第10話 お別れの日
一年という時間が短いってことを、私は初めて知った。
「ということでクロ、そろそろ一人立ちして生きろ」
「え? あーそっか、ちゅーいどのも先生も、一年くらいが
戦闘後の柔軟をしながら、もう一年なんだなあと。尻尾も四本になったし、術式も一通り大丈夫だし、まだ殴れてないけどそれは仕方がない。
「一人立ちかあ」
「目的がないなら、外の街にでも行って、金を稼ぎながら学校にでも通え」
「そうね。冒険者として動ければ、金は稼げるでしょ」
「二人はどうすんの?」
「私たちは渡り鳥よ。次に逢うことはないと思っておきなさい」
「そっか。悲しいけど、まあ、しょうがないよね」
「なあに、悲しむ必要はないとも。お前の動き一つさえ、私たちが教えたものだ」
「今すぐ消えるわけじゃないから、落ち着いてから痕跡でも探してみなさい。まだまだ未熟なんだから、経験して成長なさい――そうね、尻尾が八本になるくらいに」
「最終的には九本だぞクロ、嬉しいだろう?」
「それはその時に喜ぶけど、今のところ寝る時の安心感しかない」
今じゃ尻尾がベッドのようなものだ。手入れの面倒は増えたけど、それ自体は嫌じゃないし。
「サバイバルしながらでも生きて行けるけど、街かあ……面倒そう」
「ははは、そう嫌な顔をするな。今のお前なら、どうとでもなる。それこそ、全てを敵に回してもな」
「それは言い過ぎじゃない?」
「そうでもないわよ? 人間を敵に回したら、亜人を味方にしたらいい。あるいは魔族を。というか、魔王でも殺しておけば、人間は敵にならないわよ」
「世の中、なるようになる。そう楽観しておけ」
「はあい」
立ち上がり、大きく伸びをする。
「まだ成長期ね。そう無茶な育成はしなかったから、躰も大きくなるでしょ」
「――え?」
無茶じゃない? あれが?
「これでも気を遣っていたんだがな? まあその結果は数年後にわかるだろう。生きていればな」
「えー……?」
ほんとかなあ。気分で殴られてた気もするし、気を失った回数なんて数えるのも馬鹿らしいほどだったのに。
お陰で、限界というのが結構な身近にあるものだと知った。
二人が相手の時以外は、限界なんて見えないけど。
「先生との戦闘訓練がなくなるのは嬉しいなあ」
「なによ」
「だって先生、ちゅーいどのより容赦ないからね? ずっと退屈そうだし」
「退屈だもの」
「くそー……」
化け物なんだよなあ。
夕方だったので、食事の準備をする。
「私が感謝するのも、もうちょっと先になると思うよ?」
「ほう、言うではないか」
「だって、一年の成果とかよくわからないし。何か貰ったわけでもないから」
それが中尉殿、
中尉殿は徹底して、成長を実感させない。成長したぶんだけ中尉殿は対応策を変え、未熟であることを教える。つまり、まだ敵わないのだと、それを一年間、ずっと教え続けられた。
目の前にいる人を越えられず、そして殴ることもできない私は、試行錯誤をしながらも、まだ殴れないのだと落ち込むことが日常になり――自分の成長に気付かないのだ。
逆に先生は、いちいち教えてくれる。
術式はこう使う、こう学ぶ。完成したらそれで良いと認め、その先を示す。
どちらが良いかではなくて。
「一年かあ……大変だったなあ」
「よく諦めず訓練について来たものだな?」
「諦めるのはなかった。辛かったし大変だったけど、虫を見つけて腹を紛らわすような生活は嫌だったし――それは」
きっと。
「私が欲しかったものだったから」
「知っている」
「知ってたわよ。だから教えたの」
「ぬう……」
勝てないなあ。
「だがまあ、安心しろ。きっとこの世には、お前よりも強いヤツもいるだろう。楽しめ」
「私そんなに戦闘好きじゃないんだけど」
「そう言ってられるのは今のうちよ」
何故だ。
いや本当に、そんなに好きじゃないよ? 楽しんで戦闘しないし。
……あれ。
じゃあ楽しいことって何かある? それを探せばいいのかな?
「なんとかなるかー」
「その呑気な性格は変わらんな……」
「え、そうかな?」
せめて余裕があると言って欲しい。無計画だけど。
「忠告はしておくけれど、術式を教える相手は選びなさい」
「うん、わかった。というかたぶん、教えられないと思うけど」
面倒だし。
まだ教えられるほどじゃないと思うし。
「だがまあ」
「そうね」
「……なんでにやにや笑ってるの?」
「クロ、お前はこれから苦労するぞう」
なんでそういうことを嬉しそうに言うんだろ……嫌なんだけど。
「一つ教えてあげるわ。おそらく今のクロは、人間のSランク冒険者に匹敵する」
「へー」
それは凄いのかな?
