第4話 貴族令嬢は罪滅ぼし活動に忙しい

 ――肩を叩かれた。


「……んっ……」

「だいじょーぶー?」


 丸い目があたしを覗いてくる。


「おねーさーん?」

(子供の声……?)


 あたしは顔を上げる。そこには小さな女の子が、ゴミ捨て場に埋もれるあたしを眺めていた。


「そんなところで何やってるのー?」

「……ゴミ捨て場……?」


 あたしはゆっくりと起き上がる。


(どこ……ここ……)

「お姉さん、こんなところで寝たら風邪引いちゃう! 眠いなら街の外れにある森に行くことを勧めるわ! あそこ、とっても静かで、獣だって大人しいんだから!」

「……お嬢ちゃん、ここ、どこかしら……?」

「あ、ひょっとして……わかった! 貴女、旅の人なんでしょ! うっふふーん! それなら紹介してあげる! ここはみんなの憧れ、エメラルド王国の城下町よ!」

「エメラルド王国の……城下……町……?」


 あたしははっとして、立ち上がり、急いで暗い路地裏から駆け出した。


「あ、おねーさーん!」


 太陽が――あたしに当たった。眩しい。目が眩む。しかし、瞼を上げる。


(これは……)


 見慣れた商店街。見慣れた街の風景。見慣れた噴水広場。忙しそうに歩く大人。遊ぶために走る子供。


(そんな……馬鹿な……)


 振り返った。緑色に輝くエメラルド城は、立派に国の中心に建てられている。


(どういうこと? だって、今城下町は……中毒者が大量発生してるって……)


 違う。この城下町は、あたしのいた時間軸の城下町ではない。


(これは……過去だ)

「ちょっとお姉さん! 待ってよ! そんなにどきどきわくわくしなくたって、私がゆっくり観光案内してあげるってば!」

「……お嬢ちゃん、今って何年の何月何日かしら?」

「え? お姉さん何言ってるの? 今日は……」


 日付を聞いて、あたしは驚きのあまり、目を丸くした。


(八年前。春ってことは……あたしが記憶を取り戻した頃……)


「お姉さん、運が良かったね! 観光案内ガイドにぴったりの私と会うことが出来て! 丁度今日はね、冒険心がうずいていた日だったの! 観光がてら、どう? トルーデおばさんに会いに行ってみない?」

「トルーデ……おばさん?」

「そうよ! 妙な噂ばかりが立つ不審なおばさんのことなの。あまりにも妙ちくりんなものだから、会いに行きたいって両親に言ったら、二人ともカンカン。断固として会いに行くことを禁じてきたわ。さらにこう言ってきたの。『トルーデおばさんは悪い人だよ。悪いことをするんだ。もしお前がトルーデおばさんに会いにいくなら、もう家の子じゃないよ。』こうして不審なトルーデおばさんに会いに行くことをやめた私は、実に有意義で平和でつまらない一日を過ごすところだったのよ。でも、貴女がいるなら話は別。観光に大冒険は必須だわ! ね! お姉さんも会いに行きたいでしょ?」

(好奇心旺盛なのは良いことだけど、不審者には近づかない方がいいわよ。もしもほいっとついていって誘拐なんてされたら、大人はたまったもんじゃないんだから)


 この子の為にも断ろうと口を開きかけた途端――あたしは手に持っていた杖に気づいた。


(震えてる?)


 見下ろすと、空っぽになった星の杖がぶるぶると震えていた。


(反応している。トルーデおばさんって人に……何かあるの?)


 ひょっとして――、


(水の魔法使いが言ってた、他の魔法使いが……トルーデっておばさん?)


 あたしは女の子に笑顔を浮かべた。


「ええ。あたし、遠いところから、ようやく憧れのエメラルド王国に来られたもんだから、嬉しくなってしまって。ぜひその妙ちくりんなおば様にお会いしてみたいわ」

「だよね! そう言うと思った! じゃあ、私が案内してあげる!」


 嬉しそうな笑顔を浮かべた女の子は、あたしの手を握り、城下町の道を歩き出した。指を差して教えてくれる。あそこにはあんなものがあって、あそこにはこの店があって、そしてここには、こんな施設があるのよ! でもね、あたしそれは全部知ってるの。だってここはあたしが育った街だもの。


(ああ、クレア……)


 懐かしい風の匂いがする。


(会いたいわ。あたしのクリスタル……)


