死んだ嫁が黙って養子を引き取ろうとしていたのでとりあえず僕が引き取ることにした
飛鳥井 作太
Prologue.
はみ出し者でも良い。
父は言った。
「ただ、一等、いっとう倖せになるんや。それでええ」
一等? と私が問い返すと、「せや、一等や」とまた父は言った。
「今が自分の人生の中でいっとう倖せやって、ずっと思えるように生きたら、ほんでええ」
私の手を、ぎゅっと握って。
「わかったか、コトリ?」
父は笑顔だったけれど、その目は痛いほどに真剣だった。私は、何故か泣きそうな気持ちになった。それでも、しっかりうなずいて、
「うん。わかった」
がんばって、笑ってみせた。
それから。
「そうするよ、お父ちゃん」
そう、言った。
父は、ぱちくりと瞬きをしたあと、にっこり笑った。
あまりに美しい、無邪気な笑顔で。
Prologue
京都。市内。
とある町屋の、小さな坪庭。
「……」
四月の初め。冬のように寒い、ある春の日。
妻は、蝶之助を置いて逝ってしまった。
「……」
その死も、葬儀も、呆気なく終わった。
蝶之助がぼうっとしている間に、このシェアハウスの家主やその妻、友人たちが何とかかんとかすべてを執り行ってくれたのだ。
ありがたい、と思うと同時に、ちょっと待ってくれ、とも思う。
もうちょい。ゆっくり。そっと。僕らの別れを、見守っててくれへん?
そう、思ってしまう。
「……」
そんなの無理だ、と頭ではわかっているのに。
「もっと、ゆっくり」
かたわらの骨壺を撫でた。ひんやりとした感触が、指先から伝わる。そこからまた、じわじわと悲しみがやって来る。
尽きることの無い哀しみだ。
「一花」
いちか、いちか、いちか。
口の中だけで、妻の名を繰り返す。
百回繰り返したら、生き返らないだろうか。
『君のこと、どんどん知っていきたいって思ってるねんけど、これって好きなんかな?』
蝶之助のそんなあやふやな問いに、
『ちぃちゃんの【好き】は、【知りたい】なんだねぇ』
彼女はのんびり笑って。
『ええよぉ。私も、ちぃちゃんのこともっと【知りたい】もの』
そう答えてくれたのに。
『私たち、今からお互いが、おじーちゃん、おばーちゃんになってくところまで、ぜんぶぜーんぶ、どんどん知っていくんだねぇ、面白いね』
ずっと、そう言っていたのに。
そんな風に、歳を重ねていくつもりで二人いたのに。
──どうして。
生き返りはしなくとも、せめて夢の中でくらい、会えないものだろうか。
そう、あれから、彼女の遺体を引き取りに行ったあの日から、まったく会えていないのだ。話をしていないのだ。
せめて、せめて、せめて。
「いちか」
そうして名前を呼ぶこと、はや数十回。だからだろうか。
トントントン
「!」
今まで無視していたノックの音に、
「はい!」
思わず返事をしてしまったのは。
もしかしたら、妻からの返事ではないかと、思ってしまったのだ。
当たり前だけれど、
「蝶さん」
と襖の向こうより返って来た声は、妻のものではなかった。家主の声だ。
「君に、お客さんが来ているのだけど……」
おらんって言っといて。
そう返事するより先に、家主は言った。
「どちらかというと、君にというより、一花さんになんだ」
彼は思わず、立ち上がる。
*
「こんにちはー。あなたが一花さんの旦那さんの蝶之助さん? ……ははあ、思ったよりも男前ッスね。童話作家っていうから、もっと夢見がちっていうか、童顔っていうか、子どもっぽい感じを想像してたッスけど、なかなかどうして、俗世的な美形ッスねぇ。三十四歳でしたっけ? 二十代にしか見えないッス。奥さんも十代にしか見えなかったッスもんね。似た者同士って奴ッスかね?」
「……」
蝶之助が部屋に入るなり、パンツスーツ姿のその女は、矢つぎばやに言葉をかけて来た。目をにんまり細める様は、どこかの童話の怪しい猫だ。
「……
何でこいつをあげたんだ、という抗議を込めて、家主の名を呼んだ。
家主の
こっちだって知りたい、と一連の動きが、雄弁に語っていた。
恐らく奥さんが入れたのだろう。
その奥さんは、お茶を出したきり台所へ引っ込んでしまった。
