第十五話 茶話 二

 ひょう、と空気を切り裂いて、矢が飛ぶ。

 勇輝から的まで、およそ二十丈。

 だが、その矢は過たず、正鵠せいこくを射る。

 勇輝は残心を終えると、ふうと一息ついた。

 ここ最近、考えることが多すぎた。だが、弓を握っている間は無心になれる。

 そう思って、弓道場へ来たと言うのに――。


「見事な腕前だな! 勇輝」

「楓様、道場内ではお静かに」


 弓道場には、楓もいた。隣には、一の近習である青羽が控えている。

 二人は、弓を射る者の邪魔にならないようにと、隅の方で正座していたが、勇輝はどうにも気になって仕方がなかった。楓と目が合ったので、勇輝は曖昧な微笑みを返す。


「……懐かれてるね」


 次の矢を取りに行くと、級友が小声で揶揄からかってきた。


「すぐ飽きるでしょ」


 勇輝はそう言うが、ここ最近の楓の様子を見ると、飽きそうにない、と言うのが周りの一致した見解だ。

 勇輝は、次の矢をつがえると、精神を集中した。

 だが、揶揄からかわれたせいか、楓に見られていると言う緊張のせいか、どこか上の空だったようだ。

 矢を放った瞬間、あっと小さな声が漏れた。

 矢は、先ほどと全く同じ軌道を描いて飛んで行った。

 そして、最初の矢柄に当たると、それを縦に真っ二つに裂いて進む。そして、最初のやじりをさらに奥へと押し込めると、そこで止まった。

 反射的に勿体無もったいない、と思ってしまう。

 そんなことを考えているから、残心も十分と言えなかった。


「調子悪いね」

「ちょっとね。……集中できないから、今日は終わるよ」


 こんな状態で射続けたところでは、何本、矢を無駄にしてしまうかわからなかった。

 道場に礼をして、片付けに入ると、楓が近寄って来た。


「もう終わるのか?」

「うん。今日は調子が悪いみたい」

「あれで? さっきのはすごかったじゃないか」

「あれね、矢の無駄だから、するなって言われているんだ。ちゃんと散らさないと」

「わざと外すのか」

「的に当たれば、それでいいんだよ」

「そんなものなのか」


 そんなことを話しながら、弓道場に併設された荷物置き場へと向かう。

 そこは、小さな小屋だった。荷物を置くだけでなく、ここで簡単な着替えもできるようになっている。


「……着替えるから、出て行って」


 当然のような顔をして付いて来た楓に、勇輝は言った。


「青羽は外に控えさせたぞ」


 楓は、当然のように小屋の中央に置いてある長椅子に腰掛けた。その全く出て行く気のない行動に、勇輝は頭を抱えた。


「聞いてる? 着替えるんだって」

「今更、照れる仲でもあるまい」

「照れる仲だよ!」


 一体、楓の中で自分の扱いはどうなっているんだ、と頭を抱えながら、楓を押し出そうとした。

 その手を取られ、あ、っと思った時には、ぎゅうっと抱きつかれていた。


「楓!」


 抗議の声を上げたが、楓はぎゅっと抱きついて離れそうになかった。椅子に座った楓に抱きつかれると、ちょうど腹の柔らかいところに顔が来る。だから、またロクでもないことを始めるのでは、と警戒したが、そうではないらしい。


「少しだけだ。変なことはしない」


 そう言って、勇輝に身を預けると、気持ちよさそうに目を閉じた。うっとりと勇輝の鼓動を聴いている。


 勇輝には、その様子が、母に甘える子のように見えた。

 ――そっか。思わぬ時に帰ったせいで、逆に里心が出ちゃったのかな。

 そう思うと、無理やり引き剥がすのも気がひける。

 あの綺麗なお母さん相手に、こうやって甘える図というのはあまり思い浮かばなかったが、そこは親子だ。ほんの赤子の時には、あの腕の中で眠ったこともあろう。

 勇輝は、お母さんというものがよくわからなかったが、何かの物語で聞いた通り、楓の頭を撫でてやった。


  ◇ ◇ ◇


「勇輝は、どんな家が好きだ?」

「は? 家?」


 楓の質問は、時々、予想だにしないものがある。今回も、そのたぐいの質問だった。今まで考えたことのない問いに、勇輝は思わず間抜けな声を出してしまった。


「家に、好きも嫌いもあるかよ。雨風あめかぜしのげりゃ十分じゃねーの」


 勇輝の隣で、大輝がもっともなことを言う。確かにそうだ。雨露あめつゆが凌げて、欲を言うなら、冬、寒くない。それ以上望むことがあるだろうか。


「大輝には聞いとらん。と言うか、何故お前もここにいるんだ。さっさと部屋に帰って課題なりなんなりしろ」


 楓はそう言って、犬でも追いやるかのようにしっしっと手を振る。それを見て、伊吹は苦笑した。


「――私も、お邪魔だったかな」

「伊吹兄様がお邪魔なんて! そんなことあるわけありません!」


 四人は、談話室にいた。ここ最近、寝る前に楓とこうやって談話室で話すのが勇輝の日課になりつつあった。そこに今日は大輝と伊吹まで付いてきたのだ。隅には、青羽も控えている。

