第38話 悪役令嬢は歩き続ける(2)
荷物を運びながら歩いていると、前から歩いてきたメニーと偶然出会った。
「あれ、お姉ちゃん」
「あんたなにしてるの?」
「楽譜見てたの」
「さっさと家に帰りなさい。アメリが稽古をつけてくれるって」
「明日ほんとうに行くの?」
「行くに決まってるでしょ。あんたはね、もう少しいろんなパーティーに参加して出会ってコミュニティを増やしたほうがいいのよ」
「そんなのいらないのに」
「ああ、もう行かなきゃ。メニー、家に帰るかあたしについてきて荷物係になりなさい」
「いいよ。ついていく。どこ行くの?」
「アリスのとこ」
あたしは店のドアを開けた。スーツを着た従業員が頭を下げる。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは。アリスいますか?」
「おお、これはテリーさま、作業部屋におりますよ。どうぞ」
「ありがとうございます。……行くわよ。メニー」
「はい」
あたしは見慣れた作業部屋のドアをノックした。「はい」と返事が聞こえてドアを開けると、帽子とお菓子の袋に埋もれて唸るアリスが机に突っ伏していた。
「ああ、過食症になりそう……。帽子が思い浮かばずクッキーばかり。あたしの体はどんどん大きくなっていく一方だわ。小さくなるクッキーはないのかしら……」
「大変そうね。アリス」
「あら、やだ、びっくりした!」
アリスがあたしたちに振り向いた。
「ニコラ! いつからいたの!?」
「今ドアをノックしたでしょ?」
「こんにちは、メニー!」
「こんにちは」
「姉妹揃って来るなんて仲良しね。羨ましいわ」
「アリスだってお弁当忘れたらカトレアさんに届けてもらってるんでしょう? 仲良しじゃない」
「10分くらいの説教付きよ。仕方ないじゃない。忘れるんだもん」
「アリス、作ってもらったカードだけど評判いいわ。ソフィアさんが褒めてたわよ」
「んふふー! そうでしょー! やっぱたまには息抜きに帽子以外のデザインも考えてみないとね! ああ……帽子ね……」
「なんだか雲行きが怪しいわね」
「次のコンテストの帽子が思いつかないのよ。ガットさんは笑顔で圧かけてくるし、もう全部やめてしまおうかしら」
「可哀想なアリス」
「そうでしょ。わたし可哀想なの」
「抱きしめてあげる」
「ああ、お胸が恋しい」
あたしとアリスが抱きしめあった。背中をなでてよしよししてあげるの。それをメニーが笑顔で見ている。
「わたしもカードもらいました。すごく可愛かったです」
「え、メニー、ほんとう?」
「あの帽子のイラスト、素敵でした」
「ああ、メニーの笑顔とニコラの小さなお胸で心が癒やされたわ。どうもありがとう」
「小さいとか言わないで」
「今日はたくさん荷物持ってるのね」
「アリスに渡そうと思って」
「あら、なに?」
「ひざ掛けとカイロ。あとこれ湯たんぽ。欲しがってたでしょ?」
「ええ!? ニコラ、クリスマスはまだよ!?」
「カードのお返し。大丈夫。クリスマスはまた別のプレゼントを用意してるから」
「やだ、どうしよう。わたし、そんなつもりじゃなかったのに」
「いいのよ。あたしの気持ちだから」
「今度なにかプレゼントするわ」
「そうね。じゃあまたパーティー用の帽子を注文していい? それと、時間のあるときに三月のウサギ喫茶に行って、アリスとお喋りしたいわ」
「もう。……あんたってほんとう優しい子ね」
「アリスもでしょ」
アリスがにこっと笑った。
「大好きよ。ニコラ」
「あたしも大好き。アリス」
またぎゅっと抱きしめあって、あたしは荷物から解放される。それをメニーは笑顔で見つめる。
「お茶を出すわ。二人ともゆっくりしていって」
「メニーはあったまっていけば? あたしは行くところがあるから」
「どこ行くの? わたしも行く」
「あんたは行けないところよ」
「仲間はずれにされた」
「いいわよ。わたしがメニーを引き取るわ。メニー、一緒にお話しながら帽子の案を考えてくれない? もうほんとう、頭パンクしそうなの!」
「たまには散歩にでも行けば?」
「寒いから外に出たくないのよ」
「歩いてればいい案も思いつくものよ」
あたしはアリスの頬にキスをした。
「じゃあね」
「ええ。またね」
「お姉ちゃん、わたしも行っていい?」
「だめ。あまり長居せず乗合馬車を使って帰りなさい。アリスの邪魔しないのよ」
「ここまで連れてきて理不尽だ……」
「あんたが勝手についてきたのよ。ばか」
