第8話アゼス魔境の砦

「それでアゼス魔境で新種の蜜蟻が発見されたと言うのは本当なのじゃな」

 爺が案内の獣人猟師に確認する。

「はい。今から行く砦からなら何とか往復できる場所にダンジョンがあります」

「ベン男爵閣下。砦の兵は、代官からの連絡がない事で警戒しています」

 獣人猟師が答える横から、偵察から戻ってきたヴィヴィの姉御が注意を催す。

「しかたあるまい。病人や怪我人を見捨てるわけにはいかんからの」

 爺の言う通りだ。

 予定では最初に尋ねた獣人村の様子を見たら、アゼス魔境内の砦を奇襲する予定だったのだが、あまりの惨状に治療するしかなかった。

 しかもアゼス魔境を囲むように点在する獣人の村々が、全て惨い状態だったから、当初の奇襲案を放棄して治療して回ることになったのだ。

「ベン男爵閣下なら当然そうしてくださりますよね! 兵共も閣下の御名前を聞けば、直ぐに武器を捨てて降伏しますよ」

 ヴィヴィは爺が病を恐れず口移して獣人の子供に食べ物を飲み込ませ、聖職者なら大金を要求するような高位の治癒魔法を惜しげもなく使ったのを見て、爺に恋してしまったようだ。

 最初は男爵の地位に魅かれたのかと疑ったのだが、純粋に爺を思慕しているだけのようだ。

 まあそれはそうだろう。

 それでなければ獣人母子を、あのような危険を顧みず助けるはずがない。

「そう上手くいけばいいのだが、なかなか難しいであろうよ」

「ヴィヴィ、我々は獣人達を助けるのに相当の魔力を消耗している。移動中に回復させているとは言え、万全の状態ではないのだ」

「分かっていますよ。でもあんな三流冒険者崩れの私兵共なんて、ベン男爵閣下なら魔法無しでも叩きのめしてしまわれますよ。違いますか若殿様」

「確かに冒険者崩れだけなら、魔法を使わずとも叩きのめせるだろうが、魔境の中に砦を維持するには、それなりの魔法使いと聖職者を駐屯させているはずだ」

「そりゃあそうでしょうが、ベン男爵閣下なら魔法の耐性も桁外れでございますよね? それにそれは、閣下から文武を学ばれた若殿様達もでございましょう?」

「それはそうだ。だが同時に決して油断するなとも、ウィギンス卿から繰り返し叩き込まれておる」

「さすが閣下でございますね。何事にも慎重で隙を見せられないのですね」

やれやれ、パトリックが何を言って爺への誉め言葉に変わっていく。

黙って聞いている獣人達猟師達も、笑っていいのか注意すべきなのか判断がつかず、何とも言えない表情で聞き耳を立てている。

確かにパトリックの言う通り、俺達は万全の状態ではない。

全ての獣人村を治療して回るのに、七日の日数を浪費し、魔力も半分近く使ってしまっている。

まあ常在戦場を旨とする爺に鍛えられているから、使った魔力は直ぐに魔力錬成の技や瞑想を駆使して回復させているのだが、それでも完全回復までに多少の時間は必要だ。

失敗続きのロジャーを、叱責も兼ねて代官所の担当に送り、代わりに高位回復魔法も使えるパトリックを此方に呼んで、少しでも早く治療を終えられるようにしたのだ。

だから余の周りを固めているのは、爺を筆頭にパトリックとマーティンの三人になる。

「そこにも薬草がありますよ」

「あ、お、ありがとう」

 ヴィヴィの姉御は爺に纏わりつきながらも、斥候として周囲を警戒しつつ、高価なモノを探してくれているようで、爺にアプローチする姉御の言葉に聞き耳を立てながら、村に持ち帰るモノを物色していた獣人猟師が見逃した、高価な薬草を指摘している。

 いくら野生の力が濃い獣人猟師でも、周囲の危険に加え、色恋ごとにまで気を向けていたら、他の事にまで集中する事は難しいのだろう。

「ベン男爵閣下、魔獣です」

「グレーダイアウルフの群れのようだな」

「さすがベン男爵閣下は何でも御見通しなのですね」

「姉御もよい斥候だな。皆気を付けよ」

 爺も満更でもないようだが、姉御はベンと言う爺の名を呼ぶことに快感を得ているのか?

