1-2 紅き少年と紅き戦場

 ナガレの少年――レイズが放ったあかき光弾が、階段半ばに立ち塞がる兵士に向かって飛んでいった。突然の強襲に、兵士は狼狽える間もなく光弾にぶち当たる。その瞬間、光弾は一層紅く煌めきながら膨れ上がり――爆発!

 兵士の体が弾き飛ばされて、煙を燻らせながら階段を転がり落ちた。それを合図にレイズは駆け出し、そしてニルヴェアが思わず叫ぶ。


「なっ、あれ大丈夫なのか!?」

「加減はしてるし、仮にも訓練受けてるなら受け身のひとつだって取れるだろ!」

「そう、なのか……?」


 兵士は階段下まで転がっていった。だがニルヴェアが(レイズに担がれて)階段を通り過ぎる際に目を向けると、兵士はゆっくりとだが確かに起き上がろうとしているようであった。

 その様子にニルヴェアはほっと一息ついて、それからふと思う。


(さっき兵士が裏切ったときも咄嗟に助けてたよな。こいつ……)


 ニルヴェアが考えている間にも、レイズはひたすらに屋敷内を駆け抜けながら光弾をぶっ放していく。その照準は進路に立ち塞がる兵士はもちろんのこと……仲間の兵士を殺そうとする、”裏切り者”にまで向けられる。


「や、やめてくれぇ! なんで、なんでお前が……!」

「お前らとの日々も悪くはなかったよ。でも悪いがこれも任務なんでな……ぐあっ!?」


 裏切り者が光弾に倒されて、助けられた兵士がレイズへとおそるおそる問いかける。


「ぞ、賊がなぜ……?」

「物のついでだ。あとは勝手に助かってろ」


 レイズはそれだけ言い捨てると、すぐにまた走り出した。そんな光景に、ニルヴェアの疑問はますます深まる。


「レイズ、だったか。お前、案外お人好し……なのか……?」

「はっ。拉致られてる真っ最中でそう思えるお前の方がお人好しだよ」

「なっ!」

「この騒動の片棒担がされてるのが腹立ってきたし、それで誰かが死んだら寝覚めも悪い。そんだけだ」

「誰かが、死ぬ……」


 ニルヴェアの口がきゅっと閉じた。彼女はまだ、人の死というものをその目で見たことがなかった。


(僕は今、そういうことに巻き込まれている……のか……?)


 ある日突然女になって、年下のように見える少年に拉致られて、かと思えば兵士たちが同士討ちしていて……ニルヴェアはふわふわと揺蕩っていた。現実と非現実の狭間で。

 しかし現実は、彼女を置いてけぼりにして進んでいく――レイズが屋敷の1階、エントランスへと辿り着いた。その時にはもう、”騎士”がそこに立ち塞がっていた。


「ようこそ、ナガレの少年。そして……ニルヴェア様」


 レイズは騎士の姿を認めると、露骨に表情を変えた。眉をしかめて、疑念を隠さず問いかける。


「出迎えご苦労さん、と言いたいけどさ……どーも話が違うんじゃねぇの?」


 レイズが言葉を投げたその方向へ、ニルヴェアもすぐに首を向けた。

 エントランスの向こう、開きっぱなしの玄関からは蒼月の光が入り込み、騎士の輪郭シルエットをくっきりと照らしている。ニルヴェアはそれを見て、真っ先に思う。


(大きい)


 騎士がその身に纏う漆黒の鎧は大岩のように分厚く武骨。しかもその右手で握り肩に担いでいるのは片刃の大剣……だというのに。


(なのに屈強、とは思えない。この違和感は……顔か?)


 その騎士は兜を着けていなかった。だからはっきりと見えるのだ。きっちり刈り上げられた黒の短髪が。生傷のひとつも見当たらない肌が。

 その生真面目かつ清潔感を与える顔は、武人のそれというよりは文官と言われた方がしっくりくるかもしれない。少なくともニルヴェアはそう感じていた。


(見た目ひとつで騎士らしさを判断するつもりもないが、でも、なにか……)


 ニルヴェアが引っかかりを覚えるその最中、騎士が口を開く。


「伝達の相違には謝ろう。こちらも少々事情が変わってな」


 彼の声は耳によく響く、張りの良い低音だった。だからこそニルヴェアの中で疑問が深まる。


(まるで演説家みたいな喋り方。僕の知る武人とは、兄上とは全然違う……)


