第6話 てめえ!何もんだ!
コースとパドックの間には、溝が掘られ、さらにコーステープが張ってあるので、コース内に入ることはできないが、ここからだと、スタート地点が見える。
スタート地点には30台ほどのモトクロッサーが横一線に並べられ、〈スターティングゲート〉と呼ばれる柵のようなゲートで、定められたグリッドより前に出られないようになっている。
みずきは僕から見て、右端から二番目に位置している。
女性としては身長の高いみずきだが、250ccのフルサイズのモトクロッサーにまたがると、尻をずらしてようやく片足の爪先がつくぐらいなので、プラスチック製の箱を両足の下に置いている。
「スタートの位置って、どこが有利なんですか?」
スタート地点からみて、コースは左側に大きくUターンするようなレイアウトだ。
舗装されたサーキットのロードレースでは、コーナーまでの距離が短いイン側が有利だが、路面が土で滑りやすいモトクロスの場合は、確実にコーナーを曲がるため、大幅な減速が必要になるので、有利とは言い難い。
みずきのグリッドは〈インから2番目〉だ。
「なんとも言えないね。」
お父さんは左に回り込む第一コーナーを示しつつ、言う。
「君が言うようにイン側は距離が短いけど、荒れている。真ん中は飛び出し損なうと、両脇を挟まれて身動きがとれなくなる。
アウト側には大きなバンクがあるから、それに当てられれば、アクセル全開でコーナーを回れて、そのまま、第一ジャンプに突っ込んでいけるからそのままトップにたてる。
だが、走る距離は一番長いから、走る距離の短いイン側の車両においていかれる可能性もある。」
結局、どこをとっても有利とは言えないのがこのコースなんだよ。とお父さんが言ったところで、〈一分前〉というボードを頭上に掲げたオフィシャルがコース上に現れた。
断続的にあおられるスロットルによって、エンジン音が高まる。
オフィシャルはボードを胸元まで下ろし、90度回転させる。
〈スタート30秒前〉の動作だ。
これが出るとライダーはおのおのやりかたで、スタートのタイミングを図る。
と、スターティングゲート が、ライダー側に、一斉に倒れた。
30台のモトクロッサーが一斉にアクセルを全開にし、凄まじい爆音が鳴り響く!
左端から飛び出したみずきは、インからアウトへ、全車の前を横切るように斜めに走り、コースの外側へ一直線に走っていく。そのまま、アウト側のバンクに突入し、トップで第一コーナーを駆け抜けた。
全開のスピードのため減速しながら、コーナーに入るイン側のマシンは追い付かない!
〈ホールショット(トップで第一コーナーに飛び込むこと)〉だ。
みずきはそのままの勢いで、第一ジャンプにかかり、黒髪をなびかせながら華麗なジャンプを決めた。
彼女以上のスピードでジャンプへアプローチしたライダーはいないため、第2コーナーでは2位のマシンと10車身ほどの圧倒的な差をつけた。
はじめて間近で見る、モトクロスのレースの迫力と、みずきのクレバーで大胆なスタート運びに圧倒された。
学校での〈ちょっとアホっ子〉の印象とはかけ離れている。
「どうだい?今日のレースは、全日本選手権じゃないけど、IB、NAクラスの男性ライダーがほとんどだ。
あのなかでは、みずきは一番体重が軽いから、加速が一番速い。だからあんな走りもできる。」
お父さんは彼女の疾走を満足げに見ながら話す。
「同じ排気量の車両なら、飛び出しが一番早いと考えて、イン側のグリッドについたんだと思う。」
「我が娘ながら、すごいレースのセンスだと思うよ。」
みずきが1周を終えて、トップで帰ってくる。砂ぼこりがもうもうとたっているせいか、後続のマシンはみずきを追いきれず、差はさっきよりも開いていた。
「で、さっきの君の疑問だがね。」
みずきが再び第1コーナーを曲がり、ジャンプを飛んだ辺りで、再びお父さんが話し出す。
「みずきにはWMXに出て、チャンピオンになってほしいと思っている。」
WMX。ウーマンズモトクロスのことで、女性ライダーの世界選手権だ。
「あれだけの才能と、体格に恵まれた女性ライダーはまずいない。次のシーズンはレディースと、NAのレースにダブルエントリーできるように交渉している。シーズンが終わったらアメリカへ行って、1年間AMAのレースで武者修行。そのつぎの年にWMXに本格参戦しようと思っている。」
「だから250cc4ストローク。」
「そう、WMXのマシンは250だ。そこを見据えてみずきにはできるだけ250のマシンに乗せるようにしている。」
みずきがチェッカーフラッグを受ける。
砂ぼこりがおさまってきた後半は、大分、差を詰められたが、堂々の1位だ。
「あの
お父さんは現在、WMXで圧倒的な強さとカリスマ性をほこる、イタリア人女性ライダーの名をあげた。
〈女性・モトクロス〉で検索すると、よく出てくる端正なルックスの彼女は、確かにみずきと似ているような気がする。
「小林くんだったね。」
「あれだけの才能を生かさないのはもったいないと思わないか?」
「いや、でも、そこは彼女の意思ですし・・・。」
なんだか、野球の新人選手のエージェントと、球団スカウトみたいになってきたな。と思いながら僕は答える。
「ダカールはある程度年をとっても出られるけど、モトクロスは今だけだ。みずきを説得してくれないか。」
いや、最近はある程度の年齢のモトクロスライダーもいますよね。と思うが、口に出さないでおく。
◇◇◇
さて、どうしたものか?と所在なさげにコースの脇を歩いてみる。
コースでは最高峰クラスの、IAが出場するクラスが行われていて、IAであることを示す赤ゼッケンに、NBの白ゼッケンや、IBの選手が果敢に勝負を挑み、レースが終了するところだった。
レースを終えたマシンが次々とコースアウトしてくる。
それをぼんやり見ていると、青いマシンが、こっちへ向ってくる。
妙に速いなあ。と思っていると・・・。
うわああああ!
