第16話 二回目のマリッジ・ブルー

「どういうことよぉおおおお!!!」


 セーラがメイド達に発狂した。


「テリーが逃走したって、マジなの!?」

「そのようです……」

「わたしが! 今日のために! どれだけお父様とお母様を説得したと! 思ってるの!?」

「セーラ様……」

「ご勘弁を……」

「明日に間に合うように行けばいいって、言われたけど、結婚式はね! 今日が本番なの! だからわざわざ家族を説得し倒して飛び出すように出てきて、馬車の中でおめかししたのに!」


 セーラが般若の仮面をつけた。


「どこにいるのよ! あのクソ女ーーーーー!!」

「サリア! テリーがいなくなったってガチ!?」


 アメリが扉を開けると、そこには死人同然の顔色のママと、クロシェ先生と、サリアが紅茶を飲んでいた。アメリが察した。


「ガチね」

「もうおしまいだわぁああああ……!!」

「ママ、落ち着いて。そう簡単に終わらないから。サリア、貴女の回る頭でどうにか居場所を突き止められない?」

「式場にいないことは確かですね」

「あの子ったら……もう……」


 頭を押さえたクロシェ先生を見て、サリアがアメリに報告した。


「あと十分で連絡がなければ、一度屋敷に戻ってみます」

「私も行くわ。全く! マリッジ・ブルーが二回訪れるなんて聞いたことないわよ! この調子じゃ、明日には三回目が来るわ! サリア、屋敷のみんなに、テリーを縛るための縄を用意しておくように言っておいて!」

「テリー様ぁああああ!!」


 Mr.ジェフが神に祈りを捧げる。


「どうかご無事でぇえええ!!」

「あなた、みっともないからやめて頂戴!」

「なぁ、スノウ、あの子がキッドとしての結婚式は確かに明日だよ? でも、今日はクレアとしての晴れ舞台だ。わざわざ君が男装して、私が女装をする意味はないと思うんだよ」