 いちいち名前を呼ばなくて、閣下とだけ呼べばすむのだが。

「出来るだけ遠くで仕留めろ」

 バルタサールが弓を使える猟師に近づけるなと命じている。

 グレーダイアウルフは魔獣の一種で、獣のウルフ種よりも丈夫な毛皮をしており、普通の人間が鉄の武器を使ったのでは傷を付けるのも難しい上に、その生命力は強靭でなかなか尽きてくれないのだ。

 頭胴長が大体百六十センチ、尾長が大体七十センチ、体高が大体九十センチ、体重が大体60kgで、爪と牙が鋭く顎の破壊力も獣種とは桁違いだ。

 無言で矢を射かける獣人猟師達だが、その本来の能力は獣人の身体能力を生かした格闘術だ。

 だがそれでも獣人族の中には剛力を弓に利用する種族もおり、並みの人間猟師では引くこともできないような強弓を楽々と使いこなし、的確に倒している。

生き残って接近してきたグレーダイアウルフには、山刀を振るって急所を切り裂いている。

獣人族の使う山刀は種族によってまちまちで、柄まで筒状の鉄で出来た刃渡り二十センチ前後のモノは、棒を差し込めば槍として使えるのだ。

中でも熊獣人が使う山刀は、刃渡り九十センチと長大な上に、身幅も長ければ重ねも厚く、人間が振るえるような代物ではない。

まるで大鉈を剣に打ち直したような代物で、あえて名付けるなら大剣鉈と言うべきだろう。

そんな大剣鉈をブンブンと力任せに振り回しているように見える熊獣人だが、的確にグレーダイアウルフの急所を叩き切っているようで、爺からしぶといと聞いていたグレーダイアウルフを一撃で倒している。

狼獣人族などは、素早い動きでグレーダイアウルフの攻撃をかわし、同じ急所を何度も山刀で切り裂き、数度の攻撃で確実に倒していった。

わずか数分の間に、余達が助太刀することもなく、二十三頭のグレーダイアウルフを殺し、襲撃してきた群れを全滅させることが出来た。

さすが獣人の猟師達だ。

「バルタサール達はグレーダイアウルフを持って村に戻れ」

「しかし男爵閣下、それでは我々が受けた御恩を御返しできません」

「律儀に恩を返そうとしてくれるのはありがたいが、バルタサール達には村を飢えさせず、女子供を守る責任があるのではないか」

「しかしながら男爵閣下に御助け頂かねば、我々は全滅してしまっておりました。ここで村に戻っては恩知らずになってしまいます」

「だが余達にも領民を守ると言う騎士の高貴なる務めがある。ここは自領ではないが、御仕えする王家の直轄領の民を見捨てる事などできないのだ。

 暫くは爺とバルタサールの間で押し問答があったが、獣人達も村に残した者達が心配なので、爺が強く言えば甘えたくなって当然で、地に頭がついてしまうのではないかと心配になるくらい大袈裟に頭を下げて、何度も何度も振り返りながら村に戻っていった。

 爺の話ではグレーダイアウルフの肉は獣臭くて美味しくないのだが、それでも今の飢えた獣人達には貴重な食料だから、一分一秒でも早く持ち帰ってやりたいのだろう。

 昔爺から聞いた話では、貧しい者は高価な塩を買う事が難しく、生きる為に絶対に必要な塩分を身体に取り込むために、動物の生血を飲むと言う。

 グレーダイアウルフの獣臭さを少しでも取り除くには、殺して直ぐに血抜きすべきなのだが、流れ出る血を大切に竹水筒に集めていたのは、塩を買うお金がないからだろう。

 獣人が人間族に気兼ねなく自由に狩りが出来るこの魔境に、岩塩があればいいのだが、そんな都合よく岩塩が見つかるとも思えない。

「爺、獣人達に塩を買う金がないからだと思うが、狩った魔獣や獣の生血を飲んで大丈夫か」

「アーサー殿は生血を飲んだ獣人達が病気になるのを心配しているのかな?」

「ああ、昔爺から魔獣や獣の肉は、しっかり焼いて食べろと言われた記憶があるのだが、間違いないか?」

「それは間違いありませんが、獣人族は胃腸が丈夫なので、生肉を食べようと生血を飲もうと病気になることはありません。気を付けないといけないのは、人族の我々です」

「なるほど。ならば急いで塩を買えるように対策しなくて大丈夫なのだな」

「その心配は無用でございます。もっとも獣人族が美味しく食べる為に塩を買いたいと望むのなら、買う事が出来るような仕組みは作る方がいいでしょう。そうする事で塩を専売している王家王国も潤うことになります」

「獣人族が豊かになることで、王家王国にも富が流れ込むと言う事だな」

「はい。アーサー殿はしっかりと学んで、分家の私より高い爵位を得てもらわねば困るのですよ」

「出来る限り頑張る」

「ベン男爵閣下、砦が見えて参りましたよ」

 俺のも爺にも砦は見えているのだが、爺としゃべりたい姉御は、分かり切ったことでもいちいち爺に話しかけている。

 それは微笑ましい面もあるのだが、生真面目なパトリックは苦虫を嚙み潰したよう顔をしている。

 まあそんな事はどうでもいいのだが、問題は姉御が言う砦の陣容だ。

 大体の事は尋問した代官や冒険者崩れの私兵達から聞き出していたが、流石に魔境の中に築いた砦だけあって、土塁は厚く高い上に、土塁の周りに掘られた濠には小川から水が引き込んであり、簡単には侵入できそうにない。

 さてどうやってこの砦を攻略すべきか?!

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