第2話 貴族令嬢の笑い声

 右には子爵令嬢。左には公爵令嬢。逃げるコマンドは完全に消え去った。


 設置されたソファーに腰をかけ、綺麗な恰好で輝く貴族令嬢達で固められる。

 ああ、四方八方から視線が痛い、痛い。だから舞踏会なんて嫌いなのよ。


「どうか緊張なさらないで。テリー様。私達、貴女と仲良くなりたいのです」

「おほほ。身に余る光栄でございます」

「ずっとお声をかけたかったのですが、いつも貴女の隣に……その……大物デザイナーや、キッド様の右腕様がいらしたでしょう?」

(……今日に限って側に誰もいないのよねー。アリスもリトルルビィも。メニーも捜しに行ったくらいだし。どこいるのかしら……)

「ですので声をかけづらくて。今日は運が良かった。どうぞ、お茶をお飲みください」

「ええ。ありがとうございます」

「実は、テリー様にお話ししたい事があったんです」


 お茶を飲む。いいからさっさと要件言いなさい。何よ。何の用よ。


「怒らないで聞いてくださいな。実は私……」


 ヴィヴィアンが笑顔を浮かべながら言った。


「昔、キッド様と付き合っていたんです」


(……ははーん?)


 その一言で話の内容が全てわかる。


「ですので、なんだか近いものを感じるというか、私達、好みの男性が同じだなんて、これも何かの縁だと思いませんか?」

「ええ。奇遇ですね」

「きっと私達仲良くなれますわ。まあ、と言っても過去の話ですがね。今はもちろんテリー様がキッド様の婚約者様でありますが……」


 ヴィヴィアンの笑みは止まらない。


「お優しい方ですよね」


 あたしは愛想笑いをしてお茶を飲む。


「ノリも良くていつも笑わせてくださって。私が会った時はまだ平民のふりをされていた時だったのですが、私はその時貴族というものに不満を持っていたのです。だって貴族っていつだって親に拘束されて、親の言う事が絶対でしょう? だからある日、屋敷を飛び出して、ふらっと街を歩いていたら……出会ってしまったんです」


(……やばい。踊ったら眠くなってきた……。キッドの話とかまじでどうでもいい……。……ん。この紅茶美味いわね。紹介所に取り入れたいわ。なんて名前の紅茶かしら)


「私が貴族だというのにへらへらしていた彼を思い出します。今なら理解できますが、当時はなぜこんなにも近い距離で話してくるかわかりませんでした。でもそんな彼に惹かれた私がいた……。沢山デートをして、私が知らない世界を見せて頂きましたわ。あ、テリー様はもちろんご存知でしょうが、キッド様はケーキがお好きなんですよ。一番好きなのはイチゴのケーキで……」


(はーん……。カップの模様も綺麗だわ……。これは高級そう……。紹介所に入れるとなると割れた時が困るわね……。……これはセイレーン・オブ・ザ・シーズ号向けかしら……。これでリンゴティーでも飲んだら美味しいかも……。……あ、やばい。マチェットにリンゴの注文するの忘れてた)


「忘れもしないのがキッド様が屋敷に入り込んだ時です。私が落としたハンカチを届けてくださったの。そこで……彼と初めてのキスをしました……」


(紹介所と……うちと……アメリのとこにも届けるか……。アメリ、あのリンゴティー気に入ってたものね……。となると……数が……)


「あの……テリー様、その紅茶に……何か問題でも……?」

「え? あ、いえ、とても美味しいと思って」

「……っ、それは……あのっ、う、うちの父がやっているブランドの紅茶でして……」

「どうしたらこれは買えるの?」

「あ……えっと……私に言っていただければ……」

「とても美味しいです。失礼。お名前は?」

「あ……♡ ポピー・ヴァレッツと申します……♡ テリー様……」

「ヴァレッツ家の方でしたか。失礼致しました。長男のアベール様が騎士として、とてもご活躍されていると、キッド殿下からお伺いしてますわ」

「まあ♡ お兄様のことを……♡?」

「それは本当ですか!? ヴィヴィアン様!」

「キッド様と!?」

「おほほ。どうか皆様、興奮なさらないで。テリー様の前ですのよ」

「アベール様は人を差別せず、市民にも仲間と同等の態度で接すると」

「お兄様は差別を嫌うのです……。私も……いずれお兄様のように人に優しくと……♡」


 令嬢達が苦い顔をした。


「テリー様?」

「あん? あっ……おほほほほ! 失礼! ちゃんと聞いてましたわ。ですが、ちょっと……あー……おほほ。ヴァレッツ男爵令嬢の髪の毛に、虫が! ああ、大変! よいしょ。取れましたわ。おほほ。失礼。さあ、お話の続きを」

