第15話 捻じ曲がる迷宮


 壁一面に蝋燭が飾られ、火がゆらゆらと揺れている。地面には白い線で魔法陣が描かれ、大量のカラスの死体から流れる血、魚の死体、そして、よくわからない肉の山と、中心にメニーが倒れていた。部屋には鼻がひん曲がるような匂いが漂うが、あたしには関係ない。どうやらあたしの体は体調が悪いようだ。匂いを感じない。でもそれでも、微かに鼻の奥に腐った肉の匂いが届くものだから、吐きそうになって、出来るだけ口呼吸をしながら、あたしはゆっくりと魔法陣の中心へと歩み寄り、地面に膝をつけた。


 そして、両手をメニーに伸ばし――一瞬、メニーの首に手が向かって――その首を絞めて全てを終わらせられたらと思い――手を伸ばして――寸前で――クレアの笑顔が頭に過ぎり――あたしの両手はしっかりメニーの肩に触れて、その体を揺らした。


「メニー、起きて」


 メニーはぐったりしている。


「メニー」


 メニーは起きない。あたしはメニーの耳に近付いて、耳元で、大きく息を吸い込み、……叫んだ。


「わっ!!!!!!!!!!!」

「っ!」


 メニーがびくんっ! と体を痙攣させて、目をぱちっと開く。美しい青い目がきょろきょろと動き、あたしを見て、ぽかんとした。


「おねえ……ちゃん……?」

「おはよう。メニー」


 あたしはメニーの手を引っ張り、上体を起こした。


「さ、立って」

「お姉ちゃん、ここは……?」

「異空間よ」

「……」

「あんた、ここに連れて来られたらしいわよ」

「……お姉ちゃんも?」

「馬鹿ね。あたしがこんな血生臭いところに連れて来られるわけないでしょ」


 メニーに笑顔を浮かべる。


「あたしはね、あんたを迎えに来たの」


 そして、優しくメニーを抱きしめる。


「もう、心配したんだから。メニー」


 青い瞳がぼんやりとして黙り、あたしの背中に手を回した。


「無事でよかったわ」

「……」

「はあ。いつまでもこんな所にいたら、鼻がおかしくなりそう。ハープを探すわよ。出口はきっとそこにある」

「お姉ちゃん」


 メニーがあたしの手を握り締めた。


「来てくれてありがとう」


 青い瞳が蝋燭の火に反射して光り、美しく微笑んだ。


「こんな所、早く出ちゃおう」

「メニー、魔力でどうにかならない? せめてハープがどこにあるかとか……」


 突然、部屋のドアが勝手に閉められた。


「っ」


 メニーが天井を見上げた瞬間、部屋が大きく揺れた。あたしは周囲を見回す。


「な、何!?」

「お姉ちゃん!」


 メニーがあたしの手を引っ張った。水の流れる音がした。振り返ると、天井から細い水が壁に沿って流れている。あたしとメニーが恐る恐る見上げると……天井に穴が空き、水が一気に吹き出してきた。


「っ!」


 部屋に水が流れ、溜まっていく。肉片が浮かび、カラスの死体が浮かび、濡れた蝋燭の火は抗うようにより強く燃えてみせた。あたしは慌ててドアを引っ張る。しかし、ドアは固く、開けられない。


「何よ! どうなってるのよ!」

「お姉ちゃん、ちょっと離れてて!」


 あたしが下がると、メニーが集中し、魔力を溜めてドアに両手をつけ、命じる。開け。……しかし、ドアには既に別の魔法がかけられており、メニーの命令が拒まれた。メニーがはっとしたように息を呑み、ドアをまじまじと見つめた。


「……魔力……?」


 メニーがドアを撫で、……眉をひそめた。


「……何なの……。この魔力……」

「メニー! どうなってるの!? 進捗は!?」

「お姉ちゃん、このドア、開けられないように誰かが魔法をかけたみたい」

「は!?」

「すごく強い魔力を感じるの」

「……メニーでは開けられないの?」

「うん。……わたしでは出来ないかな」


 天井から水が落ちてくる。


「……え、じゃあ、どうするわけ?」

「……うーん……」


 のんびり考え出したメニーを見て、あたしは思った。――こいつ、使えない!!


(あたしが何とかしないと! よし! ドロシー!! 助けてーーーー!!)