「こらこら、喧嘩しないの」
アリスに止められながら、あたしは次の目的地に向かった。裏口にまわり、警備員に社員証を見せる。
「こんにちは」
「おおう! テリーさまじゃないですか!」
「入るわよ」
「ええ! ご自由にどうぞ!」
警備員がうしろに振り向いた。
「おい、ディラン! テリーさまがいらっしゃったぜ!」
「なに!? テリーさまって、新人社員のテリーさまか!?」
「今日もお美しいぜ!」
「くうう! 社長として新人社員から始められるなんて、肝が据わってるぜ!」
「テリーさま、おれ、娘が生まれたんです!」
「は? あなた結婚してたの?」
「なんだって!? ブロック!? おれも知らなかったぜ!」
「かわいいだろう?」
「わお、まるで天使のよう!」
「……お嫁さん似ね」
「テリーって名前をつけようと思うんです。へへ……」
「やめておきなさい。……クレアにしたら?」
「クレア!」
「なんて頭良さそうな名前なんだ! くう!」
「ああ、名前が決まったぜ! おれの天使ちゃん……クレアだ!」
あたしはドアを開けて裏口から紹介所に入った。普段は紹介所で働いてる兵士が書類を持って歩いていた。
「あれ、テリーさま、今日は出勤でしたか?」
「いいえ。所長に用があって……」
向こうからを来た従業員がちらっとあたしを見て、顔を真っ赤に染めた。
「あっ、テリーさま!」
「あ」
テントでキッドに押さえつけられたあたしを目撃した人が、頭を下げた。
「し、失礼いたします!!」
逃げるように去っていく。それをぽかんとした顔で従業員が眺めた。
「なんだ、あいつ?」
「さあ、どうしたのかしらね……」
あたしは所長室のドアをノックし、返事を聞いて入った。なかには、ジェフが手紙を見てほっこりしていた。
「Mr.ジェフ」
「ああ、これはテリーさま。お疲れさまでございます」
「さま呼びしないんじゃなかったっけ? あたしは新人社員よ」
「ああ、ついクセで……。申し訳ございません」
「なに見てるの?」
「息子夫婦に、子どもが産まれまして……」
「あら、産まれたのね!」
「孫の顔が……」
ジェフがほっこりしながら写真を眺める。
「はあ……」
「写真もいいけど、ちゃんと仕事もしてね」
「ああ、これはこれは申し訳ございません。……はあ……」
「Mr.ジェフ、これを飾ってほしいんだけどいいかしら」
「おや、なんですかな。それは」
あたしのカバンに入ってた今日一番大事なものを見て、ジェフが感心したように目を丸くした。
「これは美しい」
「そうでしょう?」
「一体どなたがお描きに?」
「ベックス家がお世話になってる人」
あたしはポストカードを壁に貼った。遠くからジェフと見て、うなずく。
「素晴らしい絵だわ」
今はもう無き、ヒマワリに囲まれた、正しさの鐘を中心としたアトリの村が描かれていた。
「いや、見事な絵ですな。壁が鮮やかになりました」
「ふふっ。お世辞がうまいのね」
「ほんとうのことを言ったまでです」
「ねえ、Mr.ジェフ」
「はい」
「あたし、紹介所であなたに会えてしあわせよ」
「ええ。わたしもテリーさまにお会いできたこと、そしてここで勤務をさせていただいていること、人生の誇りと思っております」
「大げさね。……ところで、あなたは新人社員に『さま』ってつけるの?」
「ああ、これはいけない。テリーさまが、……テリーどのが社長として昇進するまでの我慢です」
「ふふっ」
「素敵なポストカードをありがとうございます。ところで、……キッドさまのお誕生日パーティーでございますが」
「ええ。そろそろ参加しないとまずいわよね。今年のは参加するわ」
「お城に行かれるのですか!?」
「さすがにね」
「ということは……キッドさまの生誕祭に、お二人のダンスが見られるということですね!!」
ジェフが涙を流しながら地面でもだえた。
「ジェフは、しあわせでございます!!」
「お願い。地面に転がらないで。ほら、写真が潰れてるわよ」
「はっ、わたしとしたことが!」
ジェフがスーツのシワよりも写真のシワを丁寧に伸ばした。
「お茶を出します。ごゆっくりなさってください」
「新人社員が所長室でお茶なんておかしいでしょう? このあとも予定が山積みなの。悪いわね」
「ああ、そうですか。外はお寒いのでお気をつけて」
「ええ。どうもありがとう」
あたしは次の目的地に行くために、階段を下りると、一階のホールで声をかけられた。
「失礼。お嬢さん」
(ナンパ!?)
