第26話 不良娘は未来を見上げる
日が暮れた海を恋人達が静かに眺める。
夜は海に入っては駄目よ。夜の海ではしゃぐなんて以ての外。たちまち大きな波が現れて、その命をさらっていくから。
ならば、空ではしゃぐならどうだろうか。答えはYESよ。でも、鳥達の迷惑にならない程度に。
リトルルビィが木を蹴って高く飛ぶ。一つの動作で高く空へと向かってジャンプし、また落ちては、ジャンプし、落ちては、高く高くジャンプする。
「ルビィ!!」
顔の青いあたしはぎゅっとリトルルビィにしがみつく。
「あんた、どんだけ飛ぶの!」
「楽しいじゃん」
「あたしは結構!」
「んだよ。楽しいのに」
(昼間も遊んでたくせにまだそんな体力あるの!?)
「あ、あそこ良い感じ」
リトルルビィが着地した。あたしはようやく地面に足をつける。
「ぜえ……はあ……」
「この島便利だな。裸足でも全く怪我しない」
「ええ。綺麗な所でしょ……ぜえ……ぜえ……」
「テリー、座ろうぜ」
「ええ。待って……。はあ。あんた、いつからそんなアスリート系になったのよ……。あたしはね……メニーとは違うのよ……。走るよりも歩くタイプなのよ……」
「よいしょ」
積まれた巨大な丸太の上にリトルルビィが座り、あたしもその隣に座った。背もたれ代わりになっている丸太の山に背中を預けて、夜空を見上げる。
(はあ……空から地面までの上下運動嫌い……)
「……本当だ」
夜空を見上げたリトルルビィが呟いた。
「綺麗」
「城下町では見られない空でしょ」
「うん。空の色が違う気がする。テリーは昔から見てたんだもんな」
「そうよ」
「ママとお兄ちゃんもよく見てた」
空には流れ星が走る。
「流れ星は願いが叶う。だから見えた時に沢山祈ろうって」
流れ星がまた走った。
「ママの病気が治って、幸せに暮らせますようにって」
みんな死んだ。呪われた。自分は人の血を飲まないと生きていけない体になった。
「……リトルルビィ、アイスティー飲む?」
「……飲む」
「ん」
水筒に入れてもらったアイスティーを紙コップに入れてリトルルビィに渡した。
「はい」
「ありがとう」
リトルルビィがアイスティーを飲み、また星空を眺めた。
「いいね。この島。気に入ったよ」
「そう思う?」
「なんだろう。気分が落ち着く」
「空気だけは美味しいもの」
「ここ、本当に呪われてるの?」
「動物を殺すまで血を吸ってみなさい。二度と動物の血が飲めなくなるわよ」
「まじ?」
「多分ね」
「ははっ! すげえ島! 気に入ったよ!」
遠くから海の音が聞こえる。木が揺れる音が聞こえる。フクロウが歌った。
「リトルルビィ、明日の用意は出来てる?」
「出来てる出来てる」
「ドレス着てみた?」
「メニーに着せられた。すごく綺麗だって言われたけど……今のわたしの柄じゃないっていうか……」
「メニーが言うなら間違いないわね。楽しみにしてるから」
「んー、前は好きだったけどさー。……今はなんか違うんだよなぁ……。……テリー、わたしスーツで参加したい。ジャケット無しで」
「駄目」
「そう言うと思った」
「クレアが用意してくれたんでしょ? 良かったじゃない」
「あいつうるせーんだよ」
「これからどうするの?」
「……まー、とりあえず……」
リトルルビィが背中を丸太に預けた。
「訓練には行く」
「勉強もしなきゃだめよ」
「たりぃ」
「……リトルルビィは将来したい事ってないの?」
「未来の事なんか考えても仕方なくない? わたし、今が良ければそれでいい」
「あんた、子供の世話とか得意そう。ベビーシッターなんてどう?」
「わたしが? あはは! バイトでやった事あるけどさあ。あれ、まじだりいよ。子供が泣き喚いたら泣き止むまでおんぶしてなきゃいけねえし。……子供って面倒臭い。……ベビーシッターはパス」
「じゃあ、お菓子屋の店員」
「パス。毎日暇そう」
「経営者」
「パス。わたしに経営なんてさせたら一瞬で金が溶けるって」
「図書館司書」
「絶対嫌だ」
「働くことは好き?」
「体動かすのは好きだよ。人に気を遣うのは嫌だけど」
「あんた、人に気遣ってばかりじゃない」
「そんなことねぇよ。だからキッドに叱られるし」
「あいつの言う事は気にしなくていいわ」
「あいつまじでだるい。こっちにも事情があるんだよ」
「何も知らないくせに言ってくるのよね」
「そうなんだよ。俺は全部知ってるぞって顔してさ」
「ご苦労様」
「テリーもね」
鳥が鳴いた。ホーホケキョ。フクロウが鳴いた。ホーホーホー。月がよく見える。あたしはアイスティーで喉を潤した。
「あのさ」
「ん?」
「テリーは考えてるの? ……将来のこと」
「あたしは考えてるんじゃなくて、決まってるの。紹介所の社長として働いて、ママが持ってる企業の引継ぎをして……そうなるとこの島の管理も任されるから……やらなきゃ。そろそろ本格的にね。……はあ。忙しくなるわ」
「王妃は?」
「……笑顔でみんなに手を振るだけでしょ」
「国の事を疎かにして別の仕事をする王妃なんか、誰も信頼しないと思うよ」
「はあ。バドルフ様もいい年だし、頼っちゃ駄目よね」
「そこはな」
「王妃業なんてやりたいわけじゃないのに」
「一つだけ良い方法があるよ」
「なに?」
「クレアと別れる」
リトルルビィがあたしの顔を覗いた。
「そうすれば王妃にならずに済む」
「……リトルルビィ」
その話題を持ってくるのはあんたらしくないわね。
「クレアと離れたら、あたしは誰を愛すればいいの?」
愛されないクレアはどうやって生きていくの?
