第42話 部隊の撤退支援

 四十八名、および単独狙撃手スナイパーのフォロー付き。

 損害、死者三名、四十名負傷。

 ――たった一人の相手にこれだけの損害を出しておきながら、目的は達成ならず。はっきり言って、大隊長である彼は、報告に戻るのが嫌だった。

 もちろんそれは気分的な問題であって、決して口にはしないし、態度にも出さない。それぞれ六名の部隊で治療させているが、三名の屍体は持ち帰るべきだろう。街中を通ると目立つので迂回する必要もあるし、この近辺だとて魔物はいる。

 地図を開いて腕を組み、考える素振りはしているが、経路よりもむしろ、損害の方に意識が向く。


 いや、そもそも。

 あの女は一体、何だったのか。


 準備は整っていた。

 各部隊は展開しており、狙撃兵の配置も済んだ頃合い。ちょうど彼が、状況開始と通達して、先頭の部隊が距離を詰める段階での接敵。

 警戒はしていたはずだ。

 不意を討たれたわけでもない。

 だが現実は、通信途絶。

 実はこの時点で、全体に停止命令を出し、すぐに通達を行った。

 罠だ、と。

 これから先遣部隊を助けに行く。だが、助けに行かなければならない状況からして、罠が仕掛けてある。全部隊に最高警戒を促し、背中合わせで全方位警戒をしつつ、通信が途絶した地点に向かうこと。

 もちろん、全部隊を向かわせたわけではない。六名二部隊だけだ。


 ――失敗だったのだろうか。


 いや、そんなことはない。見捨てて目的を進めることは、大隊長として選択できなかった。

 冷静に盤面だけを見れば、その警戒をした時点で、屍体や負傷者を使ったトラップを選択から除外したのだろう。

 集まった部隊の中央に放り投げられた閃光弾フラッシュバンは、罠というよりも攻撃だった。

 通信を繋げたままの行動であり、報告はすぐ上がってきた。

 閃光弾――その言葉に紛れて、他部隊が自然を使った罠にはまる報告が連続する。

 彼は動じなかった。

 耳を澄ませるよう、その中に紛れた、接敵したと、その一言を掴む。

 女だ。

 一人。

 そこでようやく、彼も疑念を抱く。

 一人だけ?

 その事実を飲み込めば、背筋が震える。ありえないと否定するのは簡単だが、目の前の現実を否定しないのが軍人である。

 結果を考えたところで、よくわからない。

 最初に接敵して、閃光弾を投げられた部隊だけが無事だなんて。

「大隊長殿」

「ん……ああすまない、どうした?」

「街の傭兵が四名ほど、挨拶にきています」

「挨拶……?」

「よう」

 部下の裏から、一人の男が手を挙げながら、近づいてきた。

「治療道具、主に止血剤と包帯を中心に集めてきた。手を貸すまでがこっちの仕事だが、いらんなら物資だけ受け取ってくれ」

「何故だ?」

「料金分の仕事だよ。――街に来た女と接触した」

「――各部隊に通達、物資を受け取るように。いらん争いをするなと伝えておいてくれ」

「諒解であります、少尉殿。撤退準備を進めます」

「急ぐな。安全を確保しつつ、動けるようになるのを先決にな」

「はっ、では戻ります」

 大きく、深呼吸を一つ。

「……久しぶりですね、大尉殿」

「よせよ、昔の話じゃねえか。今はお前も少尉か、大変だろ」

「はは、責任そのものよりも、今は現状の方が大変ですよ。――詳しく聞いていいですか」

「敬語はやめろ、こっちはその日暮らしの傭兵だ」

「でしたね。いや失礼、そうさせてもらおう」

「何があった」

 先ほどまで考えていた大まかな流れを説明すると、煙草に火を点けた男は、彼に箱ごと渡す。

「吸えよ」

「……じゃあ遠慮なく」

 部下の前では、職務中でもあるし吸える立場でもないが、相手から勧められれば別だ。言い訳もできる。

「先遣でサーベルが十一人、初動としては早かったな」

「――全滅か」

「いや、一人だけ生き残ってる。そいつが案内人なんだが、現実には訪問者ヴィジター二名が連れて来た、というべきか。こっちは間抜けな商人に雇われてな、いわゆるお前らから逃げてくる場合の確保だ」

