第19話 正しき偽善よ鐘を鳴らせ(1)
赤い空。涼しい秋風。草が揺れる。目を覚ますと、海の中ではなく、自然いっぱいの外にいた。夕暮れ時だろう。なんて綺麗な夕暮れなのか。
(……レッド……)
あたしはゆっくりと起き上がる。
(レッドは……どこ……)
やばい。はぐれたみたいだ。
(クソ……頭がガンガンする)
他人の記憶が一気に頭に流れ込んできた。
(少し休みたい……けど……まずは、場所を把握しないと……)
ふらつきながら立ち上がると――あたしははっと息を呑んだ。あたしの見える先に、見覚えのある教会があったのだ。
(……嘘でしょ)
辺りを見回す。
(待って。夕暮れ時……)
もう少しで陽が落ちる。
(まずい!)
あたしはレッドをイメージして星の杖を振った。すると、教会に真っすぐ光の線が向けられていた。
(レッド!!)
体に鞭を撃ち、引きずるように教会に向かうと、大きな両扉が開けられていた。
(よし、さっさと入ってさっさと捜してさっさと抜け出し……)
「なんだ! テリーさんだったんですね! よかった! 合流できて!」
「!?」
あたしは扉の向こうを見て、ピタッと固まった。レッドが――過去のあたしに笑顔を向けている。
「突然飛ばされてしまったので、びっくりしました! もうあの怖い人魚はいないですよね? ああ、びっくりした! 本当に、僕……ああ……やられるかと思いました! ふう! あー、やべえ! すっごく怖かった!」
違う! レッド! それはあたしであって、あたしじゃない!
「杖は無事ですか?」
「え? 杖?」
「ところでテリーさん、その服装どうしたんですか? ああ、いや、その、もちろん似合ってますけど、……僕もまた着替えた方がいいですか?」
「……貴方、何言って……」
あたしは覚悟を決めた。失敗は許されない。素早く過去のあたしの背後に回ると、レッドがあたしと目が合い、「うわ、やっちゃった!」という顔をした。
きょとんとした過去のあたしが振り向く前に――あたしは思い切り叫んだ。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
魂が抜けた過去のあたしが気絶してその場に倒れると、すぐにレッドの手を掴み、全力疾走で逃げだした。
「テリーさん!」
(逃げるが勝ち!!)
大急ぎで近くの茂みの中に逃げ込む。呼吸を乱しながら、レッドの肩を握りしめた。
「ぶ……無事で……よかっ……たわ……」
「テリーさん、すいません! 大丈夫ですか!?」
「ぜえはあ……あたしは……はあはあ……大丈夫……」
「ぼ、僕、何か飲めるもの持ってきます!」
「いや!!」
「えっ!?」
「状況を説明するわ。レッド。……ここはアトリの村って言って……」
溜息を吐く。
「すごくやばい村なの」
「……えっと……」
「とりあえず……夜になる前に隠れるところが必要ね……」
「えっと……宿を探しますか?」
「……そうね。とりあえず……」
あたしは夕焼けを見た。まだ時間がありそうだ。
「墓地に行ってくれない?」
「墓地?」
「知り合いの墓があって……ここ、いつか沈むの。だから……その前にもう一度、お参りしておきたくて」
「……花、買いますか?」
「村の人に気づかれたらまずい。レッド、走れる?」
「僕は大丈夫」
「移動してもらっていい?」
「はい。テリーさん」
レッドがあたしを抱えて、瞬間移動を使った。アトリの村に、突風が吹く。
(*'ω'*)
デヴィッド・マルカーン。ここに眠る。
あたしは両手を握りしめ、今一度祈った。
(……デヴィッド。貴方の弟のピーターは呪われても善を忘れない人だった。今でも感謝してるわ)
「……テリーさん、誰か来たみたい」
「……レッド、こっちよ」
あたしとレッドが草むらに隠れると――レッドがはっとした。さっきまであたしがいた墓の前に、二人の影が立っていた。
「……あれ? 人影があったと思ったんだけど……」
「帰ったんだろ。ああ、あった、あった。これだ」
キッドが跪き、両手を握りしめた。
「こんばんは。デヴィッド」