「やだわ。あなたったら。こっちのほうが変装って感じがして、面白いじゃない」

「いや、面白いとかの問題では……」


 ゴーテル様の顎をスノウ様が掴んだ。


「似合ってるよ。ハニー」

「トゥンク……」

「やってくれたね。テリーの奴」


 ジャンヌが共に式場へ来た神父に顔を向けた。


「マルカーン神父、一人くらい花嫁が不在でも、結婚式っていけるんじゃない?」

「ジャンヌ、罰が当たりますよ。結婚というのは、夫婦が正しき家族となるための神聖なる儀式。気長に待ちましょう」

「いつになることやら」


 リオンが無線機のスイッチを押した。


「報告」

『ふっ! いません!』

『いませんんんん!』

「はぁ……」

『どこに隠れてるのかな? 芽吹いた赤いお花ちゃん!』

『ニコラぁああああ!!!』

「頼むから無線機オンの状態で叫ぶな……」

「おい、ディラン、テリー様はどこに行ったんだ?」

「もう! テリー様ったら! 俺、せっかくお手紙書いてきたのに!」

「あ! 抜けがけなんて、やるじゃねえか! ディラン! ……俺も今のうちに書いちゃおうかな!」


 メグが夫の腕を引っ張った。


「ねえ、マチェット、テリー様、大丈夫かしら……」

「……、……、……」

「そんな顔しないの。女ってね、大変なのよ。色々」

「あのー」


 学園寮の受付員がニクスを見て、笑みを浮かべた。


「まあ、ニクス。どうしたの?」

「いえ、あの、つかぬ事をお伺いするのですが……あたしあてに……お電話ってありませんでした?」

「いいえ? 今日は一本も」

「そうですか……」

「友達の結婚式は終わったの?」

「いえ、それが……はあ……色々……事情が変わりまして……」


 アリスが商店街を走った。今日もドリーム・キャンディは繁盛している。


「いらっしゃいませー」

「奥さん!」

「ありゃま! アリスじゃないかい!」

「ありす!」

「はーい! 可愛いベイビーちゃん! ちゅ!」

「あら~、アリスちゃんじゃな~い」

「久しぶりだね。どうしたの」

「……」

「カリンさん、ジョージさん、……社長!」


 奥さんの子供を抱き上げたアリスが皆に訊いた。


「ニコラを見なかった!?」

「ニコラ?」

「あの……えっと……今日、実は、ニコラが結婚式を挙げるんですけど!」

「「えー!?」」

「ニコラちゃん、結婚するの!?」

「うっそ~! 先越されちゃった~!」

「やだ、なんで早く言わないんだい! あんた! お菓子の詰め合わせ!」

「でも、そのニコラが……マリッジ・ブルーで! 行方不明になったんです!」

「「なんだってー!?」」

「ジョージ!」


 奥さんが言うと、ジョージが隣の店に走った。


「サガンさん! ちょっと!」

「うるせえ。ここは喫茶店だぞ。今日もお前のせいでうちは赤字だ」

「ニコラちゃん、今日結婚するらしいんですけど、行方不明らしいです!」

「あんだって?」

「とりあえず、商店街の店に連絡できませんか?」

「世話焼かせやがって。あの小娘……」


 サガンが受話器を持った。十分後には中央区域の商店街中がニコラの話題で持ちきりになった。


「えー!? ニコラちゃん結婚するの!?」

「商店街にいるかなあ」

「どっかに紛れてるかもな」

「うわ、ニコラか。懐かしい。一時期、一緒に働いてた女の子でさ」

「「ニコラが結婚するだって!?」」

「俺様と結婚すると思ってたのに……!」

「泣くなよ……兄ちゃん……!」

「「ぶぅー!!」」

「兄さん達、泣いてないで働いてよ」


 ラジオから陽気な音楽が流れる。


『やあ。みんな! ご機嫌いかが? 僕の声は知ってるだろう? そうだとも。僕は皆のパーソナリティ! ハロルドさ! いやいや、みんな驚いてるよね。どうしてこの時間に僕が喋っているのかって。ハロルドの時間はまだ当分先よ~って思ってることだろう。ごめんね。実は緊急なんだ。僕の知り合いの女の子が、今日、どこかの男のものになるらしい。その通り! 結婚だ! 今日は若い夫婦の誕生日さ! だけどね、さっき連絡を貰ったんだ。花嫁のお兄さんから、「行方不明なんだ」とね。美しいウエディングドレスを身に着け、式場に現れるはずが、時間になっても現れないらしい! これはきっと誘拐事件か? 怪盗パストリルが復活したのかもしれない! いやいや、僕はこう思うよ。マリッジ・ブルーにかかった花嫁が、どこかに隠れているんじゃないかとね。誰か、花嫁を見た人はいない? いたら、ラジオ局までご連絡を』

「ニコラが今日結婚するのに、行方不明らしい!」

「花嫁が隠れてるらしい!」

「実は秘密の恋人と駆け落ちしたんじゃない?」

「明日キッドが結婚するなんて嘘よ! 絶対嘘よ!」

「あーん! キッドー!!」

「「テリー・ベックスめ、殺してやる!!」」

「花嫁はいたかー?」

「ニコラらしきお嬢さんはいないなー」

「「テリーお嬢様ぁあああああ!!!!」」


 ベックス家では、死に物狂いで使用人達が捜し回っていた。モニカが受話器を耳に当てる。


「サリアさん、大変です! もう本当に見つからないんです! このままじゃ……ギルエド様が、はげてしまいます!」

「くまなく捜せー!!」

「テリーお嬢様ぁあぁああ!!」

「ほら! テリーお嬢様! 植物が貴女を求めてますわー!」

「テリーお嬢様! ブレーメンの話を聞かせてあげますから、出てきてください!」

「テリーお嬢様ったら相変わらずのトラブルメーカーだわ」

「でもそこがテリーお嬢様の良いところ」

「「テリーお嬢様ー?」」

「いずこへーーーー!!」


 激しい足音が聞こえる。


「テリーお嬢様ぁあああーーーーー!!」


 ――どうしよう。


「どちらにいらっしゃるのですかーーーーー!!」


 ――本当にどうしよう。


「今日は結婚式ですぞーーーーーーー!!!」





 ギルエドの叫び声を聞きながら、あたしはママのベッドの下で、体を震わせて隠れていた。




(どうしよう……会場で……みんなが……クレアが待ってるのに……)


 体の震えが止まらない。


(あたし、調子に乗ってたんだ……。クレアと一緒なら全てがなんとかなるって思ってた。だけど……だけど……)


 よく考えてみたら、クレアと結婚すると言うことは、あたし、キッドと結婚するってことじゃない。


 王妃になるってことじゃない。


(国の未来を背負うの?)

