自殺志願ボクサー
@taku888
第1話
四谷幸洋のプロデビュー戦は勝利で飾られた。
第1ラウンド、四谷は対戦相手の川上の固いガードとそこから繰り出される的確なパンチの前に劣勢を強いられた。さらに第2、第3ラウンドと、川上に主導権を握られたまま、顔面に4発、ボディーに2発良いパンチを貰い、見物していたボクシングファンたちは皆四谷の敗北を確信していた。
しかし、傷と痣だらけになりながらも四谷は攻撃の手を緩めなかった。試合が進み、川上の固いガードは崩れ始め、最終第6ラウンドに川上から2ダウンを奪い、判定によりこの試合で一度もダウンを取られなかった四谷が辛くも勝利を収めた。
「なんだ今日の試合は!」
セコンドを務めていたジム会長の遠野研子は激怒した。
「ガードがなってないから、相手も無理に手ェ出してくれないんだよ。しっかり構えて、相手の隙を確実に突く。じゃなきゃ今度こそ負けるよ」
遠野の様子とは対照的に、熱弁を受ける四谷は、ただ深沈と虚空を見上げていた。
「……死ねなかったなあ」
「良いことじゃないの」
またか、と遠野は肩を落とした。
「前から言ってるけど、ボクシングは殺し合いじゃないから」
「でも、チャンピオンなら僕を殺せるんでしょ」
「殺せるかも、って言っただけ。チャンピオンだって殺す気では殴ってこないからね」
「それでもいいですよ。死ねるならなんでも」
「はあ……」
遠野は呆れ、また四谷の死にそうな笑顔を見るのが嫌で先に控室を出た。
やる気はあるし、ジム会費もきっちり払ってくれているが、いつ死ぬとも知れない人間を入会させたのはやはり間違いだったかもしれない。遠野があの時四谷を助けようと声をかけてしまったことを後悔しながら出口へ向かっていると、ちょうど廊下に出ていた対戦相手のジム会長と目が合った。
「今日はどうも」
「こちらこそ。うちのモンのデビュー戦に付き合っていただきありがとうございます」
「お気になさらなず。こちらもちょうど試合を組みたかったところでしたので」
遠野は負かした相手方の紳士的な態度にほっと胸を撫で下ろし、努めて明るく会釈した。
「それではお先に失礼いたします。またよろしくお願いします」
「あぁ……それが」
相手の会長は目線を逸らし、いかにも言い出し辛そうに口を開いた。
「うちの川上が、もう二度と四谷くんとは試合しないと言って聞かなくて」
「え、」
「本当にすみませんが、そういう訳で四谷くんとは」
「ちょっと待ってください。え、なんで?」
動揺して遠野は頭を抱える。今回は四谷が勝ったとはいえ辛勝で、次にやったらわからない。なのにどうして再戦を断るのか。
相手の会長は軽く会釈し、自分の控室に戻った。その去り際に言った。
「川上は言っていました。彼は、四谷くんは死ぬまで闘い続ける狂人だと」
相手の会長は自分も同意見であると、どこか確信を持ったように語気を強めて言い放った。
しかし、それは少し違う、と遠野は思った。四谷は死ぬために闘っているのだ。
遠野はまた後悔した。あの時四谷を助けようと、チャンピオンの試合を観せてしまったことを。
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