――リトルルビィが複雑そうな顔でデヴィッドの墓を見ていた。
「供養に来ました」
「……」
「ほら、お前も祈れ」
リトルルビィがその場に座り、両手を握りしめ――深く祈った。キッドが墓を見つめ、息を吐いた。
「今どんな気分?」
「それ訊く?」
「お前が殺した相手だ」
「……」
「失った命は戻ってこない。今のお前ならどれだけのことをしたかわかるだろ」
「……」
「罪は消えない。この人の分までお前は生き続けなければいけない。それがお前にとって一番の断罪だ」
「……わかってるよ。そんなの」
リトルルビィが両手を下ろした。
「『死』がどれくらい重いことなのか……お兄ちゃんが死んだ時から、知ってる」
「……」
「私に出来るのは、もうこれ以上人が呪われないように、この力を使って守る事だけだ。それ以外、私に出来る事は無い」
「……大人になったな。リトルルビィ」
「やめろ。頭撫でるな。うぜえ。消えろ」
「レッドが今のお前を見たら喜ぶだろうな」
「……八歳の私がもう少し利口だったら、お兄ちゃんは死なずに済んだ。わかってるよ。呪われた血を飲ませるなんて、本当、あの時はどうかしてた」
「毒に侵されてた」
「だからと言って仕方ないとはならないだろ?」
「わかってるじゃないか」
「お前のやり方はエグイよ。うんざりだ」
「罪悪感を感じれば感じるほど反省する。反省したら次に活かせる。ルビィ、忘れるな。お前が奪った命の分、人を守れ。良いな?」
「お前に言われなくともそのつもり」
「あはは。お前可愛くなーい」
風が吹いた。草が揺れて擦れる音が聞こえる。キッドが立ち上がった。
「さて、そろそろ夜になる。狼どもが暴れ出すぞ。……帰る前にテリーの様子見ていく?」
「まじでふざけんな。夜にレディに会いに行く男なんか、ただの野獣だって、いつものテリーならそう言うね!」
「今のテリーなら喜びそうだけどな」
「テリー、大丈夫かな。記憶失ったテリーって、ぼやっとしてるから心配になる。……お前まじで手出すなよ?」
「それはテリー次第かな。反応が可愛いんだよなあ。今のあいつ」
二人が墓地から出ていく。草が鳴る。風が吹く。腕が震える。あたしの体が震える。レッドが大量の涙を流しながら、あたしの腕から逃げ出そうとしていた。二人はまだ道を歩いている。駄目だ。絶対に離すわけにはいかない。レッドが容赦なくあたしの腕に噛みついた。あたしは歯をくいしばって痛みに堪えた。レッドの涙があたしの腕に落ちる。墓地に来なければよかったと後悔した。いや、さっさと離れてしまえばこの話題に触れずに済んだ。あたしの腕から血が溢れる。レッドの体が震える。あたしは堪える。汗が吹き出る。あたしの汗を利用して、レッドが滑るように腕から抜け出した。
「っ!」
「知ってた!」
レッドが怒鳴った。
「知ってたんだ! 僕が死ぬって、知ってたんだろ!」
「レッド、待って。話を……」
「会ったことがないって言ってた! 僕が死んだから、関わる事も無かった! 未来の話はしなかった! 貴女はバレないように偽名を使ってたけど、僕に偽名を与えなかった。死ぬから偽名を使う必要がない! そういうことだろ!!」
「レッド、お願い、あたしの話を」
「リトルルビィは生き残った。だけど、僕は……僕は呪われて……他の人達みたいに……化け物になって……」
泣き叫んだ。
「死んでいくんだ!!」
「レッド!」
レッドが瞬間移動を使った。突風が吹く。
「レッド!! ……いだっ!」
腕を見下ろすと、レッドの噛み跡が残っていた。
「……クソ……!」
腕に魔力を込めてみる。……かさぶたにはなった。
(……嫌なタイミングだわ。墓参りしたとは聞いてたけど……まさかこのタイミングで来るとは思わないでしょ)
星の杖を構える。
(レッドの居場所を……)
光は現れない。
(……まさか、一人にしておけっていうの?)
呪文は何も思い浮かばない。
(アトリの村は危険なのよ? わかってる!?)
呪文は何も出てこない。
(……わかったわよ。だったら……ドロシーには会える?)