(無理無理無理無理)

(絶っっっっ対無理無理無理無理)

(あたし、そんなに技量良くないし)

(悪口言われたらすぐメンタル病むし)

(ガラスハートだし)

(絵画と違うって言われるだろうし)

(もうきっとメイクも崩れていることだろうし)

(ドレスもボロボロだろうし)

(がっかりされるわね)

(それで、結婚した後、クレアに嫌われたら?)

(これだけの熱い想いを持っていたのに、冷めたら?)

(ラジオで言ってたわ。好きという感情だけでは一緒に生活出来ない)

(あ、もう駄目)

(無理)

(……あたし死ぬんだ……)

(……処刑されるのよ……)

(国で革命が起きて、死刑にされるのよ)

(またギロチン台で首を跳ねられるのよ)

(あ、無理)


 あたしは丸くなる。


(本当に無理……)


 激しく走り回る足音を聞きながら、あたしは自分の体を抱きしめた。


(……どうしよう……)


 扉が開いた。あたしの体が大きく揺れた。足音がゆっくり近づいてきた。あたしは口を押さえた。足音が止まった。あたしは体を震わせた。ため息が聞こえた。


「お姉ちゃん!」


 ――メニーが怒鳴った。


「何やってるの! 行くよ!」


 ――あたしは出てこられない。体が震えて、動けない。


「もー!」


 綺麗なドレスを着たメニーが床に寝そべり、ベッドの下を覗いた。あたしと目が合った。使用人たちがママの部屋の前に集まった。メニーがあたしに腕を伸ばした。あたしは首を振った。メニーが怒鳴った。


