第16話 気まぐれキッド


 赤い絨毯の敷かれた廊下が崩れていく。異空間は闇へ溶けていく。キッドがあたしの肩を強く掴み、鋭くセイレーンを睨みつける。睨まれたことに傷付いたのか、セイレーンの鱗がきらきらと光り始め、大きな奇声を上げる。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 闇が光に包まれた。

 あたしは眩しくて目を伏せ、すぐに目を開けて辺りを見回すと、風景が変わっていた。



(‘ω’ っ )3



 そこは木造の橋の上。橋はどこまでも続き、下には海が広がっている。戸惑う表情のメニーに、キッドが大声を上げた。


「メニー!」


 メニーが顔を上げると、あたしがキッドに押されて、メニーがそれを支えた。


「ぎゃふっ!」

「わっ、と……!」

「無能なそいつを頼むよ」


 キッドがニッ、と笑った。


「テリーを守って」

「……はい」


 海の中で二酸化炭素が泡となり水面へと浮かぶ。橋の下を通る。音が鳴る。キッドは耳をすませた。いない。音が鳴る。キッドが目玉を動かした。いない。キッドが背後に振り返った。


 後ろから飛び出してきた。


「ぎゃあああああああああああああ!!」


 キッドが剣を横に向けると、鱗が硬くて火花が飛んだ。セイレーンが奇声を上げながら海へと飛び込み、またキッドの隙を狙う。キッドは今の感触を手で感じ取った。なんて硬い鱗だ。まるで石。鋼。ダイヤモンド。さて、どうしたものか。このまま剣で戦えばいずれ刃が折れる事だろう。じゃあ銃ならどうだ。いや、駄目だ。硬い鱗で弾が跳ね返って自分に当たりかねない。ならば、自分に出来ることからやってみよう。キッドは自分に出来る事から始めた。まずは釣り竿を用意して、海に投げて相手の様子を見る事にした。敵の観察はとても大事だ。

 おっと、どうやら引っかかったようだ。これは大物だ。キッドが釣り竿を引っ張ってみた。セイレーンが釣れた。セイレーンが橋の上に投げられ、びちびち跳ねた。キッドが近づき、比較的柔らかそうな所を目掛けて剣を振り下ろした。


「ほぎゃあ!」


 しかしセイレーンの鱗が硬すぎて、弾き返された。こいつはなんてことだろう。全身を硬い鱗で覆っているようだ。キッドは思った。鱗が邪魔だな。だったら鱗を取ろう。キッドは鱗取りを通販で注文した。配達員がやってきて、鱗取りをキッドに渡した。


「ハンコ、お願いします!」


 いつも配達ご苦労様です。キッドがハンコを押して、配達員は次の配達先へと馬を走らせた。キッドは新品の鱗取りに胸を弾ませて、まな板に乗せたセイレーンの鱗を削ってみた。


「ぎゃあ!」


 わお、素晴らしい! きらきら光る鱗が簡単に取れていくではないか! キッドは取れた硬い鱗をつまんでみて、観察した。すごい。硬くて大きな鱗。綺麗だ。


「あああああああ!!」


 セイレーンの尾びれが高らかに跳ね、キッドに一直線に振り下ろされた。しかし、キッドは後ろに側転して、軽々と避ける。手には鱗取りを持っている。


「これで綺麗にしてあげるよ。人魚姫」

「うううううううううう!!!」


 セイレーンが唸ると、空間がぐにゃりと歪んだ。

 橋に散らばったセイレーンの鱗の一部がきらきら光り始め、太陽よりも明かりを世界に照らした。



(‘ω’ っ )3



 浅瀬に線路が埋まっている。大きな海の上を列車が走る。どうやら列車では鬼と鬼を退治する者達が無限に戦っているようだ。炎がとても眩しい。一直線に列車が線路を進んでいく。窓から顔のないものと10歳の女の子とネズミと小鳥がどこかに向かって、静かに座って体を揺らしているのが見えた。女の子の髪の毛を結ぶゴムが不思議と輝いている。