 ニルヴェアが妙な違和感に警戒を強めていく一方で、レイズも小さく呟く。


「依頼してきたときはあんな大鎧着てなかった。これで”5つ目”」

「依頼、ということはこいつがこの騒動の……」


 2人が注視する中、騎士が軽い足取りで近づいてきた。お互いの距離を縮めながら、軽い雰囲気で語っていく。


「予定が狂いながらも、きっちりニルヴェア様を連れてきてくれたことに感謝するよ。さすが、若くして『越境警護隊』にも認められたその腕前……」


 ニルヴェアはその語りに耳を澄ませて――ふと、風を頬に感じた。

 気づけば、騎士の大剣が振るわれていた。


「え?」


 あまりにもあっさりと、なんの宣言も前触れもなく、大気を巻き込むほどの剣圧が迫り、突然現れた死の気配が視界だけを緩慢にした。

 視界に映るのは横凪ぎの一閃。あの軌道は(狙いは、僕じゃない)おそらくレイズを両断するための、


 ボゥッ!

 

「!?!?」


 視界がぶわっと縦に弾んだ。

 ニルヴェアは高速で跳んでいた。


(違う、跳んだのは僕を担いでいるレイズこいつだ――)


 ニルヴェアが己の状況を理解したとき、すでに彼女たちは騎士の真上まで跳躍していた。


(でも、なにが起こったんだ!?)


 ニルヴェアはすぐに思い出した。大剣が少年を断ち切るその刹那、直下で響いた爆音に。

 だからレイズの足下に目を向けてみれば、彼の靴からは細い煙がなびいていた。しかしそれがどういうことで、今なにが起こったのか。ニルヴェアにはなにひとつ理解できていない。


(なぜ騎士はこいつを殺そうとした? こいつはどうやってそれをかわした? 僕は一体なにに巻き込まれて……)


 初めて間近で見せられた命懸けの戦い。浮かんだ数多くの疑問にしかし答える者はいない。ニルヴェアの心ひとつだけが置いてけぼりなまま、レイズがとうとう地面へと着地した。

 人ひとり担いだ上での異様な大跳躍。その直後にも関わらず彼は平然と、右手の琥珀銃を騎士へと突き付けて言う。


「アンタがそういうつもりなら、こいつは俺が攫わせてもらう」


 それは挑発的な物言いであったが、しかし騎士はそれを咎めなかった……というよりも、


「なにをした。なんだ、今の力は」


 それどころではないと言わんばかりの驚愕を見せていた。

 そしてニルヴェアも未だ困惑の真っ只中。いくつもの混乱が場を支配するその中で。


「目をつむれ」


 レイズだけが冷静に、ニルヴェアへと囁いていた。


「な、なんで」

「眼に悪いから!」


 怒鳴るような言い方がニルヴェアの目を反射的に閉じさせた。そして、


「なにっ!?」


 騎士の2度目の驚愕が、眩い閃光と共に訪れた。


「いつの間にっ……!」


 騎士の視界を真っ白な光が覆いつくす。騎士はすかさず腕で顔を覆って光を防いだが……腕をどかしたときにはもう、少年少女はその場に居なかった。

 騎士は「ちっ」と一度だけ舌打ちすると屋敷の奥へとすぐに顔を向けた。それから、同士討ちを続ける裏切り者へとそのよく通る声で呼びかける。


「俺は今からターゲットを追う! 誰か1人ついて来い! 外の待機班とも連携をとる!」


 それに応えて屋敷の奥から1人の兵士が騎士の下へとはせ参じた。


「了解。ナガレの方は手筈通り殺すとして、ニルヴェア様は……やはり傷を負わせず捕縛ですか?」

「それが最善だろうが、しかしこうなっては贅沢な話でもある……まぁ計画の遂行だけで言えば、命さえあれば問題ない。だから構わんよ、両手足ぐらいなら潰してもな」



◇■◇



 整然と立ち並ぶ木々。配色を考えて植えられた花々。派手ではないが奇麗な庭園を、しかし荒々しく駆け抜ける少年が1人と少女が1人。

 レイズとニルヴェアであった。


「腕と肩がいい加減マジで痛い!」


 そんなレイズの事情によって、ニルヴェアはすでに自由の身となっている。だがニルヴェアは、それでもレイズと行動を共にしていた。

 女になり体が縮んでサイズが合わなくなった寝間着を、それでも裾を折り曲げてなんとか着込み、レイズの後ろを走ってついて行く。しかしそのレイズが走りながらひとつぼやく。