「早くしてって言ってるの!」

「……だ……だって……」

「みんな、テリーの為に待ってるよ!」

「……ど、どうしたらいい……?」


 涙を浮かべると、メニーが呆れた顔をしてあたしに手を伸ばした。


「とりあえず、出ておいで」

「……わかった……」


 メニーの手を握ると、メニーがあたしをベッドの下から引っ張り出した。それを見て、使用人たちが悲鳴をあげる。


「「そんなところに!!」」

「テリーお嬢様!」

「最後の最後まで人騒がせなんだから!」

「まあ! ドレスが!」

「まあ! メイクも崩れてしまってます!」

「馬車でなんとかする! 見つかったって電話しておいて!」


 メニーがあたしを引っ張り、廊下を走り出した。ハシバミの木があたし達を見守る。屋敷の扉が開かれる。家の前では、御者席に座ったレッドの馬車が用意されていた。


「ああ、よかった! 見つかったんですね!」

「テリー! ドレスが!」


 リトルルビィが馬車から飛び出し、地面を引きずるあたしのドレスを持ち上げた。メニーがあたしを馬車の中に押し入れ、リトルルビィがドレスの裾を押し入れ、扉を閉めた。


「高速スピードで行くぞ!」


 レッドが馬に鞭を打つと、馬が走り出した。揺れる馬車の中で、涼しい顔をしたソフィアがあたしにハンカチを渡した。


「はい、どうぞ」

「ぐすん! ぐすん! ……ずびーーーー!!」

「ソフィアさん、メイク何とかできます?」

「ベースは残ってるから大丈夫。ほら、テリー、そろそろ涙止めてくれる?」

「ぐすん! どうしよう……! ぐすん! あたし、結婚できない……!」

「当日にそれ言う?」

「テリー、今日は会場貸し切りだから、遅刻しても大丈夫だよ」

「だから貸し切りにしたんじゃない? 殿下」

「……やっぱあいつ、考えてるな」

「あたし嫌われるのよ……! 死刑にされるのよ……! 革命が起きるんだわ……! 首を跳ねられるんだわ……!」

「メニー、今日ハロウィンだっけ?」

「ううん。ハロウィンはまだ先」

「ジャックの仕業じゃないのか……」

「あたしもう死ぬんだ……! 死んじゃうんだ……!」

「死なないから大丈夫だってば」

「死んじゃうもん……! あたし死ぬんだもん……!」

「ほら、テリー、こっち見て。……あー……。メニー、この子の涙止められない?」

「お姉ちゃん。結婚式の本番は明日。今日は予行練習みたいなもんって、お姉ちゃんが言ってたんだよ?」

「待って、息が出来ない……。あたし……窒息しちゃう……!」

「お兄ちゃん! 病院に行こう! テリーが呼吸が出来ないって!」

「何!? 大丈夫ですか!? テリーさん!! 待っててください! 方向を変えて……」

「レッドさん! いつものことですから大丈夫です! 会場に向かってください!」

「こうなったら最後の手段。テリー」


 ソフィアが両手を広げ――あたしを抱きしめた。

 巨乳が、あたしの顔を埋め尽くす。

 リトルルビィとメニーが黙った。


「よーしよし」


 ……あたしは胸に埋もれた。


「よしよし」


 ……あたしはソフィアの胸を堪能した。


「よしよし、良い子良い子」


 ……ああ、小さい時、ママがこうしてあたしをあやしていた時を思い出す……。


「ふはあ……」

「よし。止まった。今だ」


 メニーとリトルルビィがあたしをソフィアから引き剥がした。


「さあ、テリー、目を閉じて。会場に着く前に、メイクを直さないと」

「……まじで行くの……?」

「あのね、今日が結婚式だってわかってたでしょ? 今日と明日はテリーが輝かしい主役なんでしょ?」

「怖いもの知らずだったのよ……。あたし、若かったの……。あたしなんかが……結婚しちゃいけなかったのよ……!」

「また抱きしめる?」

「ええ、お願い」

「はい、おいで」

「ぎゅ!」

「全く、世話が焼ける」


 商店街を馬車が通る。リトルルビィが窓から叫んだ。


「アリス! て……ニコラ、見つかったから! 会場戻って!」

「本当!? もー! ニコラったら!」


 アリスが商店街に振り返った。


「みんなありがとう! ニコラ、見つかりましたー!!」

「……ソフィア」


 ソフィアがあたしを見下ろす。


「あたしに催眠をかけて……」

「……」

「今こそお前の出番よ……。催眠を……あたしが快く結婚できるように、強い催眠を駆けるのよ……!」

「無茶言わない」


 ソフィアがあたしの体を起こした。


「あの殿下と、苦楽を共にするんでしょ? じゃあ、強くならないと」

「……、……、……」

「涙は止まったね? ほら、動かないで」


 学園の前を馬車が通った。メニーが叫んだ。


「ニクスちゃん! お姉ちゃん見つかったよ!」

「はあ! よかった! 先に行ってて! あたしもすぐに向かうから!」


