1-4 少年とあらすじ(後編)
この大陸は九つの領に分断され、九つの都市がそれぞれを治めている。
誰がどのように主権を握っているのかは、領ごとに異なるが……少なくとも『剣の都ブレイゼル』が治める『ブレイゼル領』では、領が”国”だったかつての時代から引き継いで『ブレイゼル家』が領の、そして都の主を代々担っている。
つまり『ブレイゼル』の家名とはその領において王に連なる者の証であり、誰よりも貴ばれる血筋なのだ。ごく一部の、例外を除いて……。
あるとき、ニルヴェア・レプリ・ブレイゼルは空を見上げていた。
ブレイゼル領内であり、しかし剣の都からは遠く離れた田舎街に建つ、静かな屋敷のバルコニーで。そこから見上げる広くて狭い空の向こうに、少年は夢を見ていた。
――いつかこの屋敷を出て、兄上のような誰よりもかっこいい武人になりたい。
あまりにもささやかで、どこまでも見果てぬ夢であった。
◇■◇
「俺は片っ端からぶっ潰す。俺を利用して殺そうとしたあの騎士を。あいつの裏に黒幕がいるんならそいつも。俺をガキだからと舐め腐って、こんな事件に巻き込んでくれたことを後悔させてやる……誰が相手であろうと、な」
レイズの言葉に迷いはない。だからニルヴェアは愕然とする。
「お前は、本気で戦う気なのか。あの騎士と、この騒乱と……」
そう呟いて、しかしふと気づく。
「む? でも『ガキだからと舐めた』って、どういうことだ?」
するとレイズはさも当然のように断言する。
「だってそうだろ。今思えばってやつだけど、騙して殺すためじゃなきゃ俺みたいなガキを”依頼”の相手に選ぶ必要もなかったんだ」
依頼。そう、旅客民は基本的に他者からの依頼をこなすことで収入を得て生きている。この騒乱もまた、その依頼の一つだった……らしい。
「依頼って、僕をさらうことだよな……あと……この体も……?」
「ああ。大陸を揺るがしかねない極秘の依頼だと俺は聞かされていた。あの『黒騎士』に、な」
初めて耳にする名に、しかしニルヴェアの脳裏にはあの黒鎧の巨体が即座に浮かぶ。
「えっと……黒い鎧だから、黒騎士?」
「おう、分かりやすくていいだろ。それでだ、話を戻すと……お前に飲ませた霊薬あったろ。あれも依頼のときに貰ったやつなんだよ、最悪でもそれは飲ませろってな」
「なんだよそれ……」
ニルヴェアは自分の体を見下ろした。ぶかぶかになった首元からは、決して小さくない双丘が覗いていて……慌てて視線を外してからレイズに問う。
「なら黒騎士は僕を、その……女に変えてどうしたかったんだ?」
「俺が知りてーよ。そもそも性別が変わるってことすら知らなかったし」
「そんな……」
ニルヴェアはがっくしとうつむいて、再び自分の体を見下ろし……すぐに視線を上げてから、なにかをごまかすように慌てて話題を変える。
「そ、そういえば大陸を揺るがす依頼って言ったよなお前。そもそも……」
ニルヴェアはそこで言葉を切って、それからレイズを上から下まで眺めた。どこか炎を思わせる赤褐色の髪を持つ少年。生意気で勝気な雰囲気こそあるが、しかしその少年らしい未成熟な体は戦士と呼ぶにはあまりにも頼りなく見えた。
「お前、そんな依頼を受けられるほど強いのか……?」
ニルヴェアの口からぽろっと漏れた疑問が、レイズを露骨に不機嫌にさせた。
「いいよな実績って。見た目だけじゃ舐められなくなるから」
彼はぶっきらぼうにそう吐き捨てて、懐から一つの物を取り出した。
それは丁度手のひらに収まるくらいの”勲章”だった。円盤状の金属に彫られている意匠は『この大陸の全体図と、それを守るように重なっている大きな盾』。
「『越境勲章』っていうんだ」
レイズはそれに視線を落としながら語り始める。
「こいつは『九都市条約』の下で大陸全体の治安維持に務める武装組織『越境警護隊』に多大な協力、貢献を行えると貰えるものでさ、ナガレにとってはこれを持っていること自体が証明になるんだ。犯罪組織と渡り合えるほどの実力と、治安維持に貢献するような人格があるってことのな」
「実力と、人格……」
