第三章 ホットケーキ


朝は来ていた。

やる事を全て精算していた昨日の夜だったので、これといってやらなければいけないことは残ってなかった。


「ううっ…はぁ…」


背伸びして骨をほぐす。

ホットプレートに電源を入れた。

1年使っているホットプレートはまだ綺麗だった、多少のシロップの茶色い滲みを除けば。


冷蔵庫を開ける。

卵と牛乳が入っていて、横の棚には砂糖とメープルシロップが。

ガラスボウルに解いてかき混ぜながらニュースを見る。


『現在、他にも内閣の汚職が関わっているとして更なる調査が…』


チャンネルを幼稚な子供番組に合わせる。

この方がよっぽど気が楽になる。

簡単な振り付け、簡単な歌詞の懐かしい童謡を口ずさみながらホットプレートの上に生地を広げていく。


「虹の向こうにー…飛び出してゆこーう…」


慣れた手つきでひっくり返される生地は程よいキツネ色になっていた。






『ごめん、ボクわからないんだ…』



「…だよなぁ…」


頭の中に昨日のセリフが浮かび、忘れ去りたくて頭を掻く。

間違いなく、アレはキタキツネのフレンズだった。

だけどあの時のキタキツネじゃない。

フレンズは命を終えればまた新しい動物からフレンズとなって現れる。

きっとそれだ。


「あ、やべ…」


ホットケーキが一面だけ焦げてしまっていた。




「いただきまーす」


フォークで硬いコゲの中に突き刺す。

牛乳が入ったカップを脇において、子供番組は次のものに移っていた。


いつも通りの、美味しくも不味くもないただのホットケーキだった。



ピンポーン


インターホンが鳴る。


「はーい、今行きまーす!」


とは言ったもののまだパジャマだ。

急いで着替え、寝癖は仕方がないものとしてドアを開ける。


「何でしょうか…」


木のドアの向こうにいたのはアカギツネだった。


「良かった…生きてた…」


「勝手に殺すな…とも言い難いな…」


アカギツネを部屋の中に入れる。

服装はいつもの浴衣ではなく、生まれた時から身につけている毛皮だった。




「…ギンギツネから全部聞いたの」


出すお茶も無いので仕方なく牛乳を出す。

アカギツネはいつになく真面目な顔だった。


「それで気になって付いていったら…」


「俺が飛び降りそうになってたんだろ?昨日も聞いたよ…」


バンとアカギツネが机を叩く。


「まじめに聞いて!命なんてそんなに軽々しく投げうっちゃいけないものなんだよ!」


高校生くらいの少女に正論を突きつけられる。


「そうなんだけどさ…もう俺、フレンズの顔もまともに見れなくてさ…」


「私の顔も?」


「うん…似てたからなおさら本当は見にくいね…」


アカギツネが悲しんでいる。


「ねぇ、数秒でいいから私と目を合わせて聞いて」


「…自信ないな…」


「いいから」


肩を掴まれて頭を上げさせられる。

アカギツネの目を見た。

とても疲れている目だった。


「ギンギツネに酷いことを言われたのも分かるよ、でもあの子も心を病んでるの…自分がキタキツネを使いにしなければ良かったって何度も何度も」


「…いいよそういうのは!」


無理やり視線を外す。

アカギツネがため息をつく。


「分かってるよ…そんな事くらい」


空気が気まずくなり、しばらく話さない間が続いた。

アカギツネは黙りこくって下を向いている。

なんだか不味いと思って、何か話しかけようと試みる。


「あ、あのさ、ホットケーキ…よかったら食べてかない…?」


「…うん」




本日2度目のホットケーキ作りが始まる。

アカギツネは細い切れ長の美しい目で子供向けの番組を見ている。


アカギツネが好きだったはずのブルーベリー・ジャムとマーガリンを出す。


「…これ、おいしいんだよね…」


両面が良い色になったら箸を突き刺して焼けているかを確認する。


「…さっきは焦がしたけど…お待たせ」


よく焼き上がったホットケーキだった。

高校2年の冬に交通事故で両親を亡くしてから、ずっとずっと焼いてきたホットケーキ。

分量も何も変わらない、いつも同じ味の筈のホットケーキが、こんなにも美味しく食べれるんだと知ったのはパークで働き始めてからだった。


「半年ぶりにたべるけど…美味しいね」


「…よかった、ジャムを取っておいて」


また沈黙が続く。

カツカツとフォークが皿に当たる音だけが鳴る。

ホットケーキの思い出を回想していくと、どうしてだか意味のわからないタイミングで言葉が脳から漏れてきた。


「俺さ…みんなとホットケーキを食べるのがすごく好きだったんだ…」


アカギツネはフォークを止めずに淡々と生地を切っていくが、耳はこちらに傾けてくれているようだった。


「こんなに味気ないのに、ギンギツネ…アカギツネ…キタキツネと一緒に食べるとずっとずっと美味しくなった」


アカギツネが手を止め、近くのティッシュで口元をふいた。


「だからさ…俺は肉親もいなくなって…4人で久しぶりに家族だったんだ」


フォークを置いて、アカギツネがこちらを見つめている。


「あの時のキタキツネが死んだ事なんてまだ信じられない…俺はまた置いていかれた気分になってさ」


グッと胸が苦しくなってくる。

だから心は胸にあるって言われるのだと、今ハッキリわかっている。


「…すっごく辛くてさ…ハ…みんななんで俺を置いていくんだろ…?だって死ぬのは俺で良かったじゃないか…」


下唇が震える。

視界がぼやけて、目蓋が熱くなる。


アカギツネが俺の頭を撫でようとするので跳ね除けた。


「ズッ…いいよ…もう過ぎた事かもしれないし…でももうやり直せないんだ…」


泣いてしまった自分が情けない。


「…そうかな…私は…そうは思わないよ」


アカギツネが優しい声で言う。

まるで子供を落ち着かせるような声で。


俺はまだまだガキなのかもしれない。




アカギツネは帰っていった。

昼ご飯を食べに行こうと誘ったが、仕事に戻らなければと断られた。


ひとり残された部屋で皿を洗う。


「そうは思わない…かぁ…」


もし出来るならばやり直したい。

でも自分にそれが出来るとは思えない。

いま俺に出来ることは?

キタキツネに出来ることはあるのか?

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