 ニクスが辺りを見回し、客待ちをしていた馬車に駆けだした。


「信じられないよ。お転婆テリーが花嫁なんて」


 グロスが塗られる。


「私が知ってる君は、もっと子供だったのに」


 ソフィアが微笑んだ。


「大きくなっちゃって」


 ――目を開けると、馬車が止まっていた。


「完成。間に合った」


 メニーが馬車を下り、振り返った。


「ほら、お姉ちゃん」


 手を差し出す。だけど、この手を取ったら、あたしはこの馬車から下りて、会場に向かわなければいけない。


「お姉ちゃん」


 晴れやかな結婚式場。ずっと夢見ていた憧れの場所。


「「テリー」」


 ソフィアとリトルルビィに催促される。あたしは青い顔で俯いた。メニーが溜息を吐き、もう一度馬車に乗り込み――あたしの顔に近づいた。


「テリー」


 目が合う。


「下りないなら、わたしがテリーをさらっていくけど、いい?」


 ――あたしは首を振った。メニーが眉を下げた。


「だったら、下りて」


 あたしは首を振った。


「怖くないから」


 メニーが手を差し出した。目の前に現れた巨大な幸福に耐えられず、あたしの足がすくみ上がる。だからリトルルビィとソフィアがあたしの肩に触れ、囁いた。


「テリー」

「望むなら」

「「結婚式、滅茶苦茶に壊してもいいんだよ?」」

「下りる! 下りるから!」

「はあ」

「全く」


 リトルルビィとソフィアが溜息を吐き、あたしはメニーの手を掴んだ。ゆっくりと馬車から下りる。


「あんた達にはわからないのよ……。この恐怖が……」

「はいはい」

「覚えてなさい……。あんたが結婚する時、あたしの抱く気持ちがわかることになるから。覚悟してなさい! その時が来たら、あたし、お前が泣きわめくまで、それはそれは一度目の世界の如く虐めてやるからね!」

「足元はすくわれやすいから、気を付けるんでしょ?」


 ヘンゼルとグレーテルが教会の扉が左右に開いた。


「振り向かずに前だけに進むの」


 メニーが両腕に力を込めた。


「テリー」


 あたしの背中を押した。




「ほら、行って」




 メニーに背中を押され、あたしは前によろける。しかし、転ぶことなく両足で地面にしっかりと立った。


 足が会場の地面に踏み入ると、あたしは初めて顔を上げた。


 そこには、あたしの未来の幸せを願う人々が、笑顔で待っていた。


 陽の光に当てられるステンドグラスの窓が光って見える。

 その下に、花嫁が待ち構えている。

 あたしの前に、王子様が立った。


「君にはほとほと振り回されるよ」


 王子様は呆れたようにため息を吐き、あたしに手を差し出した。


「さあ、僕のプリンセス。こちらへおいで。一生大切にするよ」


 あたしは王子様を見た。ウインクしてきた。あたしがお兄ちゃんの手を取ると、リオンがにこりと笑った。


「こんな日まで大暴れするなんて、君らしい」


 エスコートするため、あたしの手が彼の腕に移った。――リオンと一緒に、バージンロードを歩いていく。


 幸福を願う鐘が鳴る。皆が笑顔であたしを迎える。アリスが到着した。ニクスが到着した。馬車からレッドが、ソフィアが、リトルルビィが、――メニーが、あたしの背中を見守った。


 あたしは振り返らず、目の前の光景を見つめる。赤いバージンロード。天から降りてくる花びら。笑う人々。どうなるかわからない人生の幕開け。


「おめでとう! テリー!」

「幸せになってね! テリー!」

「テリー! ふっ! やっぱり素敵な名前だ!」

「私達のプリンセス!」


 出迎えてくれる人々。

 歓迎してくれる人々。

 見送る人々。

 あたしは歩く。その先には、プリンセスがいる。


 神父のピーターが聖書を開きながらあたしに笑みを浮かべた。リオンがあたしを誘導し、プリンセスの隣に立たせた。


「これより、若かりし二人が、夫婦となる為の儀式を行います」


 ピーターが神聖なる文章を読み始めると――隣から小言が聞こえた。


「逃げたと思った」

「逃げたのよ。未来が怖くて」

「お前が望んだ世界ではないか」

「貴女は完璧で究極のチートプリンセスだからわからないでしょうね。凡人が、願望だったものを手に入れた時、どれだけ恐ろしい気持ちを抱えるのか。嫌われたくないを一心に、アドバイザーの言われるがままに動いて、自分で考えて動いて、何度も転んで、死にかけて、それでも足掻いて、ようやくここまで築き上げた。享年三十七年。更に十年。合計で四十七年よ。四十七年かかったの。人生の半分よ。器用な奴はこれを五年でやり遂げる奴もいれば二十年でやり遂げる奴もいる。でもね、壊すのは簡単なの。たった一言だったり、たった一瞬の出来事や判断で、人生の半分の時間の努力が水の泡になるのよ。そのリスクを抱えた未来が存在するの。逃げないでいられる?」

