第1話 春の知らせの社交界


 城の鐘が鳴る。まるで春の知らせを届けるみたいに。風に吹かれてピンク色の花が国中に舞っていく。城下町ではいつもの日常。しかし、エメラルド城はシャンデリアで明るく照らされている。だって今宵は春を祝う舞踏会だもの。


「諸君、よく来てくれた。今年もまた春の季節となった。新しい生活に胸を弾ませる若者もいる事だろう。今宵はそんな春を祝う舞踏会。ぜひ楽しんでいってくれ」


 オーケストラが楽器を構える。ホールの真ん中に第一王子が立つ。その目の前にそいつの婚約者が立つ。人々が注目する。王子様が胸に手を当てお辞儀した。婚約者もドレスを持ち上げてお辞儀した。キッドが手を差し出した。その上に――あたしが手を乗せた。握られる。


 オーケストラが曲を弾き始めた。リズムに乗って、あたしとキッドが踊り始める。まるで操り人形みたい。くるんと回って戻って、足を踏まないように順番通りに動かして。レディ達のとろける視線と嫉妬に燃える鋭い視線を感じる。


 ああ、気持ちがわかるからこそこんな所立ちたくなかったけど、第一王子のダンスは必須だ。それも、次期国王と謳われているなら尚更。高めのヒールでないと身長が合わないのはむかつくし、ダンスしにくいし、それをわかってのリードはかなり上手くて腹立たしいけど、それがキッドではなくクレアの望みであるならば、あたしは受け入れよう。


「どうしたの?」


 吐息混じりな笑い声が耳に囁いてくる。


「いつもより動きが硬い。……緊張してるの?」

「暗示をかけてる」

「……暗示?」

「そう」


 くるんと回って一回転。


「目の前にいるのはあたしの愛しい人が化けてる姿だって」


 背中から倒れる。キッドが受け止める。


「自分に言い聞かせてる」


 にこりと微笑むキッドがあたしを引っ張り上げて、再び耳に愛を囁くように口を動かす。


「お前な」

「そう。目の前にいるのはあたしの愛しい人が変身してるの。だからあたしはこのダンスが楽しくて仕方ないはずなのよ」

「おい」

「ああ、やめて。喋らないで。ダーリン。あたしのもちもちつるすべ美肌に鳥が立つの。そのねっちりした低い声なんて大嫌い。不愉快不快、感極まり底ないの。その声であたしの美しい名前を呼ばないでちょうだい。ああ、美しいメロディに泥みたいな声。喋れば出てくるのは痰と唾と寒い言葉のみ。ノミがつくなら緑の猫におつきなさい。あたしじゃなくて。ラララ。曲はまだ続く。いつまで続く気? あたしは結構。疲れてきた」

「テリー、公共の前」

「そうよ。だから真顔で踊ってあげてるじゃない」

「笑顔は無いの?」

「あたしの引き攣った笑顔を見たら誰だって不自然に感じるわよ。それでもいいなら笑うけど」

「そうだね。ぜひお願いできるかな?」

「ああ、無理。やっぱ無理。吐きそう。よろける。目眩もの。誰がお前なんかにあたしの可愛くてとろけちゃいそうな笑顔を見せてたまるかってのよ。後でレディと踊った時にでも笑ってもらいなさい。お前の事を知らない愚かで可哀想なレディ達ならきっと笑ってくれるわよ。にっこにこにね」

「ねーえ、楽しく踊ろうよ」

「だから一生懸命暗示をかけてるって言ってるでしょ。あたしの邪魔をしないで。黙ってて」

「わーいわーい。楽しー楽しー」

「ああ、わずらしい。キッド。おお、キッド。なんでお前はキッドなの? さっさとその役と縁を切り、本来の愛しい姿であたしの前に現れて。もしもそれが嫌だと言うのなら、せめてこのダンスを終わらせて。そうすれば、あたしもこの場限りで暗示をかける行為を捨ててみせますわ。……チッ! おい、お前、今、首にキスしたでしょ。ふざけんじゃないわよ。くたばれ。足ひねろ。捻挫しろ。踏まれろ」