「どうした喜べクロ」
「ちゅーいどのがそう言った時は、だいたい喜べない」
「貴様も成長したな……」
どうしてそこで睨むんだ。成長したならいいじゃんか。
「だってまだ実感ないし」
「でしょうね。加えて――まだ成長するでしょ」
「うん、そうだけど」
何を言っているのかよくわからない。
「わかんないけど、ともかく苦労するんだね……」
面倒だけど、しょうがないか。
「うん。ここで暮らすより、普通の人間の常識とか覚えるよ」
「そうしろ」
「今気付いたけど、私そういうのぜんぜん知らないし」
「苦労するぞう」
「だからなんで嬉しそうなの?」
「それは貴様が苦労するからだが?」
くそう、性格悪いなあもう。
「ゆっくり歩きなさいクロ。今までは私たちの都合で急がせたけれど、それは言葉通りの速成なの。ちゃんと躰に馴染ませなさい」
「え? 馴染んでない?」
「今はまだいいけれど、すぐわかるわよ。わからないなら、それはそれで良いし」
「賭けるか?」
「あんたの育て方なら、わからないままよ」
「どうだ聞いたかクロ、素直に人を褒められんヤツはこう言う。ツンデレという表現もあってだな?」
「つんでれ?」
「やめてよ違うから」
「普段から照れ隠しでつんつんした態度を取りながらも、その棘が抜けると途端にデレるやつをそう言う。まったく鷺城という女は、私を素直に認めようとせんからな!」
「うるさい! あんたをたまに認めると、頭の心配をするでしょうが!」
「そうだが?」
「この女は……!」
あーあ、頭抱えちゃった。いつも通りの二人だ。
なんだかんだ、実力差は先生の方があると、中尉殿も認めているけれど、態度とか口の悪さとかでは間違いなく中尉殿が優勢だ。
友人。
二人は簡単にお互いをそう称する。
私にもいつか、こんな相手ができるのだろうか。
「私たちはね、もう死んでるのよ。でもクロはこれからがある。成長もするし発見もあるのだから、面倒であることを楽しみなさい」
「死んでるんだ」
「そうとも。これがまたクソ面倒な話でなあ……」
「聞いてもどうしようもないなら、聞きたい」
「何故貴様はそういう言い方をする……?」
「先生の真似――あだっ、なんでちゅーいどのが殴るの!?」
「鷺城を殴ろうとしても避けるからだ」
理不尽だ。慣れたけど。
「原因は鷺城だ」
「先生が?」
本人は頬杖をついて横になった。話す気はない、という態度だ。
「鷺城が死ぬ条件として、異世界への転移が必要だった。これ自体は良いし、死んだ後に私がいた、つまり元の世界に戻るよう手配したのも問題はない」
「うん。そんな手配ができること自体が問題な気もするけど、うん」
ありえるか?
転移なんて方法すら曖昧なのに、きちんと戻ろうとするだなんて。しかも死んだあとのことじゃないか。
「そして死後、まあ死後の世界みたいな場所で私たちは逢ったわけだが、本来死ぬとは、何もなくなることだ。消えると言って良い」
「そこはイメージ通りだね」
「しかし、それに必要な因子を、この間抜けは転移した異世界に置いてきてなあ……」
「あー……」
「ちょっとクロ、なにその、この人ならありえるって納得したような顔は」
「先生って賢いけど、なんかちょっとそういうとこ抜けてるよね」
「んがっ」
のけぞった。頭を抱えた。戻ってこない。
「クロに言われてはなあ……」
そして中尉殿が同情していた。珍しい。追い打ちをかけると思ってたのに。
「じゃあ二人は、その因子を持ち帰るために、先生が転移した世界を探してるんだ」
「そうだ。違う世界に入っても、じゃあさようならと、すぐには次に行けないのでな。こうしてお前を育てることもできた」
「うん、ありがとう」
「なあに、慣れているから問題はなかったとも。……これから起きる問題も知らんしな」
いないもんね、中尉殿。
――次の日。
起きたら、二人の姿はなかった。
小屋の中には新しい服が置いてあり、私はそれに着替える。
探そうとは思わなかった。
見つけ出そうともしない。
ただ私にとって、一年間を過ごした思い出は、泥と土にまみれたような記憶と共に、抱くことになる。
感謝はもう伝えたから、私からは一つ。
どうか。
二人の探し物が見つかりますように。
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