「貴様はどれだけ転んでも変わらんな。頭でっかち」

「お黙り。傲慢俺様我儘姫」

「頑固な傲慢令嬢の貴様には最適の相手だ。これ以上の相手はいない」

「変わらないでよ」


 伝える。


「貴女が正義オタクでないと困るわ。でないと、あたしを止められる人は、誰もいないんだから」

「貴様はもう少し変わった方がいいと思うがな」

「ねえ、こう言う時は『ダーリンもそのままでいい。変わらなくてもいいんだ』って言うところよ? どうして貴女はそういう気遣いが出来ないの? そういうところよ」

「その言葉、貴様にそのまま返却しよう」

「クーリング・オフ」

「効かん」

「うんこが」

「安心しろ。貴様が大犯罪者でも、悪党でも、あたくしはとても一途なの。貴様に唇を奪われた時から、あたくしは貴様のものだ」

「そしてあたしはあたしのものよ」


 振り返る。向き合うと、目の前に、あたしが選択した相手がいる。

 クレアが、綺麗な笑顔であたしを見つめている。

 ピーターがクレアの名を呼んだ。


「クレア・ロバーツ・イル・ジ・オースティン・サミュエル・キッド・ウィリアム」


 ピーターがクレアを見つめる。


「そなたに問う。目の前の女を妻とし、神の導きによって夫婦になろうとしておる。汝、健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、共に助け合い、その命ある限り、この女を妻として愛することを誓うか」

「誓います」

「テリー・ベックス」


 あたしはクレアを見つめる。


「そなたに問う。目の前の女を妻とし、神の導きによって夫婦になろうとしておる。汝、健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、共に助け合い、その命ある限り、この女を妻として愛することを誓うか」


 あたしは彼女の手を両手で握りしめ、答えた。


「誓います」


 クリスタルの瞳が近づいた。瞼を閉じると、唇が触れ合った。拍手と歓声が起きた。ママがハンカチで涙を拭った。アメリがサリアとクロシェ先生と顔を見合わせ、安堵の笑みを浮かべ合った。ニクスが微笑んだ。アリスが花を投げた。ソフィアが静かに拍手をした。リトルルビィの肩をレッドが抱いた。メニーが見守り――横にリオンが立った。


「……何を企んでる?」

「別に何も?」

「君が大人しくしているとは思えない」

「姉の結婚を祝ってる。何もしないよ」


 メニーが笑った。


「今日はね」


 リオンが枯れた笑いをこぼした。


「君も相変わらずだ」

「私のことより、自分の心配をしたら? 貴族権を放棄して、これからどうするの?」

「学業から始めるよ。僕はもう少し勉強するべきだから」

「そう」

「ありがとう。メニー」


 リオンとメニーが顔を見合った。


「これからも親族として、どうぞよろしく」

「なかなか切れない縁だね」

「これも運命か」


 メニーとリオンが――声を出して笑い合った。


 鐘が鳴り響く。

 風が吹く。

 テリーの花が揺れ、大量の花びらが舞った。


 緑色の花びらが式場に入ってきた。


 皆が舞う花びらを眺める。

 美しい光景に、クレアが目を奪われる。

 美しい光景に、あたしは呟いた。


「……ドロシー……?」


 青い鳥が飛ぶ。

 鳩が飛ぶ。

 花びらが舞う。

 ディランとブロックが紙吹雪を振りまく。


 クレアと目を合わせた。


 握りしめる手に、あたしは確かな幸せを感じた。クレアが笑みを浮かべる。あたしは、


 ――したことのない笑みが、自然と顔に出ていた。


 不意をつかれたように、クレアが目を丸くした。あたしはクレアの頭を掴み、皆の気が散ってる間に――愛しい彼女の頬にキスをした。








 あたしがまだ子供だった頃、

 まだ、最初のあたしだった頃、


 結婚式を挙げるあたしは、

 全てが幸せで、

 これから大好きな王子様と一生側にいられることが嬉しくて、笑顔となる。


 そんな夢を、見ていた。


 今はどうだろう。


 不安と幸せが入り混じっている。

 それでも、あたしは不可抗力で笑顔でいるのだ。だから、せめて、あたしらしくあろうと、最後の抵抗で、目の前にいる女に耳打ちした。


「幸せにしないと恨んでやるから」

「望むところだ」


 あたしとクレアが、いつもの調子のやり取りに、声を出して笑い合った。




 緑色の花びらよ、空へ空へ、飛んでいけ。

 それはまるで、箒を飛ぶ魔法使いのように。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る