「適当に逃げてるだけじゃ埒があかない。手っ取り早く外に出られればいいんだけどな……」


 その言葉にニルヴェアは少しだけ迷い、しかしすぐに決断して正直に口を開く。


「……抜け道」

「!」

「屋敷を抜け出すときによく使っている抜け道がいくつかある。街への近道や、森への直通路とか……」

「屋敷を抜けられるんならどこでもいいけど、その抜け道……お前以外に知ってるやつは?」

「いや。バレると塞がれるからな……逆に言えば今使える道は僕と、もう一人の使用人メイドぐらいしか知らないはずだ。とはいえこんな夜で、しかも闇雲に走ってしまったからな。ここがいくらウチの庭でもすぐには……」


 ――ガサガサ!


 急に鳴り出したその音に、2人はびくりと肩を揺らして、どちらからともなく振り返った。

 すると2人の視線の先で、茂みがまたガサガサと揺れた。それからすぐにひとつの影が飛び出してきて。


「あー! ニルヴェア様はっけ……ん?」


 果たしてその場に現れたのは、いかにもメイドらしい服装をした少女であった。

 少女は枝葉を頭にくっつけたまま、きょとんと小首をかしげている。その服の胸を飾るクリアブルーのペンダントが、ニルヴェアの視界できらりと光った。ニルヴェアは反射的に呟く。


「アイーナ……」


 それは、他ならぬ目の前の少女の名前であった。

 しかし呼ばれた少女の方は、困惑をさらに深めていた。


「え、え。あれ? 人、違い……?」


 その反応でニルヴェアはようやく思い出した。今の自分の見た目が大きく変わっていることに。


「あ、そうか! ああもう!」


 はっとしてわっと頭を抱えだした。そんな突然の挙動不審に、レイズが冷ややかなツッコミを入れる。


「おい。お前はたから見るとヤバいぞ結構」

「誰のせいだと思ってるんだ! くそっ、こうなったら――アイーナ!」

「え!? なんで私の名前を」

「それは僕がニルヴェアだからだ! なぜか今は女の体になっている、なんて我ながら胡散臭いことこの上ないし僕が僕である証明のひとつすら今は出せない。けど頼む、僕を信じて――」

「あるじゃないですか。その瞳が」

「え?」


 アイーナはその幼げな顔に、柔らかな微笑みを浮かべている。彼女の瞳は、ニルヴェアの蒼い瞳を真正面から捉えていた。


「女の子になっても、青空みたいに綺麗な色は変わらないんですね」



◇■◇



「大体の使用人は屋敷から少し離れた宿舎に住んでて、そっちの使用人は基本的には夜に出歩いちゃいけないって規則があるんですけど」


 アイーナは、レイズとニルヴェアを先導して庭園の奥へ奥へと歩きながら語っていく。


「でも、だからこそたまに散歩したくなっちゃって……なりません?」

「アイーナ……僕だって気持ちは分かるけど、それでも規則には意味があるんだから。現に今だって危ないことに……」

「脱走常習犯のニルヴェア様には言われたくありませーん。そ、れ、に、私がこうして抜け道への案内をしてなかったら、もっと危なかったんですよね?」

「ぐっ。それはそうだけど……あ。もし本当に危なくなったらきみはすぐに逃げてくれよ」

「はーい。でもそう言われると、ニルヴェア様の方が心配だなぁ。なんかいざとなったらどんな相手にでも立ち向かっていっちゃいそうだし」

「きみは僕のことをなんだと思ってるんだ……」


 がっくりと肩を落としたニルヴェアと、その前を軽やかに歩くアイーナ。そしてレイズもそんな二人を眺めながら、その表情を緩めていた。


「ははっ。もしかしなくてもお前って実は腕白だな?」

「うるさいな……」

「そうなんですよ! ニルヴェア様ったら仮にも貴族様なのに街を出歩くだけじゃ飽き足らず、森で野宿までしだして! あのときはいつの間にか居なくなったから屋敷中大騒ぎで……」

「そ、そんなこと言い出したらなぁ! そもそも最初に抜け道なんて悪知恵吹き込んだのはきみだろう!? ていうかもっと静かにしなよ! 見つかったらどうするんだ!」

「おいおい、お前が一番うるさいぞー」

「ぐっ……」


 レイズの一言で黙らされたニルヴェア。それを見てふふふと笑うアイーナ。のんきな空気が流れているが、しかし一行は未だにまだ追われる身の上でもあるのだ。ゆえにレイズは周囲に気を配りつつ、「そういえば」とニルヴェアに尋ねる。