どうやら百太の不機嫌に当てられないため逃げたらしい。でもおそらく、そこで聞き耳を立てているに違いない。
五十代にさしかかる百太は、童顔のまま老けたという言葉が相応しい小柄な男性で、その仕種もあいまって少々子どもっぽく見える。そこの謎女の言葉ではないが、よほど自分よりも童話作家らしい感じがする。
実際は、京都のあれこれを紹介するエッセイストで、蝶之助にとっては物書きの先輩であり、家主でもある、何か保護者的な存在だった。
「にしても、ここも良い感じッスね、ご主人。もともとは舞妓さんの住む……何でしたっけ、置屋? 屋形? を改装したシェアハウスなんでしたっけ?」
「……そうですけど」
無愛想に百太が答える。
「空き部屋があれば入りたいくらいッス」
「残念ながら、空き部屋は無いよ」
相手はお世辞だろうが、百太は真面目に返した。
「残念ッス」
にこ、と謎女が笑う。得体が知れない、と二人は思った。得体の知れなさと言えば。謎女の隣に視線を移す。
そこには、少女が居た。
肩を過ぎたくらいの髪に、真っ白な肌。黒ぶち眼鏡。細っこい腕。きゅっと真一文字に口を結んで、じぃっと卓袱台の一点を見つめている。年の頃は、たぶん十歳かそこらだろう。
何故かサングラスを持ち、手持無沙汰にいじっている。
この子どもは、いったい何なのだろう。
それがまた、謎女への不審を高める原因であった。
「あ、この子気になるッスか? 気になるッスよね?」
二人の視線に気付き、謎女がにんまりと唇を弧にして笑う。嫌な予感しか感じない笑顔だった。
「……あなたのお子さんですか?」
それは無いとわかりつつも、百太が問う。
目の前の女は、どう見積もってもせいぜい二十代後半で、まっすぐ評価するなら二十代半ば。不可能ではないが、しかしまったく親という感じがしない。
というよりまず、顔が似ていない。姉妹や親類縁者とも言いがたかった。
「違うッスよー」
やっぱり。と二人は思った。
いや、そもそも、この女から子どもが生まれるということや、誰かからこの女が生れて来たということ自体、想像しづらかった。
そのへんからにゅうっと生えて来たと言われた方がしっくりくるくらい、目の前の女は胡散くさい空気に満ちていた。
「この子はねぇ、
「……一花の?」
ハイ! と女が元気よくうなずく。
「そんでもって」
すらっと一枚の紙が、ちゃぶ台の上に置かれる。
「奥さんが引き取って、育てるつもりだったお子さんッス」
「「え!?」」
「……」
がたっ、と台所から物音がした。
「それ、どういう……」
「まあまあ。これをご覧ください」
謎女に示され、蝶之助も百太もそれをのぞき込む。
「……契約書?」
「……親子マッチングシステム?」
「ハイ。あ、めちゃくちゃ名乗り遅れたッスね。私、こういう者ッス」
すい、と契約書に重ねられる名刺。
そこには、猫山等子と言う名前と、OMS代表取締役の文字。
「うちの会社は、親子マッチングシステムっていう、まあ、名前そのままのことをしてるッスよ」
「それは……養子縁組とか、そういう……?」
「まあ、ざっくり言っちゃえばそうッスけど、ちょっと違うッスかね」
チッチッチッ、と謎女改め猫山は指を振った。
「養子縁組のマッチングもそりゃ扱ってるッスけど、それ以外にも、『戸籍移動の無い』育ての親マッチングとかもしてるッス。こっちのが多いくらいッス」
簡単に言えば、頼れる親戚のお家を探して来るみたいな感じッスね。
猫山は言う。
「頼れる親類縁者がいる人は、その人に預かってもらうって普通にあるじゃないッスか。出張行ってる間とか。自分や家族が病気で育てられない間とか。……あとは」
猫山が、ぐにゃりと唇を歪めた。
「自分が子どもを虐待しそうだってときとか」
「!」
ふむ、と百太がうなずく。
「……しかし、それだと可笑しな人間に子どもが当たるんじゃないのかい?」
百太の問いに、猫山はニィッと笑った。
「まさか! ……私たちの理念はただ一つ」
それから、きっぱりと言い放つ。
「『すべては子どもさんのため、子どもさんに合う親をご提供』ッス」