 女の子に引っ張っていかれ、やがて暗い森に辿り着く。その奥の奥のもっと奥に、木に囲まれた不気味なおんぼろ家があった。


「きゃあ!」


 女の子が悲鳴を上げた。カラスが飛んでいった。


「ああ、驚いた。カラスか」


 女の子が胸を押さえた。


「ここったら本当に不気味。きゃ! お姉さん、今の見た?」

「今のって?」

「怖いものを見たの。言いたくないわ。お姉さんは見てないのね。ああ、とっても怖い。でも、ここまで来ておばさんに会わないのは格好悪い。お姉さん、一緒にいてね。離れないでね」


 女の子はあたしにぴったりくっつき、あたしも女の子から離れずおんぼろな家に近づいた。ドアをノックしてみる。中から、「入りなさい」と声が聞こえて、あたしはドアを開けた。


 暗くてじめじめした家の中に、黒いブランケットを羽織ったふくよかで醜い女が、暖炉の前に座っていた。


「これはこれは、客人か。子供に、女。珍しいね。嬉しいね。さあ、二人とも、中にお入り。お茶を出そうじゃないのさ」

「お邪魔します……」


 怯えきった女の子はあたしに貼りついたまま家の中に入った。だが、いつでも逃げられるように扉は開けたまま。それほどトルーデは不気味だった。トルーデは体を震わせる女の子をじぃっと穴が開くほど見つめ、訊ねた。


「お前は、どうしてそんなに青い顔をしているんだい?」

「見たものがとても怖くって。おばさんの家の階段で、真っ黒な人を見たのよ」

「それは、炭を焼く男さ」

「それから、緑の男も見たわ」

「それは、狩人だよ」

「その後に、血みたいに真っ赤な男に会ったわ」

「それは、獣を殺す男だよ」

「ああ、怖かったわ。トルーデおばさん。家の窓から見たら、貴女ではなくて、本当にそう思うんだけど、頭が火で燃えている悪魔が見えたの」

「ほおー! じゃあお前はちゃんとした衣装の魔女を見たんだね! 私はお前みたいな娘をずっと待っていたんだ。もう長い間お前が必要だったんだ。さて、お前に光を貰おうかね」

「え?」


 あたしは振り向いた。振り向いた先には、もう女の子はいなかった。代わりに、あたしの足元に、木の板が転がっていた。


(え?)

「木の板が二枚」


 あたしはすぐにトルーデに振り返った。


「夜が暗くて困ってたんだよ。イヒヒヒ!」


 醜い目が、あたしを見た。


「木の板を暖炉に入れて、火をつければ明るくなる。ヒヒ。今夜は明るい夜が待ってるわい」

「ちょっと、お前、この子に何して……!」


 トルーデの手の中にあったものを見て、あたしの口が止まった。


「それは」

「お前もすぐに木の板にしてやるよ」


 飴が不気味に輝いている。


「私はね、自分よりも美しい女が嫌いなのさ。お前は随分と綺麗そうだから、長く燃やしてやろうじゃないのさ。ヒヒ、ヒヒヒヒ!」


 ――中毒者!


 あたしが後ろに振り返ると、勝手にドアが閉められた。


「安心しな。散々痛めつけてからにしてやるよ」


 そう言うと、トルーデは飴を舐めた。すると、あたしの目に、口の中で魔力が弾けるのが見えた。


(ぐっ、何これ……!)


 急に、空気が重くなった。

 嫌な匂いの風が吹く。

 トルーデの体の皮膚がどんどん固くなっていき、茶色に変色した。指先も、髪の毛も、足も、全部が木となって、天井まで体が大きく膨らんだ。濁った眼があたしを見下ろしてくる。


(何よ。偉そうに!)


 あたしは星の杖を構えた。


(魔法使いかと思ったら、既に呪われた中毒者。そういうことなら――何も怖くない)


 怖いはずない。だって、相手はただの人間だもの。


(ここで終わるあたしじゃない。ひょっとして、今まで熱に侵されてただけだと思ってる?)


