第11話 転生したら悪役令嬢だった!


 ピーターは早々に片付けをして部屋にこもってしまった。なんでも、神父は朝と夜が早いらしい。きちんと寝るのも神父の仕事なんだと言って、あたしたちにおやすみなさいを告げた。


 メニーはキッチンにある鍋を使ってミルクをあたため、はちみつを入れて甘くしたホットミルクをあたしに渡した。


「はい。お姉ちゃん」

「んー」


 メニーの部屋。ベッドでは緑のネコが転がってる。あたしとメニーは向かい合って椅子に座った。


「お姉ちゃん、今まであったこと一通り話していこう。そしたら、なにか思い出すかも」

「メニー、どちらかが記憶違いをしている場合はどうするの?」

「じゃあ、先にわたしが覚えていることから話すよ。それから、お姉ちゃんが覚えてることを話してもらっていい?」


 現状、あたしよりもメニーの記憶が頼りだ。あたしは素直にうなずいた。


「うん。わかった。その代わり嘘は無しよ」

「ちゃんと真実を話すよ。わたしたちの思い出を最初から」

「最初って?」

「もちろん、わたしたちの関係が変わったところから」


 ――メニーが、あたしたちの出会いのきっかけを話しはじめた。

 それはあたしも覚えている。ママとメニーのお父さまの結婚式であたしたちは出会った。


 それからメニーが正式に屋敷に住むまで結構な時間がかかった。なぜならメニーのお父さまが職場にメニーを連れて歩いていたからだ。数ヶ国回ったのち、メニーはようやくうちに住むことになった。

 そしてしばらく過ごした後、メニーの父親が亡くなる。これもあたしの記憶と合致している。

 問題はそこからだ。メニーったら変なことを言い出した。


 あたしの覚えているメニーは、屋根裏部屋に連れて行かれて、おんぼろ服を着させられて、毎日使用人のように家のことをするようになるの。使用人はママが解雇するか、自ら出ていった。そのせいで家に使用人はいなくなってメニーが家のことをほぼ全部やっていた。


 ……だがメニーは全く違う話をはじめた。ママがメニーに家のことをやってもらおうと言った途端、あたしがテーブルをひっくり返し、食器をぶん投げて、メニーを守ったのだと。


 つまり、あたしの行動がメニーの未来を変えたと。


 あたしはメニーの作り話を鼻で笑い、低い声で言った。


「メニー。ねえ、冗談言わないでって言ってるでしょ」

「ほんとうのことしか言ってないよ」

「ああ、そう。じゃあそれからどうなったの? あんたはいつ家のことをするようになるの?」

「それからいろいろあってお姉ちゃんが説得してくれたの。詳しいことは知らないけど、ある日から、お母さまはわたしをちゃんと娘として育ててくれるようになった。アメリお姉さまも、わたしを妹としてみてくれるようになったの」

