第8話 狂気へようこそ
あたしは光の道を進んでいく。
杖が導くその先へ。
止まらず、感情に流されず、血の温度を冷たくして、ひたすら、進んでいく。
銀の靴が靴音を鳴らした。あたしの髪の毛がいつの間にか一本結びになっていた。あたしの耳に、伊達眼鏡がかけられていた。あたしのドレスが、制服になっていた。
けれどあたしは止まらない。銀の靴が知っているようにあたしの足を動かした。杖の導く先に進んでいけば、糸車の音が近づいてくるのがわかった。
あたしの足が大股になっていく。糸車と一緒に、あくびの音が聞こえた。あたしの足の動きが早くなった。のんびりとした笑い声が聞こえた。あたしは知ってる廊下を走り出した。糸車の音、眠そうな欠伸の声。教室の扉を開けた。
「アルテ……!」
扉の向こうは、闇であった。
「っ」
「ふひひ」
笑い声の主が、あたしの背中を強く押した。
「うわっ――!」
あたしは、地面に大の字で倒れた。
(՞ټ՞
野原であった。
緑一色の、美しい野原であった。
あたしの見る限り、森と、森と、森しかない場所であった。
ゆっくりと起き上がり、辺りを見回す。
(ここは……)
何もない草原の中、遠くに、茶色の猫がいた。
(え?)
茶色の猫は道へ進んでしまった。
「トト?」
あたしは猫の歩く道へ進んでいく。
「トト!」
猫が曲がり角を曲がった影が見えた。
「ドロシー!」
曲がり角を曲がると、また猫が曲がり角を曲がった。
「ねえ! どこに行くの!?」
「どこでも構わないさ」
――あたしは眉間に皺を寄せた。気配は上にある。
「道の次は話した人を探すのかい。こりゃまた忙しのないお嬢ちゃんだぜ」
――あたしは慎重に喋りかけた。
「どちら様?」
「俺かい? それとも行くべき道かい? それとも」
「それとも?」
「自分の死ぬ道はどちらか、訊いてるのかい?」
あたしは上を見上げた。
「だったらここが墓場だと言っておくぜぇ!!」
脳なしカカシがあたしの肩に乗っかり、クワを振り下ろしてきた。あたしは慌ててカカシの足を掴み、地面に投げつけた。
「ふへっへ~!」
藁から片方の目玉を飛びださせ、釘が飛びだし、崩れた藁のせいで歪になった顔をあたしに向けた。
「ドロシ~! よくもオズを封印してくれたな! お前があの時ちゃんとオズを殺せていれば、俺はこんな姿にならずに済んだのに!!」
カカシが構えると――とんでもない速さで走って来たものだから、あたしは頭に浮かんだ文字を読み上げる前に、急いで避けることしか出来なかった。木にぶつかったカカシがすぐにあたしに振り返る。
「俺がただのは脳なしのお喋りだと思ったら、大間違いさ。やる時はやるんだぜぇ~!」
カカシがギターを取り出し、あたしに向かって振り投げてきた。あたしは悲鳴を上げ、ギターを避ける。振り返ると、今度はクワを持って走ってきたカカシが、あたしの上に乗りこんできた。
「うおら~! 救世主狩りだ~い!!」
慌てて杖を縦にすると、クワが寸でのところで止まった。しかし、カカシの力でクワがあたしの首にめがけて徐々に下りてくる。
「うっ……くぅっ……!」
「ひゃはははははは!! ララバイララバイ! 殺害のララバイ! 処刑のララバイ! 終末! 強姦! 殺害殺害! 楽しくコロッと殺しちゃえ! ふはははははは!!」
(やばいやばいやばいやばい……!!)
集中できない頭の中で、文字がぼやける。なんて書いてあるか、このままでは読むことが出来ない。
(死ぬ! まじで死ぬ!)
「死ね死ね~! 死んじまえ~! ひゃはははははは!!」
(だ……誰か……!)
あたしはぎゅっと杖を握りしめた。
――誰か、助けて!!