突進してきた青いバイクは僕の目の前で横っ倒しにひっくり返り、起き上がった黒いヘルメットのライダーがいきなり僕の胸ぐらをつかんだ。
「てめええ!なにもんだあ!みずきとどういう関係だ!!」
ライダーは両手で僕をつかんで揺さぶる。
ヘルメットとゴーグルをつけたままなので、顔は見えない。
「おい!落ち着け!僕が何したって言うんだ!」
黒いヘルメットのライダーは、僕の言葉を聞かず続ける。
「うっせい!さっき、みずきのテントにいたろう!親父さんとも親しげに話してやがって!てめえ!みずきにちょっかい出しやがったら許さねえぞ!」
「ちょっかいっって!僕は彼女と同じ高校のただの同級生だ!」
「同級生?名前は?」
「小林はるとだ!」
名前を聞いたとたん、彼は「フン?」と呟き、僕を突き飛ばす。
パドックの乾いた地面で服が砂ぼこりだらけになった。
彼はヘルメットをとってしゃがみこみ、地面に倒れたままの僕の顔を覗きこんだ。
年は同じくらいか?垂れ気味の瞳は、幼い感じだが、茶髪と口調はヤンキーそのものだ。
「お前の名前はみずきから聞いたことがある。あいつのマネージャーになるんだってな?」
「いや、まだ、そういう訳じゃ・・・。」
「じゃあ、やめろ。あいつの走りを見ただろう。あれだけ走れるやつが、ラリーなんかやるのはもったいねえ。」
「ラリーなんか?」
「そうだろ。ラリーなんか何日もチンタラ走ってるだけじゃねえか。ツーリングと変わらねえ。
そんなドンガメみたいな連中のレースに、みずきが入れ込むのはもったいねえ」
別にラリーに特別な思い入れがあるわけではないが、ダカールラリー。それに関わる幾多のラリーパイロットの話をここしばらく調べて、彼らのことを知っていたのでカチンとくる。
僕は起き上がり、僕よりも背が高い彼を突き飛ばす。
今度はヤツが砂ほこりにまみれる。
「てめ・・・。」
「言いたいことばかり言ってるんじゃない!《《あんなところで》》くすぶっているようなやつに、ラリー批判をしてほしくないね!」
僕は彼のマシンの〈白ゼッケン〉を指差しながら言う。
「う・うるせえな!今年は怪我が響いて、ランキングを上げられなかったんだ!ほんとなら今年はNAのはずなんだ!」
「ふん!どうだかな?人の批判をする前に自分のことを省みたらどうだい?僕に言わせれば君こそドンガメ野郎だ!」
「てめ・・・!」
とヤツが拳を握る。
望むところだ。
さあ来い!
「何してるの正史!」
みずきが叫びながらこっちに走ってくるのが見えた。
モトクロスブーツで走るのは、なかなか大変そうだ。
「チ!」
ヤツはヘルメットをかぶり直し、バイクのエンジンを始動させた。
「いいか!よけいなことすんじゃねえぞ!」
砂ぼこりを残して青いバイク。YZ250は走り去っていった。
「どうしたの?何があったの?」
息を切らせて彼女は僕に聞く。
服の土ぼこりをはたきつつ、
「大丈夫だ。あいつは知り合い?」
「うん。 高橋正史〈たかはしまさし〉。あたしとは中学の時から、一緒にレースに出たりしてるの。」
「・・・・。」
「はると君?」
「みずきちゃん。連れて行くよ。」
「え?」
「僕が君をダカールに連れていく。」
※このお話しに登場するイベントや社会背景は、2013年~2022年のものをフォーマットとしています。
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