「……じゃあ、使用人は?」

「使用人って?」

「みんな、やめたでしょう? ママからも解雇されて、あまりのひどい扱いに自分から出ていった人たちが何人もいた」

「……うーん。人の入れ替えはあるけど結構残ってる」

「どれくらい?」

「人手不足にならない程度には。やめても、お母さまとギルエドがツテで連れてくるから」

「……。ママとギルエドが?」

「うん」

「……」

「話、つづけていい?」

「……ええ。それから……どうなったの?」

「お母さまは忙しい人だから、家庭教師の先生にわたしたちをお願いしたの。クロシェ先生は覚えてる?」

「クロ……」


 なつかしいその名前をきいたと同時に、あたしの脳裏にうれしさと苦い記憶が同時によみがえた。


「……そんな人いたわね」

「うん。この間結婚して出ていっちゃったけど」

「え?」

「わたしが14歳になるまでは、ずっと勉強を見ててくれた」

「……。え? なに言ってるの?」

「え?」

「あの人、亡くなったでしょ」

「……」

「秘密よ。ママはやめたって言ってたけど死んだのよ。あの人。あたし知ってるの」

「……クロシェ先生は生きてるよ」

「……。うそよ」

「三月にカドリング島で結婚式を挙げたの。お姉ちゃんもいて、いっしょにブーケキャッチに挑戦してた」

「……え……?」


 あたしは頭を抱えた。


「まって。三月って、いつの三月?」

「今年」

「うそよ」

「お姉ちゃん、おちついて」

「あたし、知らない」

「お姉ちゃん」

「メニー、冗談ならやめて。……なんか気味が悪い」

「お姉ちゃん、ホットミルクのんで。おちつくから」


 あたしはホットミルクをのんだ。……舌がやけどした。


「いい? お姉ちゃん。お姉ちゃんは今、記憶障害で混乱してるってピーターさんも言ってたでしょ? キッドさんのことも覚えてないみたいだし。……お願い。話をつづけさせて。意外と、覚えてる部分はあるかも」

「……わかった」


 あたしは頭を打ってる。記憶を失って、あたしが覚えてない部分が存在するのはわかる。


(でも)


 理解できない。あたしの覚えてる記憶と異なる記憶が存在するなんて。

 じゃあ、クロシェ先生は生きてたってこと? いいや、ちがう。なにかおかしいのよ。メニーが家のことをしてない時点でおかしいし、あたしがママに反抗してる自体がおかしいこと。そんなこと、ぜったいにありえない。キッドさまは、一体だれなの? いつどこで知り合ったと言うの?


(メニーはなんの話をしてるの?)


「じゃあ、話をつづけるね」


 メニーは話をつづけた。それらはすべて、あたしが驚愕するものだった。


 ルビィという少女は、メニーが9歳になる年で知り合ったのだという。それから同い年ということもあり、よく屋敷の庭で遊んだり、あたしの部屋やメニーの部屋、ときどき、アメリの部屋でも遊んだのだという。だからあたしはきいたの。じゃあ、あのルビィという子は貴族の隠し子だったりするの? と。でもメニーは首を振って答えた。ううん。あの子はただの一般人だよって。ありえない。貴族でもない子どもをうちにあげるなんて。ママに見つかったらなんて言われるか。でもその心配はないとメニーは言った。ルビィはママがいないのを見計らって遊びに来るって。だからあまり会ったことはないらしい。


 メニーがそのあとの話をした。友だちができたのは、メニーだけではない。なんと、あの犬猿の仲のアメリとレイチェルが親友だという。あたしはがくぜんとして、ためらうそぶりをしてから、はっきり言った。


「それはぜったいに嘘」

「どうしてそう思うの?」

「レイチェルといたら、そこらじゅうに花火がまかれたように喧嘩が始まるわ」

「たしかにその当時はそうだったみたい。でも、アメリお姉さまはレイチェルさんが一番つらいときに、はなれずにだまってそばにいたの。それから、ふたりともなにか変わったみたいで、レイチェルさんがアメリお姉さまをよくパーティーに誘うようになった」

「どうせろくでもないパーティーでしょ」

「わたしも何度か行ったことあるけど、レイチェルさん、トラブルを起こすような人とは交流しなくなって、毎回楽しいパーティーにしてくれてたよ」

「……あんたがレイチェルのパーティーに行ったって、いつの話?」

「うーん、だいぶ前。そこでわたしも仲良くなって」

「……レイチェルと? まって。レイチェルって、あのレイチェルでしょ?」

「……レイチェルさん、お姉ちゃんとも電話でなにかやりとりしてたよ。仲良さそうだったけど」


(……あたし、レイチェルと電話なんてしたことないけど……)


