1-7 これまでとこれから(前編)
『女にされた』というのは本当に文字通りの意味であり、決してそれ以上でも以下でもないのだ。
それを少年少女が2人がかりで説明すると、アカツキは「面妖なこともあるものだ」と述べながらも驚くほどではないのか、それとも信じてないのか。とにかくあっさりと流してからこう告げる。
「なにはともあれ、ぼちぼち状況整理といきたいのだが……その前に、ニルヴェア殿。貴殿にはやるべきことがひとつある」
「……なんですか」
まだ出会ったばかりではあるが、ニルヴェアはなんとなく悟っていた。このアカツキという人物はおそらくかなり強いのだが、おそらく結構ろくでもない。
「あ、露骨に警戒されておるな? いやしかしこれは真面目な話でござるよ。なにせ清潔であるというのは、それだけで人の気持ちを落ち着かせるものだ」
「へ?」
「せっかくすぐそばに湖畔があるのだ。先に水浴びぐらいはしておいた方が今後の相談も捗るというもの。そうは思わぬか?」
「あ。それは……そうかもしれませんね……」
それは、自らの体を見下ろしたがゆえの感想であった。
森を駆け抜け地面を転がり、ニルヴェアの寝間着はすっかりぼろぼろになっていた。加えて元より体が縮んでサイズが合わないのを、裾を折り曲げて無理矢理着ていた代物だ。鏡を見ずとも、相当みすぼらしくなっているであろうことは容易に想像がつく。しかも問題は服だけに留まらない。
(なんか一度意識すると土汚れとか汗のべたつきとか、すごい気になってくる……)
自身の肌までもが相当汚れていることを、ニルヴェアはようやく自覚した。
ここまで散々汚れた経験は、覚えている限り1度や2度くらいしかない。ゆえにニルヴェアは急にそわそわと、落ち着きを失くし始めて。
「なら、すみませんが早速……って」
しかしいざ水浴びを決行しようとすれば、懸念事項がいくつも頭を過ぎった。あれとか、それとか、これとか……
「あ、あの。やっぱとりあえず状況整理からしませんか?」
ニルヴェアの中で、全身の不快よりも”懸念事項”が勝った。そしてそのうちのひとつを口にする。
「ほら、着替えだってないし……」
だがアカツキは「それなら大丈夫だ」と一言。そしてぴゅう、と口笛をいきなり吹いた。
「へ?」
ニルヴェアが首を傾げた直後、森の向こうからガサガサと草木を揺らして――それは現れた。
細身ながら精悍な四本の足で颯爽と地を駆け抜け、自らの長い首を美しい栗色のたてがみによって彩るその生き物は……
「う、馬!?」
「愛馬の『ハヤテ』だ。いざという時のため、最低限の荷物はこいつに積ませておいたのだ」
「な、なるほど……?」
ニルヴェアが目を丸くしたその先で、ハヤテは大人しく佇んでいた。
その背と側面には少なくない荷物が積まれていたが、彼は重さを感じないかのように堂々とした立ち姿を見せている。
そんなハヤテの登場を機に、レイズも会話に入ってくる。
「なぁ、俺の荷物は? バイクに積んでたやつ」
「ああ。全部は無理だったから、適当に選んでこっちに載せ替えておいたぞ? このまま逃げる可能性もあったし、とりあえず金や服辺りの必需品を……ああそうそう。ニルヴェア殿の替えの服なんだが、おぬしのを貸すことにしたからな。背丈も似ておるし丁度いいだろう」
「いや決定事項かよ! せめて許可取れや!」
「ならば素直にうんと頷いてくれるのか?」
「いや。それは……」
レイズはちらっと、ニルヴェアへと視線を向けた。すると少女のくりっとした両目が「?」きょとんとレイズを見返してきた。レイズの表情がなにやら微妙な感じになった。
