第2話 魔法使いもどき


 カドリング島に帰って半年が経った。


 ここではGPSが使えない。

 メッセージは届かない。

 文も届かない。

 届ける手段がない。


 ドロシーが死んだことで、城下町を守ってた壁がなくなり、中毒者が大量発生していると聞いてから――ベックス家は島から出ていない。


 カドリング島はとても平和であった。

 畑も魚、木の実やきのこ、食べ物は溢れるようにあり、食糧が切れることもない。

 銀行がないので金銭事情は全くわからないが、使用人達は城下町と連絡が取れるまでゼロでも良いと言った。

 それほど、ここは安全だった。

 中毒者は現れない。

 とても平和であった。

 だから、とても安全な場所で――みんな、穏やかな生活を過ごしていた。


 ――あたしを除いて。








 女の悲鳴が古城に響く。







「テリー」








 はっと――目を覚ました。

 喉が痛い。頭が重い。

 悲鳴をあげていたのは、あたしだ。


 メニーがあたしの体を揺らすのをやめ、顔を覗き込んだ。


「大丈夫?」

「……」

「すごい汗。……ちょっと待ってね」


 メニーが台の上に置かれた濡れタオルを、あたしの額に乗せ、あたしの頭を撫でた。


「テリー、いつ魔法使ったの?」

「……」

「駄目だよ。まだテリーの中にある力は不完全で……体力だって、こんなに消耗するんだよ? 訓練以外使っちゃいけないって、言ったでしょう?」

「うるさい……。使ってない……」


 あたしはメニーに背中を向けた。タオルが落ちる。


「ちょっと……寝れば……大丈夫……」

「テリー」

「黙って……」


 あたしは枕に顔を埋める。メニーがベッドから離れ――机に置かれた手紙を見つけた。


 ニクスへ。

 アリスへ。

 ビリーへ。

 ルビィへ。

 ソフィアへ。

 リオンへ。


 クレアへ。


「……」


 届かない手紙は溜まっていく。書くだけ書いて、届けられないか試してみて、結局駄目で、倒れる。高熱が出て、一度目の世界の時のように寝たきりになる。


(懐かしいわね……)


 そうだ。あたしは体が弱い娘だった。ちょっと運動しただけですぐに熱を出すお嬢様だった。


(元に戻った気分……)


 ――君はね、体のことを言い訳にベッドでぐーたらしすぎだ。体が弱いなら鍛えればいい。体力がないからそうなるのさ。さ、起きた起きた。


(あいつならこんな嫌味を言いそう)


 しかし、あいつはいない。


 ――また魔法に頼ろうとする! 君は少し、自然治癒の素晴らしさを知った方が良いと思うよ!


(お黙り)


 ――ほら、メニーが心配してるよ。


「そろそろ起きなよ。テリー」




 起きたって、ドロシーはいない。もうどこにもいないのだ。

 お前はあたしをかばって、オズに殺された。

 間抜けな魔法使いめ。

 あたしに最後の魔法をかけて、その命の灯を消した。


(クレア……)


 辺りを探したってクレアはいない。愛する彼女は、今全く連絡が取れない城下町にいる。リトルルビィも、ソフィアも、ニクスも、アリスだって。


(こんな生活に何の意味があるの?)


 手紙を書く。

 そうすれば正気を保てる気がした。

 書く内容はなんでもいい。

 ただ愛してるとだけ書いたこともある。

 会いたいとだけ書いたこともある。

 どうせ届かない手紙だ。

 でも、もしかしたら、届けることができるかもしれない。

 あたしが集中して、手紙を本人の元へ届けろと命じるのだ。

 そうしたら、手紙が届くのだ。

 必死にイメージをする。

 次やったら届くかもしれないと期待する。

 今度こそ届くかもしれないと勘違いする。

 メニーがいないのを見計らって、やってみる。

 今度こそは必ず。


 けれど――結局――手紙がクレア達の元へ届くことはなかった。


 そのうち捨てないと。でないと、手紙を置く場所がなくなる。


(……クレア)


 こんな状態の愛しいあたしを放って王子様としての仕事ばかり。本当に嫌な女よ。お前。結婚したくない女NO.1よ。


(……)


 会いたいわ。クレア。


「……テリー。朝までまだ時間がある。今日はゆっくり休んで」

「……」

「大丈夫だよ。わたしが側にいるから」


 メニーがあたしの隣に潜り込み、そっと、背後からあたしを抱きしめた。


「おやすみ。テリー」


 あたしは黙る。メニーは眠る。あたしは息を吐く。メニーは眠っている。あたしは静かに泣き始めた。メニーは……眠っているはず。


(……クレア……)