 メニーが話をつづけた。


「それから当時、お姉ちゃんは夜によく屋敷から抜け出してた。それはお姉ちゃんが友だちに会いにいくためだったの」


 夜に屋敷から抜け出してた、と聞いて、あたしはすぐに思い当たる記憶を見つけた。


「お姉ちゃん、覚えてる?」

「……ええ」


 あたしは正直にうなずいた。


「屋敷から抜け出して、夜にでかけてたことは覚えてる」

「そう。お姉ちゃんは、ニクス・サルジュ・ネージュっていう人に会いに行ってた。すごく寒い冬だったけど、お姉ちゃんはめげずに何度もでかけてた」


 ……ああ、そんな名前だったかもしれない。名前なんて覚えないわ。だって、のちに、あたしはそいつから裏切られることになるのだから。

 あいつは約束をやぶって、もう二度と、あたしの目の前に現れることはなかった。


「……あんた、あいつのこと知ってたのね」

「うん。よく勉強見てもらってるから」

「……。は?」


 あたしの片目が痙攣した。


「勉強を見てもらってるですって?」

「うん」

「……まって」


 あたしは思わず立ち上がった。


「あいつ、見つかったの!?」

「え?」

「どこにもいなかったじゃない!」


 あの日以来消えた、手袋の男の子。


「警察に言っても、無駄だったのよ!? あたしが、どれだけさがしたって見つからなかったのに!」

「……お姉ちゃん」

「どこにいたの!? いつ見つかったの!?」

「……ごめんなさい。よくわからないけど、お姉ちゃんはしょっちゅうニクスちゃんと手紙のやりとりをしてるよ」

「え?」

「週に一回電話もしてる。でも電話だと長電話になるから、三十分までって言われてるの」

「……」

「ニクスちゃんは、去年からエメラルド女子学院に入学して、勉強してる。すごく優秀なんだって、お姉ちゃんが自慢してた」

「……あたし、が……?」


 その前に、あたしはひとつ引っかかった。


「まって、メニー、えっと、いろいろおかしいわ」

「うん。ゆっくりでいいから気になることがあったらきいて」

「エメラルド女子学院って、女子しか入学できない学校よ。なんであいつが入学できてるの?」

「……? 成績優秀者で国から補助金が出たんだって」

「そうじゃなくて、あいつ男でしょう? 特別枠でもできたの?」

「……ニクスちゃんは女の子だよ?」


 ……。あたしはだまった。メニーがきょとんとしている。その顔に、からかってる様子はない。あたしはやっとのことで、かわいたくちびるから言葉を出した。


「……お、……んな……?」

「わたしに初めて紹介したときも、こう見えて女の子だから行儀よくしてね! ってすごく強調して言われた」

「……」

「……覚えてない?」

「……ええ」

「……話、つづけようか」


 あたしは大人しく椅子に座ってホットミルクをのんだ。今度はちゃんと

 飲めた。ほっとする。

 ……あたし、冷静に。

 あたしは頭を打ってる。だから覚えてないだけかもしれない。覚えている記憶こそがあたしが作り出した幻覚で、夢なのかもしれない。あたしは口出しせず、メニーの話をだまって聞くことにした。


 それからのことをメニーが話し出す。メニーが言うには、十年に一度ひらかれる仮面舞踏会は姉妹三人で行ったらしい。ドレスはどうしたのかきくと、三人分買い揃えたって。メニーのドレスは『ハサミで切られる』ようなことはなく、新品のかわいいドレスで仮面をつけておどったらしい。


「お姉ちゃんが練習付き合ってくれたの覚えてる?」


 ……付き合わせたの間違いじゃない?

 だけどあたしは言わなかった。だまって話をきくことにした。


「お姉ちゃんが14歳のとき、初めてハロウィン祭が開催された年、お姉ちゃんが手に負えないほどの反抗期を迎えたの。それで、わたしと喧嘩をしたのをきっかけにお母さまがお姉ちゃんに怒ったの。貴族としてのありがたみを知るために、貴族という身分をばれないようにして城下町で一ヶ月働いてきなさいって言って、お姉ちゃんは一ヶ月間、屋敷から追い出された」

「……本気で言ってる?」

「お姉ちゃんはリトルルビィからお菓子屋を紹介してもらって、そこで一ヶ月平民のふりをして働いてた」

「あたしが?」

「うん。それで、友だちもできたの。アリーチェ・ラビッツ・クロックっていう人は覚えてる?」

「ああ、……すごい事件だったわね。人が大勢死んで……」

「……うん。あの事件のあと、お姉ちゃんはお母さまに頼み込んで、復興支援のお金を出してもらってた」

「ええ。それは覚えてる」


 リオンさまが復興活動をしてたから、ママにお願いしたのよ。


「それからアリスちゃんとの交流も増えた」

「……アリスって?」

「アリスちゃんだよ。アリーチェ・ラビッツ・クロック」

「ん? なんでテロリストの名前が出てくるの?」

「えっと、テロリストは、アリスちゃんじゃないよ。アリスちゃんの関係者の人」

「……どういうこと?」

「……えっと」

「アリーチェ・ラビッツ・クロックは一人で町を崩壊させたテロリストで、捕まった次の日に自殺したじゃない」

「……それ、別の人じゃない?」

「え?」

「アリーチェっていうのは、たしかにアリスちゃんの本名だけど、アリスちゃんはこの名前があまり好きじゃなくて、自分のことをアリスって呼んでるって、お姉ちゃんが言ってた。お姉ちゃんとアリスちゃんは親友同士で、よく遊びに出かけてる」