「アンタの服でもいいだろべつに……」
そんな、微妙に煮え切らない系の男子にアカツキがそっと耳打ちをする。
「拙者のではサイズがな……ぶかぶかだとやはり色々見えてしまうでござろう? たとえば谷間とか」
「ぶっ!」
アカツキは少年少女と比べて、頭ひとつ分以上背丈が高い。つまりはそういうことだった。レイズは結局、頭をがしがし掻いてから観念するしかなくなった。
「勝手にしろ! 俺は支柱とか焚き火の木でも探してくる! あとついでに見回り!」
それだけを言い残すと、レイズは返事も聞かずに森の中へと入っていってしまった。その背中をニルヴェアはぼけっと見送ってから、首を傾げる。
「……支柱?」
「テントのな。本来は鉄製の支柱があるのだが嵩張るから一旦布だけ持ってきたのだ。拙者の荷物を見てそこら辺を察したのであろう」
「えっと……なんというか、すごい手慣れていますね。あいつも、貴方も」
「この状況こそ想定外でも、準備が足らない状況それ自体はよくあることだ……常に準備は怠らず、それでいて非常時への心構えも忘れない。無いなら無いなりに、有り合わせでどうにかするのがそうだな……あやつ風に言えばナガレの流儀、というやつか」
「ナガレの、流儀……生き方……?」
ニルヴェアはゆっくりと、噛み締めるように呟いた。しかしアカツキはおかまいなしに言う。
「というかそんなことよりも水浴びでござるよ! 着替えの問題も解決したし!」
「うっ!」
ニルヴェアが痛いところを突かれてうめいた。
「なんでそんなに嬉しそうなんですか……」
「男の水浴びはむさ苦しいだけだが、
「えぇ~……」
ニルヴェアは若干引いて、それから恥ずかしそうに俯いた。彼女の頭の中では、最も大きな懸念事項が渦を巻いていた。
「分かりました。浴びます。でも……その前に、見えないとこまで離れてくれませんか……?」
「む? こんなみてくれだが、拙者も一応は女だぞ?」
「いや、それはむしろとても分かってるんです。分かってるんですよ」
薄汚れたぼろ布とぼさぼさの髪が目立つが、よく見ればアカツキは美人の部類である。
(同じ剣士だから? 兄上にも少し似てる、かも。全体的にシュッとしてるというか、毅然とした雰囲気とか、刃のように鋭い目つきとか。かっこよくて綺麗な顔立ち。だからこそ……)
「アカツキさん。貴方は女性で、つまり僕にとっては異性なんです。だから僕が男として普通に恥ずかしいんですよ!」
その白状に、アカツキはしばらく無言で考えて……。
「あれ、マジでござったのか」
「マジですよ!!!」
◇■◇
湖畔の浅瀬は立っていても腹が浸かるくらいの深さで、今の時期は水温も丁度いい。だからニルヴェアは屈みこんで思う存分肩まで浸かり、遠くまで続く水面を眺めながら、自身の長い金髪に手櫛を入れて解きほぐしていた。
「なんか、やっと落ち着けるかな……」
長髪にときおり水を掛けてはゆっくりと大事そうに梳いていくその姿は……誰がどう見ても、少女らしい少女にしか見えないだろう。
だがニルヴェアにとって長髪は別の意味を持っている。ニルヴェアにとってそれはむしろ”男らしさ”の証であった。
――ブレイゼル領において、男の長髪というのは一種の贅沢だ。
なぜかといえばこの領では首都たる『剣の都』の名が示す通り、剣に己が正義を誓い、魂を込めて剣を振るう”騎士”という職が栄えているからだ。
ならばなぜ、騎士が栄えていると長髪が贅沢扱いされるのか?
