人が神になるまで
赤月なつき(あかつきなつき)
序幕 契約
身動き一つとれない。業火に包まれてゆっくりと自分の終わりを実感する。皮膚の一枚一枚が焼けていき、鋭い痛みに追い打ちをかけるように火の粉がまとわりついてくる。だんだんと苦しくなってくる。胸に灰がいっぱいに詰まってくるからだ。怒りの目がこちらを突き刺してくる。怒りの声が私の鼓膜を突き抜けて、破こうとする。
人間は自らの自由を求めるためならばなんだってできてしまう。それを愚かだとは思わない。なぜならそれは彼らにとっての生きる活力となっているからだ。神によって生み出された人間は悪魔や天使と違い、運命も考え方も自由となれていた。神にすら縛られない彼らは独自に文明を発達させ、やがて自分たちは自分たちの存在を保持するために生きるという気持ち、意思を育んできた。
私はそれをうらやましいと思っていた。自由で、幸せを求めることができる彼らを。化け物として生まれた私はこの手で何人もの人間を殺してきた。そんな私は最早幸福を求める人間にはなれない。……今度はもう少し幸せになりたいよ、次の人生に何があるのかわからないけど今度こそは幸福な人間に……。
炎は私の体を包み込み、魂ごと燃やし尽くした。
「えっ……?」
なんだここは?どこだここは。一体なにがあったのだろうか。
何も見えない。一言で表すなら、闇という言葉以外ふさわしい言葉はないだろう。しかし、なぜ私はこんなところに突っ立っているのだろうか。
「誰かいらっしゃいませんか?」
何もない空間にむなしく響く私の声。
訳も分からず、私はひたすら空間に呼びかけた。けれども返事が来ることはなかった。
なんなんだ。なぜこんなことになっているんだ?全身に冷たい汗が噴き出し背中、腰、足へと広がっていく。冷や汗だ。この訳の分からない状況で汗を流さないというのも無理があるだろう。
ん?汗、……あれ、どうして汗なんてかいているのだ。体の反応が正常なのか。でも、なんだろう、知っている感覚じゃない。なんて言うのかな、……死んでいるような。体と魂が正常につながっていないように思う。だって、今、目で見ている闇をまるで遠くから見ているように感じるのだから。
「……本当に誰もいないのですか?いるのでしたら、姿を現しなさい」
私はここに一人取り残されるのだろうか。……いやだ。なぜかはわからないけどいやだ。なんだか自分の大切な感情を、意思を捨てることになるような気がして仕方がないのだ。
「おーい!」
『いったーー!』
「え?」
何も無いところから突然赤い炎が現れてこちらに向かって直進してくる。私は思わず目を閉じてしゃがみ込んだ。私は震えていた。小刻みに体を震わせてしゃがみ込んでいた。
『ん?どうした』
炎は語り掛ける
「わからない……です。……その火のせいだと思いますが」
『火?ああ、……そうか。悪かったなよっ……と』
すると赤い炎は背の高い青年の姿に変わった。
『これでどうだ?』
「ありがとうございます……意外と凛々しいお方なのですね」
『それはどうも、で、君がムーン・トゥアイセかい?』
「ムーン?」
『あれ、違ったっけ?格好はそっくりだけど……』
「格好っておっしゃられても……」
そもそもこの状態では自分の姿は見えないしな。
『ん?あー……そっか、アレをやんなきゃいけなかったのか。忘れてた』
アレとは何だろうか。
『ねぇねぇ、君、自分のことどれだけ知ってる?……いや、覚えてる?』
「……さあ、たぶん何も覚えていませんね。自分の名前も覚えていませんし、それに自分の姿も見えませんし」
『それはね、君が自分のことを覚えていないからだよ。ここは記憶と魂を結びつける場所でもあるし記憶によって他人と自分の姿を知ることができる場所なんだよ。だから魂と体が離れているように感じるんだ』
「じゃあ、記憶を取り戻せば……」
『そう、君は君になれるよ』
「なるほど……、もしよろしければかえしていただけませんか?」
『僕が奪ったんじゃないけど、……いいよ。やり方は簡単さ、僕に触れる。それだけでいいよ』
「そうなのですか?」
『うん。ほら』
その炎は私に手のひらを差し出した。私はその手に触れた。その手は少し暖かかった。
目の前にいるのは私の父親だ。彼は私の顔を見るとひどく悲しそうな顔をした。
「なんということだ。こんなかわいい娘が悪魔の子だと……」