「……冗談だよ」
ほら、答えたらむくれた。ソフィアといい、あんたといい、自分の首を絞めないの。女って馬鹿ね。自分で自分を痛めつけて。
(でも確かに王妃の仕事が重なってくるとなると自信がないわ。国内問題なんてあまり興味ないし、問題の解決策なんてあたしの小さな脳ではとても思いつかない。近付いてきた変な奴に騙されて終わりそう)
「……」
いや、
「リトルルビィが側にいてくれたら、平気かも」
「……あ?」
「リトルルビィは、それこそ……10歳くらいからずっと城にいて、クレアの側にいて、色んなこと見てるでしょう? 国内問題も、議会も」
「ああ、……まあ、な。そこら辺の人よりかは見てるかも」
「人を見る目も養われてる」
「クレアを見てるからな」
「あたしが無能でもリトルルビィが側にいてくれたら変な人に騙されることもないでしょうし、何かと教えてくれそう」
「どうかな。わたしもそこまでの知識はないし」
「あんたが何かしら身分の高い職に就けば、あたしを誘導することだって可能だわ」
「わたしがテリーを操るの?」
「そうよ。リトルルビィをあたしを操るのよ」
だとしたら、
「議員……は貴族しかいないし……妥当なのは騎士かしらね。『第一騎士団』」
――リトルルビィの耳がぴくりと動いた。
(あ、でも何かあれば、戦争に出向かないといけなくなるのか。……それは頂けないわね)
うーん。でも政治関係はリトルルビィの方が強そう。護衛としても強いし、頼れるし、何かあっても助けてくれそう。そういうところは悔しいけど、あたしは操られてる方が向いてる気がする。でも、操られるならそれ相当に信頼できる相手でないと。……。
(ああ、いいわ。この話題は頭が痛くなる。また後から考えて……いざという時はクレアとバドルフ様頼りよ。うん。そうしよう)
「……騎士……か……」
「リトルルビィ、やっぱりしばらくの間はクレアの右腕をやってなさい。そしたら、いずれやりたい事も見つかるわ。あたしもそれまでには……色々考えておくわ。……はあ……」
「……テリーはさ」
「ん?」
「わたしのこと迷惑じゃない?」
「え? なんで?」
「……結構、世話焼いてもらってるし……」
「あのね、あたしからすると、あんたはいつまで経っても可愛いルビィなのよ。耳に五つもピアスしてたって、口が悪くなったって、根本のあんたは何も変わってないんだから、迷惑なんて思ったこと無い。……ずっと可愛いわ」
「……じゃあ」
リトルルビィが静かに訊いてきた。
「側にいてもいい?」
「もちろん」
「……」
「クレアに見限られたらうちに来なさい。家族には引き入れられないけど、メイドの仕事ならあげられるから。お給料もそこそこいいのよ。もしくは、仕事案内紹介所の役員なんてどう?」
「……テリー」
「ん?」
「わたし」
リトルルビィが頷く。
「勉強する」
「ん?」
「ちゃんと……勉強する」
「……まあ、……無理しない程度にね」
あんたは無理して爆発して今があるようなもんなんだから。
「ゆっくりでいいから」
リトルルビィの頭に触れると、リトルルビィの目がカッ! と見開かれた。あたしは気にせず優しく撫でると、リトルルビィの目がぼんやりとしてきた。もういいかしらと思って手を離すと、――リトルルビィに睨まれた。
「……もっと」
「ん?」
「もっと」
「……もっと?」
もう一回頭を撫でる。よしよし。……もういい? 手を離すと、――リトルルビィに睨まれた。
「もっと」
「あんたね」
「もっと」
「もう14歳でしょ」
「うるせーな! まだ14歳だよ!」
リトルルビィが紙コップに入ってたアイスティーを飲み干し、手でぐしゃっと潰してから、あたしの膝の上に頭を乗せた。
「ちょっ」
「これなら良いだろ?」
リトルルビィがふんと鼻を鳴らした。
「もっと」
(……あんたは犬か……)
頭を撫でてもらうのが好きなのも、変わらないわね。
(……しょうがない子ね。……もう)
溜め息を吐いて、少し笑ってしまって、優しくリトルルビィの頭を撫でる。そうすれば、満足したように大人しくなる。
(星に笑われるわよ。ルビィ)
流れ星が夜空に流れる。
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