「踏んでやろうか?」

「どうしてか弱いあたしにそんなことが言えるの? ねえ、この靴がいくらしたと思ってるの? 爪が割れたらどうするの? 血管が切れて、次の日青くなったら治るまでの時間をどうやってあたしに返す気? はあ。口だけ人間。これだから第一王子は駄目なのよ。まじでふざけんな。そういうところが政治政策で現れるのよ。ああ、国民が怒り出す未来が見えるわ。くたばりやがれ。このうんこ」

「いいから笑っとけって。チビ」

「ちょっと、今のあたしに言ったの?」

「お前以外に誰がいるの?」

「訂正して。あたしはチビじゃない」

「お前チビじゃん」

「まだ成長期だから」

「もう止まってるじゃん」

「うるさい! 成長するのよ!」

「はいはい。そうでちゅねー。メニーにちゅら身長抜かちゃれちゃったおチビちゃんでちゅもんねー」

「お……ま……え……!」


 周囲がざわつく。見た? キッド様がベックス嬢の首にキスしてたわ。二人が何か囁き合ってる。きっと愛を伝え合ってるのよ。だって見て。あんなに熱い眼差しで見つめ合って、必死に何かを喋っているわ。あーん、羨ましいわぁ……。キッド様ぁ……! やっぱり好きぃ……! ぐすん! 扇子で口元を隠したレディ達がひそひそとお喋りを楽しんだところで、あたしとキッドのダンスが終わり、軽いお辞儀をした。拍手をされる。さあ、これでオープニングはおしまいよ。解放されるわ。あたし、これで自由よ! キッドがあたしの手の甲に手袋越しからキスをして、あたしはさっさとその手を離した。


「若き二人の未来に栄光あれ」


 ゴーテル陛下が言うと、更に拍手が強まった。あたしはキッドにもう一度お辞儀をし、さっさと離れた。振り向きはしない。ベックス家のメイド、今日はドレス姿のモニカの元へと戻っていく。


「素晴らしかったです! テリーお嬢様!」

「ええ。忘れられない思い出がまた増えたわ」


 また一つ恨みが増えやがった。キッドの野郎、絶対許さない。あたしは! チビじゃない!!


 そこからようやくミスターとレディが手を取り合い、リズムに乗って軽やかに踊り出す。眺めていた第二王子様がそろりと後ろに下がると、「リオン様」と声をかけられた。――リオンが小さく肩を揺らし、ゆっくり振り返ると――目をハートにさせて並んでいたレディ達がリオンを囲みだした。リオンの顔色が一気に青く染まる。ヒールを動かすと紳士達が目を奪われる。恐れ多くて近づけない。しかし、声をかけてみるだけでも違うかもしれない。そう思った勇気ある紳士がその女に近付いた。


「ミス・メニー・ベックス」


 メニーが振り返った。


「よろしければ、僕と踊って頂けませんか?」

「お誘い頂きありがとうございます。大変申し訳ございませんが、今、友人を捜しておりまして。この後お時間が出来ましたら是非」


 その言葉と笑顔だけで、紳士の心にメニーが刻み込まれる。勇気ある紳士の行動に紳士達は勇気をもらったので、こぞってメニーを追いかけ始めた。


 一方、解放されたあたしはGPSを見つめ、顔を青く染めていた。


(そんな……アリス……。季節の分かれ目で起きる気圧変動効果で体調不良になって寝込んでるなんて……)


 あたしはGPSに届いたアリスからのメッセージを眺め、溜め息をついた。


(お互いの髪の色と同じドレスを着ようねって約束してたから着てきたドレス……。アリスに見せたかったのに……。ああ、アリス、大丈夫かしら。ああ、可哀想なアリス……!)