言葉も心も持たない私にはその言葉の意味が理解できなかった。でも今はわかる。あれは私の悪夢の始まりだったと。歴史と伝統を誇る王国に生まれた私は、王族として手厚く育てられることはなかった。なぜなら私は『悪魔の子』だったから。生まれてすぐに私は国保有する地下牢に幽閉された。暗い部屋で一日中勉強をさせられた。いかに『悪魔の子』といえど、王族の娘なのだから、ある程度の教養を身につけさせようとしたのだろう。都合のいい時に王族にできるように。八歳の時、私はこの牢を出た。理由は国王が私のことを心配して、とのことらしいが、納得できない。自分の子供に人殺しをさせた父親が娘のことを愛するとはとても思えないからだ。そして、最後、私は国民を虐げたというありもしない罪によって火刑に処された。
そうだった。思い出した。
『思い出したみたいだね。……顔が違う』
「ふふ、そうね、気分もいいわ」
私は自分の姿を見る。美しい曲線の体。豊満な胸、黄金の髪、そしておそらくは紫色の瞳もあるのだろう。
『へぇ……嫌にならないのかい?あんな記憶を思い出して』
「嫌だったわよ、でもこれで私は私の夢を思い出すことができたわ。……だからいいのよ」
『ふうん、……改めてみると綺麗な人だね、君』
「いいや、私は綺麗なんかじゃ……」
『ううん、綺麗だよ。見てみるかい?』
「見なくてもわかるわ」
炎は青年の姿を勇ましい獅子の姿にした。その瞳は私の体よりも大きくてはっきりしていた。
『見てごらん、僕の瞳で』
その姿をのぞいてみる。紫色の瞳。ああ、そうか。だから私は『悪魔の子』なのか。
【ほらね、綺麗だろう?君は】
「いいや、やっぱりひどい顔よ。……それで、さっき私を探していたようだけど何かあったの?」
『ああ!!それそれ、忘れてたよ……。いいかい、落ち着いて聞いてよ。君は……死んでいるんだよ』
「……」
『あれ?反応薄くない?』
「別に。それにあなたが見せたんじゃないの?私が死んだこと」
『それでもそんなに落ち着いてるのは不思議だよ』
「そうかしら?」
『君、変わってるね』
その獅子はその太い尾をなびかせた。
『本題はそこじゃないんだ。僕の仕事は君を魔界か死神界に届けることなんだよ』
「なんなの、そこは」
『まあ、聞いてよ。魔界は人間界みたいな町や建物が形成されている世界で魔法使いが住んでいるよ。そこには僕みたいな魔物と契約する必要があるんだ』
「そこには支配者はいるの?」
『いるよ、皇族がね。めちゃくちゃ強いよ……本当に』
「へぇー」
『もっと関心を持ちなよ。……で、もう一つが死神界は名前の通り死神がいるんだよ。死神っていうのは死んだ人間の魂を回収する神のことだよ』
「死神ね……。他には行くところ無いの?」
『あるにはあるけど、君は行けないよ』
「なんていうところ?」
『天界だよ』
「……」
『いけない理由はわかるよね?まあ、魔界と死神界、どっちに行きたいか決めてよ』
「んー……魔界にしておこうかしら」
『返答が早いね』
「そうかしら?」
『もうちょっと迷ったりしないの?普通の人間は死んだと言う事実でさえもかなり驚く事実だと思うけど』
「まあ、私は変わってるしね……私には魔界の方が似合うと思っただけよ」
『そうなの?……まあ、いっか。えっと、魔界に行くには僕と契約する必要があるんだけど』
「契約ってどうするのよ?」
『うーん、……僕たち魔物の気分によるかな。あと好みね。血で良いっていうのもいるし、性行為一回でありなのもいるし』
「ふうん、あなたは何が欲しいの?」
獅子の口から濃桃色の舌がジュルリとなぞられた。
『君、美味しそうって言われたことない?』「ないわ」
【即答!えぇ……そんな良い体しておいて?】
「そんなに良い体かしら?」
んー、自分の体を見てみても良いとは思わないなあ。
『じゃあ、どっか食べさせてよ』
「どこかって……どこでも良いの?」
『うん、君の好きな方でいいよ』
私は自分の体を改めてみてみた。この獣に捧げるのにふさわしい部位はどこか……。
「腕は?右腕」
『全然良いよ……と言うか本当に決めるの早いね。慣れてる?』
「いいえ、むしろその逆よ。私……基本的に自分の行動を自分で決めるなんてなかったから、……嬉しいの。でもどうしたいかはいつも決まってはいたわ」
『そっか……じゃあ、いただいても良いんだね?』
「ええ、お好きにどうぞ」
そう言うとその獣は私の腕をじっくりと見た。そしてそのザラザラな舌を右腕に這わせ、なぞる。
「……っ」
少しゾクリとする。恐怖心もあるのだろうが、それよりも情的な悦楽の方が上回っている。こんな時なのに私はそんなことを考えてしまう。自分の右腕が食われそうなのに。やっぱり私はどこかおかしい。
『ぐあぁ』
轟く低いその声。私の胸の中にずしりとのしかかる。その獣はその大きな牙を口の中から覗かせると私の右腕に勢いよくかぶりついた。滴り落ちる私の血。赤黒く穢れた罪深かき血がこの何もない空間にこぼれ落ちる。全身を突き刺すほどの痛みが凄まじく襲いかかり、思わず私は声を漏らした。
「ああっ!」