 ――テリー、イメージして。


「強くイメージするの。出来ないなら、目を閉じてみて」


 嫌いな女に教わったことを思い出す。


「水を指で感じるように、イメージを強くすることで、感覚を感じるの」


 あたしは目を閉じて、強くイメージする。今まで見てきたことを思い出す。彼女なら――クレアなら――いや――キッドなら、きっとこういう時、こうやって戦うだろう。イメージする。想像する。トルーデの奇声が聞こえてくる。あたしはただ集中する。イメージを強くする。そうすれば――もやがかかった呪文がはっきり見えてくる。それを読み上げる。


「親のいうこと聞かない子、とても悪い子、いけない子。巨悪は好奇心そのものだ」


 一気に瞼を上げると、あたしの中で出られず暴れ回っていた魔力が杖へ流れていった。緑色の光が杖を包み、外へと放出させる。それと同時のタイミングで、トルーデの木の手があたしに振り下ろされた。しかし、あたしが潰される事は無かった。


 杖から出された魔力で作られたキッドの幻覚が、荒い剣さばきでトルーデの手首を斬り落としたのだ。


 トルーデがとんでもない悲鳴を上げた。木の腕から真っ赤な血が噴射された。キッドの幻覚はにやりと笑って、走り出した。その手には斧が掴まれていた。トルーデは残された腕を使って、キッドの幻覚に振り下ろしたが、それは幻覚なので、その攻撃は全くの無意味である。キッドは降って来たトルーデの手をすり抜けると、肩をすくませてから手首と腕を斧を振り下ろし、真っ二つに分かれさせた。


 トルーデがまた巨大な悲鳴を上げて、切られた両腕を見て、泡を吐いて倒れた。今だ! という目をしたキッドがマッチに火をつけ、トルーデに投げた。


「ぎゃあああああああああああああああ!!!!!」


 トルーデが燃えている。


「熱い! 熱い! 熱い!!」


 熱くて当然だ。トルーデは燃えている。


「水! 水!!」


 トルーデは水道の蛇口をひねった。しかし、水道代を払い忘れていた彼女の家からは、水は一滴たりとも出てこなかった。


「水! 水!!」


 水を求めて、トルーデが窓から抜け出した。


「水だ! 水があった!!」


 トルーデは井戸に飛び込んだ。


「水だわぁあああああああああああい!!!!」


 そのまま、水の中に沈んでいった。








 キッドの幻覚が、井戸の中を覗いた。トルーデは井戸の底で気絶している。満足そうに笑みを浮かべ、あたしに振り返ると――あたしの手にキスをし、風に吹かれて消えていった。


(……薬を体内に入れてない以上、まだあのおばさんは中毒者)


 空を見上げる。太陽はまだ空にある。


(キッドが城下町のどこかにいるはず。奴はこの時期、実績が欲しくてトラブル探しに夢中だもの)


 あたしの足が城下町に向けられる。


(薬を打つよう、この場所を教えないと)

「ちょっとー?」

「……ん?」


 あたしは振り返った。そこには誰も居ない。


「いやいや、忘れるってあり得ないよ。お前」

「……え?」

「その魔力で、元に戻してくれないかね?」


 あたしは声の方角を見た。そこには、木の板が倒れている。


 トルーデに木の板にされた、女の子のものだった。


(……声が、違う?)

「早くしてくれないかね?」

「あ、……えーと……」


 あたしは先ほど見た女の子をイメージして、杖に魔力を流した。そうすると、もやがかかった言葉がはっきり頭に入ってきて、読み上げる。


「不審者、不気味なおばさん家。怖い噂のお家へようこそ。行きはよいよい帰りは恐い」


 魔力が木の板を包み込むと、女の子は元の姿に戻った。


「まあ、いいだろう。とりあえず合格ってことで」

「は?」


 あたしが瞬きすると、女の子が女になり、もう一度瞬きすると、女は醜いおばさんになり、ひひっと笑い出した。


「やい、魔法使いが魔法使いに騙されるなんて、傑作だよ。こりゃ」

「……えっと……」


 あたしの頭が混乱とパニックに陥る。どういうこと? さっきまでの女の子はどこに行ったって言うの!?


「ちょいと、わからないならもう一回見せてやろうか? 女の子になったり、美女になったり、醜いババアになったりさ。ヒヒ。まあ、なんて間抜け面だろうね。そんなんじゃ、その魔力は操り切れないよ。テリー・ベックス」

「……あたしを知ってるの?」

「そりゃあ、あんたは有名人だもの。国一番の犯罪者。メニー王女を虐めた罰で死ぬまで牢屋で過ごした悪者。死刑にされた気分はどうだった?」

「……」

「ひひひ! 魔法使い様を睨んでいいのかい? その魔力、お前のものじゃないんだろう? オズの匂いがする。だけど、どこか獣と土の匂いが入り混じってる。トゥエリー。いや、トトだ。どうやら別の時間軸で……あの猫ちゃんに何かあったみたいだね」

「トトじゃないわ」


 あいつの名前を伝える。


「ドロシーよ」

「ああ、お前にとっちゃそうだろうね」

「……魔力と杖を預かったわ。だけど、杖の力が失われてて、不完全な物だから……あたしの魔力が上手く流せないって。だから、水の魔法使いが……魔法使い達から、魔力を貰って来いって」

「湖に潜ったんだね。なるほど」


 黒い帽子を被る魔法使いが怪しい笑みを浮かべ、首を傾げた。


「お前に協力したら、何か良いことがあるのかい?」

「良いこと……ですって?」

「タダで協力するなんて嫌だよ。何か報酬がないとね」

「報酬って?」

「例えば……そうだね。……私は、夜を灯す光が欲しい」

(夜を灯す光……?)