「テリー様……私が虐められないために……とんだ真っ赤な嘘を……♡」

「さて、えー、キッド殿下についてでしたわね。おほほ。失礼。随分とお仲がよろしかったようで」

「まあ、もしかして今のお話をお気にされてますの? ごめんなさい。でものは過去の話ですから」

(うん? 何? キッドとキスしたの? ああ、そうなのね。へえ。おめでとう。……あら、何? この視線。あら、何? このポピーだかプピーだかって女、めっちゃ見てくるじゃない。何よ。わかった。紅茶は買うわ。だからそんなに見ないでくれる? はあ。気弱そうな女だわ。このグループでもパシリにされてそう。こんな奴らと絡まない方がいいわよ。パーピー)

「ああ、でも……その時に……彼に処女を奪われそうになりまして……」

「ええ!?」

「本当ですか!? ヴィヴィアン様!」


 ヴィヴィアンが溜息をつき、ポピーがその姿を見て眉をひそませた。


「キッドったら……愛が激しいのよ。私のような女と会ったことが無い。君とのことは本気なんだと言って、ケダモノの如くベッドに押し倒されてしまいまして……」

「「きゃー!」」

「うふふ。でもね、メイドが来たからそこでおしまい。見つかるからと言って、私は服を脱いだキッドを窓から逃がしたの。パンツ一枚の彼が走る姿は間抜けで可愛らしかったわ」

(……ん?)

「まあ」

「キッド様が」

「そんなお茶目な一面が」

「ヴィヴィアン様……テリー様がいるのに、そのお話は……」

「ポピー様」

「でもっ」

「テリー様もご存知ですよね? キッドの首のここに……ホクロがありますの」

「……」


 あたしはティーカップをソーサーの上に置いた。


「右胸に」

「え?」

「ありますよね?」

「……、あ、ええ! そうですわね」

「まあ、見た事ありまして?」

「ええ。その時に見ましたわ。キッドの右胸のホクロ。うふふ。可愛いチャームポイントですわよね」


 ポピーが心配そうな顔をする中、あたしはにっこりと笑顔を浮かべた。


「キッド様の事がわかる方がいて嬉しいです」

「ええ。何かお悩みがあればぜひ相談に乗りますわ」

「ええ、是非お願いしますわー」

「テリー様……。なんて誠実な方……。私……こんな方だったなんて知らなくて……!」

「ところでテリー様はどこまでされましたの?」

「はい?」

「ここだけの話ですわ。年頃の令嬢達だけの秘密話。皆さん、絶対に口外してはいけませんよ」


 ああ、おろおろするポピー以外ネタを収集したい女の目をしてるわね。そんなに暇なの? その暇、毎日寝不足になるくらい忙しいあたしにも分けてくれない?