「あたしが、犯罪者と親友ですって?」

「……犯罪者じゃないよ。アリスちゃんは帽子のデザイナー」

「……」

「お姉ちゃん、大丈夫?」

「……顔を見たら思い出せるかも」


(町を崩壊させたアリーチェとは、別の人物かもしれない。でも、……だとしても、このあたしが平民として一ヶ月過ごしたなんて、そんな記憶はどこにもない。14歳のとき? あたし、ハロウィン祭にうかれて、屋敷にいたはずなのに……)


「いいわ。メニー、つづけて」

「うん。それで、お姉ちゃんが15歳のとき……」

「キッドさまに誘拐されたときね!」

「お姉ちゃん、あれはキッドさんの盛り話」


 メニーがため息を吐いて、……考えて、またくちびるを動かした。


「お姉ちゃんはヴァイオリンを人前で弾くことが多くなったの。パーティーではよく披露するようになって」

「……それ、あたしの話?」

「うん。でね、わたしはピアノ。それと、アメリお姉さまは歌」

「……あんた、ピアノ弾けるの?」

「うん。お母さまが習わせてくれて。……この間も三人でいっしょに練習もしたよ」

「……」

「それで、えっと、次に起きたことと言えば」


 メニーが切り出してきた。


「マーメイド号」

「その話」


 あたしは心臓をどきどきさせながらホットミルクを飲んだ。


「アメリともすこし話したの」

「そっか」

「……メニー、あの船……沈んだのよね?」

「……どうしてそう思うの?」

「氷山にぶつかって沈んだって聞いたわ」

「お姉ちゃん、わたしが見ていることを話すと、その現場にはお姉ちゃんもいたよ。たしかに氷山にはぶつかりそうになった。でも、船は氷山にはぶつからなかった。そして、お姉ちゃんが船の名前がダサいから、もっと人気が出ますようにって、名前を変えるようお母さまに言ったの。それから、船はマーメイド号じゃなくて、セイレーン・オブ・ザ・シーズ号として、今も海を渡ってる」

「……そんなはずないわ」

「お姉ちゃんはすごく重たい高熱におかされてたけど、船に乗るのをすごくたのしみにしてて、むりやり船に乗ったの」

「……メニー、いい加減に正直に言って」

「ぜんぶ本当のことだよ」

「ありえない」

「お姉ちゃん」

「あたしの記憶がないからって、からかってるんでしょ?」

「わたしは本当のこと言ってるよ」

「だとしたら、じゃあ、あたしの覚えてることはなんなの? メニー、あたしだって覚えてることはあるのよ。この件に関してははっきり言える。あたし、船には乗ってない」

「ううん。お姉ちゃんは船に乗ってた」

「乗ってないってば」

「だからこそ、カドリング島でクロシェ先生の結婚式をお祝いできたんだよ」

「ああ、メニーメニーメニーメニーメニー、いい加減にして。怒るわよ。ねえ、あたしが船に乗っていたとして、カドリング島でクロシェ先生の結婚式を祝っていたとして、じゃあ、あたしの記憶はなに? クロシェ先生は結婚なんてしてない。あの人はとっくのむかしに亡くなった。そしてあたしは、乗船当日、高熱に侵されて部屋で寝てた。船の部屋じゃなくて、屋敷のね!」

「それは夢じゃなくて?」

「夢!?」


 あたしはカッとして立ち上がった。


「あたしの経験したことは、夢なんかじゃない!」


 ――何度夢であれと願ったことか。でも、あたしは経験した。メニーの言った記憶の正反対のことを経験したのだ。この目で見て、この肌で感じて、あたしの脳裏に焼き付き、そして、思い出として残った。


