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夏期講習はお盆までには全日程が終わり、お盆明けの金曜日に講師たちで打ち上げをやることになった。どうやらそれは恒例の行事らしく、講師用掲示板の真ん中には、手書きのチラシが貼られていた。「夏期講習打ち上げ!」と書かれた丸っこい文字を見ながら私は参加を躊躇した。親しい講師のいない私にとっては、周りに気遣って余計に疲労度を増して終える可能性が高かった。大学でも、2回に1度は酒ではなく人に飲まれた。


チラシの下の方には「会費3,000円」と書かれ、さらに下には米印で「兼山塾長の寸志に期待してまーす」とわざと崩した字で書かれている。ということは兼山は来ない。


私は不参加を決め、またそのことを誰にも伝えずにやり過ごそうとしたが、笠奈に「出るんでしょ?」と言われあっさりと意志を変えた。ミキちゃん(作者注:ミキちゃんとは「私」が前回夏期講習で教えることになった中学二年生の女生徒)との講習の最終日、笠奈から

「今日は少し残ってほしい」

と言われ、昼過ぎまでミキちゃんが帰った後の席でそのまま待っていると、昼ごはんに誘われ、そのまま駅前のマックへ行った。私は家に帰りたかった。店に入ってなんとかセットをトレイに載せ席に着くと、案の定この4日間、ミキちゃんにはどんな指導をしたかみたいなことを聞かれた。なるべく話が膨らまないように、注意して無難に回答した。ハンバーガーの味もあったもんじゃない。覚えているのはパンの歯ざわりと、ピクルスのアクセントくらいだ。

だがビッグマックを半分ほど食べ終わった頃から、笠奈の態度が柔らかくなってくる。

「昨日ミキちゃんと電話で話したんだけどさ」

とアイスコーヒーのストローを口に加えながら身を乗り出してくる。

「ミキちゃん、あなたのことすごく気に入ったみたいよ。教え方もわかりやすかったし、休憩中のおしゃべりも楽しかったって」

私はつい1時間ほど前までやっていた授業のことを思い返した。講習も4日目になると、緊張感も消えてきて、かなり打ち解けた関係になった。授業、と言っても私の場合は宿題がメインで授業中は、そこでつまづいた箇所をフォローしていくだけだ。解法のテクニックや、小テストの類はまずやらない。ミキちゃんは私が普段見ている生徒とは違い、出した宿題は必ず全部やってきた。この部分は時間があったらでいいよ、と言った箇所も律儀に解いてくる。それが新鮮だったので、私は少し過剰にほめてしまった。別にやる気を出させるための演技ではなかったが、私の「すごい」や「えらい」がミキちゃんにとって、私の印象を良くしたのかもしれない。おそらく今ごろ軽井沢への家族旅行の準備をしていることだろう。冗談で

「お土産買ってきてね」

と言ったら

「おっけーです」

と返ってきた。私は、あわてて

「うそうそ冗談。ていうかお土産とか、もらっちゃダメなんだよね」

と意味のない嘘をついてしまった。別に兼山からは、お土産をもらうなというお触れは出ていない。禁止されているのは、生徒との電話番号やメールアドレスの交換だ。だから、さっき笠奈が「昨日電話で......」と言い出した時には、一瞬動きが固まってしまった。もちろん、それを咎めようとか兼山に言いつけてしまおうとは思わない。笠奈がルールを破ったからといって私には関係はないし、私はどちらかと言えば兼山の方に悪いイメージを持っている。


その後笠奈とは、とりとめのない話をした。お互いの大学とか住んでいるところなどを言い合った。笠奈は私の2つ歳下で、都内の大学へ通っていた。中学は同じ所を通っていたが、2年の途中で引っ越してきたため、私と同じ校舎内にいた事はなかった。

「俺が卒業するのを待ってたの?」

と聞くと

「うん」

とまったく躊躇なく言った。最初から笠奈のほうが歳下だということはわかっていたし、今も2歳下だということを改めて確認したが、笠奈の方は、まるで敬語とか、へりくだる様子はない。アイスコーヒーを飲み干すと、笠奈は鞄から携帯電話を取り出し「番号とアドレス、教えてくれない?」と言ってきた。断る理由は無いので教えた。


私は、笠奈について、単純な女だなと思った。出会った時は、かなり警戒をしていたが、一度打ち解けてしまえばどんどんこちらへ寄ってくる。おそらくミキちゃんが、かなり好意的に私のことを報告してくれたのだ。中学2年生の言うことを真に受けるなんて、無防備である。無防備、という自分の言葉に、私は反射的に笠奈の胸元に目をやる。笠奈は白いノースリーブの襟付きシャツを着ていて、中はちらりとも見えない。当然ながら、性格と外見は無関係なのだが。

「そんで、またミキちゃんの話に戻るけどさ。ミキちゃんあなたのこと好きだと思うよ」

さすがに私は食べていたポテトを喉につまらせ、むせてしまう。

「何言ってんの? 4日しか一緒にいなかったのに」

「んー。なんとなく。だってすごく楽しそうに話してたから」

「授業が楽しかった、てだけでしょ? それだけで好きとかないんじゃない?」

「かもね。てか、もし告白されたらどうする?」

「どうするって断るよ。だって9つも下だし」

「そうなの?別に大人が中学生と付き合ったっていいじゃん。私の友達にもいるよ。中学生と付き合って男の人いるよ」

本当は”好きだと思うよ”の時点で、ミキちゃんと付き合うシミュレーションを頭の中で展開していて、まあ慎重に付き合うのなら、ありなのかもなとか思ったりした。だが、笠奈に「犯罪者」と言われそうな気がしたのできっぱり”断る”と宣言してしまったのだ。笠奈の意外な答えになぜか後悔した気持ちになる。

「ていうかさ、自分は大丈夫なの?例えば10歳上の人と付き合ったりするのは?」

「人による」

極めてリアルな答えだ。

そんな風に笠奈と打ち解け、帰り際には「来るんだよね?打ち上げ」と聞かれ、行くと答えてしまった。

「それじゃあ一緒に行こうよ。もし嫌じゃなかったら迎えに来てくると助かるんだけど」

私の返事を聞き流しながら、笠奈は旧道沿いの弁当屋駐車場に、6時45分に来るように言った。五差路手前のガソリンスタンドの向かいだ。笠奈の家は、その奥200メートルのところにあるらしい。

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