第49話崩壊

「逃げろ、早く逃げるのだ」

「そんな事言ったって、どこに逃げりゃいいのだい」

「とにかく魔境から離れるのだ」

「でも、家や畑を捨ててしまったら、生きていけやしないよ」

「だがここに残ったら、明日にも魔獣に殺されてしまう」

「逃げれば生き残れる可能性があるのだ」

「でもあんた」

 ボニオン魔境の近くの村々は、蜂の巣をつついたような大騒動になっていた。

 いや、ボニオン魔境の近くだけではなく、街道筋の村々にも逸早く魔獣侵攻の噂が広まっていた。

 それも当然の事だろう。

 魔獣が溢れたと言う噂を打ち消すために、ボニオン公爵家が投入した百騎千兵の精鋭騎士団が、僅か一夜で壊滅してしまったのだ。

 余から見れば、盗賊と見間違うような烏合の衆でしかない者達ではあったが、ボニオン公爵領内では民を威圧する存在だったのだ。

 その騎士団が一夜で魔獣に皆殺しにされたとあっては、何も知らない民は、無数の魔獣が魔境から溢れ出たと勘違いするのも仕方がない。

 本当は余と爺に操られた、たった二頭のブラッディベアーなのだが。

 何も持たない貧民は、着の身着のまま、僅かな家財道具と食糧だけを持って逃げ出した。

 ある者は領都に向かい。

 ある者は魔境から離れる方向に向かい。

 ある者は王国との関所に向かった。

 そうなのだ。

 領民が公爵家を見限ったのだ。

 その流れは一気に持てる者にも及び出した。

 それなりの流動資金を持つ者は、運べない土地や屋敷を家人に預け、王家王国の直轄領に逃げようとした。

 だがボニオン公爵としたら、このような失策失政を王家王国に知られる訳にいかない。

 そこで領境の関所を閉めた。

 領民一人たりとも逃がさないようにした。

 だがボニオン公爵家を見限った、命懸けの領民全てが素直に従うわけがない。

 金のある者は、関所を守る騎士や兵士に賄賂を贈り、密かに逃げようとした。

 金のない者は、街道から外れて関所破りをした。

 本来同じ国の境でしかない王家王国直轄領と公爵領の間には、それほど厳しい領境はないのだ。

 ボニオン公爵領内の混乱は、僅か三日で収拾不能と言える状態となっている。

 最初に派遣した騎士団が全滅した後で、間髪入れずに次の騎士団を派遣して、領民を安心させていればよかったのだ。

 だが公爵家の動きは悪かった。

 罰を恐れて上層部へ騎士団壊滅の報告が遅れたのか?

 公爵や重臣が馬鹿でこの状況が予想できなかったのか?

 魔獣を恐れて他の騎士団が出動を渋ったのか?

 何が理由だったかは分からない。

 だが、公爵家が崩壊に向かっているのは間違いない。

 そして何よりこの状況は、奴隷に落とされ売春を強要されている、元王家王国領の人達を助け出す好機だった。

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