(だけど、メニーが嘘を言ってる様子がないのが、余計に気味悪い)


「……お姉ちゃん」

「なんなのよ……」


 あたしはこわくなってきて、ゆっくりと椅子に座った。


「なんで……あたしが覚えてることと、あんたの言ってることがちがうのよ」

「……」

「メニー、これで嘘だったら、ほんとうに許さないわよ」

「……お姉ちゃん、わたしは誓って言えるよ。嘘は一つも言ってない」

「……。……あんたの言うことが正しければ、船は沈まなかった。今年の三月ね?」

「うん」

「……アメリも同じこと言ってた。船は沈んでなくて……」


 賠償金も発生してない。


「……そのあと、ピーターさんからの手紙が来た」

「でもそれはピーターが書いたものではなかった」

「そういうこと」

「あたしたちは、崖から落ちた」

「土砂崩れに巻き込まれて」

「そして、今、この村に閉じ込められてる」

「……明日、岩がどければいつでも帰れるよ」

「……」

「お姉ちゃん、お医者さまにみてもらおう? ほんとうに、その、……見た悪夢を現実だと思い込んでるだけかもしれない」

「……悪夢じゃない……」


 あれは、現実よ。現実だったわ。


(……だけど……アメリとメニーの言ってることが一致してる。あたしの記憶だけが違う)


 一体どういうこと?


(……気味が悪い……)


 あたしはホットミルクを飲もうと思って――ふと手を止めて――ホットミルクに映る自分を見つめた。


「……お姉ちゃん?」


 ……よく考える。この感覚に、あたしは覚えがあるの。


「ねえ、大丈夫?」


 あたし……本で読んだことがある。

 同じ世界でありそうではない世界が存在する。

 それを人は、アナザーワールドと呼ぶ。


「……テリーお姉ちゃん……?」


 たしかに目の前にいるのはメニーだ。

 そして昼間会ったのもリオンさまだ。

 会ったことのない人物もいた。ルビィとキッドさま。

 メニーの話を聞く限り、あたしはあたしの人生を。メニーはメニーの人生を歩んでいる。

 記憶が重なる部分もあり、そうでない部分もある。


 そうか。わかった。理解した。一つの糸が繋がった。これはつまり、


「……メニー、わかったわ。この違和感の正体」

「え……?」

「たしかにこの世界のあたしが存在したんだわ。でも……また別のあたしも存在した……」

「……どういうこと?」

「……目が覚める前、あたしは熱を出して寝込んでた。苦しい思いをしながら眠りについた。一方、メニーのそばにいたあたしは崖から落ちて、頭を打った。……そして」


 あたしは――正直に――告白する。


「死んだのよ」


 本のなかに異世界転生!

 ゲームにいる推しのわき役王子さまと結婚します!

 目が覚めたら悪役令嬢!?

 破滅フラグのみの悪役令嬢に転生した結果ハーレムだった!?

 悪役令嬢に転生した結果が死刑への未来ですって!?

 絶対死刑回避の悪役令嬢!

 悪役令嬢の私は今日も負け組なのです!

 悪役令嬢になったので追放されたら地味な庶民を目指して頑張ります!


「あたし……」


 トリップ。


「転生したのよ」


 アナザーワールド。


「別の世界の自分の体に、憑依してしまったのよ」


 要するに前世はヒロイン、現世は……!


「目が覚めたら……」


 ――とんでもない悪役令嬢になってた!!