台風のような風が吹いた。藁だけで出来たカカシはその風によって吹き飛ばされてしまった。
「きゃー!」
風がカカシを運んだように、木のぼっこに引っ掛けた。
「ひゃははははは! こんなの、身動きできねえじゃねえか! ひゃは! ひゃはははははは!!」
笑い転げるカカシの頭を――切り裂き魔の手が掴んだ。
「ひゃは?」
悪夢の世界へ引っ張りこんだ。
「うわあ、なんだ、ここは! なんておっかない場所なんだ!」
カラスがカカシを囲んでいた。
「やあ、カラスさん」
カラスが一斉にカカシの藁を取り外し始めた。
「はっはっはっはっ! そんなことしたって、痛みはないよ! なぜなら俺は、藁で出来たナイスなガイの、ナイスミスターだからな!」
カラスによって全ての藁が外されたので、ジャックがその藁を集め、藁を粉にする切り裂きマシーンに全て投げ入れた。
「ポイ」
「ぎぃやぁあああああああ!! 俺、粉々になっちまうぜぇえええええ!!!!」
「ポイ」
「きゃははははは!! やめてくれぇ~! ぎゃははははは!!」
カカシが作られた歪な顔のまま、体を痙攣させる。
「やめてくれ~……粉にしないでくれ~……」
「テリー! テリー!!」
「……っ、……っ」
「大丈夫。恋しい君。深呼吸して。もう大丈夫」
息を乱し始めたあたしの背中を、ソフィアが撫でた。
「落ち着いて。大丈夫。ゆっくり呼吸して」
「……っ……はぁ……あぁ……」
「行こう。ここにいても良い事はない」
ソフィアがあたしの手にキスをし、ゆっくりと立たせた。
「全てが歪んでいる。オズの狂気に満ち溢れた理想の世界だ」
「……ニクスが……」
「……」
「ニクスの目が潰れて……あたし……あそこに……置いていって……一人でここまで……」
「テリー」
ソフィアがあたしを抱きしめた。
「ここまで来たら引き返せない」
「……ええ、そうだわ。ええ……わかってる……」
「ひとまず、合流できてよかった」
気絶したカカシの手足を、リオンが斬り落とした。
「行きましょう。長居は無用です」
「同意だ」
リオンが小さな崖から下り、地面に着地した。影が揺れている。
「ニコラ、大丈夫か?」
「……助かったわ。ありがとう……」
「ニコラヲ虐メタ分、滅茶苦茶ニシテオイタ。モウ大丈夫ダヨ」
「ジャックはやりすぎなんだよ」
「レオハ、スグニソウヤッテ良イ子ブル!」
「二重人格は結構。ジャック、アリスが会いたがってたわ」
リオンの影を横目で見る。
「必ず帰るわよ」
「ウン!」
「ニクスも……どこかで待ってる。全部が幻覚なら、あの目だって治るわ……」
茶色の猫があたし達を待っている。
「行きましょう。急がないと」
リオンが剣を鞘にしまい、ソフィアはいつでも笛を吹けるように手に持った。猫はようやく動き出したあたし達を見て、また道を進み始めた。
(՞ټ՞
猫を追いかけていると、蝶々が飛んできて猫の頭にキスをした。猫は、蝶々に反応し、追いかけ始めた。
「にゃあ!」
猫は楽しそうに蝶々を追いかけ、道から外れた。あたしは顔をしかめ、茶色の猫を追いかけた。
「ちょっと、どこ行くのよ!」
猫は楽しそうに蝶々と戯れ、くすくす笑いながら、冷たくなった何かにぶつかりました。
「にゃっ」
巨大な何かがきらりと光って、猫は急いで逃げ出した。
「にゃあ!」
「え?」
茂みに体を隠した猫を見ていると――耳元で唸り声が聞こえた。
うーーーー。
あたしはゆっくり振り返った。すると、あたしにめがけて、斧を振り下ろしたブリキのきこりが立っていた。突然のことに悲鳴を上げると、ソフィアがきこりにタックルし、リオンが足で押さえ、きこりの首を取った。
中身は空っぽであった。
「中身がない!?」
「退け!!」
「うわっ!」
斧を振り回す腕からリオンが逃げるように避けると、空っぽのきこりが立ち上がった。
「男に興味はない。僕は……女を斬りたいんだ」
「中身がないのに喋れるのか?」
「中身がなくたって喋れるとも。僕はブリキのきこりだからね」
「さっきのカカシよりは話ができそうだ。なあ、あんた、見たところ、中身がなくても悪い人じゃなさそうだ。見逃してくれないか? オズに用があるんだ」
「オズ? オズに用だと? オズに……用だと……?」
きこりが斧を木に振り刺した。
「うわぁああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
リオンが剣をきこりに向け、ソフィアが笛を構えた。
「僕はきこりさ。だがね、ブリキじゃなかった。僕がブリキになった理由は女が理由なんだ。僕は女が大好きでね、ふふ。一緒にいて楽しくなるんだ。僕は最初に共に生きようと決めた一人目の女のために木を切っていたら、誤って右腕を切ってしまった。だから右腕が欲しいと、オズに頼んだのさ。そしたらブリキの義手をくれたから、右腕にすっかりはめこんで、そのまま木を切り続けた。でも女とは上手くいかなかった。右腕がブリキの男なんて嫌だって言われてしまってね。だから僕は女を斧で殺した。僕の人生に必要ないからだ!! 彼女は死んだ!! でも落ち込むことはない。二番目の女が目の前に現れた。妖精ちゃんのように可憐なレディさ。僕は二番目の女と共に生きることを決めた。女を養うために木を切っていたら、誤って左足を切ってしまった。だからまたオズに頼んだのさ。そしたらブリキの義足をくれたから、左足にすっかりはめこんで、そのまま木を切り続けた。でも二番目の女とは上手くいかなかった。右腕と左足がブリキの男なんて嫌だって言われてしまってね。だから僕は女を斧で殺した。僕の人生に必要ないからだ!! 彼女は死んだ!! でも落ち込むことはない。三番目の女が目の前に現れた。こいつがとてもセクシーな女でね、ふっ。僕は三番目の女と共に生きることを決めた。女を養うために木を切っていたら、誤って左腕を切ってしまった。だからまたでってことでオズに頼んだのさ。そしたらブリキの義手をくれたから、左腕にすっかりはめこんで、そのまま木を切り続けた。でも三番目の女とは上手くいかなかった。右腕と左足と左腕がブリキの男なんて嫌だって言われてしまってね。だから僕は女を斧で殺した。僕の人生に必要ないからだ!! 彼女は死んだ!! でも落ち込むことはない。四番目の女が目の前に現れた。これがまた素晴らしい女だった。僕は四番目の女と共に生きることを決めた。女を養うために木を切っていたら、誤って右足を切ってしまった。だから飛んでいって国の王に頼んだのさ。そしたらブリキの義足をくれたから、右足にすっかりはめこんで、そのまま木を切り続けた。でも四番目の女とは上手くいかなかった。右腕と左腕と左足と右足がブリキの男なんて嫌だって言われてしまってね。だから僕は女を斧で殺した。ぶっ刺して、ぶっ刺してぶっ刺してやったよ!! 僕の人生に必要ないからだ!! 彼女は死んだ!! でも落ち込むことはない。五番目の女が目の前に現れた。僕はね、もうこの人しかいないと思ったのさ。でもなんてことだ。悲劇なのさ。僕は心を病気にしてしまったんだ。心配した五番目の女と共にオズの元へ行き、心を抜いてもらった。治療ってのは、抜くのが一番だから。そしたら、なんてことだろう。心がなくなったもんだから、愛も想いも全てなくなってしまったのさ。そんなものだから、五番目の女を愛することが出来なくなってしまった。もちろん、五番目の女とも上手くいかなかった。心がない男は嫌だって言われてね。だから僕は女を斧で殺した。心がなければ、哀しみなんて起きない! 僕は自由だ! 僕が手に入れたのは、女を殺す時の快感。快楽。女は最高だ! 殺し甲斐がある! 変な強い男のように、僕をぶちのめしたりなんか出来ないからな! さて、お待たせ。そして現在だ」
きこりがあたし達に近づいた。
「色々あって頭もブリキにされた。でもいいんだ。この方が抵抗された時に、感覚がないから、痛みも無いんだ。心がないから、恐怖もない。感情もない。でも楽しさは感じる! 気持ちいいんだ! 女の肉を斧で切断する時のあの感覚! とっても最高なんだ! 男は別だけど」
きこりの目があたしを見た。
「ドロシー、よくもオズを封印してくれたな。あの時ちゃんと体がばらばらになるまで殺していれば、僕はこんな姿にならなくて済んだのに」
斧を構えた。
「君を斧で刺したら、どれだけ気持ちいいんだろう?」
ブリキのきこりが勢いよく走って来た。リオンが剣を構えるが、きこりの硬い腕に投げ飛ばされた。ソフィアがあたしの前に出て、息を吸った。
――大丈夫。集中できる。
あたしは杖を構え、今度こそ文字を読みあげる。