「なるほど、入り口は地形を見れば一ヶ所に絞れる」

「隠れながら、狙撃も配備して、商人が接触して保護を伝えた――んだが」

 彼は頭の裏を掻く。

「結論から言えば、最初から失敗してた。握手をした商人の手を握りつぶして、両足首を踏みつぶし、肩を外されて病院行き。その騒ぎの間に、周囲に展開してた――俺も含めて、部隊全員が気絶させられて商人の傍に転がされたよ」

「――あんたが、やられたのか?」

「俺を何だと思ってるんだ、人間だぜ?」

「格闘訓練も射撃も、ずっとあんたが上位だった。それを見て憧れない兵士はいない」

 だから。

 彼が軍を去った時、どうして自分は誘われなかったのかと、そう思った。

 恨みではなく、ただ、まだやるべきことがあると、そう飲み込んだ。

「……俺にだって思うところはあったんだけどな。ちなみに、俺をやったのは男の方だ。商人を潰したのが女で――ま、気絶から戻ったら、言われたわけだ。料金分の仕事として、依頼主を病院へ送って、お前らの撤退を手伝ったらどうだ――ってな」

「正直に言って、助かる。治療も満足にできず、移動もできなかったからな」

「――足か?」

「左の太ももにナイフを突き刺された。笑いながら、――運が良かったなと、そう言われたよ。どうにも、最初の接敵では楽しくなってつい殺してしまった、と」

「サーベルと男が逃げる時間を稼ぎに、単独での接敵だな。ただし、一人でも充分だという前提があった上でな」

「なあ、可能なのか? 現実を疑いはしないにせよ、単独で大隊を相手に立ち回りだぞ?」

「あいつらは、ただの訪問者ヴィジターじゃない。何がどうと、そんな確信はないが、たぶんあの女にとっては、特に意気込む必要もなく、――をした、俺はそう感じている」

「戦闘民族か?」

「違うな、そうじゃない。むしろ軍という仕組みも熟知している感じがある。傭兵の動き方もそうだが――状況の流れの作り方さえ手慣れていた。自分に置き換えてみろ。仮に、見知らぬ土地に来たとして、軍の相手ならともかくも、街へ入った時にどこまで対応できる? 少なくともあいつは、予想していた」

「だったら、ここへ来ることも予想済みか?」

「もしもそうなら、準備だが……そういう感じでもねえな。言っておくが、たぶん、まっとうな人間だ」

「……突き詰めれば、あのくらいにはなれる?」

「そうらしいな――っと、どうかしたか?」

「魔物の群れ。森を荒しすぎたかも」

「おう」

 どこかぼんやりとした女性の言葉に、頷きを一つ。男も痛む足を気にしないよう、地図を畳んで立ち上がった。

「――状況はどうか。魔物が近づいて来ている、動ける部隊から報告を」

 半分以上の部隊から、撤退開始との報告が上がる。彼は大隊長、撤退は一番最後だ。

「メーコ、屍体の運搬はこっちでやる」

「もうやってるよう」

「……お前ね、そういうのは言えよ」

「必要?」

「まあいい、動きが早くて大変よろしい」

「ん」

「シノメの撤退支援、誘導はフェルに任せろ。最悪の状況になったら見捨てろ」

「諒解」

 狙撃銃を持った女は、頷きと共にすぐ移動をする。

「しんがりか、すまないな」

「言ったろ、最悪の状況だったら見捨てて生き残ることを選択するさ。一応こっちも傭兵だからな」

「報告書には書いていいのか?」

「そういう気遣いは必要ないさ。料金はほかから貰ってる」

「そうか、わかった」

 しばらくして、すべての部隊から撤退の報告がくる。徒歩での移動だ、時間はかかるが、撤退経路は事前に計画済みだ。混乱することは――魔物が追い付かなければ、大丈夫だろう。

 そして、その可能性に対処するのが、大隊長の役目だ。

「いつの間にか、軍人のツラになってるな」

「――そりゃそうだ。大隊を預かって、間抜けなツラになれるかよ」

 まあ、そうだが。

 かつてのヒヨっ子がここまで成長したのかと思えば、感慨深かった。

 おもいのほか、嬉しいものだ。



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