ニルヴェアがレイズをまじまじと見つめる一方、彼はどこか自嘲的な口調でひとつ付け足す。
「だからこそ秘密裏の依頼が来てもそういうもんかって納得できちまう。それに……確たる証拠まで見せつけられたからな。そのせいでろくに疑いもできなかったんだ……まぁ、単なる言い訳だけどな」
越境勲章を握る少年の手にぐっと力がこもったのを、ニルヴェアははっきりと見た。そこにこもる感情はいかほどのものか。ニルヴェアはわずかに目を伏せて、それから問いかける。
「証拠って、具体的にはなんなんだ……?」
「ブレイゼル領の首都『剣の都ブレイゼル』。そこの重鎮が『神威』と手を組んでる、って証拠だ」
レイズの言葉にニルヴェアがはっと面を上げた。
「神威って、聞いたことあるぞ。たしか大陸一大きな犯罪組織って言われる……!」
「ああ。その神威が剣の都の重鎮に手引きされて領内で悪さをしている。そういう証拠をいくつも見せられた。そして黒騎士が言うにはその手引きしている重鎮の中心が、すでに引退した前領主ってことらしい」
「前領主ってことはブレイゼル家の……僕の父上か!?」
レイズはすぐに頷いた。ニルヴェアの言う通り、前領主『ゼルネイア・ブレイゼル』はニルヴェアの父に当たる人物であった。
陰謀に身内が関わっている。その事実にニルヴェアが緊張を深めた一方で、レイズの話はまだ続く。
「しかも黒騎士いわく、あいつは前領主の息子であり今の領主『ヴァルフレア・ブレイゼル』から勅命を受けたんだとさ。『ニルヴェア・レプリ・ブレイゼル』、お前の身柄を使って前領主が謎の儀式を行おうとしている。だからお前の身柄を”保護”することでそれを阻止しろ……ってな」
ニルヴェアが大きく目を見開いた。
「あ、兄上が……!?」
なぜなら――ヴァルフレア・ブレイゼル。それはニルヴェアにとって、最も偉大な兄の名であったのだから。
「あの人が父上を止めるために……それに、僕を使った儀式ってなんだ……? 全然心当たりがないぞ……」
ニルヴェアは頭を抱えるほどの困惑を見せた。だからレイズもまた困ったように髪を掻く。
「やっぱ分かんねぇ、か……」
しかし彼はすぐに表情を切り替えて、ニルヴェアの目を真っ直ぐに見つめた。
「ま、細かいことは一旦置いとけ。とにかく俺にとって今の現状は元々聞いていた依頼と全然違うんだよ。だから俺はこうして逃げてるわけだし……つまり黒騎士の依頼には、どこか嘘があるはずなんだ」
「嘘、か……」
「そしてそれが、お前の知りたがっていた”真実”を紐解く鍵になる……かもしれない」
「!」
――この騒動の裏に潜む真実を僕はなにも知らないし、知りたい。だからその手始めとして、お前がここに来た理由を聴かせてくれ。それを知らなきゃ、お前を許すことも憎むこともできないしな
ニルヴェアはこの話の目的を思い出して、面を上げた。それを合図にレイズがまとめへと入る。
「黒騎士の語ったことは主に3つだ」
①黒騎士が現領主ヴァルフレアの遣いであること
②剣の都と神威が繋がっているという明確な証拠
③前領主が行おうとしているらしい謎の儀式
レイズが挙げたそれらの事柄に対して、ニルヴェアは考える。
「なるほど。その3つの虚実を紐解けば、そこから真実が見えてくるということか……なら、お前の見解はどうなんだ?」
そう問われれば、レイズはすぐに断言する。
「俺としてはまず”証拠”だけなら9割9分本物だと思ってる。なんでかといえば単純に、あの証拠が正確かつ詳しかったからだ。それこそ今思えば、内部の人間じゃないと知り得ないであろうほどにな」
「ふむ。『嘘をつくときはあえて本当を混ぜるのがコツ』と聞いたことがある。お前を納得させるためにそこであえて真実を使ったとしても、不思議ではない……か」
ニルヴェアはさらに推測を深める。
「剣の都が神威と繋がっている。もしその証拠が本当だとして、ならばそれを主導しているのが引退したはずの父上で、兄上はそれを止めようと……でもそのあたりが嘘なら……」
果たして、ひとつの可能性に辿り着いた。