「テリーお嬢様、GPSばかり眺めてられていないで、キッド様とまたダンスをしたらいかがでしょうか?」

「モニカ、あたしは今そんな気分じゃないの。体調を崩してしまった親友のことで頭がいっぱいなの」

「え!? 親友様が体調を崩されたのですか!? まあ! それはなんてことでしょう!」

「そうでしょう!? 大変なの! だからあたし……」


 キリッ! と瞳を光らせる。


「見舞いに行くから帰る」


 ドレスの裾を持ち上げてくてく歩き出すと、モニカに全力で止められた。


「ひえー! それは良くないですって! テリーお嬢様!」

「止めないで! あたしはこんな舞踏会よりも、アリスの体調の方が心配なの!」

「テリーお嬢様! 何もせず帰ってしまわれたら、私がサリアさんに叱られてしまいます!」

「大丈夫よ! サリアは今頃ママの知り合い元の派遣先で仕事を頑張ってるんだから、バレやしないわ!」

「お止めください! テリーお嬢様! 奥様にも叱られてしまいます!」

「大丈夫よ! ママは今やっとアメリが結婚して家から出て行ったもんだから、肩の荷が下りて気が緩んでる時期なの! これくらいのこと、今なら怒鳴って終わるわ!」

「結局怒鳴られるじゃないですか! 嫌です! 私叱られたくありません!」

「モニカ! 最近顔つきが変わって来たわね! 新人の頃と比べて本当に仕事が出来る女になってきたと思う! だから大丈夫!」

「何が大丈夫かわかりませんが、サリアさんから強く教わった事があります! テリーお嬢様が支離滅裂なことを述べられる時は大抵ろくなことが起きないからきちんと管理しなさいって!」

「サリアったらそんなこと言ってたの!? 酷い!」

「とにもかく、今宵は舞踏会です。テリーお嬢様、この際ですもの。沢山の方々と交友を深めてはいかがでしょうか! ね! せっかくの機会ですから!」

「メニーは?」

「リトルルビィに会いに行くと申されておりました」

「あたしよりもメニーよ。いい? メニーこそ友達を作るべきよ。じゃ、そういうことで」

「駄目です!」

「クッソ! サリアも手強かったけどモニカも手強くなりやがった! モニカ! こうなったら命令よ! あたしをここから出しなさい!」

「そんな命令はお受けできません!」

「どうしてそんな酷いこと言うの!? あたしは次期ベックス家当主……」

「今は奥様です!」

「ぐぬぬぬ!」

「手袋越しから親指の爪噛まないでくださいまし。ほら、口紅ついちゃったじゃないですか」

「あ……」

「はい。代えです」

「……慣れて来たわね。モニカ」

「サリアさんに任されてますから」


 あたしが新しい手袋をはめると、モニカが手で差した。


「ほらご覧ください。テリーお嬢様。キッド殿下があちらにいらっしゃいますよ。どうやら難しいお話をされているようです。テリーお嬢様が癒して差し上げませんと!」

「もうすっかり大人の仲間入りね。どうせあいつの好きな政治関係の話よ。真面目な話をしている時は近付かない方がいいわ」

「そうなんですか?」

「良い女はパートナーの仕事の邪魔をしないものよ。逆も然り。はあ。こうなったら一時間よ。一時間うろうろして帰るわ。それならいいでしょ。十分でしょ」

「私に許可を求めないでください……。奥様に仰ってください……」

「ママはどこ?」

「奥様はあちらでお仕事のお話を……」

「御機嫌よう。ベックス嬢」


 突然声を掛けられ振り返ると、取り巻きっぽい友人達を連れたヴィヴィアン・エルフラドラ侯爵令嬢があたしに微笑んでいた。わー。びっくり。典型的なカースト一軍って感じね。何よ。あんたが声かけてきたら男爵令嬢のあたしは返事をしなきゃいけないじゃない。暇な奴ね。いいわ。ちょっとだけ付き合ってあげる。


「御機嫌よう。ヴィヴィアン侯爵令嬢」

「お会い出来て光栄ですわ。私達あちらでお茶を飲もうと思っていたの。貴女も一緒にいかが?」


(げっ)


 あたしはモニカを見た。モニカの目がこう言っている。テリーお嬢様、お友達が出来るチャンスですよ! グッドラック!


(……どこがお友達よ。全員の目を見たらわかる。虐める気満々じゃない……)


「ええ。ぜひ」

「まあ、良かったわ。貴女とずっとお話ししたいと思ってましたの。よろしければ、お名前でお呼びしてもよろしいかしら」

「ええ。どうぞ」

「ではテリー様、こちらへ」


 うわ、背後を取られた! 畜生! 何よ! 振り返るとモニカが手を振ってあたしを見送る。ああ、畜生。逃げ道無し。


 いびられる前にお茶飲んでさっさと離れよう。そうしよう!


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