あたしのナンパセンサーが動き、めちゃくちゃ良い角度で振り返った。
(あたし、こう見えて忙しいの! ごめんあっさっせー!)
しかし、振り返ってみて、あたしはきょとんとした。
「あ……?」
「突然お声をおかけして申し訳ございません。あなたがとても美しかったものでして」
二人の男があたしの前で帽子を脱いだ。
「わたくし、ヤーコプ・グリムと申します。こちらは弟のヴィルヘルム」
「どうも、初めまして」
「我々はその地域にまつわる言い伝えをきき、それを本にして皆さまにお伝えしている者です」
(……どこかで会ったと思ったら……前に、汽車で会った人たちだわ)
ああ、そうか。あのときは男装してたから、そうよね。気づかないわよね。
「わたくしども、こちらの建物があまりにも本に出てくるような幻の建物に見えまして、この建物のことをおうかがいしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、……ここは、仕事案内所と申しまして、みなさまにお仕事を紹介し、派遣社員として雇用先に働きに出ていただくところですわ」
「なんと。この国ではそのような活動を行っているのですね!」
「ええ。かれこれ……六年、ほど……でしょうか」
あたしは上を見上げる。過去に、キッドから脅されて落とされそうになった手すりが目に映った。
(……六年、か)
あの頃と比べたら、身長も伸びて、年も取った。11才だった小さな社長はもう17才で、ここの新人社員として働いてるなんて、なんだか不思議だわ。
「なるほど。ありがとうございます。お嬢さん、よろしければ、この後、我々とお茶でもいかがでしょうか。ぜひあなたの家にまつわる話、または、この地にまつわる話をお聞かせ願えないでしょうか?」
「申し訳ございませんわ。このあと、予定がございますの」
「おっと、それは残念です」
「ですが、城下町は人が多い分、そういったお話をしてくださる方がたくさんいらっしゃるかと存じます。中央図書館に行ってみてはいかがでしょうか」
「中央図書館?」
「ここに来る途中で、神殿のような場所をごらんいただいたかと存じますが、そちらが中央図書館です」
「兄さん、さっきのあの建物だよ」
「ああ、あれか……!」
「あそこに金髪の美人な司書さまがいらっしゃるのですが、きっと面白い話をご存知だと思いますわ」
「その方のお名前は?」
「ソフィア・コートニー。ニコラから紹介を受けて来ましたと言えば、たくさんのホラばな……言い伝えを教えてくれるはずですわ」
「兄さん、行ってみよう」
「ありがとう。ニコラさん」
手袋越しに、ヤーコプがあたしの手の甲にキスをした。
「よい一日を」
「ええ。あなた方も」
(……ほんとうに城下町まで来たのね)
ソフィアならいろんな地域で盗みもやってただろうし、色んな話知ってるんじゃない?
(ま、知らないけど)
あたしは笑顔で旅人の兄弟から離れていき、次の目的地を目指して歩き出した。東区につき、あたしは辺りを見回す。
(……あれ、いないわね……?)
時計台を見上げると、確かに待ち合わせ時間まではまだ早い。
(迎えに行ったほうが早いかも)
あたしは乗合馬車に乗り、駅で下りて、街外れまで歩いていく。一軒の家が見えて、あたしは鍵を使ってドアを開けた。
「じいじー!」
家に入ると、暖炉には火が付き暖かく、厚着をしたビリーがキッチンから出てきた。
「あいつは?」
「東区に行くと言って出かけたよ」
「はあ? いなかったけど」
「入れ違いかの」
「最悪。また乗合馬車にならなきゃ」
「馬車を出そうか?」
「いい。自分で行くわ」
あたしは持ってた荷物をビリーに渡した。
「カイロを持ってきたの」
「ああ、ありがとう」
「いい匂い。なにつくってるの?」
「トマトスープをな」
「素敵。味見していい?」
「もう一時間煮込ませる。よかったら今夜はうちで食べていきなさい」
「……泊まってこうかな」
「家でもやることがあるのだろう?」
「一回家に戻って新人マニュアルを持ってきて、ここで読むわ。それならいい?」
「ああ、いいよ」
「やった。ねえ、荷物置いてっていい? 重たくて」
「ああ。置いていきなさい」
「ああ、寒い」
あたしはビリーの背中にくっついた。
「あったかい」
「こらこら、歩きづらいから離れなさい」
「じいじ、大好き」
「ふぉふぉふぉ。モテるじじいはつらいのう」
ビリーがあたしの頭を撫でた。
「わたしもテリーが大好きだよ」
「長生きしてね」
「どうかのう。女神さまが許せばな」
「出かけなきゃ。行ってくるわ。約束したところね?」
「ああ。馬車に気をつけての」
「じいじ、抱きしめて」
「はいはい」
「うふふ! ……大好き。ビリー」
ビリーに抱きしめてもらってからあたしは次の目的地に向かう。乗合馬車に乗り、その間にカバンに入ってた手紙の封を開けて読んだ。
――親愛なるテリー・ベックスさま。
元気にしてる? 最近は雪が積もって、毎日雪かき生活だよ。
でもね、村の人みんないい人。まだ足が麻痺してるエンサンのために色々手伝ってくれるし、わたしたちに家も用意してくれた。畑もあるんだよ!
ダムの決壊事故があってから、アトリの村の何人かは回復に向かってるけど、それ以外は遠くの病院に運ばれて、連絡が取れない状態。
わたし、いつもあのときの出来事を思い出そうとするんだけど、やっぱりぼんやりしてるんだよね。ピーターさんも覚えてないみたいだから、この間二人で祈ったんだけど、女神さまはどうやらいらない記憶として処理してるみたい。でも、いらない記憶なら無理に思い出さなくてもいいよね。きっと、水に襲われてすごく怖かったんだと思うってお医者さんも言ってるしね。
ただ、引っかかるのが、
……森に耳を傾けると、オオカミの遠吠えがきこえてくるんだよ。みんなは山から下りてくるんじゃないかって怖がってるけど、わたしはその遠吠えが、なんだかわからないけど、聞いててものすごく懐かしくなるの。それで、忘れてるはずなのに、何かを思い出そうとするの。何も思い出せないんだけどね。アトリを思い出してるのかな。沈んだ正しさの鐘の音みたいに思ってるのかも。
大丈夫。忘れたことって、ふとしたときに思い出すものだから。わたしにできるのは、エンサンの介護と、旅に出た兄さんの帰りを待つことだけ。
わたしはこんな感じ。テリーはどう?
ああ、そうだ。ここで、ひとつ、わたくしの不幸なお話をきいてやってはいただけませんか?
エンサンがわたしのつくったトマトスープをまずいって言ったんだよ!? ひどくない!? 言葉はやわらかかったけど、遠回しにまずいってさ! わたしのガサツさなんかわかってるくせに!! あー、料理習っておけばよかった! テリー、簡単で美味しい料理知らない? 喧嘩になって、ピーターさんに止めてもらってさ、もう最悪。男は女の苦労なんて知らないんだから。
また雪が降ってきた。テリー、風邪に気をつけて。
ジャンヌ・イ・ウルフデリック
(シチューの作り方でも書いて送ろうかしらね)
遠くにいる友だちへの手紙の返事を考えながら、あたしは乗合馬車から下りた。
(ピーターには、ママが手紙を送ってたし)
(あ、メグさんからも手紙来てたのよね。お腹大きくなってて、マチェットは似合わない髭が生えてた)
(そういえば、イザベラのコンサートも近かったわね。年明けだっけ?)
(ああ、そうだ。セーラがキッドの誕生日にこっちに来るって言ってた。久しぶりに会えるかも。クリスマスカードの準備しなきゃ)
(ドリーム・キャンディにも顔出さなきゃ、奥さんに怒られるわ)
(それと……)
「遅い」
後ろから抱きしめられた。
「あたくし、真冬にこれだけ待たされたのは初めてだ。見てみろ。手袋してたのに、手がこんなにかじかんで、真っ赤になって、冷たくなっちゃった!」
「どこにいたのよ。これでも捜したんだから」
「GPSで連絡した。人形店でお人形見てたの。ロザリーの妹に良さそうな子がいてな」
「見てない」
「お前、なんのためのメッセージ機能だと……」
「電池切れたのよ」
「予備の電池を入れておけ!」
「今晩泊まるから怒らないで」
「……泊まるの?」
「一回家に帰って紹介所の新人マニュアルを持ってきてから、向かうわ」
「……ふむ」
「そのままでいてね。キッドになったら泊まりはなしよ」
あたしは振り返る。帽子とマフラーとコートでもふもふにしたクレアがそこにいた。クレアがあたしを見てきょとんとして、あたしは微笑んだ。
「久しぶり」
「……うむ」
「じゃあ、さっそく買い揃えるわよ」
あたしはカバンからニクスの誕生日パーティー計画が書かれたノートを取り出す。
「いい? ニクスの誕生日パーティーなんだから、量より質。より良いものを注文するわよ。もうそれはそれは派手に贅沢にゴージャスにデリシャスにするから、あなたのセンスと知識を今日はとことん使ってもらっ……」
「その髪型どうしたの?」
あたしは見つめてくるクレアをじろりと見た。
「パーマかけたらメニーっぽくなるし、髪の毛をまとめたらアメリっぽくなる。だからといって何もしないのはただの地味な女だわ」
「……ふむ」
「なに? 似合わないとでも言いたいの?」
「いや、今まで見てきた中で一番お前に似合ってる。……それにしても……」
クレアの手が、そっとあたしの髪に触れた。
「お前が縦ロールにすると、まるで悪役令嬢のようだな」
「失礼な。美しい男爵令嬢じゃない」
「どうかな」
クレアがニヤリと笑い、あたしが広げるノートを覗いた。
「どこ行くの?」
「まずは風船よ。部屋をね、風船でいっぱいにするのよ」
「だったら良い店を知ってるぞ。行ってみる?」
「おっけー。いいわ。行きましょう」
「その前に」
「ん?」
「ニコラちゃん、あたくし、待たされてすごく寒いんだけど」
「買い物が終わったら喫茶店にでも寄る?」
「ちょいと失礼」
クレアがマフラーであたしと自分の顔を隠すように包み込み、唇が当たる寸前で顔を止める。外から見たら、ただのじゃれている女の子の友達同士に見えることだろう。それを利用して、クレアがひそりと囁いた。
「再会のキスは?」
「寒いんじゃないの?」
「ああ。あたくし、凍ってしまったみたい。だから、ダーリンの熱でぜひ溶かしてくれない?」
「なに言ってるのよ」
あたしはかかとをあげた。
「この、ばか」
クレアが身をかがめれば、冷たくなった唇に触れた。
来週はニクスの誕生日。その次はハニーの誕生日に、キッドの誕生日パーティー。そして年が明けて、メニーの誕生日。
メニーはベックス家の娘として、15歳を迎える。
世界は時間を刻んでいく。それは一度目とは違う時間。狂った歯車が正常となって動いていく。しかし、それを正常としたくない紫の手が、歯車に触れる。
紫の目はどこかで見ている。
闇はまだ存在する。
それでも、あたしはこの世界で生きていくため、紫の手の邪魔をして、歯車を狂わし続ける。
――唇が離れ、クリスタルのような瞳があたしを見つめ、顔を真っ赤に染めて、恥ずかしげに言った。
「……ダーリン、今夜……お風呂一緒に入ろう……?」
「嫁入り前」
「ダーリンなんて大きらい!!」
魔法の言葉でハニーの機嫌が一気に悪くなり、あたしは顔をしかめさせた。
九章:正しき偽善よ鐘を鳴らせ(後編) END
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