呪文は何も思い浮かばない。
(ああ、クソ……)
冷静になれ。冷静さをなくすことが一番恐ろしいことだ。今のあたしには、自分しかいないんだから。しっかりしろ。あたしなら出来る。大丈夫。レッドは必ず戻る。
(気がかりだけど……先に別のことをした方がいい)
あたしはもう一度星の杖を構えた。
(あたしはどこに行けばいい?)
――星の杖から光の線が現れる。
(……レッドのことが心配だけど……今は……杖に従うしかない)
あたしは冷静になるため、深く呼吸し――前だけを見つめ、歩き出した。
(*'ω'*)
光の線は森の奥深くまで続いていた。あたしは慎重に足を進ませ、微かな音が聞こえたらすぐに木の陰に隠れた。光はまだ奥まで続いている。
(どこまで続いているのかしら)
振り返ってみるが、もうアトリの村は見えず、ひたすら森に囲まれている。
(歩くしかない……)
目的地の分からない道を延々と歩いていると、不安なことが頭の中でどんどんよぎってくる。
あたしはちゃんと元の時間軸に帰れるだろうか。
もしこのまま死ぬまで森を歩き続けることになったらどうしよう。
クレアに二度と会えなかったらどうしよう。
レッドはどこにいるのだろう。
無事だろうか。
呪われた人狼に襲われていないだろうか。
怖い目に遭っていないだろうか。
あの時早く離れていれば、いや、あの時墓地に行かなければ、今頃レッドと共に歩いていたのかもしれない。
テリー、目的を忘れてはいけない。
あたしはなぜ湖に潜った? なぜこの杖を元に戻そうとしている?
体調が悪かったから。杖が導いたから。世界の平和を願っているから。
全て、違う。あたしは善人じゃない。
メニーのような可愛い理由なんて持ってない。
あたしは我儘なの。
理由は一つだけ。
クレアにもう一度会うため。
その為には、どうしても元の時間軸に戻りたかった。あたしの生きた時間軸のクレアに、もう一度会いたかった。抱きしめて、キスをして、愛してると伝えたい。
ただそれだけがしたいがために、あたしはここへ来た。実に単純で、最低で、自分勝手な理由だ。だが、仕方ない。あたしはそういう目的を持つことでしか動くことができない人間だ。
あたしは、善人にはなれない。
自分が幸せならそれでいい。
他人なんて知るか。
自分のことで精一杯だ。
この杖さえ、元に戻ればいいのだ。
そうすればあたしは元の時間軸へと帰り、レッドも、自分の時間軸へと帰れる。
それで、おしまい。
さようなら。
何も知らせず、笑顔で別れましょう。
本当に、それでいいのか。
(……駄目ね。レッドと一緒に居すぎた。あたしは彼に対して優しくなんてせず、一定の距離を維持するべきだった。……完全に情が移ってる)
どんなに足掻いたって、彼の運命は決まっている。
(歴史を変えたら元の時間軸に戻れなくなる)
メニーが待ってる。
クレアが――城下町にいる。
(あたしは帰らないといけない)
リトルルビィの兄。
(元の世界に帰るために)
コウモリに化ける中毒者。
(他人のことまで考えるな。自分優先で考えるのよ。貴族は、甘さを見せたらそこで終わる。思い出せ。あたしは貴族。偉大なるベックス家の次女。テリー・ベックス)
妹を守るために、呪いの飴を舐めた。
(考えるな。あたしは杖を元に戻して、もう一度、クレアに会うのよ! あたしは……!! 絶対に! 元の時間軸に……!)
「貴方は、僕の救世主」
――顔を上げた。光の線は、岩の奥を差していた。
あたしが岩に触れると、岩がゆっくりと動き出し、横にずれた。光の線は岩の中に続いてる。あたしはまた慎重に進み始めた。洞窟のようだ。あたしの靴の音が響く。岩が光の線に反射して宝石のように輝く。もっと奥へ、もっと闇深いところへ進んでいく。
ひたすら光の線を辿っていくと、やがて洞窟の奥に広がる湖に辿り着いた。
(……もう湖は結構よ)
光の線が消えた。
(……目的地はここ?)
洞窟の上に穴が開いている。そこから星空が反射して映っている。
(暗いだけの洞窟。こんなところに何が……)
月が、穴から湖に映し出された。その瞬間、湖が白く光り出した。
「っ!」
辺り一面白く染まっていく。とても眩しくて、あたしは目を閉じた。さわやかな風が吹く。――そっと目を開けると――洞窟の中は闇ではなく、真っ白な世界に染まっていた。
「よくぞ辿り着いた」
はっとして振り返る。どこからか声が!