「テリー様はもう少しで18でございますわよね? 普通相手がいれば15歳で結婚される家もある中、テリー様はまだ結婚されてない。婚約者止まりなのはなぜですか?」


 さて、適当に誤魔化さないと。なんて言おうかしら。


「これは外から聞いたお話なのですが……ただの噂話だと私達は思ってますのよ? でもせっかくテリー様本人がいらっしゃいますので……お伺いしてもいいかしら?」

「ヴィヴィアン様、あまりにも失礼なお話で……」

「お伺いするだけですわ!」


 ヴィヴィアンが笑みを見せる。


「実はお二人は……」


 足音が近づく。


「不仲であるとか……!」


 ――直後、ヴィヴィアンが頭上から花と水を被って、悲鳴を上げた。


「きゃあーーーー!」

「ヴィヴィアン様!」

「ちょっと、貴女何してっ……!」

「っ」


 その姿を見た時に、全員が固まった。


「あーら、ごめんなさーい」


 花瓶を持った生意気そうな桃色の瞳が上から見下ろす。


「悪戯する人を間違えちゃったわ。うふふ!」

「……こ」

「公爵令嬢……」

「あら、誰かと思ったら!」


 わざわざ持って来たのであろう踏み台から下りて、それをわざわざ反対方向に運んで再び登り、笑顔でソファーの後ろからあたしに抱き着いてきた。


「テリーお姉様ではございませんか!」

「お久しぶりです。公爵令嬢」

「テリーお姉様、あっちでお話ししたい事がありますの!」

「ああ、これは仕方ありませんね。何せ公爵令嬢はキッド様の従妹ですもの。あなたに言われたらあたしは従うしかございません。楽しいお茶会でしたが、お暇させていただきます」


 あたしは立ち上がり、ヴィヴィアン軍団にお辞儀した。


「失礼致します」


 あ。


「ポピー様、今度知り合いのお屋敷でパーティーをするそうです。あたしも参加するので、良ければご一緒にいかがですか?」

「あ……ぜひ……♡」

「招待状を送りますわ。では……ごきげんよう」


 あたしは公爵令嬢と歩き出す。その背中を見つめながら、ポピーが呟いた。


「……ごきげんよう……♡」


 直後、水をかけられたヴィヴィアンは狂ったように泣き叫び、取り巻き達は唖然と顔を青く染める。出会った頃よりも身長が伸びて成長した公爵令嬢はあたしの手を引っ張り、外へと出ていく。いつまでも変わらない積極的な行動に思わずあたしは声を出して笑った。


「公爵令嬢、一つ質問が」

「ええ。どうぞ」

「ただいまは春を祝う大人の舞踏会中。まだ10歳にもなっていない貴女はいつ舞踏会デビューなさったのでしょうか?」

「部屋にいてもつまんないんだもん。マーガレットは本読んで楽しんでるみたいだけど、わたしは御免」

「見張りのメイドは?」

「ちょっと、ロザリー。わたしを誰だと思ってるの? クレアお姉様とキッドお兄様とリオンお兄様の従兄妹である……」


 足を止めたプリンセスがあたしに振り返り、強気な笑みを見せた。


「セーラ姫様よ!」

「助けてくれてありがとう」

「あんなの無視すればいいのに」

「そういうわけにもいかないのよ。特にあたしは地位が低いから」

「でもベックス家って昔は伯爵クラスだったってクレアお姉様が言ってたわ。子爵の爵位も持ってたって」

「あたしのお婆様が返したのよ」

「は? なんで?」

「知らない。でもそれに一番ショックを受けたのはあたしの母親よ。セーラ、どうかアーメンガード・ベックスの前でこの話はしないでちょうだい。白目剥いて発狂して大変なことになるから」

「ロザリーのお母様、見てみたいわ。今日いるの?」

「部屋まで送るから、もう帰りなさい」

「せっかく会えたのに」

「冬のパーティー会えなかったものね」

「そうよ」

「風邪は大丈夫?」

「何月の話だと思ってるの? わたし、すっごく元気でパワフルなんだから!」

「ふふっ。そう」

「体調管理は気を付けないと。わたし、来週から聖・アイネワイルデローゼ学園に入学しなきゃいけないから!」

「……聖・アイネワイルデローゼ学園?」


 各地の貴族のお嬢様が集まる学校に、セーラが?


「そうよ! キッドお兄様がね、貴族が集まる学校だってお母様に言ってくれたの! お母様も承諾してくれたわ! わたし、そこでレディになって、完璧なお姫様になるのよ! 折角キッドお兄様が紹介してくれたんだもの! 貴族にふさわしい、恥ずかしくない振る舞いをしなきゃね! ふぅーん!」

(壁に絵を描く小娘だと思ってたら……いつの間にかそんな年齢になってたのね……。なんだか……感慨深いわ……)