蝶之助は目を見開いた。
「つまり、顧客はある意味、親ではなく、子ども……?」
「そうッス。ま、お金は親御さんから頂くッスけどね」
猫山は肩を竦める。
「でも、その……問題のあるご家庭は、お金の少ないところなんかも多そうだけど……?」
「ええ。何で、そんなお金は取れないッス。正味、まったく採算取れないんで、別の副業で生計立ててこの会社も回してるって感じッスねぇ」
あはははは、と軽やかに笑う様に、強がりや誇張は感じられない。
仕方ないねぇ、そういうものだもの。それくらいの軽やかさ。
「けど、そっちでのツテとかノウハウとか使って、子どもさんが望む人材をしっかり見付けて来るんで。今のところ、子どもさんからのご不満とか、危ない目にあったとかは聞かないッス」
えっへんと胸を張って威張る猫山。
全体的に胡散くさい女だが、何故かそこだけは、誠実さと真実味があった。
「お子さんからは……ね」
百太が何か言いたげに猫山を見るが、猫山は蝶之助の方を見て笑っている。蝶之助は、じっと契約書の方に視線を落としていた。
「……一花は、子どもが欲しかったんやね」
しんとした蝶之助の言葉に、猫山は笑みを静かなものへと変える。
「はい」
とても、と言い足した猫山に、そう、と蝶之助は言った。
「小鳥ちゃんを迎えることを、とてもとても楽しみにしていたッスよ」
ね、と小鳥の頭を撫でながら猫山は言った。小鳥は、一瞬その目を上げ、それからこくんと小さくうなずいた。
「本当は、今日小鳥ちゃんを迎えに来てもらう予定だったんスけど……」
まさかこんなことになっているとは、と猫山が小さな声で言う。
それは僕が言いたい、と蝶之助は思った。
僕が一番言いたい。どうしてこんなことに。どうして、一花が居なくなるなんてことに。
それをぐっとこらえて、蝶之助は問う。
「で、どうも一花がおらんことは知っとるみたいやのに、何で来たん?」
「そうッスねえ……」
猫山が、にこっと笑った。
「亡き奥様のご遺志を継ぐ……という展開になるかも知れないな、と思ったからッスね」
あまりにこちらの感情や状況を無視した、きっぱりとした物言いだった。それにカチンと来ないわけではなかったが。
「……」
蝶之助は、いま一度、小鳥の方を見た。
小さく、細く、頼りなげなのに、ぐっと何かをこらえるような固い眼をして座っている。一花が、どうしても引き取りたい、この子の親になりたいと願った子。
……あの日、僕に話がある言うてたんは、たぶんこの子のことやな。
蝶之助は、ぼんやりそう思った。
一花が亡くなる、数時間前の会話だ。
一花の遠縁とのことだが、あまり彼女に似ているとは思わなかった。まあ、所詮遠い親戚なのだから、当然かも知れない。けれど。
「……お母ちゃんおらんけど、それはええのんか」
「!」
小鳥がパッと顔を上げた。その真っ黒い瞳。何かを我慢しているような、何かを探しているような、そんな瞳。
それは、いつかに聞いた幼い一花を思い起こさせた。
会ったことのない、話の中で想像しただけの一花。
「小鳥ちゃんの親に求める条件は……もちろん、虐待もろもろしないとか、健康で文化的な最低限度の生活を与えてもらうとか、そういう当たり前のこと以外ではってことッスよ……ただ一つ」
蝶之助が小鳥を見る。小鳥が蝶之助を見る。
「『学校に無理矢理行かせないこと、お勉強はお家で、自分のペースでさせてもらうこと』」
それだけッス。
明朗快活に猫山が言い切った言葉に、百太は目を瞬かせ、台所の方からまたカタンと音がした。
だが、蝶之助は動じず、むしろ「せやろな」とどこかで納得しながら、
「わかった。ええで。
そう言って、うなずいた。
「小鳥ちゃん、良かったッスね」
お父さん出来たッスよ、という猫山に肯きを返し、小鳥は蝶之助を見て、それから。
「……よろしくお願いします」
そう言って、深々と頭を下げた。
歳にそぐわず、老人のように慣れた礼だった。
この日から、蝶之助は育ての親とやらになった。
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