 そうこうしていく内に水は室内へと溜まっていく。もう腰まで来てしまった。カラスの死体は水面を泳ぎ、肉片はふわふわ浮かぶ。


(ドロシーーーーー!)


 濡れているはずの蝋燭の火がゆらゆらと揺れる。その光に釣られるかのように水の中で、影が蠢く。ゆっくり、ゆっくりと水面に姿を現していく。


「っ!」


 あたしは息を呑んだ。メニーが振り返った。


「ほぎゃっ」


 セイレーンが鼻をぴくぴくさせた。


「ほぎゃ」


 体がびくんと揺れる。


「ほぎゃあ」


 体がびくんびくんと揺れる。


「ぎゃああ」


 体の皮膚がびくんびくんと痙攣する。


「おんぎゃああ」


 赤ん坊の声で鳴いた。


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

「ひっ!」

「お姉ちゃん!」


 メニーがあたしの手を引っ張って、耳元で言った。


「巨人が起きて!」



( ˘ω˘ )



「ぎゃあ! ぎゃああ! ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 あたしは目の前に現れるセイレーンを見上げる。


「またおめえか」

「ぎゃあああああああああああああ!!」

「なんだ。この水は。どうなってやがる」

「あの!」


 あたしは声をかけられた方向を見た。


「ドアが開かなくて!」


 その少女を見て、――あたしはきょとんとした。


「開けられますか?」

「……お前、開けられねえのか?」

「……はい。……ここでは出来ません」

「ああ。……なるほどな」

「ああああああああっっっ!!」


 襲い掛かってきたセイレーンの頭を片手で掴み、壁に投げ、叩きつける。


「ぎゃっ!!」


 セイレーンが水の中に落ちた。あたしはドアに触り、とんとん、と軽く叩いてみて――蹴り飛ばした。ドアが破かれ、水が外へと雪崩れた。


「あー」


 水が無くなった室内で、セイレーンが地面に這いつくばって、赤ん坊のように近付いてくる。


「あーー」


 あたしは拳をごきっと鳴らすと、魔女があたしの腕を掴み、引っ張って外へと走り出した。


「あーーーーーー」


 二人で走り出すと、セイレーンが四つん這いで追いかけてきた。尾びれを大きく揺れ動かし、あたし達から絶対に視線を逸らさない。だからあたしは魔女に助言をする。


「逃げても無駄だぞ。あいつ、いつまでも追いかけてくるつもりだ」

「戦っても勝ち目はありません!」

「ああ。あいつが死ぬか、オラ達が食われるか、どちらかだろうな」

「魔法のハープがあれば助かります! ですが……!」


 魔女はあたしを見る。


「お察しの通り、この空間自体に強い魔法がかけられてます! わたしには、逃げる事しか出来ません!」

「ああ。オラですら方向も匂いも全くわからねえ。こいつは強い魔力の持ち主の仕業と見た」


 嫌な奴を思い出す。

 ウンディーネに足を与えたあの魔女を思い出す。


「ハープの場所、わかりませんか!? このままじゃ、お姉ちゃんまで……!」

「魔法のハープは心を乱した者の前に現れる」


 あたしが足を止めると、魔女の足もつられて止まる。


「っ!」


 転びそうになり、魔女が踏ん張り、あたしに振り返った。


「意味、わかるな?」

「え?」


 あたしはそのまま魔女を突き飛ばした。


「きゃあ!」


 魔女が地面に転がる。そして、唸りながら起き上がると――。


「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

「っ!!」


 魔女が慌てて腰を引かせるが、セイレーンに足を掴まれる。


「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

「い、嫌!」


 魔女が振り返った。


「何をっ……!」


 にやけるあたしを見て、魔女が愕然とした顔をする。悪いな。オラはもう麻痺しちまってよ。なかなか心を乱す事が出来ねえんだ。


(せいぜい乱れてくれよ。ニンゲン)


「まさか……」


 魔女があたしを見つめる。


「わたしを……囮に……」


 あたしがクスッと笑うと――魔女はセイレーンに引きずられる。


「っ!!」

「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 魔女の顔の前に、セイレーンが大きな口を開ける。尖がった鋭い牙を見せる。おぞましい光景に魔女が顔を青くした。しかし、次の瞬間には青い瞳が淀み、彼女の手から魔力の塊が飛ばされた。