「いやああああああああああああああ!!」


 あたしは叫んだ。


「なんてこと! 崖から落ちて死んでしまった体に、別の世界で亡くなったあたしが憑依してしまうなんて!」


 メニーがぽかんとした。


「メニー!」


 あたしは顔を上げた。


「そうとしか考えられないわ! だって! 本に書いてあったもん!!!」

「……お姉ちゃん」


 メニーが固唾をのみ、――真剣な顔で言った。


「本と現実はちがうんだよ?」

「だからだわ。だからこんなにも話が食い違うのよ。……そうだったんだわ……」

「お姉ちゃん、人の話きいて」

「この展開、本で何度も読んだわ。メニー、あんた言ってたでしょ。この世界のあたしはママに反抗した挙げ句一ヶ月も追い出されたって。テロリストと友だちになったり、浮気症の王子さまと結婚しようとしたり、レイチェルとあやしい電話をしてたり、あたしが相当たちの悪い人間だったことは明らかだわ。きっとこのままいったら、あたしには破滅する未来が待ってたのよ。そうよ。死刑よ。だいたい悪人には死刑が待ってるのよ。多分、そうなのよ。向かってたのよ。破滅する未来、死刑への道に! それを回避するために、女神アメリアヌさまがあたしをこの体に憑依させたんだわ! そうとしか考えられない! メニー、だいたいこのパターンでいけば、メニーみたいな妹がとんでもなく意地悪な悪い女なの。あたしはね、つくられた悪役なの。ほんとうはあたし悪くないの。でもね、メニーはどこかの王子さまと結ばれて、あたしをぜったいに死刑にするの」

「……えっと」

「理由はね、だいたい自分よりきれいで気に入らないからって理由なの。だいたいそうなのよ。悪役令嬢って言われてる人たちはだいたい悪い人じゃないの。みんなとても忠実で良い人たちなの。なのに地位がない女の子がね、横から入ってきて、あ、悪役令嬢はたいてい侯爵令嬢が多いわ。だから婚約者も決められてるの。それでね、横から入ってきた女の子はだいたい純粋でかわいい顔してるから、王子さまも男だから、みんな魅了されてだまされて、悪役令嬢を死刑にしちゃうの」

「……えーーーーっと……」

「あたしたちの場合はね、だいたいメニーの立場の女の子が性格悪いんだけど、でも、ほら、ベックス家は男爵クラスで、ね、貴族だけど、地位は低いでしょ?」

「……それ、お母さまの前で言っちゃだめだよ? 気にしてるから」

「わかってる。でも運が良かったわ。これが侯爵クラスだったら、やばいのよ。なにがやばいってね、すごいの。メニーはあたしの婚約者だから……えっと、キッドさまを奪い取るの。まあ、リオンさまだったらぜったいにありえないけど、キッドさまならありえるから。リオンさまは他の殿方とは違って見る目があるからぜったいにそんなことないんだけど、つまり、メニーがキッドさまを魅了して、キッドさまと二人であたしを破滅させるの。小説ではそういう展開なの」

「……えーーーーーーとーーーーー……」

「そうよね。ここは小説じゃなくて現実。こんなことはありえない。わかってるわ。でもね、メニー、ねえ、おちついてきいて。あたしはこの世界のあたしじゃないの」


 だって、あたしの世界のメニーは――。


「……」


 ここは、あたしの生きてきた世界じゃない。


(……ということは……)


 気を張る必要がない。


(……あたし)


 ありのままで生きていけるかもしれない。

 いや、生きていけるんだわ。

 だって、あたしはママに反抗してるんだから。

 この状況を利用すれば、あたしは――あたしは――。



 ……もう、我慢しなくていいんだわ……。



(あたし)


 どの小説だって、元の世界にもどった悪役令嬢はいなかった。みんな悪役令嬢から素敵なお嬢さまになって、居心地のいい世界に居座った。だったらあたしも同じよ。この世界の意地悪なテリーとして生きていくしかない。


(やり直せる)


