第十四話 茶話 一

「ほら、楓。お茶。口に合うかどうかわからないけど」


 そう言って、勇輝が楓に湯呑みを手渡すと、楓は偉そうに飲んでやる、と言って受け取った。それに、全く素直じゃないな、と勇輝は笑った。そして、下座に控える青羽にも、湯呑みを差し出す。


「――青羽……さんでいいんだよね」

「青羽で構いません。学年は同じですから」

「なら、青羽。よかったら、飲んで」

「ありがたく頂戴します」

「勇輝! なんで青羽にも出すんだ! 俺のために淹れたんじゃないのか!」


 それを見た楓が、不満を漏らした。勇輝が青羽を構っているのが気に入らないらしい。

 全く、我が主人あるじは、と楓の幼さを微笑ましく思う。

 青羽は楓の一の近習だ。授業中や任務中などを除いて、常に楓に付き従っている。楓には、青羽以外に幾人も近習がいた。だが、現在、彼らは、談話室におらず、自室に下がっている。

 いや、楓が下がらせたのだ。夕食後のひと時を、勇輝と過ごす、と言って。

 主人の我儘わがままには慣れていた青羽だったが、特定の人物に執着するのは、伊吹を除いて初めてだったので、少し驚いた。

 しかも、青羽も下がるように言われたのだ。今までだったら、どこに付き従っても何も言われなかったのに。

 だが、一の近習としてそれはできないと、抵抗した。そこに、呼ばれてやって来た勇輝が加勢してくれ、二人掛かりで説得して、ようやく同席を許されたのだった。


「楓。そんな狭量なことを言うんじゃない」


 勇輝はたしなめたが、青羽は楓の我儘わがままに慣れている。だから、気にせず、湯飲みからお茶をすすった。そのお茶は、茶葉こそ高級なものではなかったが、丁寧に淹れられた味がした。