「もしかして、黒騎士は兄上ではなく父上の配下なんじゃないのか? 実は父上が儀式を企んでいるのも本当で、”兄上からの勅命”だけが嘘だった。それでお前をそそのかし、僕の身柄をさらいにきたとか……」
しかしレイズは、そこで唐突に一言。
「お前、もしかして……ブラコン?」
「ぶら……こん?」
「この場合は、兄貴に偏った愛情を持ってることな」
ニルヴェアがキレた。
「誰が偏った愛情だ! 僕は純粋に兄上を尊敬しているだけで……そもそも僕がいつそんな話をしたと言うんだ!」
「いや、態度からにじみでてた」
「態度からにじみでてた!? というかいきなりなんだ、こっちは真面目に話しているんだぞ状況を考えろ!」
「考えてるから聞いたんだよ」
「っ!」
レイズの眼差しはいたって真剣だった。そして口調も。
「だって俺は、お前が尊敬するその兄上……『ヴァルフレア・ブレイゼル』こそがこの騒動の黒幕だって考えてるんだからな」
「っ……!」
ニルヴェアは即座に反論しようとした。しかし……できなかった。
だって、脳裏に過ぎってしまったから。
そしてそれを言語化するかのように、レイズが告げる。
「あの黒騎士がヴァルフレアの勅命を受けたのも真実。ただし、前王の儀式を止めるためじゃなくてむしろ自分がその儀式とやらを行うために、お前の拉致を俺に依頼した……とかな」
「……」
「そもそもだ。剣の都の中枢を操って秘密裏に神威と繋がるなんて、隠居したロートルにそこまでできるか? 今の領主が直々にお目こぼししてるって方が、話としての筋は通るだろ?」
「それ、は……」
ニルヴェアは結局、ただ静かに項垂れることしかできなかった。
明らかに気落ちした少女に、レイズは「あー……」と困ったような声を漏らして、それから。
「その、なんだ……所詮は推測に推測を重ねた暴論だ。そもそも単純に拉致するだけなら屋敷内に潜伏してた”敵”だけで行えば良かったし、だから俺に依頼したりこんな騒乱まで起こす理由もないはずなんだ。そこらへん含めてまだ分からないことだらけなんだから、そこまで気を落とすなって」
「ああ、すまない……」
そう言いながらも、ニルヴェアは俯いたままだ。その姿からは滲んでいる。ニルヴェアが兄をとても慕い、ゆえにショックを受けるその気持ちが。
だからこそ、レイズはひとつの疑問を持った。
「なぁ、なんだってそんなに兄貴が好きなんだよ」
「は? なんだいきなり……」
「いや、依頼のときに軽く聞いたんだけどさ……お前の『レプリ』ってミドルネーム。それってブレイゼルの”本家”と”分家”を区別するために付いてるんだろ?」
ニルヴェアはその問いに目を見開き、しかし静かに頷いた。無言の肯定を受けて、レイズがさらに話を進める。
「ブレイゼルの本家はこの領の首都……『剣の都』にあるんだろ。なのにお前は分家だからって首都から遠く離れたこんな片田舎に隔離されてるんだってな。それで思ったんだ。もし俺がお前だったら、本家のトップで領主な兄貴なんて絶対に尊敬とかしてやれねーなってさ」
レイズがそう言いきると、ニルヴェアは「あはは……」と苦笑いを見せる。しかし彼女はそこから怒ることも悲しむこともせず、ただ微笑んで、懐かしむように語り始める。
「確かに本家とは色んな意味で遠いし、分家ゆえの不自由だってあるよ。僕を産んだ母は死んだと聞かされているし、今の『レプリ』は僕1人だけだ。物心ついたときから1人だったっていうのは、確かに悲しいのかもね」
「かもねって、お前……」
「だけど僕はたぶん、人が思うより悲しくも寂しくもなかったんだ。だって遠い本家からでも兄上は、ヴァルフレア兄上だけはわざわざ足繁く通ってくれたんだから。それが僕にとっては本当に嬉しかったんだ……まぁ6年ぐらい前からは領主の仕事で忙しいらしくてあまり会えないんだけど、さ」
ニルヴェアはそこで一瞬だけ表情に影を落として、
「それに兄上は本当に凄いんだ!」
しかしすぐにぱぁっと明るく光らせた。