理由はごく単純だ。騎士は体を鎧で、頭を兜で覆うのだが、その兜を被るのに長い髪が不必要だからである。
むしろ髪が長いと被りにくいし蒸れるしで余計なだけ……つまり騎士にとって長髪は贅肉であり、ひいては騎士業に不真面目な証ともとられかねない。そこに元より質実剛健を重んじるブレイゼルの土地柄も併せれば、騎士の長髪が良い目で見られないのは明らかだろう。
加えてブレイゼル領における騎士とは、基本的には男の仕事として認識されている。ゆえに『騎士の髪は短くあるべし』→『男の髪は短くあるべし』とブレイゼルの領民全体にその風潮が伝わっていった。
それがこの領と”男の長髪”を取り巻く歴史であり……だからこそ、それが一種の差別的要素として。富裕層とそれ以外を分ける境目として機能しうるのだ。
身を削り、体を張る男たちにとって長髪が贅肉とされるその一方、その贅肉を楽しむ余裕のある富裕層がいる。あるいは目的を手段に……富裕層として良く見られるために髪を伸ばす者もいた。
そしてこの領における富裕層の最たる者、領主ヴァルフレア・ブレイゼルもまた髪を伸ばす男の一人であった。
ただ彼は、長髪を単なる贅沢ではなく、庇護下にある民と一線を引き国を率いる者としての威厳を保つシンボル。そのひとつとして利用していたのだ。
つまるところ、ニルヴェアにとって男の長髪とは国を率いる男の威厳であり、尊敬する兄上を構成する一要素であり、彼もとい彼女が髪を伸ばしていた理由もそこにあるのだ……とはいえ、当人以外にその想いを知る者はこの場にはいないわけで。
「
金の長髪を気遣う少女は、まぁ普通に少女にしか見えなかったりするのだが。
そう。誰がどう見たって、少女にしか見えなかったりするのだが。
しかしニルヴェア自身はそれを全く意識することなく、満足いくまで髪を梳き終えると。
「……そろそろ上がるか」
そう呟いて腰を上げた。すぐに上半身が水から上がり、その胸部に付いている柔らかな双丘も姿を現して――ざばんっ。
「っ……!」
ニルヴェアは再び肩まで、いや今度は熱くなった頬を冷やすため口のあたりまで水に浸かって、ぶくぶくぶくぶく……
(なんで、なんで、僕はいつか兄上のようなかっこいい男に……なのに、なんでこんなものが……!)
乳房である。乳房がある。
(しかも結構大きい……大きいよな、たぶん……他の女性の、む、むねとか、全然みたこと、ないけど……)
水の中で、人差し指を立てて、ちょっとだけ触ってみる……ふにっ。
未体験な、柔らかい感触が、
「~~~~~~~~~~!!!!!」
ニルヴェアは今度こそ、躊躇なく立ち上がった。ざばぁっ! と激しく水面が波打ったが、それを掻き消すほどの大声で自分自身に言い聞かせる。
「なにやってるんだ僕は! 状況を考えろ! そうだニルヴェア・レプリ・ブレイゼル! 兄上ならきっともっと男らしく! こ、こんな裸ひとつで動揺なんて! よし上がろさぁ上がろ!」
決意しながら体を反転。陸の方へと顔を向けて――ぼろ布纏った女侍と目が合った。
「ウワーーーーーー!!!」
ニルヴェアの体がひっくり返り、水面が再び激しく波打った。しかしすぐに立ち上がり……「っ!」やっぱり体を沈め直して、顔だけを水面から出して叫ぶ。対岸でニヤニヤしている
「見ないでって言ったじゃないですかぁ!」
「うひひ。良き反応するなぁ」
「見ないでって! 言ったじゃないですか!!」
「まぁそう邪険にするな。着替えを持ってきてやったのだ」
「着替えだけ置いていってください!」
「それは無理だ。なにせ”これ”も込みでの着替えだからな。おぬしが元々男で服もレイズから借りるというなら、”下”はともかく”上”には困るだろうとな」
アカツキはそう言いながら両手を使って、一見すると包帯のような白く長い布をピンと張って見せた。
「侍に興味があるというならば、リョウランの文化も多少は知っておるのだろう? サラシ、というのは聞いたことないか?」
「サラシって。えっと……」
記憶を漁ればすぐに出てきた。それは要するに、女性の胸を押さえる――
「ひっ……1人で! 巻けますから!!」
「それは駄目だ。なにせ下手な巻き方をすると形が崩れてしまうし、単純に痛い。