 浅瀬の中で、セイレーンがゆらゆらと泳いだ。優雅に泳いでいた魚を追い抜かし、とんでもない速さで進む。その先には獲物がいる。キッドだ。キッドが牙を出して突っ込んできたセイレーンをかわす。セイレーンが岩にぶつかったが、怯む事なく振り返った。ふむふむ。なるほど。浅瀬で岩だらけ。となれば、ここはこれで行こう。キッドは網を出して、罠を張った。魚は人と同じだ。教えないと学ばない。学びを知らないセイレーンは網に引っかかった。


「それ来た!」


 キッドが喜びの声を上げると、セイレーンが怒ったように奇声を上げる。高すぎる声にキッドが耳を痛めて後ずさった。セイレーンが鋭い牙で網を噛み千切り、浅瀬に潜った。そして、キッドの足に噛みつこうと、目が追いつかない速さで動きで襲い掛かってきた。


 しかしキッドはとんでもない奴だ。そこにも罠を張っていた。後ずさったのはセイレーンに手招きをしていたのだ。網に引っかかったセイレーンは学びが活かされなかった。じたばた動く彼女にキッドがにやけながら鱗取りを握り締め、残った鱗を根こそぎ取ってやろうとセイレーンの背中に乗り、躊躇なく引っ掻いてきた。ガリガリガリガリ!


「ぎゃあああああああああああああああああああ!!」


 セイレーンが暴れて抵抗し、網が切れたので、キッドが鱗取りで引っ掻くのを止め、すぐさま後ろに下がった。切れた網から逃げ出したセイレーンが浅瀬の中で暴れ、のた打ち回り、残った鱗がきらきら光り出したら、また世界がぐにゃりと歪んだ。



(‘ω’ っ )3



 あたし達は長い小舟に乗っていた。真っ直ぐな川は海に向かって走っている。そこへ大量の魚がやってきて、小舟を頭で押してきた。小舟が揺れて、あたしとメニーが悲鳴を上げた。キッドが双眼鏡で前方を見て、指を差した。


「前方、クマを発見!」


 穏やかそうなクマが穏やかそうな目でそこに立っていた。何をしているんだろう? と言いたげにこちらを見ている。意思疎通をする為に、キッドがクマの着ぐるみを着た。


「おーい! ご飯だぞ! 美味しいご飯の時間だぞ! 今夜は魚だ!」


 魚と聞いた瞬間、クマの穏やかな目が期待を込められたようにきらきら輝き始めた。そして、あたし達の小舟を追ってきたかと思えば、小舟を押していた大量の魚を狙って強力な手を滑らせた。すると、魚が一匹、また一匹とクマの餌食になっていく。魚達はぎょっとして、我先にと逃げようとするが、あっちからこっちからクマや鳥がやってきた。魚達は食べられないように川を泳いだが、腹ペコグマと腹ペコ鳥がそれを追いかけた。こういう時、独り占めは良くないよな。ママに叱られてしまうと思って、仲間想いのクマと鳥は大きく声を出し、もっと沢山の友達を呼んだ。なんだろうと思ってやってきた腹ペコの友達は、大量の魚を見てとても喜んだ。わーい!

 魚達は鋭い牙を見せて威嚇したが、あっという間に東西南北から襲われて食べられてしまった。弱肉強食の世界はなんと残酷なのだろう。しかしクマや鳥だって、毛皮や肉となり、我々の血肉となるのだ。改めて全ての命に感謝しよう。


 キッドが踏み込み、未だに小舟を押す魚達の頭の上を踏ん付けて走り出した。テンポを崩してはいけない。とたとたととと。と走っていけば、なんとも美しく醜い魚を発見し、鱗が無くなった皮を目掛けて剣を突き立てた。


 すると、さっきと打って変わり、剣は簡単に肉の中へと入った。セイレーンが悲鳴を上げ、ぶるんぶるんと体を揺らし、キッドを投げ払った。キッドが小舟に着地した。でもその瞬間、行く先に川が無くなり、あたしはぎょっとする。メニーがあたしと小舟の端を強く掴み、ぎゅっと目を瞑った。小舟が滝から落ちた。キッドが小舟に掴まり、追ってくるセイレーンを見た。セイレーンが滝を泳いで落ちてくる。キッドが剣を構えると、逆の方向から魚達が集まってきた。あたし達の乗る小舟を避け、セイレーンに集合した。それによりセイレーンが巨大な魚になって、威嚇してくる。