「ぎゃあ!」


 セイレーンが飛ばされる。魔女が立ち上がり、もう一度セイレーンに魔力を飛ばした。


「ぎゃあ!」


 魔力を飛ばした。


「ぎゃっ」


 魔力を飛ばした。


「あっ」


 魔力を飛ばした。


「ほぎゃっ」


 魔力を飛ばした。


(おいおい)


「そいつの心を乱してどうするんだ」


 ――魔女がゆっくりとあたしに振り向いた。その目を見たあたしは――ぞっと血の気を引かせ、思った。――まずい。――あたしは足を後ずらせる。


「へへ、いちいち、怒るんじゃねえよ。魔法のハープの在処を知りたがってたのはお前じゃねえか」


 魔女があたしに近付いてくる。


「オラは魔法のハープが現れるタイミングを知っている。だから、お前の心を乱そうとしただけじゃねえか!」


 魔女が近付いてくる。


「殺すつもりは無い! いざって時は、オラが助けてやるつもりだった! その為の囮だ! 魔法のハープはそれくらい心を乱さないと……」


 魔女が歩いてくる。


「よ、よせ! やめろ! オラに近付くな!」


 背中に壁がついた。


「ぐっ! ち、畜生!」


 あたしが急いで逃げようと振り返ると、――青い瞳がオラの顔を覗いていた。不気味な青色に、オラの呼吸が止まる。舌が一気に渇いた。背筋が凍る。巨人の強い心は消え失せる。形の整った唇が動く。


「さっさと消えろ。この木偶の坊」


 囁いた。


「テリーが起きて」



(*'ω'*)



「「……」」


 メニーがぼうっとしている。あたしはぱちぱちと瞬きする。


「……メニー……?」

「……あれ……わたし……何して……」


 突然、メニーが跪いた。


「痛っ……!」


(え?)


 あたしは見下ろして、ぎょっと息を呑む。メニーの左足首に痛々しい痣が出来ていたのだ。


「ちょっ、え、それ、なに……は!?」


 地面に白目のセイレーンが倒れている。


「メニー、何があったの?」

「……え、わかんない……」


 メニーが自分の震える手を見つめた。


「わたし……どうしたの……?」


(まずい。あたしまで何も覚えてないわ。……はっ! やべ! メニーが跪いてる!)


 好感度を維持しなければ! あたしは心配そうな顔をしてメニーに手を伸ばした。


「酷い痣だわ。早く手当てしないと。メニー、立てる?」

「大丈夫……」

「中毒者が気絶してるわ。今のうちに魔法のハープを探しましょう」

「うん……」


 ふらつくメニーと手を繋ぎ、倒れているセイレーンを無視して先へ大股で歩き出す。しかし、先にあるのは赤い絨毯が敷かれた廊下のみ。


(どこかに魔法のハープがあるはず)


 くそ。早くここから出ないと。

 あたしの足が一歩先を歩いた。


 ――直後、セイレーンが意識を取り戻した。


「ほぎゃあ」


 赤ん坊の声に、あたしとメニーが硬直した。


「ほぎゃあ、おぎゃあ」


 あたしとメニーが振り向く。セイレーンはブルブルと首を振って、顔を上げ、目玉を左右反対方向で動かし、あたしの姿を見つけた後、けたたましく叫んだ。


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 あたしはメニーを引っ張り、一目散に駆け出した。すると、目の前の赤い絨毯の廊下がぐにゃりと歪み、一本道ではなくなった。壁が生まれ、曲がり角が生まれ、道が上下にねじ曲がり、天井からは細い水が流れてきた。あたしはぞっとし、振り返り、メニーが青い顔をしていて、その後ろからはセイレーンが地面を這いつくばってあたし達を追いかけ始めていて、あたしは再び走り出した。


(魔法のハープは心を乱した者の味方!)


 心が乱れたら現れる。


(あたしの心は乱れまくりよ! だから、早く!)


 メニーが引っ張り、廊下を走る。魔法のハープよ、手の鳴る方へ。


(早く!!)


「おんぎゃあ」


 セイレーンが追いかけてくる。


(まだなの!?)


「ほぎゃあ」


 尾びれを引きずる音が聞こえる。


(やばい、近づいてくる、やばい、やばい!)

 

「あああああ」


 セイレーンが追いかけてくる。


(早く、魔法のハープ!)