「ち、ぶ、さ」
「男らしく裸なんかでは動じない。さっきそう言っていたであろう?」
「う˝。いや、だからって、人に見られるのは話が別……」
「なんでもいいが、拙者はこれを巻くまで退くつもりないぞ? 実力行使でどかすというならもちろん受けて立つが」
「暴力にも程がある! もういいですよべつに巻かなくたって! どうせ服着るんだから……」
「分厚い寝巻きならともかく、単なるシャツだと透けるぞ? わりと普通に。それでなくとも、尖る」
「……………………………………」
どこと言わずとも、なにと言わずとも、この瞬間だけは以心伝心だった。
「――よもや『剣帝』の血を受け継ぐ誇り高きブレイゼル家の男子が、破廉恥な恰好のまま真面目な話をするはずもあるまい?」
◇■◇
そんでもって。
やがて戻ってきたレイズが、持ってきた木材と蔦を使って器用に支柱を組みテントを張っていく。その一方でアカツキもレイズから木材を貰い、手早く焚き火を起こしてから……そこに加えて、もうひとつ。
アカツキは持ってきていた荷物から小さな鍋と瓶詰の牛乳、そして紙に包まれた角砂糖を取り出すと、ちょっとした料理を始める。
まずは鍋の中に牛乳を流し込むと、焚き火を使ってひと煮立ちさせる。そこに角砂糖をいくつか落としてかき混ぜれば……出来上がったのは。
「ホットミルクでござるよ。砂糖も入っておるからな、疲れた体にはよく効くはずだ」
アカツキは2つのコップにホットミルクを注いで、レイズとニルヴェアにそれぞれ手渡した。
「……ありがとうございます」
ニルヴェアはなんかむすっとしながら受け取り、次にレイズが苦笑しながら受け取った。
「ったく、こういうとこは普通に気が回るんだもんな……って2人分? アンタはいいのかよ」
「おぬしとの2人行動までしか想定していなかったゆえな。それに、拙者よりもおぬしらの方がよほど疲れておるだろう?」
「そういう話なら、ありがたく貰うぜ」
それから3人で焚き火を囲んで座りこめば、これで一通りの準備は完了した。なんの準備? 決まっている――これまでと、これからと。
「さて、それじゃあ俺たちの状況から説明してくぜ」
話し合いの口火を切ったのはレイズだった。彼はこれまでの粗筋をアカツキに説明し始める。
まずは屋敷に忍び込んだことから始まり、ニルヴェアに霊薬を飲ませ、混迷の中で屋敷を脱出し、アイーナを殺されて、彼女の墓を作り……
「――そこに黒騎士が強襲してきた。あとはあんたも知ってるだろ? 隠れて見てたわけだし」
「うむ。拙者の方は屋敷の内外に散らばる敵を倒しつつ司令塔を探していたのだが、そしたらおぬしらと黒騎士が対峙している現場に出くわしたのでな。あとはこっそりと様子を伺いつつ……というわけだ」
「なるほどな。そうだ、屋敷の感じはどうだった? それに、倒した敵も……」
と、レイズはなぜかそこで言葉を止めた。それから、視線をちらりと横へ向けた。そこにはひとりの少女が座っていた。
レイズのおさがりであるTシャツとズボンはわりと丁度良いサイズ。そんで特徴のひとつである長い金髪は着替え前と同じく首下あたりで括り、もうひとつの特徴である蒼眼は……何故かむすっと閉じていて、彼女はただ静かにホットミルクを啜っているばかりであった。
そんなニルヴェアの様子に、レイズはアカツキへと小声で尋ねる。
「……なぁ、なんでさっきから怒ってんの。あいつ」
「覚えておけ。時に女子と言うのは、秋の空に例えられるほど気難し」
「女じゃないし怒ってない!!」
小声なのに聞かれていたらしい。アカツキが「うひひ」と笑った一方で、
(怒ってんじゃん……)
レイズは内心で呆れ、しかし口にはしなかった。なんか知らんけど面倒くさくなる気がする。ナガレの直感だった。
それが功を奏したのかは謎だが、ニルヴェアもようやく口を開いて話題に参加してくるのだった。
「……そういえば、まだ聞いていませんでした。アカツキさんが僕らを助けてくれた理由? というか、都合良くこの屋敷にいた理由。『通りすがりの侍』って仰ってましたけど、まさか本当に通りすがっただけじゃないでしょう?」
