十字路

fktack

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これは国道n号線についての散文である。



国道n号線は、埼玉県をおよそ南北に縦断する道路で、南下すれば川越や大宮を抜け東京へ、北上すれば秩父の山を通って山梨だか長野へ抜ける。どこが源流でどこで終着になるかは知らない。調べればわかるのだろうが、興味がない。言いたいのは、それが埼玉を通る国道で、そして私の家の裏を通っているということだ。今でこそ片道2車線で、中央分離帯には公園のような緑が生い茂って、主要道路のように振舞っているが、子どもの頃はオレンジ色のセンターラインで区切られただけの、ただのアスファルトの平面だった。路面はひび割れ、隙間から雑草が生えていて、なんとなくみすぼらしい。手入れの行き届いていない中年女の皮膚のようだ。歩道なんて気の利いたものはなく、かろうじて車道と歩動を区切る白いラインが引いてあるだけだった。しかもそれはひび割れから生い茂った雑草によって、しばしば寸断されている。車の方は、歩行者の存在なんか頭の隅にすら浮かばない様子で、ひたすら黒い煙を吐き出しながらびゅんびゅんと通り過ぎて行った。


幼い私は母と一緒に、度々その裏の道を渡った。渡った先には駄菓子屋があり、そこでお菓子を買ってもらうのが通例だった。それは確かに楽しみではあったが、渡る瞬間は汗ばむ指先で母の手をつかみ、左右を何度も確認し、母の「せーの!」の掛け声で、弾けるように道路へ飛び出た。少し先には歩道橋もあったのに、母はそこを渡ることは一度もなかった。面倒臭かったのだろう。


道路は少し先で二手に別れ、それぞれの行き先は微妙に違っていた。もともとは一本の道路だったが、私が生まれる前に渋滞解消のためのバイパス道路ができたのだ。そのため、後からできた方の道を、大人たちは何のひねりもなく、「バイパス」と呼び、元の道は「本線」と呼んで区別した。だが、それは逆だった。大人になった私が、ある日、道路地図で確認してみると、後からできた「バイパス」が本来のn号線で「本線」はただの県道だった。元は「本線」の方がn号線だったのだが、工事の後で変更されたのである。それでも呼び名が変わらなかったのは、途中で変えるるとややこしくなるからだろう。私はその発見を父親に報告したが、話の根本から理解できていない様子だった。

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