 スイッチが切り替わる。キッドが舞台から降りて、クレアに戻った。


 美しい姫君が探偵コートを揺らし、マシンガンを構えた。小舟から狙いを定め、大量の魚達に銃弾を撃つ。魚達が怯んでいき、やがてセイレーンに辿り着いた。セイレーンの硬い鱗が銃弾を跳ね返すと、怯んだ魚の上に乗ったキッドが剣を出し、ぴょんぴょん飛んでいき、また鱗が取れた皮膚を目掛けて上からセイレーンを刺した。刃が肉を切り裂く。


 セイレーンが悲鳴を上げ、ぶるんぶるんと体を揺らし、キッドを滝の中に落とした。水が大きく跳ねた瞬間、世界がぐにゃりと歪んだ。



(‘ω’ っ )3



 水槽の中にキッドが沈んだ。セイレーンが獲物を狙うが如く、ぐるぐるとキッドの周りを回った。キッドは息を止め、観察してみる。すると、なんだかセイレーンの尾びれが気になり始めた。確かによく考えたら、大きな魚、しかも人魚の尾びれは触ったことがない。どんな感じなんだろう。触ってみたい。こんな衝動が始まれば矢も立てもたまらず、キッドはセイレーンを追いかけ、尾びれを掴んでみた。尾びれが激しく揺れ、キッドを揺らした。キッドはなんだか楽しくなってきて、セイレーンの尾びれに捕まったままついていく事にした。そうすると、まるで煩わしいと言うように、セイレーンが暴れ出した。硝子の水槽に体ごと当たりに行くが、キッドはそれを綺麗に着地してしまう。そして、踏ん付けて、勢いをつける為に硝子から足を飛ばす。セイレーンは嫌だと言うようにぐるぐる泳ぐが、キッドの目はどんどんきらきら輝いていく。――こんなアトラクション、初めてだ!! 


 なんだかセイレーンに同情したくなったあたしとメニーが、水槽の上から餌を撒いた。セイレーンが奇声を上げた瞬間、世界がぐにゃりと歪んだ。



(‘ω’ っ )3



 セイレーンが海の絵の中にキッドを連れていく。リトルルビィのように次の絵から次の絵へと加速して移動する。振り返ってキッドの様子を見てみれば、全く平気な顔をしたキッドがいる。しかも、更にキッドの輝く目が言うのだ。もっと出来るでしょ!? もっと!!


 セイレーンがぞっとした瞬間、世界がぐにゃりと歪んだ。



(‘ω’ っ )3



 セイレーンが浅瀬の底から飛び出してきた。ソフィアのように水の壁にキッドを閉じ込めた。その中で拳を固めて、キッドに振り下ろすが、その寸前でキッドがセイレーンに抱き着いた。セイレーンの拳が浅瀬に振り下ろされ、再び持ち上げられ、キッドに狙いを定めて振り下ろされた。その瞬間、キッドがセイレーンから離れてそれを避けると、セイレーンの胸に自ら振り下ろした拳が当たり、セイレーンの鱗が飛び散り、セイレーンが悲鳴を上げた。色の変わった胸の皮膚をキッドが剣で斬りつけると、血が吹き出し、セイレーンが甲高い悲鳴を上げ、鱗がきらきら光り出した。


 世界が再びぐにゃりと歪む。



(‘ω’ っ )3



 古びたピアノが置かれた夕暮れ時の海にセイレーンが現れた。

 禍々しいその姿は、いつどこで男を唆せて海に溺れさせてもおかしくはない。

 セイレーンは海を泳ぐ。そこへ美しい姫がピアノを弾いた。古びたピアノは久しぶりに弾かれた事への喜びに、とても美しい音色を出した。セイレーンがそちらに向かって泳いでいく。クレアが鍵盤を強く押した。すると、ピアノの弦が弾き、ぴゅんと空高く飛んでいき、急降下し、セイレーンの体と地面に刺さった。