「ああ、ただの照明なんて嫌だよ。自然そのものの明かりがほしいのさ。なんて言ったって、夜は暗いからね。闇を照らす、明るくて暖かな光が欲しい」


 にやにやする魔法使いを見て思った。駄目だ。あたしには、答えがわからない。


(彼女ならなんて言うかしら)


 彼女なら答えがわかるのよ。だから――あたしは強くイメージする。そうすれば、呪文が頭にはっきり浮かび上がる。


「妄想好きなお嬢さん、ぜひその知恵を貸してくれ、貴女は知恵者。かしこい娘」


 あたしの魔力が杖から流れて、サリアの幻覚を生み出した。サリアがあたしに振り返り、困った顔のあたしを見てから、黒い魔法使いを見た。そして、考えた。さん、に、いち――。サリアの幻覚がふふっと笑って、暖炉に指を差した。そして、森の木に指を差し、マッチに指を差した。最後にあたしにウインクして――風に吹かれて消えた。


(暖炉……木……マッチ……)


 ヒントのもらったあたしは、すぐに作業に取り掛かった。星の杖をくるんと回すと、落ちてた木の枝がおんぼろな家の中に飛んできて、暖炉の中に自ら入っていく。そして、あたしはマッチを付け、火をつけた。暖炉に、暖かな火が灯される。


「これなら、闇夜を照らすわ」

「ああ、なんてことだろうね。私が暖炉好きだってことがバレちまったってのかい? はあ。なんとも明るい光だわい。いいだろう。合格」


 黒の魔法使いが息を吹くと、暖炉の灰で染まったような黒色の魔力が星の杖を囲んだ。そして中に浸透していき……杖が温かくなった……気がした。――気分が少し、良くなった。


「私の役目はここまでだ。さて、私は火を貰って、家に帰るとするかね」


 そう言うと、黒の魔法使いは杖を振り、暖炉にあった火だけを浮かばせ、箒に乗った。


「あばよ。魔法使いもどき。ま、頑張りな。私が生きる時間軸の未来で会ったら、また手を貸してやろうじゃないのさ。もちろん、報酬付きでね」


 黒の魔法使いはそう言うと、空へ飛んでいった。

 再びおんぼろ家は静かな空気が訪れたが、さっきみたいな不穏な風はなく、ただ古い、というだけの風だけが訪れた。井戸を覗くと、やはり中毒者のトルーデが気絶している。


(……次の魔法使いを探す前に、救出が先かしらね)


 あたしは星の杖を見つめた。


「ねえ、キッドの場所わかる? 教えてくれない?」


 訊くと、星の杖が小さく光り――薄い光の筋を出した。


「助かるわ。ありがとう」


 あたしは再び城下町に戻った。人が歩く。通り過ぎる頃には、あたしの姿は帽子とドレスにマントの女ではなく、ただの地味なドレスを着る女になっていた。あたしの目が薄い光の筋を追いかけていく。歩きながら思う。そうだ。丁度いい機会だ。キッドに上手いこと言って、『魔法を打ち砕く方法が載った本』を見せてもらおう。そうすれば、さっきみたいな時の対応が出来るかもしれない。


 念の為、ちょっと杖に訊いてみよう。星の杖さん? あたしの次の行動は、やっても大丈夫? ――杖は反応しない。ということは――多分、大丈夫なのだろう。


(そうと決まれば)


 あたしは人混みに紛れる。


(気配を消して、誰にも気づかれず)


 人々はあたしを見ない。


(声も、呼吸も聞こえず)


 あたしはまるで透明人間。


(大丈夫。感じる)


 すぐそこにいる。


(大丈夫)


 耳に囁いた。






「ちょっといいかしら? クレア姫様」





 ――ゆっくりと――青い瞳が――あたしに向けられた。


 ベルトに銃と剣をしまい、帽子を深く被った14歳のキッド――の役をしているクレアが――あたしを――殺気めいた目で睨んできた。


(ああ)