「うむ……実はあらかじめレイズに呼ばれておってな。『神威に繋がる依頼があるから、いざという時は協力してほしい』とな。それゆえに屋敷近くで待機しておったのだが、そこで騒動の気配を感じて乗り込んだわけだ」
「なるほど……」
「しかしまったく、師匠使いの荒い弟子だな」
「弟子じゃねぇ」
「とにかく助かりました。貴方のおかげで……ってちょっと待て」
ニルヴェアはふと気づいて、アカツキではなくレイズへと問いかける。
「おいお前、これ仮にも”極秘の任務”って触れ込みじゃなかったのか? なにさらっと他人に教えてるんだ?」
しかしレイズはしれっと。
「ばっかバレなきゃセーフなんだよ何事も。それにアカツキがいたおかげで助かったのは事実だろ?」
「くっ、確かにその通りだから怒るに怒れない……!」
「ふはっ。生真面目なのは嫌いじゃないけど、もっと器用に生きることも覚えろよ?」
レイズはニルヴェアの歯痒そうな表情を笑いつつ、話を進めていく。
「それで話を戻すけど、屋敷の方はどうなったんだ? アンタのことだしそれなりに後始末もつけてあるんだろ」
レイズの提供した話題にニルヴェアも表情を変えた。切羽詰まったように顔を強張らせて、アカツキへと叫ぶように問う。
「そうだみんなは! 兵士たちは大丈夫なんですか!? それに宿舎の使用人たちも……!」
「まぁ落ち着くでござるよ」
ニルヴェアの興奮をなだめてから、アカツキは語り始める。
「まず宿舎とやらについては分からぬが……しかし敵は屋敷とその近辺。あとはおぬしらが逃げた森の中にのみ展開されておった。それにおぬしらから聞いた話を鑑みても、『騒乱を見せつけて神威の匂いを残すため』に屋敷を荒らすことこそあれど、それ以上被害を拡げる理由はないはずだ。無暗に陣を広げたところで、連携や撤退が面倒になるだけでござる」
「ということは、宿舎は大丈夫……?」
「屋敷以外に被害はない。おそらくな。だが……」
アカツキはそこで迷うように間を置いて――しかしレイズがそこに割り込む。
「逆に言えば、屋敷の兵士からは死者が何人出てもおかしくないってことでもあるな」
その言葉にニルヴェアが「っ……!」身を震わせた。レイズの歯に衣着せぬ物言いに、アカツキが溜息をつく。
「おぬしなぁ……」
だがレイズの目はアカツキではなく、ニルヴェアへと向けられていた。
「真実を知らなきゃ選ぶこともできない。そう言ったのはお前だよな」
ニルヴェアはそれに小さく、しかし確かに頷いた。
「……僕のことは気にせず、続けてください」
「あい分かった。気分が悪くなったら言うが良い」
アカツキはニルヴェアが再度頷いたのを確認して、それから話を再開する。
「まず、拙者が騒乱に気づいて屋敷に辿り着いた時点で……死傷者はすでに何人か出ておった」
ニルヴェアは、静かに口を押さえた。だが何も言わない。ゆえにアカツキは話を続ける。
「だが……そうだな。酷な言い方ではあるが、今思えばだいぶマシな状況だったのだろうな。おそらくおぬしらの捜索に人員が割かれていたのと……兵士の1人に聞いたのだが、レイズ。おぬしも何人か助けたそうだな?」
「あんときゃ邪魔するやつは普通の兵士だろうと撃たざるをえなかったし、”敵”との割合は良くて五分五分だ。だから良いことみたいに言うのはやめろ」
「ふむ。おぬしはそう言うが、その行いのおかげでいくらか信用も得られたのだ。そう卑下するでない」
「ああ? 信用って……」
「要は生き残っていた兵士と協力したのだ」
ニルヴェアの目がはっと開いた。それを見ながらアカツキは語り続ける。
「裏切り者は恰好こそ同じだが、身のこなしが明らかに違う。それを拙者が片っ端から叩いて、兵士たちには負傷者の手当てや街の自警団への連絡などを担当してもらったのだ。ああ、そのついでに『屋敷に侵入した少年は賊ではなく、秘密裏に神威を捕えに来た協力者である』とも吹き込んでおいたぞ?」
「それは普通にナイス! でも兵士もよく信じてくれたよな」
「もちろん兵士たちから疑念が消えたわけではなかろうて。しかし状況が状況だ。土壇場で助けに現れた拙者は、少なくとも裏切り者よりかは信用できるだろう。そしておぬしの助けが、その信用を後押ししてくれたわけだな」