 セイレーンが悲鳴を上げて、そこで動きを止める。クレアが振り返る。片手には、包丁を構えていた。セイレーンはぞっとした。この姫君は、本気で自分を気だと思った。食われると本能がセイレーンに警告し、セイレーンは逃げようともがいたが、弦がもりのように体と地面に突き刺さって動けない。


 海が夕焼けで赤く染まっていく。

 海が人魚の血で赤く染まっていく。

 にやけたクレアが近付いてくる。

 右手には包丁。左手には炙りバーナーを持っている。

 クレアが唇を舐めた。

 セイレーンが恐怖を感じて悲鳴を上げた。


 世界がぐにゃりと歪んだ。



(‘ω’ っ )3



 セイレーンはガラスで出来た海中トンネルに逃げた。

 クレアが大股で歩き、笑いながら追いかけてくる。待ちたまえ! どこに行こうと言うのだね!?

 セイレーンは体を引きずらせて逃げた。

 魚達がびちびち動いて、クレアに飛び掛かるが、銃に撃たれたら魚は天国へと旅立った。だからセイレーンは必死に体を引きずらせた。



(‘ω’ っ )3



 セイレーンは赤い絨毯の廊下に逃げた。

 クレアが追いかけてくる。

 セイレーンは体を引きずらせて、道に進んだ。

 クレアが銃を撃った。

 セイレーンが悲鳴を上げた。そして逃げた。

 クレアが銃を撃った。

 セイレーンが悲鳴を上げた。そして逃げた。

 クレアが鱗取りを取り出した。先端がきらんと光る。

 セイレーンがそれを見て、悲鳴を上げて、逃げた。


 世界がぐにゃりと歪んだ。



(‘ω’ っ )3



 そこは、秋のリンゴ畑であった。

 穏やかな風が吹き、海は一切ない、木と緑しかない畑であった。

 木が揺れる。リンゴも揺れる。どこを見ても、リンゴ、リンゴ、リンゴ。

 そこは、リンゴ畑であった。


 セイレーンが体を引きずらせ、一本のリンゴの木に近付いた。瑞々しい体を地面に擦りつけ、一歩、また一歩、リンゴの木に近付いていく。


 やがて、セイレーンの手が木に触れた。セイレーンが咳をした。大量の魚が胃から吐き出された。セイレーンが咳をした。もうこれ以上は出ない。セイレーンは虫の息だ。やるなら今だ。足音が近づく。しかし、もうセイレーンに逃げる力は残っていない。お腹が空いた。空腹だ。セイレーンは思った。男が食べたい。セイレーンは思った。男が欲しい。狂ってしまいそうな食欲が男を求めている。男、男が欲しい。男、男が、男が欲しくて、男、男、男の肉。