「私こそ、白の魔法使い」
あたしは再び振り返った。
「通称、女神のアメリアヌとは」
あたしははっとして足元を見た。
「私のことよ」
顔を上げると、後頭部が何かにぶつかった。
「ふんごっ!!!」
「いった!!」
頭を押さえて後ろを振り返ると、白いドレスを身にまとった白い肌の女が鼻を押さえ、体を震わせていた。
「……」
しかし、気を取り直し、彼女は白く輝いた。鼻からは赤い血が流れている。
「よくぞ参った! テリー・ベックス!」
「……ごめんなさい。わざとじゃないの。地面まで白くなってると思って、でも気配を感じたから顔を上げてみたら、貴女が思ったよりも近くにいたのよ」
「大丈夫! 私はね、こんなことでは怒らないの! 何せ、女神だし! 心が広いから! あ、でもちょっと待ってね。なんか思ったよりも深いところが切れてしまったみたい。確かに白いと赤が目立つわ。ちょっと待ってね。すぐよ。本当にすぐだから」
女神が葉っぱを丸めて鼻の穴に詰めた。
「よくぞ参った! テリー・ベックス!」
「あ、やり直すのね。オッケー、オッケー」
「私こそ、白の魔法使い、アメリアヌである!」
「……父と母が貴女の神話が好きだったわ。だから姉は貴女と同じ名前なの」
「もちろん存じてますわ! 女神に知らないことは何もないの! 貴女のことももちろん知ってるわ! テリー! 会えて嬉しい! はい。握手」
「あ、どうも」
「杖によって導かれたのね! 女神はなんでもお見通し! 貴女の目的は不完全なその杖を元に戻すこと」
「ええ。そうよ。力を注いでもらえる?」
「もちろん、私も貴女に協力したいわ。だって私は女神だもの! でもねー、お願いしたいことがあるのぉー。それからでもいいかしら?」
「お願いしたいこと?」
「そう! お願いしたいこと!」
アメリアヌが瓶を取り出した。
「今から貴女にはこの中に入ってもらって、リンゴを実らせて頂きます! ただのリンゴじゃないわよ。実らせるのはまさに、金のリンゴ!」
「……あたし、リンゴを育てた事は無いわ」
「大丈夫! 初心者にも簡単に育てられるように、リンゴが教えてくれる機能をつけておいたから、わからなくなったらリンゴに聞いてみて!」
「金のリンゴが実ったらどうなるの?」
「私に渡してもらいます。金のリンゴにはね、素晴らしい量の魔力がこめられているの。ほら、もう少しで星祭りでしょう? 私は空いっぱいに星を浮かばせないといけません。100年に一度の出来事だし、金のリンゴがどうしても必要になるのです」
「100年前はどうしたの?」
「別に自分で育てるのが疲れたとか面倒くさいとかじゃないの! 私、いっぱいやることがあって、本当に忙しくて嫌になっちゃうー! 別に、本当に、面倒くさいとかじゃないのよー!? まじで、毎日、色々と……えっと……忙しいのー!!」
(なるほど。面倒くさいのね。……なんか本当にアメリに見えてきた。このおばさん)
「というわけでテリー、この魔法の瓶の中に入って金のリンゴを実らせるのです。大丈夫よ! 瓶の中の木はすぐに育つから、上手く育てることが出来ればもう一瞬の出来事よ!」
「はあ」
「それでは! 目を閉じて!」
「あ、一つだけ」
「何!? 別に私、本当に面倒くさいわけじゃないんだからね!?」
「ああ、いいえ、それは良いんだけど……。レッドとはぐれちゃったの。あの子のこと……見ててくれないかしら?」
「あー、自らの運命を知ってしまった可哀想な坊やのことね。大丈夫よ。私が見ておくし、守っておくから! 貴女は何も心配せず私に全て任せてくれたいいわ! 何せ! 私! 女神ですから!!」
「……あ、はい。じゃあ……お願いします」
「それでは! 目を閉じて!」
言われた通り、あたしは目を閉じた。
アメリアヌがあたしの周りでくるくる回り始める。聞いたことのない言葉で歌い、軽やかに踊り、あたしは――。
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