 全部やり直せる。


 女神アメリアヌさまは、あたしにチャンスを下さったんだわ。


「……メニー」


 あたしはメニーに向き合った。


「あたしはこの世界のあたしじゃない。だけど、……お願い。こわがらないで。あたしはテリーじゃないけど、テリーでもあるのよ」

「……」

「……メニー、……あたし、……前の世界で嘘をついて生きていたの」


 あたしは思い出しながら言葉を出していった。


「正直に話すわ。……あたしはママの奴隷だった。ママの言うことが全部だったの。ママの言うことをきいてたら幸せになれると思ってた。でも、……そうじゃなかった」


 うつむいたら思い出しそう。あたしはメニーを見続けた。


「……あんたはうちでひどい目にあわされてた。言葉に出したくないほど」

「……」

「でも、ここではそうじゃない。あたしの気が強くてママに反抗したがりだったおかげで、結果的にあんたを救い出してる。手だって……」


 メニーの手は、とてもきれいだ。


「こんなにきれいじゃなかった」


 とてもきれいだ。


「……きれい……」

「……お姉ちゃん」


 メニーの手が伸びて、あたしの頬に触れた。


「ゆっくりでいいよ」


 メニーがほほえんだ。


「ゆっくり、きかせて」

「愛してる」


 メニーが目を丸くして、口角を下げた。


「愛してるわ。メニー」


 あたしはこみ上げてくるなみだをこらえながら、しっかりとメニーの手をにぎりしめた。


「ほんとうはもっとそばにいたかった。こうして二人で仲良く喋って、秘密の話をしたり、姉妹でしか出来ない話をしたり、いっしょにドレスを選びに行ったり、あんたの相談をきいてあげたり、……そういうことがしたかった」


 だけど、


「あたしは怖くてできなかった」


 ママに反抗するなんて、あたしには無理だった。


「……ごめんなさい。臆病だったあたしを許して。メニー……」

「……」

「……きっと女神アメリアヌさまが、あたしに罪を償うよう言ってるんだわ」


 だから、この世界に転生されたのよ。


「あたしは変わるわ」


 あたしはメニーの手を膝の上に置き、覚悟を決めた。


「メニー、あたしはこの世界で生きるわ。それで、あんたにしてきた罪をちゃんと償う」


 だけど、一人ではちょっと難しいと思うの。


「メニー、お願い。あたしを手伝って? 悪いことをしたらだめって言って。あたしはこの世界のあたしのように悪役令嬢になんかならない。意地悪な姉にもならない。これからは、メニーの優しいお姉ちゃんになるから」

「……」

「……だめ?」

「……ちょっと、おどろいただけ」

「……おどろくわよね。わかるわ。でも、……これがほんとうのあたしよ。……メニーを傷つけたいわけじゃないの。ほんとうよ。あたし、……ほんとうはメニーが大好きなの。ほんとうに良い妹だと思ってるわ。今さら言ったって遅いかもしれないけど……あたし、ほんとうに……」

「……大丈夫だよ」


 メニーが優しい声で言った。


「わたしもお姉ちゃんが大好き」

「……メニー……」

「そばにいるから、そんな顔しないで? お姉ちゃんが泣いてるとわたしもつらい」

「……うん」


 あたしはほっとして、安心して、頬がゆるんだ。

 ……久しぶりに安心して笑顔を浮かべられた気がした。


「……ありがとう……」

「とりあえず、……この村から出るまでは固まって行動しよう?」

「……そうね。手紙の件もあるわ。ピーターが送ったものじゃないのであれば、ママの予想通りだれかの陰謀かもしれない。……第一王子さまとあたしが婚約してるんでしょう? それも関係してるかも」

「明日、またキッドさんに会いに行ったほうがいいね」

「……ええ。あたしもあの人に用があるの」

「……用って?」

「メニーには関係ないことよ。……ねえ、メニー、それより……」


 あたしは首を傾げた。


「黙祷しない?」

「え?」

「だって、この世界のあたしは死んじゃったのよ? 意地悪なあたしだっただろうけど、祈ってあげるのもやさしさだわ」

「……うん。いいよ」


 メニーがあたしから手を離した。


「いっしょに祈ろう」

「ええ」


 あたしとメニーは自分の両手をにぎりしめて、祈った。


 ――この世界の意地悪なあたし。体をもらってごめんなさい。この世界のあたしがどんなやんちゃをしてきたのかは知らないけれど、この環境をうまく利用させてもらうわ。これからはあたし、いい子になって――、