 男が、食べたい。

 心が乱れる。



 ――魔法のハープが奏でられた。



「メグ」


 セイレーンの目玉が動いた。


「ここにいたが」


 緑のネコを抱いた愛しい人が、自分を見つめていた。


「捜したがや」


 彼が微笑んだ。


「おめえ、そんな変な格好してたら、あっしだって気づかねべ」


 彼が緑のネコを離し、自分の前に跪いた。


「メグ、やっと会えたべさ」


 彼が優しく自分を抱きしめた。その瞬間、これまでにないほど、強く食欲が沸いてきた。涎が止まらなくなる。目の前の男を何が何でも食べたくなった。

 男だ。

 食べたい。

 男の匂い。

 食べたい。

 男だ。

 男が目の前にいる。

 男を求めてる。

 男が欲しい。

 男が食べたい。


 しかし、不完全体の人魚の脳が思った。


 駄目。

 彼は、駄目。

 食べちゃだめ。


 セイレーンの歯が彼の肩に向けられた。


 だめ。


 しかし、引っ込んだ。


 だめ。


 しかし、食べたい。


 だめ。


 我慢出来ない。


 だめ。


 このままでは食べてしまう。


 魚。

 目玉が魚を探す。

 魚を食べれば飢えを凌げる。

 魚。魚を男と思ってかじればいい。

 魚。魚。魚を食べないと、


 愛しい人を食べてしまう。


 心が乱れる。

 魔法のハープがそれを癒す。

 その音を聴けば、脳に少しだけ理性が戻った。

 セイレーンが作り出す異空間には魔法のハープが現れる。

 そしてセイレーンは必ずハープには近づかない。

 理性が戻ってしまうから。

 しかしハープは鳴り続ける。

 だって乱れたあなたを癒す事が魔法のハープの役目だから。

 魔法のハープは奏でられる。たらららん。なんて良い音色。

 セイレーンの心はみるみる癒されていった。

 歯が、マチェットの首の寸前で止まる。


「メグ」


 彼の声が耳に入ってきた。


「もう少しで春が来る」


 リンゴが揺れる。


「潮風が強くなって、海の音が大きく響くようになる」


 木の葉が揺れる。


「美しい春の花が咲いて、テリーの花が舞い散っていく」


 暖かな太陽が二人を照らす。


「春が来たら、メグ」


 マチェットがメグに微笑んだ。


「あっしと結婚してくれんか」

「二度目のプロポーズね」


 水が落ちる。


「プロポーズって、何度でも嬉しいのね」


 水がぼろぼろ落ちていく。


「マチェット」


 鱗の上に、水が滴る。


「愛してるわ。マチェット」


 メグが微笑んだ。


「あなたのお嫁さんになりたい」

「あっしもお前と家族になりて」

「ずっと愛して」

「ああ、もちろんだべ」

「この身が泡となっても」

「おめえが魚になっても」

「愛してるわ。マチェット」

「愛してるべ。メグ」


 どんな人でも、最強の魔法は一度だけ使える。人の命を救う事も出来る。ただし、一度だけ。使用方法は、自分で見つけなけばいけない。


 とても自然に、マチェットがメグと口付けを交わした。


 リンゴ畑に囲まれる中、木々に囲まれる中、風が揺れる中、二人は愛を誓い合う。食欲を失った人魚は、人として生きていく。鱗は泡となり、尾びれは足となり、どんどん溶けていく。まるで呪いが解けていくように、セイレーンの肌はどんどん泡となって溶けていき、泡の中から生まれたままの姿のメグが現れた。そんなメグを、マチェットが強く抱きしめる。


「メグ」


 メグの体から泡が流れていく。泡だらけのメグをマチェットは抱きしめる。そんな二人を――遠くから、巨人が見つめる。魔法のハープは目の前にある。手を伸ばして触れてみる。しかし、――巨人の手はすり抜け、魔法のハープに触れられない。当然だ。わかっている。わかっていた。


 オラは死んでいる。

 魂となったこの手で、魔法のハープに触れる事など、出来るわけがないのだ。


 人間の恋人同士が固い絆で結ばれる。巨人はそれを、ただ見つめるだけ。


 ロマンチックな二人のハートを切り裂くように、キッドが背後から襲い掛かる。


「消」


 手を掲げ、


「毒!」


 メグの首に思いきり注射器を挿す。


「っ」


 メグが目を見開き、体をぶるぶる震わせ、悲鳴を上げる代わりに、口からとんでもない量の泡を吐き出した。マチェットはメグを抱きしめ続ける。愛しい人が泡となって消えていく気がしたのだ。巨人には、その気持ちが良く分かる。世界が崩れていく。リンゴ畑が崩れていく。絵画のインクが落ちていくように、


「メグ、帰ろう」


 マチェットが低く囁いた。


「あっしと帰ろう」


 下へ下へ落ちていき、

 崩れていき、

 ぐにゃりぐにゃりと歪んでいき、

 やがて、


 色が崩れた。




 幸せそうな恋人同士を見て思う。




 ウンディーネ。

 お前が助かる為には、オラはどうすればよかったんだ。


 今更何を考えても、その命は溶けている。

 実行に移すことは出来ない。

 この手でお前を抱きしめることも出来ない。


 ウンディーネ。

 オラは、どうすればよかったんだ。


 後悔だけが残るんだ。




 ジャックは静かに瞼を閉じた。


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