 連絡が取れない。

 何も出来ない。

 城下町がどんな状況かもわからない。

 あたしは瞼を閉じた。

 聖・アイネワイルデローゼ学園が崩れ、馬車が迎えに来る前に、最後にしたクレアとの会話を思い出す。


「愛してるよ。テリー」

「その姿で愛してるって言わないで」

「ほら、見てごらん。テリー。皆が俺達を見ているよ」

「そりゃそうよ。皆お前の見た目の美しさに騙されてるんだもの」

「お前も騙される?」

「冗談」

「テリー。愛してる」

「あっ、そう」

「ダーリン」


 手の甲にキスをされて、ひそめた声で言われた。


「……愛してる」

「……あたしも愛してる。……クレア……」



 こんなことになるなら、もっと伝えていればよかった。もっと、愛してるって言えばよかった。もっとキスして、もっと抱きしめて、もっとデートして、もっと甘やかせて、クレアは自分を偽って、国と人を守ってばかりだから、あたしの前では、もっと……甘えられるような……もっと……そうやって……もっと……もっと……。


 そう思っても、何もかもが遅いこと。

 もっとこうすればよかった。

 もっと伝えればよかった。

 色んなことを思っても、今のあたしには熱を出して、ベッドで休むことしかできない。

 熱が出れば、このままベッドに肉体が沈んでいき、溶けていって、せめて魂だけでもクレアの元へ行けないかと思ってはみるけど、気がつけば深く眠っている。目を覚ませばサリアがいて、目を覚ませばメニーがいて、たまにアメリアヌやママがいる。


 流石のアメリも、あたしの様子を見て眉をひそめた。


「テリー……大丈夫……?」


 あたしは答えた。ただの風邪よ。


「テリー、どうか食べてください」

「……」

「どうか。……スープだけでもいいので……」


 サリアがあたしにスープを飲ませる。だからあたしは死なない。安全な土地で、安全なこの島で、広々とした快適な部屋で、眺めのいい景色を、部屋から見るだけ。


 望んでいた未来よ。

 良かったじゃない。


(違う)


 確かに望んでいた。ギロチンの無い未来を。他人からもてはやされて、承認欲求が満たされて、イケメンの彼氏がいて、みんなに自慢して回って、毎日が何もかも幸せで――。


 あたしはやはり馬鹿だった。

 愛する人を失う痛みを想像してなかった。

 こんなにも辛いとは思わなかった。

 その人物がいなくなったら、もう会うことはない。

 でも世界は変わらず続く。

 現実は残酷だ。


 ドロシーが死んでも、ドロシーがいないだけで、何も変わらない。


 ――あたしの瞼が開けられた。

 ――無意識にメニーを抱きしめていた。

 ――メニーがあたしの胸に顔を埋めて、熟睡していた。

 ――まだ空も部屋も暗い。


(……)


 突然、胸が痛くなった。


(……)


 あたしはうずくまる。痛い。唸る。痛い。あたしはベッドから抜け出した。痛い。胸を押さえながら窓を開けた。痛い。新鮮な空気が部屋に入ってくる。痛い。あたしは大きく深呼吸し……痛くなって、やはり、胸を押さえた。


「ぐっ……ぅっ……う……!」

「……テリー……?」


 目を覚ましたメニーがはっと息を呑み、慌ててあたしに駆け寄ってきた。


「テリー!」


 前にメニーが言っていた。死ぬ前にドロシーがあたしに口づけしたのは……あたしに魔力を移すためにした行為だと。


(ドロシーの魔力が……あたしの中で……暴れてる……!)

「テリー!」


 痛い。あたしは胸を押さえた。


(心臓が痙攣してる)


 あたしは座り込んだ。


(死ぬ……。あたし、死んじゃう……!)

「テリー、落ち着いて。ゆっくり息を吸って」


 拳を固める。


(……クレア……!)

「……テリー、それ」

「っ!」


 いつの間にか、あたしの手に星の杖が握られていた。それを見た途端、痛みが嘘のように引いた。


(……お前は呼んでない)


 星の杖を睨む。


(消えろ。お前に……用はない)


 星の杖がほんのりと光っている。


(くそ……一体何なのよ……)

「……テリー」

「最悪。何なのよ。もう……」


 汗を出し、ふらつく足で立ち上がる。すると……星の杖が更に光った。


「わっ!」

「っ」


 森の方に、光の筋が向けられた。

 あたしとメニーがその方向を見る。


 朝日が登ってくる。明るい朝がやってきて、夜に現れる闇がなくなる。光に包まれるように、星の杖の光が包まれ、どの森を差していたのかわからなくなった。


 あたしは星の杖を見つめ……森を見た。


「……テリー、今のって……」

「……」

「あそこ……立ち入り禁止のところだよね?」


 あたしは森を見つめる。


「絶対誰も入っちゃいけないって。入ったら……霧に飲まれて、戻れなくなる……って、テリーがわたしに教えたところ」

「……ばあばにそう言われたのよ」


 子供の頃、好奇心から入ろうとして、その寸前でママが止めに来て、ばあばからはかなり叱られた。


 テリー、あそこは駄目なの! 絶対入ってはいけないの! 一族の掟なのよ!


