僕らのステラ

鷹宮 まゆう

第1章 まず出会いから間違っている

第1話 引越し

 車の中に蔓延するくさいタバコの匂いと酒の匂い。大量の酒の空き缶が車内にだらしなくいくつも転がっている。これらから放たれる酒の匂いに思わず顔をしかめる。耐えきれなくなって、足で蹴って転がすとビールの空き缶はコロコロと車を運転している親父の方に転がって行った。親父がいつも愛飲している〈サッポロビール〉ではなく、珍しく違うメーカーのビールだった。親父がいつもと違うビールを飲むのは、だいたい現実逃避している時だ。「車内、酒臭いんだけど」と親父に声をかけてみても、親父は反応せずにただ能面のような表情をして前を見つめている。俺はため息をついて、仕方なく親父の現実逃避用のビール〈麦とホップ〉を片付ける。何日放置されているのか分からない、ツン、とした嫌な匂いが鼻腔に入り俺は鼻をつまんだ。


 親父と母親が離婚した。そのたった1つの出来事が、こうして俺を不幸に陥れている。ギャンブルが好きな親父に愛想をつかした母親は突然離婚届を置いて家を出ていった。母親が働く金でなんとか生計を立てていた親父は前の家の家賃を払えなくなって俺を連れて遠い実家へと引っ越すことを決意した。そんな理由で生まれてから16年間ずっと暮らしてきた土地を離れることに関して、俺としては悲しみよりむなしさの方が強かった。金がないから引っ越しをするにも引越し業者に頼めない。こうして親父の実家に着くまでこのくさい車内で俺は耐えなければいけないのだ――。


 スマホを手に取り、ロックを解除するとアルバムを開く。一気に画面が友達と撮った写真で埋め尽くされる。両親が離婚なんかしなければ写真の枚数はもっと増えるはずだった。


「ねぇ、あとどんくらいで着くの?」


 俺が聞くと、親父はチラッと鏡越しに俺の顔を確認して答えた。


「あと半日くらいかなぁ!まいっちゃうよ、まったく」


 俺のやるせない態度を感じ取っているのだろうか。やけに明るい声のトーンで親父はあはは、と笑い飛ばす。そんなことされても俺のこのどん底まで下がってしまったテンションは上がらないし、ましてや、親父を許すこともできない。酒とタバコの匂いが、ついでに言えば気まずさも漂うこの車内では、親父は何をしても逆効果にしかならない。さっきのように能面みたいな顔をして黙って運転してくれてる方がマシだ。こんなどうしようも無い親父を持ってしまった哀れな息子である俺としては、これ以上下手に親父と関わりたくないのだ。母親が居なくなってしまったから仕方がなく親父とこうして一緒にいるが、もし母親がいなくなることを俺に事前に伝えてくれていたならば、俺は迷いなく母親について行っただろう。


「ふーん、わかった」


 素っ気ない返事を返してドサッと背もたれに寄りかかる。それと同時に、俺の携帯がぶぶ、と震えた。なんだろう、と思って確認するとそれは付き合っている彼女からのラインだった。タップして開くと、ぱっと、たった4文字が目に飛び込んでくる。『別れよう』と何の絵文字も付けずにそこには表記されている。衝撃に、頭が真っ白になった。その次に、なんで、と言う言葉が浮かび上がる。3年間も付き合ってきた彼女で、引っ越すのも真っ先に教えていた。遠距離でもやっていける自身はあったし、高校に入ったらバイトも出来るから、金を貯めて会いに行ける自信はあった。それなのになんで。グルグルと思考が目まぐるしく脳内を回る。


 あぁ、でもなんでだろう。俺、今悲しくもなんともない。そう思えてしまうってことは、結局は俺も彼女に対する愛が冷めていたのだろうか――。


 窓から見える景色が次第に暗くなっていく。眩しかった太陽に変わって今は月が明るく光り輝いている。雲で時々陰る月の光は俺の顔を照らしては消えていく。そのうち、月光は雲に完全に遮られてしまった。さっきよりも暗くなってしまって夜空にふぅ、とため息を吐く。目線をバックミラーにやると、ちょうど親父が欠伸をかみころしているところだった 。眠いなら寝ればいいのに。無理して事故られたらこっちがたまったものじゃない。心の中で親父に毒づいて無造作に足を投げやる。あぁ、そろそろ眠くなってきた。何もすることもないし、寝るか。


「明日の朝にはもう着いてるからな」


 夢の中へと意識が落ちる寸前に、父親が優しい声で俺に話しかけた。明日の朝。そうか。明日の朝になれば親父と2人きりの地獄は終わるんだな。内心その事にほっとしながら薄目を開けて親父の顔をミラー越しに盗み見る。月光に照らされた親父の顔には、目元から涙が溢れ出ていた。ほんの一瞬だけ、親父を美しい、と思えた。

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