレイゼルの可能性が非常に高い、ということさ。実際僕らは少し前まで遺跡を見張ってたんだけど、この遺跡に入っていったのはヴァルフレア1人だけだった……つまり、だ。ニルヴェア、君の兄上は黒幕にせよそうでないにせよ、必ずこの先に待ち受けている。それは間違いないんだ。改めて確認するけど、それでも君は……」


 ニルヴェアはすでに立ち上がり、顔を上げていた。


「最後までこの事件から逃げない。僕はもう決めてますから」


 視線と視線が交差した。やがて、ブロードの方が観念して目を伏せた。


「……分かった。ならそろそろ陣形の話に戻ろう。といっても組み分けは単純だ。僕とアカツキが前で、レイズくんとニルヴェアが後ろだ。みんな、異論はあるかい?」

「大人は前で、子供は後ろでござるか」

「この組み分けの方がお互いやり慣れてるだろ? もし前と後ろで分断されても、僕とアカツキなら大抵の状況はどうにかなるしね。だからレイズくんは万が一の場合、ニルヴェアが捕まらないことを最優先にしてすぐ逃げて欲しい……と、そういう感じで考えてるんだけどどうかな?」

「拙者は問題ない」

「僕も大丈夫です」


 アカツキとニルヴェアが同意した。しかし……レイズだけは挙手をして。


「異論はないけど、意図は聞きたいな」

「意図かい?」

「過保護だなって思ったから。べつに気に障るとかそんなんじゃねーけどさ」


 その直球な物言いに、ブロードが苦笑を見せる。


「鋭いね。でも僕は越境警護隊だから、やっぱり子供は庇いたいものなんだよ。そこに実力とか経験とかは関係ないって僕は思ってる」

「……なるほど、アカツキの類友感あるな」


 その言葉にブロードが「えっ」と驚き、アカツキが「そうでござろう?」と笑った。そしてレイズは続ける。


「なら今回はアンタのポリシーに従う。実際、ニアが狙われてる以上誰か1人は側にいてやらないといけないし、だったら俺が付くべきだ」

「ほう? 言うようになったな」


 アカツキがにやにやして、ニルヴェアもにこにこしている。

 そしてブロードが全員を見渡して、話を締める。


「よし。それじゃああとは罠とかに気をつけつつ突入。ヴァルフレア……いや、黒幕が黒幕たる証拠を発見次第、その時点で取り押さえる。あとは各々やるべきことをやろうって感じで行こうか」

「ざ……ざっくりしてますね!?」


 実にざっくりした作戦にナガレかっこかりニルヴェアが驚いた。しかし残るナガレ2人は、そんなの全然気にしていない様子で。


「ま、こんなもんだろいつだって」

「うむ。そもそもナガレが3人、不良隊員が1人。こんな面子に密な連携など求める方が酷というもの」

「2人がそういうなら……分かりました!」

「話は纏まったね。それじゃあ最後にひとつだけ――とにかく生きて帰ること。まずはそれを1番大事にしてくれ」



 ◇■◇



 石造りの遺跡はブロードの情報通り、こぢんまりとした入り口とその奥へと続く1本道の通路で構成されていた。

 4人は罠や伏兵を警戒しながら進んでいくが、しかし静かな通路には硬い足音が響くばかり……だがアカツキが、ふと呟く。


「待ち構えておるな」


 その一言に、全員の表情が強張った。空気が一気に張り詰めたが、しかし引き返すわけにもいかない。ゆえに先へ進んでいくと……突然、一気に視界が開けた。

 辿り着いたのは、遺跡の最奥である大広間だった。


「なんだ、あれは……?」


 第一声を上げたのはニルヴェアだった。彼女の、そして一行の視線はすでにただ一点へと注がれていた。

 大広間のさらに奥。大きく広がる壁の根本に、”なにか”が立て掛けられていた。


(まるで卵を半分に割ったみたいな……なんの機械だ?)


 ニルヴェアがそう形容したそれは、卵型の”器”と”蓋”らしきものがくっついてできた機械……のようなものであった。

 上部にぱかっと開いている”蓋”を閉めれば綺麗な卵型になるかもしれない。大きさは、おそらく人ひとりがすっぽりと収まる程度……などと特徴を並べたところで用途の全く解らぬそれは、だからこそ得体の知れない不気味さを持って一行の視線を釘付けにしている……と。

 カツッ。広々とした空間に足音が反響した。まるで”自分たち”の存在を知らしめるように。

 そう。足音に目を向けた一向の先で、その2人は待ち受けていたのだ。

 1人は大岩のような黒鎧を纏い、身の丈ほどの大剣を携える騎士。


「ようこそ諸君!」


 数日前、アカツキに胴体を断ち切られたはずのそいつが、今はこれ見よがしに両腕を広げて一行を歓迎していた。

 そして……その隣に立つもう1人は。


「あに、うえ……!」


 ニルヴェアが隠しきれない衝撃と共に呟いた。見開かれた蒼の瞳に、彼の全容が映りこんだ。

 美しき銀の長髪は剣の如く1本にまとめられ、細い双眸は鋭い一閃を彷彿とさせる。まるで剣という概念を人の形に押し固めたのような面。そしてその身に纏うは常在戦場を体現する改造軍服。腰には己がシンボルたる二対の剣を、ぶ厚い鞘に納めて立っている……と、彼は不意に二対のうち一刀を手に取った。

 柄に手を掛け、その柄に付いた”トリガー”を引きながら、剣を引っ張る。すると奇妙なことに、双剣は鞘ごと持ち上がっていく。鞘を納めているホルスターから、鞘が剣ごと引き抜かれていく。

 抜刀ではなく、納刀したまま剣を持ち上げる。その奇妙な仕草が、しかしニルヴェアの背筋に寒気を走らせる。


(あの鞘は、琥珀武器だ)


 細身の双剣を納めるには少々ぶ厚過ぎる。そんな鞘の表面に彫られた幾何学模様が、徐々に光を帯びていく。ヴァルフレアは鞘付きの剣を高く掲げた。すると鞘の光が、一層眩しく輝いて――


「みんな逃げろ!」


 ニルヴェアは反射的に叫んでいた。


「兄上の、光の斬撃だ!!」


 その直後――剣帝ヴァルフレアが、一刀を上から下へと大きく振るった。瞬間、幾何学模様が光を放ち、ごうと大気を震わせる。

 その隣で、エグニダがそっと言葉を付け足す。


「それでは、さようなら」


 剣帝の鞘の先端から、琥珀の熱線ビームが解き放たれた。果てしなく眩い光が、対峙する4人の全てを照らし出す。


【3章終了。次から4章=最終章。どーぞ最後までお楽しみください】

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