「オズの魔法使いに会いに行こう。オズは誰だい。魔法使いさ。偉大な魔法使いオズ。オズは何でも出来るよ。呪いをかけることも。人を助けることも。オズの魔法使いに会いに行こう。ブリキを連れて会いに行こう」
あたしの杖から、全く同じ顔と体のブリキのきこりが現れた。あたしはぎょっとして後ずさると、きこりの幻覚は空っぽのきこりを押さえ、哀れそうな顔をした。
「ああ、こんな姿になっているなんて、全く……嫌だ嫌だ」
「退けろ退けろ退けろ退けろ退けろ退けろ退けろ退けろ退けろ退けろ退けろ退けろ退けろ退けろ退けろ退けろ退けろ退けろ退けろ退けろ退けろ退けろ退けろ退けろ退けろ!!!!」
「うるさい」
きこりの幻覚が空っぽのきこりを突き飛ばした。
「うわあ!」
「紳士たるもの、そのように早口で喋るものじゃない。全く、なんて情けないんだ!」
「殺せ!! 女を殺せ!!」
「君には反省してもらおう」
きこりの幻覚が、両手を上げた。
「素敵な女性に叩きのめしてもらえばいい」
――木の上から、リトルルビィとレッドがきこりに飛び掛かった。
「うわ! 何しやがる!!」
リトルルビィが威嚇の叫び声を上げ、きこりに牙を見せた。すると、その牙を見た瞬間、きこりが怯え始めた。
「ひい! ドラキュラだ!」
リトルルビィが義手の手を拳で硬め、思い切りブリキの顔を殴りつけた。
「助けて! ドラキュラ一族だ!」
レッドがブリキの首に噛みついた。
「うわああ! 噛まれた! ブリキなのに、こいつ、噛んできやがった!!」
突き飛ばされたジャックが起き上がり――影が即座に動いた。一瞬の隙をつき、空っぽのきこりを捕まえ、悪夢に引きずり込む。
空っぽのきこりは気が付くと、椅子に縛られ、目の前ではジャックが楽しそうにキャンプをしていた。
「な……なんだ……オイ……」
突然、雨が降り始めた。ジャックは「コレカラキャンプファイヤーダッタノニ!」と文句を言いながら――にやけて、テントから空っぽの木こりを眺め始めた。
「な、なあ、中に入れてくれ。僕はきこりだから、雨は駄目なんだ」
雨が一滴降った。
「頼むよ。お願いだ。同じ男同士じゃないか」
「アタシ女ヨ」
「女だって!?」
「嘘ダヨ。バーカ」
雨がぽつぽつ降って来た。
「あああ、降って来た! 雨が降って来た!」
「ゲリラ豪雨ダッテ! ヤッタネ! ギャハハハハ!」
「嫌だ! 嫌だぁ!!」
土砂降りの雨が降った。
「嫌だぁああああああああああああ!!!!」
水によって、ブリキが錆びた。錆びているから、体はもう動かない。油を差してほしいと言う口さえ動かない。もう二度と、動く事は無い。
現実世界では、錆びていないから、動くのだけれど。
「乙女を虐めるからだ。ざまあみろ」
ブリキのきこりの幻覚がほくそ笑み、空気に消えた。
「……ふう」
リオンが目を開け、レッド達に顔を向けた。
「無事でよかった。レッド」
「リオン様、貴方も」
「テリー、遅くなってごめん」
リトルルビィがあたしの顔を覗き込む。
「顔色が良くない。大丈夫?」
「……この世界は……あまり、長居したくないわ」
「テリーさん」
レッドがあたしの前に跪いた。
「振り返ってはいけません。足元は簡単にすくわれます。だから、足元に注意しなければ」
「……そうだったわ。そう。……レッド、貴方はあたしの救世主」
「貴女は俺の救世主」
「ありがとう。気が動転してて……」
「仕方ないよ。わたしもここに一人でいる自信ない。お兄ちゃんと合流できただけ、まじで運が良かった」
「他に人は……」
――あれだけ多くの兵がいたのに、合流できたのはいつものメンバーだ。
レッドが頭を掻いた。
「そうでしたか」
「……メニーを見なかった?」
「……残念ながら」
「……そう」
「どっかにいるかも」
リトルルビィが辺りを見回す。
「どっち、進む?」
「……ねえ」
茂みの中で蝶々と遊ぶ茶色の猫に、あたしは声をかけた。
「どこに行けばいいの?」
猫がすました顔をして駆けだした。あたし達は顔を見合わせ――猫についていった。
「……うーー……」
残された空っぽのきこりが、油をさしてほしいと、懇願の唸り声を上げた。
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