「あの人は歴代最強の『剣帝』って呼ばれてて……あ、剣帝っていうのはブレイゼル家の当主にのみ代々与えられる通り名なんだけど、要するに兄上は脈々と続くブレイゼルの血筋の中でも最強なんだよ最強! まだ26歳の若さだっていうのにすでに数多くの逸話を各地に残しているし、領主としての人気も本当に高いんだ。僕自身は分家とはいえ、そんな凄い人と同じ血が流れていることを僕は誇りに思っているんだよ!」
兄を語る少女の目は大きく開いて、その蒼い瞳は宝石のようにきらきらと輝いていた。しかし……それもすぐに陰ってしまった。目の前の現実に。
「だから……僕はお前の言うことを信じたくない。信じたくないけど、でもそれに一理あるって、そう思ってしまう僕も確かにいるんだ。だから分からないんだ、僕の”これから”が……これからどうするべきなのか……こんな中途半端なままで――」
「どうするべきなのか、なんて誰にも分かんねーよ」
「!」
ニルヴェアが面を上げると、レイズはぶっきらぼうに言い放つ。
「結局、大事なのは自分がどうしたいかだ。俺はいつだって俺がやりたいように動いている。だからお前も好きにしろ」
「自分がどうしたいか……僕は……」
ニルヴェアの脳裏に様々な断片が巡った。
前領主の儀式。黒騎士の真意。巨大犯罪組織、神威。黒幕の正体。尊敬する兄上……
(そもそも、僕なんかにできることがあるのか? 変わってしまったこの体で……違う。体がどうとか関係なく僕は分家で、なんの力もなくて、仮にもブレイゼルの血を継いでいるのに、剣のひとつすら……)
誰ひとりとして口を開かない。蒼き月下に静寂が広がった。
そんな中でも鳴り響くのは……風のざわめき、虫の鳴き声、鳥の羽ばたき。そして、ざくざくと草を踏み分ける、
「っ!」
瞬間、レイズが動いた。いきなりニルヴェアへと飛びつき、その体を突き飛ばしたのだ。
「っわぁ!?」
考え込んでいたニルヴェアは当然無防備なまま地面を転がった。ならば憤慨するのも当然だ。すぐに体を起こしながら、
「おい! なにを」
ズゥンッ!!!
「なあっ!?」
ニルヴェアの眼前で、地面がいきなり爆発した。吹き荒ぶ土煙がニルヴェアを覆う。「っ……!」腕で顔を守り、息も止めて……すぐに土煙が晴れていく。
「けほっ……」
咳き込みながら腕をどかしたその先に――いた。
聳え立つ岩のように巨大なシルエットが、土煙の向こう側に。そしてシルエットだけでも分かる。そいつは地面から、巨大な剣を持ち上げていた。
「ちっ、話し過ぎたかな……」
舌打ちひとつと少年の声。
「!」
ニルヴェアが目を向けると、レイズがすぐそばで立ち上がっていた。
彼はとっくに気づいていた――草陰から一気に飛び出し、自分たちを斬りつけてきた敵の正体に。
「思ったより早かったなぁ、黒騎士さんよぉ!」
返答は、晴れていく土煙の中から帰ってくる。
「黒騎士? それは俺のことか。なるほど、当たらずとも遠からず……まぁ悪くない呼び名だな」
”黒騎士”が勝手にひとりで納得するその間に、もう土煙は晴れていた。
果たして土煙の中から姿を現したのは、巨大な黒の鎧と担ぎ上げられた大剣。その風体は確かに騎士以外の何者でもない。だがそれを身に纏う男の顔は、やはり武人と言うにはどこか違和感のある小綺麗な顔つきであった。
「自己紹介は一旦省こう。君たちは君たちで、それなりに意見交換をする時間もあったはずだろう? ならば先に用件を伝える方が適切だ」
「「…………」」
少年少女が警戒心を剥き出しにしている中、黒騎士はニルヴェアへと視線を向けた。
そして目と目が合った、その途端に。
「――っ!」
ニルヴェアの背筋をぞわっ……と謎の怖気が走った。
(なぜだ? なんの変哲もない黒目。むしろ騎士にしては、戦う人間にしては威圧感が足りない気さえする。そのはずなのに)
だがニルヴェアが自身の体感、その意味を掴むことはなかった。黒騎士が次に告げた”用件”が、ニルヴェアの心を激しく揺さぶったのだから。
「お迎えに上がりましたよ、ニルヴェア・レプリ・ブレイゼル様――貴方の兄上、剣帝ヴァルフレア・ブレイゼルの命により、ね」
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