「成り行きでこうなってるわけだけど、しかしよく俺に協力してくれるよな。俺が言うのもなんだけど普通もうちょっと取り乱したり、怪しんだりとか……」

「もう十分に取り乱したり怪しんだりはしたよ。ただ、そういうのは過ぎたというか……」


 そのとき、ニルヴェアの脳裏には過ぎっていた。あの騎士の大剣が。レイズに向けて振るわれた、人間を殺すための一閃が。


「お前の言いなりになるつもりはない。まだ信用だってしていない。だけど僕たちに今必要なのは現状の打開策を見つけることで、そのためにはまず落ち着いて状況の整理をできる場所が欲しい。お前だってそこはたぶん同じなんだろう?」

「へぇ、ちゃんと考えてるもんだな」

「馬鹿にしてるのかお前。こんなときに考えなくてどうするんだ」

「いや馬鹿にしてねぇって。むしろこんなときに考えられるのは……」

「お2人とも。着きましたよ」


 2人が気づいたときには、アイーナはすでに無数の蔦に覆われた壁面を背に立っていた。その壁を見てニルヴェアも思いだす。


「森への抜け道だな……あ、蔦の向こうの壁もどかしてくれたのか」


 びっしり生えた蔦の向こうは本来壁で覆われているのだが、ニルヴェアが視線を向けている一か所だけは、よく見れば蔦の隙間から微かに月明かりが漏れていた。実はその一か所だけ、壁が取り外しできるようになっていたのだ。


「はい! 屋敷がなんか騒がしいことに気づいた時点で、一応と思って。でもまさか本当に使うとは……ちょっとワクワクしますね!」

「それに助けられたんだから今は咎めないけどさ……って立ち話している場合でもないか。ここを早く抜け出して……」


 と、ニルヴェアはそこで気づいた。レイズが抜け道……ではなくその反対。遠くの茂みをじっと見つめていることに。


「おい、早く行くぞ」

「……」


 レイズが黙っていたのはほんの僅かで、彼はすぐに振り返って。


「伏せろ!!」

「なっ!?」「きゃっ!?」


 二ルヴェアとアイーナを押し倒し、むりやり地面に伏せさせた――その直後、びゅんと風を切り空気を貫いた一閃が、ざくりと音を立てて壁に突き刺さった。

 それは、一本の矢であった。

 レイズはその矢を見上げると、瞬時に体を起こして銃を構えた。矢の飛んできた方向から狙いを逆算して、定める。


「そこだ!」


 紅いエネルギー弾が銃口で収束、収束、収束――今までで最も紅く、激しく迸る弾丸が撃ちだされた。それは目にも止まらぬ速さで飛んでいき、一見誰もいない茂みの向こうへ飛び込むと――ゴォッ! 爆発が周囲の草木を巻き込んで、火の粉を激しく撒き散らした。


「どーやら張られてたみたいだな。それか単純に後をつけられたか……おい2人とも!」


 レイズは振り返らずに後ろへと――状況についてこれず、呆然とへたり込んでいた2人へと呼びかける。


「ひゃい!」「あ、ああ」

「まだ追手が潜んでてもおかしくない。殿しんがりは俺に任せて先に行け」


 レイズは銃を構えたまま、茂みを燃やす炎をじっと見つめている。追手を待ち構えて1人で戦おうとする少年の背に、ニルヴェアは少し迷ってからしかしすぐに立ち上がり、そして決断する。


「ちゃんと追いつけよ。まだ聞きたいことも山ほどあるんだ」

「おう」


 返ってきた答えはあまりに短かった。だからニルヴェアはレイズの背中を少しだけ見つめて、しかしすぐに視線を外すとアイーナへと手を差し伸べる。


「……行くよ、アイーナ」

「は、はい」


 アイーナがおずおずと手を繋いた。それを合図に手を引っ張ってアイーナを立ち上がらせると、そのまま彼女を引っ張る形で抜け道へと向かう。

 だが……その繋ぐ手と手がアイーナを動揺させていたことに、ニルヴェアは終ぞ気づかなかった。

 一方でアイーナの視線は繋がれた手を中心に、うろうろとさ迷っている。


「えっと……」


 右へ、左へ。俯いて、それからゆるりと上へ……その瞬間、彼女の瞳にそれは映った。

 壁沿いに生えた樹、その上から飛び出そうとする一人の影が。


 手と手が不意に解かれた。ニルヴェアはその感触にすぐ気づいた。


「え?」


 疑問と共に、何気なく振り返ったその瞬間、


「え」


 視界に黒が広がった。

 目の前に立ちはだかった人影の、首のようなところから黒色が噴き出している。

 ぐらりと、影が横に揺れて。それからどさりと倒れて、ふと気づく。


(血だ)


 黒く見えたのは、夜がそう見せていただけだった。


(血?)