 だから、今日は大所帯と言えた。


 楓は、毎晩のように勇輝を誘った。

 だが、楓本人が勇輝達の部屋へ呼びに来ることなかった。

 楓の一の近習、青羽でもない。

 いつも勇輝を迎えに来るのは、下級生のどこかおどおどとした近習だった。下級生なら、勇輝は断りにくい、と言うのを見越してのことだろう。

 そして、その策は成功している。楓の叱責が怖くて、ぷるぷる震える下級生を見ていると、無下にできずに、こうやって毎晩談話室で話しているのだから。

 楓はこんなからめ手を使わない。なら、誰の策かと言うと――。


 そう思って見ると、隅で澄ました顔でお茶を飲む姿も、小賢しく見える。


「俺はな、小さくてもいいから庭が欲しい。そこに梅の木があったらいいと思わないか」


 楓が、強引に話を戻した。大輝と楓のやり取りを微笑ましく見ていた勇輝に声がかけられる。


「梅? 梅は食いでがないから、柿の方が……」


 勇輝が食い気を真っ先に出した返事をすると、楓は鼻白はなじろんだ。


「あのな、梅はでるものだぞ」

「それはわかるけど。愛でるだけなら天神さんとかへ行けばいいじゃないか」


 勇輝がいう天神さんとは、梅の名所だ。毎年、梅の季節になると大勢の見物客で賑わう。

 勇輝も今年、大輝と見に行ってその見事さに感動したものだった。

 だが、楓はお気に召さないらしい。


「あんな所。人が多すぎて、ゆっくり梅が見られないじゃないか」

 というのが、その理由である。

「梅は、本来もっと落ち着いて見るもんだ。俺の家にも梅の木が沢山あるんだがな、盛りの頃はそれは綺麗だぞ」


 そう言われて、勇輝は楓の家の庭を思い出す。あの広い庭だ。どこかに梅林があると言われても不思議ではない。


「伊吹兄様の本家にも、見事な梅林がありますよね」


 そう話を振られて、伊吹はその花の美しさを思い出すかのようにうっとりと微笑んだ。


「えぇ。早咲きから遅咲きまで順々に咲くようになっているので、一月近く楽しめるんですよ」

「へぇ〜」


 早咲き遅咲きなんてものがあったのか、と、大輝、勇輝は感心したような声をあげた。今まで、花を愛でるような生活をしたことがなかったから、知らなかった。


「伊吹兄様のところの梅林はな、昼もいいが、夜でも楽しめるんだぞ」


 と、楓は我がごとのように胸を張った。


「夜? 暗いのに? 火でも焚くのか?」


 勇輝がもっともな疑問を口にした。


「違う。それもいいが、いささか風情ふぜいに欠けるだろう」


 楓が呆れた声を出す。それに、伊吹が補足した。


「うちの梅の中には、特に香り高いものが混ざっているんです。それが夜陰に紛れて部屋まで届くようになっていて」

「……梅の、香り……?」


 大輝が、そんなものあったか?と目線で問いかけて来るが、大輝が気がつかないものを、勇輝が知っているわけがない。勇輝が首を振ると、楓が呆れたようなため息を吐いた。


「お前らは、全く。風情とか風流とかそういったものをもう少し理解するべきだと思うぞ」


 そう言われるが、今の家に引き取られるまで半分孤児のようなもので、生きる以外のことに気を取られている暇はなかった。だから、今年になるまで花見すらしたことがなかったのだ。

 だが、わざわざ楓にそんなことを言う必要はないと大輝は判断したのだろう。

「俺らは、色気より食い気だからな。腹が膨れないものに興味はない」

 と強がった。それに、勇輝も右に同じく、と乗った。

 衣食足りて礼節を知る、と言うが、三つ子の魂も百までなのだ。どうしても、判断基準は、孤児だった頃のを引きずってしまう。


「なら――」

 と、楓が口を開くより早く。伊吹がやや強引に話の主導権を奪った。

「なら、次の梅の季節は二人を我が家に招待しましょう。天神さんの梅見とは違った梅の楽しみ方をお二人に教えますよ」

「本当ですか、先輩!」


 その強引さに気がつかないわけがないだろうに、伊吹の言葉に大輝が喰いつく。


「話に聞く先輩の家が見られるなんて、楽しみです。な、勇輝」


 無邪気を装って、念押しする大輝に、勇輝は頷くしかできなかった。

 隣で、楓が少し気落ちしているような気がして、そちらが見られないまま、話題は次へと移っていった。

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