「なるほどね……あっ。そういえば兵士に話を聞いたってんなら、俺と一緒にいたこいつのことはなんか言ってたか?」
レイズはそう尋ねつつ、ニルヴェアを指差した。そのことによってニルヴェアは思い出した。今の自分が他人にどう見えているのかを。
「そういえば、屋敷のみんなは僕が霊薬で女に変えられたって知らないんだよな……」
「むぅ、それなのだがな……」
アカツキはどこかバツの悪そうな表情と共に語る。
「兵士からは『謎の少年とそいつに担がれた謎の少女の2人組』と聞いていた。当然、拙者もそのときは真実を知らなかったわけでな。まぁ疑問には思ったが、レイズが同行しておるなら敵ではなかろうと”謎の少女”も協力者だと言ってしまったのだ。しっかしこうなると、完全に『ニルヴェア』とは別人扱いになってしまうでござるな……」
それを聞いて、ニルヴェアはがっくりと項垂れた。
「しょうがない。しょうがないですよ。でも……そうか、やっぱ分からないよな。性別が変わる霊薬ってなんだよって話だしな……」
「まぁまぁ。とにもかくにも、拙者の方から出せる情報はこのぐらいだ。これで”これまで”の情報交換はおおむね終わった……はずだな?」
その言葉にレイズも、そしてニルヴェアも頷いた。
さて、”これまで”が終わったというならば次に話すべきは?
「これでやっと本題に入れるな」
レイズの一言にニルヴェアが首をかしげた。
「本題?」
「おう。要は”これから”の話だな」
「これからの……」
ニルヴェアはオウム返しで呟いて、それから静かに考え込む。その一方で、
「つっても俺はもう決まってるけどな」
レイズの言葉に迷いはなかった。
「あの黒騎士を、そしてこの事件の黒幕を見つけだしてぶっ潰す。俺を巻き込んでくれたことを後悔させてやる」
「ならば拙者も同行しよう」
アカツキもすでに決めていた。
「どういう形なのかはまだ分からぬが……今回の事件に神威が深く関わっていることは間違いないでござろう。あるいはあの黒騎士が神威の幹部クラスの可能性もある」
「一応、やつ本人は『神威に扮した』って言ってたけどな」
「最後に見せた触手モドキ。あの手の人体改造は神威の技術に他ならない。もしもやつが改造”された”のならば、ああも明確な自我は残されぬだろう。ならばあれは自分で体を改造”した”。そして改造を指示できるような立場にある……あくまでも推察だが、しかし推察できる程度の可能性があるならば追わない手もない」
「あんたならそういうと思った。今回もよろしく頼むぜ」
あれよあれよと話が進んでいく。
レイズとアカツキはすでにお互いの方針に納得しているようだったが……ニルヴェアの方はといえば、話を追いかけるだけでも一苦労であった。彼女は会話の中身を遅れて飲み込み、そこで浮かんだひとつの疑問をアカツキへと問いかける。
「あの……今の内容から察するに、アカツキさんは神威を追っている。ということですか? なんかあの組織に精通しているみたいですし……」
「まぁ年単位で追っているのは確かでござるよ。なにせちょっとした私情があってな」
そしてアカツキはさらっと答える。
「ざっくり言えば仇討ちというやつだ」
「か、仇……!?」
ニルヴェアはいきなり出てきた物騒な単語に思わず驚いたが、しかしそれについて追及する暇は与えられなかった。
「まーそんなことより、今はニルヴェア殿。おぬしの選択の方がよほど大事だ」
「!」
なにせニルヴェア以外の2人にとって、今話すべき
「拙者もレイズも、結局はやることなどハナから決まっておるのだ。なにせ我々は『ナガレ』だからな。ゆえに我々は旅を続ける。そこに降りかかるものが火の粉だろうと隕石だろうと、邪魔をするならば斬り散らすのみ。ナガレとはそういう生き物であり、それを選んだのは我々自身だ」
ニルヴェアは、アカツキの話をただ呆然と聞いていた。ナガレ……旅客民という概念はニルヴェアも知っている。それでもそれは、ニルヴェアにとって知らない世界の話であった。
(無茶苦茶な理屈だ。でもこれがナガレ。旅客民。旅を宿命づけられた人たちの……?)