 倒れた影の正体に、ようやく気がついた。


「あ、あ、あ」


 ニルヴェアの瞳には映っている。倒れ伏したアイーナと、その首から今もこぼれる黒だけが。

 そう。

 今のニルヴェアに――アイーナの首を斬った”暗殺者”はもはや映っていないのであった。

 

(まずは両足を断ち逃亡を阻止する)


 全身黒衣の暗殺者が狙いをつける。眼前のターゲットはただ呆然とそこに立っていた。

 『生死は問うが重軽症の具合は問わない』それが上からの命令だ。ゆえに暗殺者はまず真っ先にニルヴェアを行動不能に陥らせるつもりだった……が、その段取りにケチをつける者がどうやら1人いるらしい。

 暗殺者とニルヴェアの間にいきなり割り込んできたそいつは、右手に長銃を構えた小柄な少年だった。アイーナが斬られたその瞬間から動きだし、そして今暗殺者の懐に飛び込んできた彼は、暗殺者にとってもう1人のターゲットであるナガレのレイズだ。


(ずいぶんと手が早い――!)


 暗殺者が内心で舌を巻いたその刹那、レイズが銃を突きつけてきた。暗殺者の体からほぼゼロの距離で光が収束。間髪入れずにトリガーが引かれ、爆発が暗殺者を包み込む!

 ごうっと風が唸り炎と熱が纏わりつくその渦中で――しかし暗殺者は平然と踏みとどまり、状況を分析していた。


(やはり想定内の威力。”樹上で観ていた通り”、貫通力は殆どない)


 その余裕に違わず、彼が身に纏う黒衣もまた炎の中にあって焦げ目ひとつ付いていない。耐火に耐刃、耐衝撃、その他多くの耐性を併せ持った暗殺特化の黒衣が、暗殺者に不意の好機をもたらした。


(互いの視界は爆風に遮られ、相手は一撃当てたと気が緩む。ここを逃す手もあるまい!)


 暗殺者はナイフを構え直した。それはアイーナの首を斬り、これまでも無数のターゲットの命を葬り去った凶刃だ。暗殺者はその刃をもって、眼前の爆風が消えるその前にその向こうへと飛び出して――ガキンッ!

 打ち鳴らされた甲高い金属音は、刃物が刃物に相殺された証だった。


「!」


 そして暗殺者は見た。レイズもまたナイフを振って、己の刃を止めていたのだ。そのナイフが握られているのは左手。そして右手には未だに握られている長銃が。少年は右腕を回し、今度は暗殺者の脇腹目掛けて長銃を突きつけてきた。正に目にも止まらぬ早業に、内心で感心を覚える。


(末恐ろしい少年だ、が)


 しかし暗殺者は止まらない。


(だからこそ歪でもある)


 その所作は間違いなくただの少年のそれではない。だが先ほど効かなかった銃一本に頼らざるを得ない選択肢の狭さは、ある意味少年らしい愚直さだと見て取れる。ゆえに暗殺者は回避を捨てた。

 それは彼の長銃――俗に『琥珀銃』と呼ばれる武器の性質に基づく思考でもあった。

 ①威力は多少調節できても、打ち出される弾丸の性質自体は変わらない。

 ②弾丸そのものを変質させる機構でもあれば話は別だが、彼の銃はそう複雑な物でもないように見える。

 それらの根拠に加えて、先に一発直撃を貰った実体験から取った見積もりを。


(燃焼でのダメージは皆無。爆風はそれなりだが、強行できないほどでもない。むしろあの威力なら、それを放つ反動の方が大きいはずだ。ならば狙いは一点)


 射撃と同時に踏み込んで、首を一閃。

 狙いを定めた暗殺者はその一瞬を待つ――眼下で迸り始めた、紅い光を見下ろしながら。


(そうだ、撃ってこい)