漏らした声と共に赤い血液はどんどん溢れてくる。その場に立ち尽くして懸命に痛みを堪える。
「ふっ……っ、」
『うーん、美味しかったなあ。……あ、ごめんね、ほい』
するとその獣は私の傷口を舐めると私の腕を元どおりにした。
「……ありがと」
『すごいねえ、腕食われて気を失わないなんて』
「……これでも『悪魔の子』だからね」
『……さあ、行こう。魔界へ』
「どうやって行くの?」
そう言うと獣はまた人型の青年に変わり、私の体を抱えた。
「えっ……」
『門よ開け!』
すると何もない空間から光り輝く穴が現れた。その中には街が広がっていた。
『さあ、行くよ!』
彼は勢いよく飛び降りた。風が私の髪を舞い上げ、ひらひらと踊らせる。生きていた頃の服装をした私はその裾を風に巻き付けながら彼に乗っていた。しばらく風と揺れていると街の姿が現れるようになった。
その中で目を引いたのが空を飛ぶ人の姿だ。彼らは自由に飛び回り、仲間と話したり、買い物をしたり、洗濯物を干したりしている。ほんの日常の動作に空を飛ぶと言う動作を付け足しただけの普通の情景に見える。でも普通なはずはないのだ。私はこのおかしな光景を初めて見たのだから。
彼に乗って彼は降り立った。そこは黄金に輝く宮殿の玉座の間。赤いカーペットの上に立ち、大きな窓が彫られた壁を見てこの国の豊かさを測る。目の前に玉座があり、気がついたらそこには白髭の男が豪華な装飾を見に纏って鎮座していた。
赤い毛皮のコートに、赤、青、緑、黄色、水色、ピンクの宝石が着いてぶら下がっている。そのカラカラと言う音はいかに彼がこの国で偉いのかを示していた。そして私の癖はさらにそれを示すことになる。
「お初にお目にかかります。……私ムーン・トゥアイセと申します」
私の癖、目上の方にお会いすると膝をついて挨拶をする。父に教えられた目上の方への態度。
「直りたまえ、……儂はサファリス・ヴィ・ヴァシレウス。このヴァシレウス帝国の三代目の皇帝じゃ」
皇帝……、と言うことは私の父(国王)よりも偉いのか。
「お主、自らのことをすでに受け入れているようじゃのう」
「……?それはどう言う意味でしょうか。」
立ち上がり、前を向きながら私はそう言った。
「ほとんどの死者は死んだと言う事実を知ったら気が動転して暴れたり、酷く落胆したりするのじゃ」
「……さっき、契約者にも言われました」
「やはりな。……前々から死には関心がなかったか?」
「……いいえ、むしろ死とは親しかったです。ずっと」
「そうか。……辛いものだったな」
「……」
こんなに優しい言葉をかけてもらったのは初めてだ。誰もこんなには優しくなかったのに。誰もこんなに普通に話してくれなかったのに。いつも一人で人形のように連れまわされるだけだった。…こんな、父上よりも偉い方に優しくしてもらうなんて……。
「ふむ、しかし……いつまでも過去にすがっている場合ではないのじゃ。我々は今を見つめるほか出来ることはないのじゃから。お主も理解しておろう?」
「……はい」
「ならば、お主の今後を決めようではないか。……これからどんなことがしたいと思うておる?」
「……わからないです。そもそも何をしたいかなんて考えたことありませんでしたし、選択肢もなかったですから。……でももし赦されるなら、もう一度王族としてちゃんと生きたかったいです。人並みの幸せが……欲しいです」
「そうか、……ならば我が国唯一の学校、ヴァシレウス魔法魔術学校への入学を薦めよう。そこでは大事なことをたくさん学ぶことができる。身分も年齢も価値観も違った生徒が集まっている最高の学び舎じゃ。人間の学び舎や家庭教師とは違うことを沢山学ぶと良い」
「……ありがとうございます」
「ふむ、あとは……お主、契約者を呼び出す方法は知っているか?」
「いいえ」
「……なら、教えてやろう。お主の契約印……右腕にあるのう、その印に触れ名を呼ぶのだ」
私は右腕を見た。そこには獅子の刻印が刻まれていた。胸の内に集中すると微かに炎の気配を感じられる。
「名前はまだ決めていませんが、呼び出せるのでしょうか」
「少し難しいのう。この際、今決めてしまうと良い。主導権はお主にあるのじゃから」
「わかりました。……エイン、出てきなさい!」
すると私の契約印から赤い獅子が勇ましく現れた。
『なんだい、ご主人様』
「お主は……」
『あんた……、あの子は元気にしてる?』
しばらく見つめ合うお互いは沈黙を続け静寂を作り出した。
「どの顔を下げてここに戻ってきたのか。……お主、また何か企んでおるのか?」
『まっさかあ、もう昔とは違うんですよ。……貴方こそ過去ばかり見てはいま
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます