第19話 思い出8



 翌日、早朝に手紙が届いて、ママの顔が一気に希望に変わった。


「リオンさまが昨日の姫君をさがしていらっしゃるわ。あのお姫さまは、ガラスの靴を残したんですって。その靴が足にはまった女と結婚すると公言されているそうよ」


 ママが言った。


「つまり、わかるわね? お前たちにもまだチャンスは残っているということよ!」


 これが最後のチャンスよ。


「ぜったいに靴を履きなさい」

「大丈夫よ。わたし、足には自信があるの」

「テリー」

「……。わかってる」


 アメリの横で、あたしはいつもどおり笑顔でうなずいた。


「任せて。ママ」

「待って。メニーも靴を履くの?」


 アメリの質問に、ママが微笑んだ。


「心配ないわ。メニーは履かないの」

「え?」


 あたしは眉をひそませた。


「ママ、それどういうこと?」


 ベルが鳴った。ギルエドがドアを開けた。そこには高級そうな服で身を包んだ騎士や、馬、将軍に、リオンさまがいらっしゃった。使いがガラスの靴を持っている。あたしはその靴の持ち主を知っている。


(メニーが履かないってどういうこと?)


「この靴を履けた女を、リオン殿下の花嫁として迎える!」


 騎士団長のお言葉にママが目をきらきら輝かせた。ギルエドが椅子を運び、笑顔のアメリが座った。使いが靴を持ってきた。アメリは少し怪訝そうな顔をして、足を入れてみたが、ガラスの靴はガラスで出来ている。足のサイズが合うものでないと合うはずもない。もちろん、アメリの足とガラスの靴のサイズは合わなかった。


「つっかかりますな」

「そんなはずないわ!」


 アメリの親指が邪魔をして、靴が入らない。アメリが使いに怒鳴った。


「痛い! ちゃんと履かせて! 絶対に入るはずだから!」

「しかし……」

「ギルエド、手伝ってあげて!」

「かしこまりました。すみません、騎士さま。わたしがやってみましょう。それ」

「痛い!」

「ああ、これは……」

「ギルエド、ちゃんとやって!」

「アメリアヌお嬢さま、その、ガラスの靴が小さいようでして……」

「そんなはずないわ!」

「……アメリ、もうやめたら?」

「テリーはだまってて!」

「だって、明らかにサイズがちがうじゃない」

「絶対に入るわ! 見てて!」


 いいや。どんなに頑張っても足は靴に入らない。ギルエドも騎士も困った顔をしている。あたしはため息混じりにアメリを止めようと口を開いた。


「アメリ」

「テリー、大丈夫よ」


 ママが笑顔で言った。


「アメリ、焦ってはだめ。あなたなら入るはずよ」


 ママは、ナタを持っていた。


「安心して。足を切れば入るわ」

「「え?」」


 あたしとアメリが口を揃えた。ギルエドがママを見て、顔色を変えた。ママが騎士に言った。


「そこのあなた、しっかり娘の足を掴んでてちょうだいな」

「えっ?」

「奥さま……!?」

「ふっ! ベックス夫人」


 銀髪の兵士がすぐに止めに入った。


「ご自身がなにをしようとしているか、おわかりですか?」

「あなたは兵士でしょう? 家族の問題に口出ししないで」

「ママ、冗談よね?」

「アメリ、大丈夫よ。王妃になれば、歩かなくたって生活できるわ」

「ちょ、ちょっとまって、ママ!」

「奥さま!」

「おやめなさい! 夫人! あなたは娘の足を切ろうとしているんですよ!」

「ヘンゼル、いい」


 リオンさまが兵士を止めた。


「やらせておけ」

「リオンさま! しかし!」

「ガラスの靴が入れば花嫁にする。それは約束したことだ」


 リオンさまが微笑んだ。あたしは目を疑った。リオンさまが見たことのない笑みを浮かべていたのだ。こんなリオンさま知らない。


「そのレディの足を掴んでてやれ。さあ、夫人。つづきを」

「殿下!!」


 なんてつめたい笑顔なの。


(リオンさま……?)


「ママ、あたしいやよ!」

「動いちゃだめよ。アメリ。大丈夫。痛いのは一度だけよ」

「奥さま、どうか冷静に!」

「ギルエド、邪魔しないで!」

「いけません! 奥さま!」

「ママ!」


 あたしはうしろからママにしがみついた。


「ママ! やめて! お願い!」

「おだまり!! 大丈夫だって言ってるでしょう!」


 ママがあたしを突き飛ばした。


「きゃあ!」

「テリーお嬢さま!」

「い、いや……! ……ママ……!」

「奥さま!」


 ママがギルエドを突き飛ばした。


「ぐっ」

「あっ」


 アメリがママの持つナタを見上げる。ママは躊躇なくナタを振り下ろした。


「いやーーーーーーーーーーーーーー!!」


 アメリが悲鳴をあげた。ギルエドが手を伸ばした。あたしはおそろしくて顔を隠した。音は、一度じゃ終わらなかった。一回目はアメリの指が潰れただけだった。だからママはもう一度ナタでアメリの足の指を切るために、振り下ろした。二回。三回。さびたナタなんか使うから、何度も。何度も。アメリが泣き叫んだ。ギルエドが口を押さえた。騎士の一人が吐いた。銀髪の兵士は目を背けた。リオンさまは愉快そうに眺めていた。アメリの足から血が流れる。


 ガラスの靴に、アメリの足がすっぽりはまった。


「ひ、ひどい……」


 あたしは体をふるわせて、足をすくませた。しかし、ママは満足そうだった。


「よかったわね。アメリアヌ!」

「は、はあ、……はあ……」

「ああ、なんてことだ……。アメリアヌお嬢さま……なんとおいたわしい……」


 アメリが過呼吸を起こしている。そんなアメリを見て、リオンさまが笑顔で近づいた。


「それでは、ガラスの靴がほんとうにあなたのものか試してみましょう」

「た、た、試す……?」

「ええ。馬に乗って、この屋敷を一周しましょう」


 そう言って、リオンさまは泣き耐えるアメリを歩かせて、馬にのせた。アメリの足から血が流れる。馬が走っていった。騎士たちが呆然とする。あたしは階段を見上げた。


(メニー? どうして下りてこないの?)


 あたしはギルエドを見た。


「ギルエド……」

「申し訳ございません。わたくしが……ああ……申し訳ございません……」

「……っ」


 あたしは立ち上がり、ママの前に立った。


「ママ! メニーになにしたの!?」

「テリー、もう心配いらないわ!」

「メニーになにしたのよ!」

「これでベックス家は安泰よ!」


 会話ができない。ママの目がおかしい。いかれてる。あたしは踵を返して駆け出した。屋敷の階段をのぼり、一気に屋根裏部屋まで駆け上る。


「メニー!」


 部屋の前まで来ると、


「メニ……」

「テリー!」


 思わず言葉を失った。ドアにはいくつもの錠がされ、絶対に開けられないように閉められていたのだ。


(なにこれ……)


 メニーがドアを叩く。


「テリー!」

「待ってて! すぐに開けるから!」


 ママがカギを持ってるんだわ!


「メニー、リオンさまが来てるの! 言ったらきっと助けてくれるわ!」

「えっ」

「ここにいて、大丈夫よ! あたしが……」


 あたしはメニーのお姉さま。


「あたしが絶対メニーを守るから!」

「だめ!」


 あたしは階段を一気に駆け下りた。


「テリー! 行っちゃだめ!」


(心配しないで。メニー)


「リオンさまに近づいちゃだめ!!」


(大丈夫よ)


 リオンさまはメニーを選んだ。


(今も胸が痛い。だけど)


 あたしはあんたのお姉さまだから、


(絶対に助けてみせる!)


「ドロシー!! 出して! 早く!! なんとかして!! テリー!! だめ!! テリーーーーーーーーーー!!」


 あたしはエントランスホールにもどってきた。ちょうど、アメリとリオンさまがもどってきたときだった。大量の血を流し、透明なガラスのくつが赤くなった。血が止まらない足はガラスの靴から逃げるように脱がされた。アメリが足を押さえて座り込んだ。すさまじい痛みにもだえる。


「靴が血だらけになるということは、持ち主ではないようです」


 リオンさまがママにきいた。


「他にお嬢さまはいないんですか?」


 ママは、笑顔であたしに振り返った。


「さあ、テリー、靴を履いてごらんなさい」

「ママ!」


 憤ったあたしはママに怒鳴った。


「カギはどこよ!?」

「テリー、ガラスの靴を履くの」

「どうでもいいわよ! カギを出して! メニーを閉じ込めたドアのカギよ!」

「テリー」

「全部ママのせいよ! ママがメニーを酷く扱わなければ、こんなことにはならなかったのに!」

「テリー」

「カギを出して! メニーを部屋から出し……」


 ママがあたしを叩いた。


「早く靴を履けって言ってるのよ!!」


 あたしはしりもちをついた。鼻からは血がたれる。ギルエドが慌てて走り出し、あたしを抱きしめた。


「奥さま! ご容赦を!!」

「履け!!」


 あたしは呆然とママを見る。ママは、悪魔以上の悪魔になっていた。


「ガラスの靴を履くのよ! さあ! 早く!」

「奥さま! おやめください! どうか……」

「ギルエド、これ以上逆らうならお前はクビよ! 解雇された人間が口を挟まないで!」

「おやめください!」

「ガラスの靴を履きなさい!!」

「む……無理よ……」


 あたしは首を振った。


「あたし、入らないわ……。あの子の足は小さいし……年が二つもちがうんだから……入るわけがない!」

「奥さま、おやめください!!」

「お黙り! 入らなくても履くのよ!」


 ママが一歩踏み込み、ギルエドが立ち上がり、あたしの盾になった。


「奥さま!!」


 ママが片手でギルエドを突き飛ばした。


(え?)


 ギルエドが柱まで飛ばされた。


(え……?)


 騎士たちが驚く。この夫人、なにをした?


(ママ……?)


「ほら!」

「きゃっ!」

「お座り!!」


 ママが今まで感じたことのない強さであたしの襟をつかみ、無理やりあたしを立たせ、椅子に座らせた。上からあたしを押さえつける。


「やめっ、ママ、なにするのよ!!」

「さあ! やって!!」


 騎士たちがママを見て唖然とする。


「いや、やめて!」

「さあ!!」

「いや! あたし履きたくない!!」

「殿下!」


 銀髪の兵士がリオンさまにひざまずいた。


「どうかお止めください! いいえ。止める許可をください!」

「家族の問題には口出しできない。履かせて差し上げろ」

「殿下!」

「ヘンゼル。……グレーテルがどうなってもいいのか?」

「……っ」

「命令だ。ジェフ、やれ」

「……失礼いたします」

「いやあああ!」


 騎士団長が持ったガラスの靴が近づいてくる。


「やめ、やめて……!」


 絶対履けない。履けないのを見られたら、あたしも足を切られる。


「いや、お願い、やめてください……!」


 騎士団長が心を無にしてあたしの足をつかんだ。


「やめて、お願い……!」


 ガラスの靴がはめられる。


「んっ……!」


 騎士団長が少し力ませてあたしの足にはめてみたが、やっぱり入らない。足の爪がつっかかった。


「大丈夫よ。入りそう。どいて」

「いいえ。夫人、わたしが」

「履かせ方が悪いのよ」


 ママが無理やりあたしの足にガラスの靴をねじこんできた。


「い、」


 あたしの足の爪が剥がれた。


「やあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


 ギルエドがとうとう吐いた。

 騎士たちが全員黙った。

 あたしはショックと痛みから、体を震わせた。

 先端部分は入ったが、今度はかかとがはまらない。


「あら、じゃあここを切りましょう」


 ママは笑顔だ。


「大丈夫よ。王妃になれば歩かなくても生活できるから」


(……たす……けて……)


 いかれてる。


(ママが、おかしくなった)


 だれか、


(だれ、か……)



 だれか、あたしを、助けて……。








「わたしもいます!」







 ぼろぼろの服を着たメニーが階段を下りてきた。




「わたしも履きます!」


 今度はママが唖然とした。あたしは額から滝のような冷や汗を流した。


(メニー……)