 ……ぜったいにメニーをしあわせにするわ。


 あたしはそっと目をあけた。すると、緑の目玉があたしの顔をのぞきこんでいた。思わず仰天して、あたしは悲鳴をあげてひっくりかえった。


「きゃあ!」

「にゃあ」

「お姉ちゃん!」


 メニーが立ち上がり、あわててあたしの方へ走ってくる。


「大丈夫?」

「いたぁーい……!」

「ドロシー、だめだよ!」

「みゃー」


 緑のネコがメニーの膝の上からあたしを見下ろした。あたしはむすっとして椅子にもどった。


「人をおどろかせるなんてだめじゃない! トト!」

「お姉ちゃん、ドロシーだよ」

「その子、ぜったいトトのほうがかわいい。改名してあげたら? ね? トト」

「……にゃ……」

「……お姉ちゃん、今日は疲れてるだろうし、そろそろ寝よう?」

「……あら、もうこんな時間」


 ママがいたら叱られてる。……いいえ、もう関係ない。


「そうね」


 あたしは変わるのよ。


「もう寝ましょう」

「わたしコップ洗ってから寝るから、お姉ちゃん先寝てて」

「ん? そう? ……わかった。お言葉に甘えるわね」

「おやすみなさい」

「うん。……おやすみなさい。メニー」


 あたしはトトとメニーを残して先に部屋にもどることにした。部屋を暗くして、古いベッドに腰を掛ければ、いろんなことが頭によぎった。


(この世界のメニーはちゃんとしたお嬢さま)

(船は沈んでない)

(あたしの婚約者は、リオンさまの兄のキッドさま)


 ゆっくりとベッドに横になる。


(あたしは死んだ)


 死んだ直前の記憶がない。そもそも死ぬなんて思わなかった。熱なんていつも出していたから。……こんな考えもよぎった。実は、この世界のあたしとあたしが入れ替わっただけではないかって。


(だったら向こうで頑張ればいいわ。まあ、あたしは死んだ説を推すけど)


 だって、あたしが読んだ悪役令嬢系統の本はぜんぶそうだった。誰かが死んでその魂が悪役令嬢の体に憑依して転生してしまうの。だから、きっとそうなのよ。この世界のあたしには天罰が下ったんだわ。土砂崩れに巻き込まれて死んで、代わりにあたしの魂がやってきたのよ。


(……屋根裏部屋にいるメニーはどうなるんだろう)


 ……考えても元の世界にはもどれない。あたしは今そばにいるメニーを大事にしてあげよう。……それでいいじゃない。きっと、前のあたしからたくさん意地悪されてるはず。ママへの反抗をするための道具として使われたことだってあるかもしれない。……かわいそうなメニー。あたしの妹。


「……」


 なんだか、ねむれない。


「……」


 あたしは起き上がり、まくらを抱えて裸足のまま部屋から出た。

 リビングの明かりはすでに消えていて、メニーの部屋のドアをたたくと、メニーがすぐに出てきた。


「お姉ちゃん、どうしたの?」

「……いっしょに寝ない?」


 メニーがきょとんとした。その顔を見て――あたしはすぐに理由を言った。


「っ、その、お、オオカミの声がきこえたの!」

「……」

「……二人でいたほうが安全だと思って……」

「……そっか」

「うん」


 オオカミの声なんてきこえてないわよ。ただ、……メニーが心配だったの。……でも、過保護すぎてもだめだと思うのよ。だから、別に、気恥ずかしいわけじゃなくて、ちょっと、やっぱり、その、……オオカミの声がきこえた気がしたの……。


「入って」

「……うん……」


 部屋の隅には重なったシーツの山があり、そこにトトが寝転がっていた。あたしはメニーのベッドに入り、メニーもなかに入る。狭いベッドだから体がぴったりくっついた。


(……あったかい)


 メニーがこんなに近くにいる。


「……ねえ、メニー」

「……ん? なあに?」

「この世界でのあたしとは、こうやって、いっしょに寝ることあった?」

「……」

「……そんなわけないわよね。だって、この世界のあたしは意地悪だったんだから」


 あたしはメニーの背中を撫でて、それから、やさしくだきしめてあげた。


「これからはいつだっていっしょに寝てあげる。秘密の話だってきいてあげるわ。あたしたちは姉妹で、恥ずかしがることなんてないんだから」

「……」

「……おやすみ。メニー」


 寝る前に、気持ちを伝えよう。


「愛してるわ」


 メニーにほほえみ、メニーもあたしにほほえむのを見て、あたしは目をつむった。どんどんねむくなっていく。どんどん、力が抜けていく。


 きもちよくなっていって、もう、気がついたときには、ねむってる。




 メニーは、いつ寝るんだろう。眠ったあたしにはわからない。




 ……ドロシーが起き上がった。

 とことこ近づいてきて、二人が寝ているのを見て……親友が狸寝入りしてないか確認してから……そっと、相棒の額に手をそえた。


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