「あ、ロザリー、あとね、あとね! わたし、ヴァイオリンすごく上手くなったのよ! えへへ! 演奏聴いたら、きっと驚いて腰抜かして、目ん玉が飛び出るんだから!」

「へえ。そうなの。ふふっ! そんなに上手くなってるなら是非聴きたいわ」

「部屋に来るついでに聴かせてあげるわ! 来なさい!」

「俺も行っていい?」


 肩に触れられてセーラが振り返ると、そこには笑顔のキッドが自分を見ていて――輝かしい笑顔にやられて――セーラの心臓が撃たれ――顔を真っ赤にさせて言葉を失った。


「セーラの演奏、聴きたいな」

「……」

「くくっ。こら、悪戯娘。舞踏会で大暴れしたらしいな?」


 セーラがそそ……とあたしの後ろに隠れ、あたしを盾にしたまま強気な声を出した。


「別にわたし、大暴れなんてしてないけど!?」

「エルフラドラ嬢が大泣きしてて、その友人が教えてくれた。セーラが花瓶の水をかけたとかで」

「悪戯する相手を間違えたのよ!」

「セーラ、悪い事したらどうするの?」

「ちゃんと謝ったわ! ごめんなさいって言ったもの!」

「へえ、本当に?」

「キッド」


 あたしは首を振った。


「この子は悪くない」

「庇いたくなるのはわかるけど、悪いな。テリー。セーラは王族の一員なんだ。セーラがやった以上、謝って事態を治めないといけない」

「誰が一番悪いかっていうのはあたしがよく知ってるわ。現場にいたもの」

「ん。……見てたのか?」

「ええ。侯爵令嬢に面白い話を沢山聞いてたところにセーラが来たの。だから一番悪いのは誰か知ってる」


 あたしはセーラを隠したまま、じっとキッドを睨んだ。


「お前よ」


 キッドが顔をしかめた。


「俺?」

「お前が一番悪い」

「俺が何したの?」

「話はセーラを部屋に戻してからよ。誰か呼んで」

「何? どういうこと?」

「キッド」


 低い声を出し、もっとキッドを睨む。


「もう一度言うわ。セーラがいるの」

「……」

「誰か呼んで。セーラを部屋に送ってくれる人。今すぐ」

「……はいはい」


 キッドが無線機を取り出して呼んだ。


「せんせー。ちょっと来てー」

「ロザリー」


 心配そうな顔のセーラの頭を撫でる。


「大丈夫よ。セーラは何も悪くない。むしろ地位の低い弱い立場のあたしを助けてくれたんだから、すごく良い事したのよ。誇っても良い事なんだから」

「……」

「キッドには強く言っておくから、気にしちゃ駄目よ」


 セーラにだけ笑みを見せる。


「助けてくれてありがとう。強い味方がいてくれて嬉しかったわ」

「……んふふ」

「今日の舞踏会のMVPはセーラよ。本当最高」

「ロザリーを虐めていいのはわたしだけだもの」


 セーラがドレスを掴み、はにかんだ。


「ヴァイオリン、また今度聴かせてあげる」

「ええ。楽しみにしてる」

「テリー、今先生が来……」


 その瞬間、あたしはぎろりとキッドを睨み、セーラを背中に隠した。


「わかってるの? 一番悪いのはお前なのよ?」

「それ、どういうこと?」

「セーラが離れたら話すわ。覚悟しておきなさい」

「セーラ、俺テリーに説教されちゃうんだって」

「……ぽっ……♡」

「セーラ、いい? あれはね、イケメンじゃないの。中身はどうしようもないクズなの。だからこういうことになるのよ。女の子ばっかり引っかけて嫌な奴ね」

「……でも……お兄様……かっこいい……」

「セーラ。騙されちゃ駄目。あれはまやかしよ。羊の皮を被った毛虫なのよ。毛虫って言っても、綺麗なチョウチョになるやつじゃないわよ? 蛾になるやつよ。蛾。キッドはね、みんなの害なの」

「テリー、セーラの前」

「セーラ、よく見ておきなさい。あれが典型的なクズおと……」

「その教育はまだ早いだろ」

「うるさい。今から教えておかないと、この子は純粋だから、すぐにお前みたいな顔だけイケメンに騙されるわ。いいこと? セーラ、よく見ておきなさい。あれが駄目な男の例そのものよ」

「……キッドお兄様……かっこいい……」

「お前、この子に何したのよ!」

「何もしてない」


 キッドが冷静に突っ込んだ。


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