「履かせてください!」


 メニーが無理矢理そばにあった椅子に座り、騎士団長が即座にあたしから靴を外し、二人の姉の血で赤く染まったガラスの靴をメニーに履かせた。そうすると、みんなが目を丸くした。足と靴がぴったりはまったのだ。ママが絶望の悲鳴をあげた。アメリは呆然としてその光景を見る。


 それを見たリオンさまが急に立ち上がり、――目をぱちぱち瞬きさせ、この景色を改めて見て、一気に顔を青くさせた。


「これは……」

「……なんと……いうことでしょう……」


 銀髪の兵士が呟いた。メニーの足には血だらけのガラスの靴が輝いている。


「……君だったんだね」


 リオンが跪いて、メニーの手を取った。


「君こそ僕の運命の人だ。さあ、一緒に行こう」


 メニーが微笑んでうなずいた。リオンさまと幸せそうに。


(リオンさま)


 あたしではなく、メニーを見つめるリオンさま。

 止めもしなかった。あたしが怖くて泣き叫んでいたのに。


(メニー)


 幸せそうな二人。それを見つめるあたし。ガラスの靴はメニーのもの。あたしではない。足が痛い。爪は剥がれている。血が出ている。その痛みで感じる現実。


 あたしの夢はぜんぶ壊れた。

 あたしの願いもぜんぶ壊れた。


 もう、なにも残ってない。


 リオンさまが愛おしそうにメニーを見つめている。メニーがリオンさまから視線をずらした。あたしを見た。メニーが立ち上がった。リオンさまの手をほどいた。


「テリー」


 メニーがあたしに駆け寄った。


「テリーも一緒に行こう」


 メニーがあたしの手を握った。


「テリー、わたしと一緒に」


 あたしはその手を払った。


「……テリー?」


 あたしはメニーの背中を押した。


「テリー?」


 振り向こうとするメニーを押さえて、背中を押した。


「テリー」

「行って」

「テリー」

「行って!」

「テリー」

「あんたの顔なんか見たくない!」


 あたしは叫んだ。


「早く行って!」


 メニーが振り向く。


「テリー」

「行きなさい!」


 あたしはメニーの背中を押した。


「振り向かずに、行って!!」


 あたしはメニーの背中を突き飛ばした。リオン様がメニーを抱きとめた。


「行って! 早く行きなさい!!」

「……無理だ。今は行こう」

「いいえ」


 メニーがリオンさまを見上げた。


「テリーが行かないなら、どこにも行きません」


 メニーがあたしにもう一度振り返った。


「テリー、行こう?」


 あたしは重たい息を吐いた。


「その足、すぐに手当しよう? すごく痛そう」


 あたしは拾った。


「テリー」


 ナタをメニーの腹部につき刺した。


「……」


 メニーが見下ろした。ナタが刺さっている。


「あ」

「っ!」


 リオンさまが走った。


「テリー」


 メニーが倒れた。


「どうして」

「なんてことだ!」


 リオンさまが倒れたメニーを抱きかかえた。


「急いで医者を!」

「御意!」

「しっかりしろ! 君!」


 リオンさまがこのいかれた屋敷からメニーを連れていく。あたしは騎士たちに取り押さえられた。


「……まって……」


 白い手があたしに向かって伸びた。


「テリー」


 メニーがあたしに手を伸ばす。


「まって、テリーが」


 メニーが光のなかへ運ばれていく。


「テリーが残ってる」


 扉が閉められていく。


「テリー」


 メニーの目があたしを見つめる。あたしはメニーを見つめる。


「……テリー……」


 扉が閉まった。

 








 これは、報いである。

 あたしがメニーを助けなかった、報い。


 大丈夫。


 みんな、やっぱりまともな人なの。銀髪の兵士なんか、ジョークを言いながら、あたしの足もアメリの足も手当してくれた。

 ギルエドは出て行ってしまった。ここにいたくないと。


 ね、メニー、

 あたしは家族とここで生きていくわ。

 あんたはお城に行きなさい。

 あたしたち、やっぱり二人ではいられないのよ。

 あたしの家族はこんなんだもの。

 あたしがしっかり面倒見なきゃ。

 メニーはリオンさまが愛してくれるでしょ。

 あたしたちには、あたしたちしかいないもの。



 恨まないでね。メニー。これでよかったのよ。


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