 そして暗殺者の予測通り、引き金トリガーは引かれて、


 じゅあっ。


「ぐご、ぉ」


 肉が灼ける音が文字通り、暗殺者の腹の奥から響いた。


「こ˝、お˝」


 苦痛が悲鳴すら通り越して、濁った呻きとして絞り出された。しかしレイズはそれを意にも介さず、銃を体の外に向けて振った。じゅわぁっ、と暗殺者の脇腹が自慢の黒衣ごと焼き切られた。


「か˝あ˝っ……!」


 ナイフをその手から滑り落とし、それでも反射的に後ずさって距離を取った。気力一本で踏みとどまり、歯を喰いしばり、何が起きたのかと顔を上げてレイズを見たが、


「ありえない」


 その瞳に映ったのは”紅い槍”であった。

 琥珀銃の銃口には未だに光が宿っている。1発打ち切りの弾丸ではなく、槍の穂先のように固着された紅い光が。

 そしてそれこそが、火中すらもろともしないはず黒衣を貫通して肉を抉り取った正体だった。暗殺者はもはやニルヴェアのことすら忘れ、ただ愕然として呟く。


「それは、ただの、琥珀銃じゃ」


 ごっ! と頭に響いた一撃が、暗殺者の意識を刈り取った。


 暗殺者を吹き飛ばしたのは、レイズによる頭部への回し蹴りであった。

 暗殺者は地面を無造作に3回ほど転がって、それきり一切動かなくなった。

 一方、蹴った当人は倒れ伏した暗殺者を一瞥。ぴくりとも動かないのを確認すると、それ以上は興味ないとばかりにナイフと銃をしまい始める。ナイフは腰ベルトの左側に、銃は背中側にそれぞれホルスターがついているので、そこにしっかり差し込んだ。

 淡々とそこまで終わらせて、それから面を上げた。そして今までの一部始終をただへたり込んで見ていたニルヴェアへと目を向けて、声をかける。


「立てるか?」

 

 ニルヴェアは、思う。

 

(なんだ、こいつは)


 ニルヴェアには、なにもかもが理解できなかった。


(なんなんだこれは)


 いきなり奇襲を仕掛けられたかと思えば、瞬く間にレイズが飛び込んできた。

 ついさっきまで軽口を叩き合っていたはずの少年が、次の瞬間には未知の紅槍で人の肉を焼き切り、その頭を蹴り飛ばして、


(生きてる? 死んでる? 死、あ)

「アイーナ」


 思い出してしまった。目を向けてしまった。己のすぐそばで仰向けに倒れ、もう二度と動かない少女へと。


「あ、あ?」


 ニルヴェアはまだ揺蕩っている。現実と非現実の狭間で。

 だが不意に、レイズがアイーナの前に立ちはだかった。彼はニルヴェアに背を向けて、つまりアイーナの正面を向いてその場で屈みこむと、それから彼女の体へと手を伸ばした。


「!」


 ニルヴェアは目を見開いた。レイズの手の動きは彼自身の背に遮られて見えないが、


「なにを、している」


 アイーナの体を触っているのは間違いなかった。


「なにをしているんだ!!」


 しかしレイズは答えない。それどころかすぐに立ち上がると、そのまま歩き出す。


「行くぞ」


 振り返らずに短く告げて、蔦に覆われた抜け道へと向かう。


「待て、おい、アイーナを置いていくのか!?」

「もう死んでる!」

「――――」


 ニルヴェアはアイーナを見た。彼女は動かなかった。首から赤黒い血を垂れ流していた。と、少年の声が耳に届く。


「早くしないと追手が来る。最初に撃ったやつだって、確実に仕留めたわけじゃない」

(最初に、撃った)


 そういえば、最初の奇襲へのカウンターで撃った1発。ニルヴェアがその方向を見ると、炎は未だに燃え盛っていた。

 周囲の草木にも少しずつ延焼し、拡がっていく炎の暴威。ニルヴェアの脳裏にある2文字が過ぎった。


(戦場、なのか)


 現実が染み込んでくる。ばちばちと燃えていく炎のように、勝手に拡がり侵食してくる。


「行くぞ」


 レイズは蔦をかき分けて先へと行ってしまう。それにようやく気付いたニルヴェアは、


「待て」


 その背を追いかけようと慌てて立ち上がる。足がもつれて一度こけた。それでもなんとか立ち上がった。


「待て」


 レイズの後を追い、蔦をかき分けながら……彼女は自身の寝間着、そこについているポケットへと視線を向けた。右手をそこにそっと入れて、そして取り出したのは……


「待てっ……!」


 鞘に収まった、1本の短剣であった。

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