(掟って言ってたけど、ばあばは……あそこを知ってるみたいだった)


 自分の目で見ないと信じない人だったもの。


「……テリー、昼にわたしが……」

「ここにいなさい」

「テリー」

「今ならみんな寝てるでしょ」

「トレイズかギルエドが起きてるかも」

「ここどこだと思ってるの? 気付かれないわよ」


 あたしが上着を羽織ると、メニーがあたしの側に寄った。


「わたしも行く」

「一人でいい」

「倒れたらどうするの」


 メニーが真剣な眼差しであたしを見つめる。


「わたしも一緒に行く」

「……。……。……好きにおし」

「……うん。好きにさせてもらうね」


 笑みを浮かべたメニーを無視して、あたしは久しぶりに部屋の扉を開けた。



(*'ω'*)



 裸足のまま森に入る。

 夜明けだというのに、森に入った途端、とても暗くなった。フクロウの声が響く。動物達があたしとメニーをじっと見つめた。


 杖が放つ光の筋がはっきりと見える。あたしとメニーの足が止まる。ロープが巻かれ、看板が立っている。ここから先、立入禁止。危険。このメッセージを見ても行った観光客は、二度と戻ってこなかったと思っていいだろう。


 この島はそういうことをする。

 ルールを守らない人間を許しはしない。

 けれど、杖の光が、この先を差しているのだ。


 あたしは地面に触れ、伝えた。


「テリー・ベックスです。……ここに入ることをお許しください」


 小さな風が吹いた。あたしとメニーの髪が揺れた。あたしは立ち上がり、ゆっくり、奥へと進みだした。メニーが後ろからついてくる。草の上を歩く。不思議なことに、草はとても温かかった。木が揺れる。しかし、普通の木ではない気がした。メニーが黙って歩く。あたしは杖の光を辿る。……霧が出てきた。けれど不思議なことに、寒くはなかった。二人で歩いていく。ゆっくりと着実に進んでいく。


 そして思う。ここは本当に島だろうか。カドリング島は小さな島だ。ちょっと歩いたらすぐに海が見える。なのに、こんなに歩いているのに、海が全く見えない。森から出られない。霧の奥が、まるで異世界のように……永遠と続いている気がして……それでも、足を止めずに、光の行く先を目指して進んでいくと――小さな湖が見えた。


 光は、湖の中に続いてる。


「……湖……」


 近づいて覗き込む。ネグリジェ姿のあたしとメニーが映ってる。


「初めて見るね。こんなところあったんだ」

「……光はこの中に続いてる」


 ……。あたしは湖の水を蹴飛ばしてみた。えい。


「テリー、駄目だよ」

「ただの湖ね」

「神聖なものかもしれないよ? カドリング島にあるわけだし……」


 メニーが覗き込んだ。


「ただの湖とは思えな……」


 四つ葉のクローバーのピンが滑っていった。


「あっ!」


 落ちた。メニーが慌てて手を入れた。しかし、ピンは沈んでしまった。


「あ、どうしよう! そんな、テリーから貰ったピンが!」

「何年つけてるのよ。それ」

「だって……テリーから貰ったのに!!」


 メニーが急いで手を叩いた。しかし、メニーの魔力が発揮されることはなかった。メニーが眉をひそめた。そして、また手を叩いた。しかし、ピンは戻ってこず、メニーの魔法も発動されることはなかった。


「魔法が発動されない……」

「城にあるの使えばいいでしょ」

「テリーから貰ったものなのに!」

「あんな古いのつけてる方がおかしいのよ。城下町に戻ることがあれば、また買ってあげるから」

「お願いします! 返してください! それ、ゴミじゃないんです!!」

「メニー、湖にそんなこと言ったって……」

「誕生日にテリーから貰ったの! テリーから貰ったものなの! お願い! 返して!!」


 メニーの瞳に涙が浮かんだ。


「わたしの大切なピン、返して!!」


 ――途端に――湖から裸体の女が飛び出してきた。


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