どう飲み込むべきなのか。自分は今どう思っているのか。曖昧な気持ちのまま、ただなんとなくレイズへと視線を向けた。
(こいつも、そういう生き方を)
しかしレイズはただ黙って、じっとニルヴェアを見つめ返している。
(僕の、これから……)
ゆらゆらと曖昧な気持ちが、ぐるぐると曖昧な渦を巻いている。
(僕はあの黒騎士と決別した。この事件の首謀者に与しないこと。それが僕のやりたいこと……違う。今必要なのはその先? 具体的な行動? この騒動が許せないのは僕だって同じ。だったらやらなきゃいけないことはひとつ? 僕も、この2人と……)
「――だがニルヴェア殿。おぬしは違う」
ニルヴェアがハッと気づいて面を上げた。
するとその視界にはアカツキが映った。だが……すぐ目の前に居るはずのアカツキは、不思議ともっと遠くにいるように思えた。
「おぬしはナガレではない。安住できる家と、安心できる地位がある……無理に我々に付き合う必要はないのだ」
「っ!?」
ニルヴェアの想いは全て見透かされていた。アカツキは一閃を研ぎ澄ますように、その鋭い目をスッと細めてニルヴェアを射抜く。
「レイズが拙者を呼びつけたように、実は拙者も拙者でひとつ手を打ってあるのだ。まさかこう使うとは思わなかったが……おかげで、『おぬしを信頼できる筋へと引き渡す』という一手が打てる」
「信頼できる筋って……アカツキさんにも協力者がいるってことですか……?」
「うむ。とはいえあやつは多忙の身。予定の調整が難しく、この街とは別の街で後日落ち合う予定になっているのだが……とにかくその協力者の人格と能力については保証する。なにせあやつは『越境警護隊』の一員だからな」
「それって、たしか条約の下に大陸全体の治安維持に努めるという……」
「その通り。まぁ拙者個人としてあの組織そのものが信用に値するかというとまた別の話になるが……それでもあやつなら、おそらくおぬしの安全を第一にして的確に動いてくれるはずだ。当然100%安心保証とはさすがにいかぬだろうが……しかし考え得る限り、最も安全な一手であるのも確かだ」
「つまり……僕はその人に保護してもらって、貴方たちがこの騒動の全てを解決して安全が確保されるそのときまで待っていろ。というわけですか」
ニルヴェアの解釈に対して、アカツキは首を横に振った。
「これは命令ではない。選択肢だ。我々が勝手に決めたように、おぬしも勝手に決めれば良い。もっとも、それを受け入れるかどうかも我々の自由だがな」
それきり、アカツキはなにも言わなくなった。
「僕は……」
レイズだって、なにも言わなかった。
「僕は……!」
やがてニルヴェアが動かしたのは……口ではなく、手であった。
彼女はズボンのポケットに手を入れるとそこからなにかを握って取り出し、そして握った手をゆっくり開く……やがて姿を見せたそれに、レイズがぽつりと一言呟く。
「アイーナのペンダントか……」
レイズの視線に応えるように、ペンダントに嵌め込まれたクリアブルーの鉱石がちかりと光った。
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