 背筋がぞくぞくする。感動する。嬉しくて、涙が出そうになる。


(これよ、これ)


 キッドじゃない。クレアだ。


 間違いなく、目の前にいるのは14歳のクレアだ。


「……」


 あたしを睨んだまま、形の良い口角が上に上がる。


「お姉さん、人違いしてない?」

「いいえ」

「俺、クレアなんてお姫様、知らないよ」

「そうでしょうね」

「お姉さん、だーれ?」

「誰でしょうね?」

「あはは。嫌だなあ。その感じ。俺、女の人には優しくしたいんだ」


 クレアが笑顔で近づいた。人には見えないようにぴったりくっついて、あたしの腹部に、銃口を突き付けてきた。


「貴様、何者だ」

「中毒者が井戸でお昼寝してる」

「……」

「ご所望でしょ? 教えてあげる。ここをずっと真っすぐ行くと、妙に暗い森に着くの。その中に、おんぼろの家があって、側にある井戸の中に、火傷を負った中毒者の女が寝てるから、物知り博士が発明した薬で消毒してあげてくれない?」


 クレアが息を呑み、警戒したようにあたしと距離を取った。


「スペード博士に言っておいてくれる? 欲望は身を滅ぼすって」

「……」

「今、持ってる?」

「……持ってる」

「なら、すぐ行ってくれる? 起きたらまた誰か襲われるわよ」

「……」

「それと、ついでに魔法を打ち砕く方法が載った本、どこにあるか教えてくれない? 勝手に見ておくから」

「……なんだ? それ」

「え? だから、魔法を打ち砕く方法が載った本よ。持ってるでしょ?」

「……そんなの知らない」

「え?」

「魔法を打ち砕く方法が載った本? そんなものが存在するのか?」


 クレアの目の色が変わった。あ、まずい。


「へえー。良いこと聞いちゃったな。お姉さん、魔法について詳しそうだね」


 今度はあたしが顔を引きつらせて、後ずさった。


「ねえ、俺と、ちょっとお茶しない?」


 この目は知ってる。狩る獲物を決めた時の目だ。そして、獲物を狩る時の姿勢に入ったようだ。銃をベルトにしまった。代わりに、手に無線機が握られている。あたしは星の杖を振った。クレアのベルトから、薬の入った注射器が三本宙に浮かんだ。


「っ」


 クレアが呼吸を止める。あたしは注射器を三本盗んで――走り出すと同時に、クレアが声を上げた。


「泥棒! 赤い髪の毛のお姉さん! そんなことしちゃ駄目だよ!」


 大勢の人が一斉に振り返った。周りからクレアの騎士達が一斉に動きだした気配がした。あたしは杖を振った。髪の色が緑に染まった。クレアが笑い、追いかけてきた。


「赤い髪じゃなかったや! 緑の髪だ!」


 人を通り過ぎる頃には、あたしの髪の色は黒に染まっていた。


「泥棒は良くないよ! 黒い髪のお姉さん!」


 クレアが銃を撃った。避けようとしたが、それを計算されていた。あたしの背中に派手なペイントが当たった。


「いっ!」


 クレアが一気に追いかけてきた。その顔は笑っている。


(そうだ。思い出した! ドロシーが言ってた! この頃からあいつ、異常だった!!)


 急いで逃げようと駆けだすと――腕を掴まれた。


「うぎゃっ!」

「ふっ! どうもこんにちは! ご機嫌いかが? 美しい黒毛のレディ!」

「ヘンゼ!? お前この時からいたの!?」

「えっ!? 俺をご存じで!? ということは、どこかで会った!? しかし、いや、こんな美しいお嬢さん、俺はいつ会ったというんだ!? こんなに綺麗なら絶対に忘れはしないのに! まさか、神のお導き!? 俺が知らない運命の人がここにいたというのか!? しかし、まあ、とても綺麗な人で、滅茶苦茶嬉しい! どうだい!? この後、この俺とデート……」


 あたしは思い切りヘンゼルを拳でぶん殴った。


「ふぎゃ!」

「ヘンゼル! その女捕まえて!」

「ふっ! もちろんです! そこらへんの男なら手を離したかもしれないけれど、この俺は美女を逃がす男では……」


 ヘンゼルが唖然とした。


「ない……」


 クレアが足を止めて、辺りを見回した。そこら中に自分の兵士が歩いている。無線機を口元に近づけた。


「捜せ。女だ。髪の色がころころ変わる」


 くくっ。


「本物の魔法使いだ」


 ヘンゼルが握っていたのは、ただの木の板であった。




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