「あああああああああああああああああああああああ」


 あたしたちは必死に走る。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 いつまで続く。

 迷宮の廊下。

 いつまで走ればいい。

 魔法のハープはどこだ。

 どこかにあるはずなのに。

 辿り着けない。

 会えない。

 まだ間に合う。

 まだ助かる。

 あたしの足が動く。

 巨人の足が動く。

 濡れた廊下を走る。

 海の中を走る。

 間に合って。

 間に合え。

 魔法のハープ。

 ウンディーネ。


 助けて。


「「っ!」」


 あたしとメニーの足が止まった。下から壁が天井まで上がってきたのだ。


「メニー、穴を空けられる!?」

「やってみる!」

「あああああああああああああああああ!!」

「「っ!」」


 あたしとメニーが振り返った。一本道の廊下。セイレーンが、奥から追いかけてくる。


「メニー! 早く!」


 メニーが集中して魔力を溜める。 


(大丈夫、大丈夫、大丈夫!)


 セイレーンが近付いてくる。


(大丈夫! まだ距離がある。大丈夫!)


 どんどん近付いてくる。


(大丈夫、まだ、多分、まだ……!)


 セイレーンの顔がはっきり見える。


(まだ……)


 笑ってる。


(メニー! 穴は空いた!?)


 メニーは集中している。――使えない奴め!!


(くそ! このままじゃ間に合わない! どうする!?)


 クマのハンカチはない。


(どうする!?)


 魔法の笛も持っていない。


「ぎゃあああああああああああああああああああああ!!」


 セイレーンは、もう目の前だ。


(えーーーーーい!!)


 あたしはセイレーンに向かって走り出した。メニーがはっと目を開けて、あたしに振り向いた。


「お姉ちゃん!?」

「壁に穴を開けて!」


 セイレーンが奇声を上げる。


「早く!!」

「お姉ちゃん!」

「げっ」


 速攻で左足を掴まれた。


「しまっ」


 右足を掴まれた。


「あだっ!」


 地面に倒される。


「いっ!」

「お姉ちゃ……!」


 セイレーンがあたしの見つめ、叫んだ。


「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


(嫌ぁぁぁああああああああ!!)


 目に見えない速さで簡単に捕まってしまった! 流石あたし! ソフィアやリトルルビィを見てるから、時間稼ぎくらいなら出来るかもしれない、もしかしたらあたしが奇跡を呼ぶかもしれない、と思ってみたけど、あたし、やっぱり一般人だわ! 何にも出来なかったわ! だって、あたし、か弱い乙女だもん!


(やばい! あたし、これ、冗談抜きに本気でやばい!)


 セイレーンが充血した目であたしを見ている。


(まずい)


 この感じ、あたし、なんとなく知ってるの。――命が無くなる気配がするの。


「離して! 離してよ!!」


 メニーが走り出すが、横から水が噴き出し、メニーの行く手を阻んだ。メニーが叫んだ。お姉ちゃん! 水があたしに纏わりつく。どんどん体が水に吸い込まれていく。いや、違う。――セイレーンの中に、あたし自身が引きずり込まれている。


(ひぃっ!)


 セイレーンは笑っている。にやけている。赤子のように笑っている。


 きゃははははは! あははははは!


「い、嫌ぁ!」


 あたしは悲鳴をあげる。


「やめて! 嫌! あたし、死にたくない!」


 誰か、

 

「助けて!」


 メニーが手を伸ばす。

 セイレーンが笑う。

 あたしは叫ぶ。




「誰か、あたしを助けて!!!」





















 セイレーンの二本の腕と二本の手が別れを告げた。切れた部位から血が吹き出し、セイレーンが悲鳴をあげる。


「貴様は罪を犯した」


 セイレーンの悲鳴が響き渡る中、メニーが噴き出す水の口を塞いだ。顔を上げれば、いなかったはずの救世主が立っていた。


「あたくしは貴様をさばく者」


 強く抱き寄せられる腕にほっと息を吐いて、あたしは静かにその胸に抱きついた。


「初めまして。ようやく会えたな。中毒者」


 クレアが剣を抜き、痛がるセイレーンに笑顔を向けた。


「人を殺めた罪、呪いを受けた罪、メニーを人魚にしようとした罪、そして、あたくしのダーリンを体内に取り込もうとした罪……」


 スイッチを切り替えた。


「俺が」


 キッドが剣を振り、構えた。


さばいていくぅ!」


 キッドが笑みを浮かべ、セイレーンを睨んだ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る