 でも……! と、なおも言い募ろうとする楓に向かって、勇輝はにんまり笑った。


「そんなこと言う人には、これはあげられないなぁ」


 そう言って、簡素な紙袋を掲げて見せた。それに、ぴくっと楓が反応する。

 それは、年相応の子供っぽい仕草だった。

 それを見て、青羽は珍しいな、と思った。

 楓は、年下扱いされることを極端に嫌う。それなのに、勇輝に対して、構えたところがなくなっていた。それは、哨戒任務に出る前には、見られなかったことだ。

 哨戒任務の短期間で、それほどまでに、仲良くなる何かがあったのか、と青羽は思った。かたくなとも言える楓が、ここまで気を許すとは、相当なことがあったに違いない。


「なんだ? それ」


 楓は、本能的に何かいいものだとわかるのか、甘い匂いを嗅ぎつけたのか、キラキラした目で勇輝を見つめた。

 勇輝はそれに答えず、勿体もったいをつけて空の皿を、机の中央に置いた。そして、そこに袋の中身をカラカラと入れる。

 袋から出て来たのは、焼き菓子だった。だが、青羽も見たことのない焼き菓子だった。


「なんだ、これ? ――勇輝、隣に座れ」


 焼き菓子に目を奪われながらも、楓と直角の位置に座ろうとした勇輝を留めて、隣に座るように催促した。

 勇輝は、苦笑しながらも、おとなしく楓の言葉に従う。

 青羽には、それが我儘な弟に振り回されるのように見えた。


「これは、今、下町で流行っている焼き菓子だよ」

「堅そうだな。煎餅か?」

「煎餅……、ま、焼いてあるからそんなもんかな」


 楓は一つ摘み上げると、しげしげと観察した。


「中に何か練りこんであるな。なんだ?」


 楓は、初めて見るお菓子に、少し警戒しているように見えた。それは、貴族の子弟として生まれ育った楓には、当然の警戒だった。それを見た青羽が申し出る。


「――楓様。まず私が」

「あっ、そっか。出所のはっきりしない物だと、毒味がいるのか」


 青羽が勇輝に気を使って、「毒味を」と言わなかったのに、勇輝がけろっと言ってしまった。その表情には、嫌味なところが全くない。そして、青羽の方へ皿を寄せる。


「すみません、気がつかなくて」


 申し訳なさそうに謝る勇輝に、いえ、と言いながら青羽は腰を浮かして皿から焼き菓子を一つ、摘もうとした。

 その勇輝の手が、途中で引き止められる。


「――いい。勇輝が俺のために買って来てくれたんだろう? なら、毒味なぞ必要あるまい」


 驚いたように、中腰で固まる二人。そして、目線を合わせると、何事もなかったかのように元の位置へと戻った。


「う〜ん、まぁ、正確には自分で食べるために買ったんだけど。あ、でも、楓にも食べさせたいな、と思っていたから。いい機会だと思って、持って来たんだ」


 「自分で食べるため」と言った途端、ぶすくれた楓を見て、慌てて後半を付け足す勇輝。なかなか、楓の扱いが上手い。

 楓は、付け足された台詞を聞いて満足したらしい。

 手に持っていた焼き菓子をぱくりと食べ、「甘い!」と顔を輝かせた。


「なんだこれ! 煎餅じゃないのか? 醤油の味がしないぞ!」

「形は煎餅によく似ているけど、違うらしい。中に入っているのは、干した果物だよ」


 そう言って、皿の中から、一つ一つ菓子をより分けていく。


「この赤いのが練りこんであるのが、柘榴だろ。で、これが、蜜柑。このちょっと色の濃いのが、確か……柿だったかな。あとは……覚えていない」


 そう言って、皿の淵に並べられた菓子は、確かに中に練りこんである物の色が違っていた。

 楓がへぇ、と呟いて、蜜柑を摘むと、口の中に入れた。


「ん! 確かに、さっきと味が違う!」

「でしょ。……おいしい?」


 不安そうに楓の顔を覗き込んだ勇輝に、楓は満面の笑みで答えた。


「うまいぞ!」

「そう。よかった。楓には、庶民の味すぎるかな、と思ってたんだ」


 勇輝がホッとして楓に笑いかけると、楓は顔を赤くして、それでも偉そうに品評した。


「まぁな。でも、この素朴な味も、嫌いではない」

「――最初に食べたの、何だった?」

「……? わからん。甘かった」

「もう、何それ。……この茶色いの何だろ」


 勇輝がそう言いながら、茶色いのが練りこまれた菓子を摘むと、口の中に入れた。

 そして、味を確かめるようにもごもごと口を動かす。


「……何だった?」

「う〜ん。わかんない」

「お前もわからないんじゃないか!」


 楓が憤慨しながら言う。それに勇輝はごめんごめんと笑った。


「茶色いの、どれだ? 俺が当ててやる」


 楓が茶色いのを口に入れると、慎重に味を確かめた。だが、しばらく待っても答えは出そうになかった。


「う〜ん……」

「だろ? わかんないだろ?」


 そう勝ち誇る勇輝に、待て、と考え込む楓。

 この一連のやりとりに、青羽は表情に出さずに驚いていた。そして、今日はつくづく驚かされる場面に出会うものだ、と内心で呟く。

 楓が誰かに、こんなに懐いているのを見るのは初めてだ。肩肘を張らず、気安く他者に接する楓は、年相応の少年にしか見えなかった。


 表情一つ変えずに、二人を見ていたのが気になったのだろう。勇輝が「青羽も食べてみてよ」と気軽に勧めた。

 それを聞いて、青羽が楓の意向を伺う。

 同じ机に座っているとはいえ、青羽はあくまでも近習だ。主人と同じ物を許可なく食べるわけにはいかなかった。

 視線で問いかけると、楓は鷹揚に、「構わん。青羽も食べろ」と、器の広さを見せた。

 先ほど、『狭量』と言われたのが、地味に効いていたのかもしれない。

 それでは失礼して、と青羽が手を伸ばす。

 青羽は、これがその茶色いのだよ、と勇輝が指差したものを摘むと、上品に口に入れた。

 そして、思案することしばし。


「……これは、無花果いちじく、ではないでしょうか」

「あ〜、そっか! どっかで食べたことあるな、と思ったんだ!」

「無花果か! そう言われれば、そうだな」


 勇輝と楓が、それぞれ感心した声を出した。

 一つの謎が解けると、二人の興味は、すぐに次のものへと移る。


「……じゃぁ、これは何だと思う?」


 勇輝が、白っぽいのが入っている菓子を摘んだ。


「次は俺が当ててやろう」


 楓が楽しそうに、同じものを一つ摘んだ。

 そして、二人して口に含むと、


「「林檎!」」


 あはは、と笑い声が響く。


「俺の方が早かった」と楓。

「いやいや。僕の方でしょ」と対抗するのは勇輝。


 どちらも負けず嫌いだから、引く気はなさそうだった。

 その向かいで、青羽は静かな表情でお茶をすすった。

 近習とは、心の内を面に表さないものだからである。


  ◇ ◇ ◇


 おいしいおいしいとお菓子を頬張る楓は、年相応の子供に見えた。

 あの夜、勇輝を散々な目に合わせた男の片鱗はどこにも見えなかった。

 それはそうだろう。この子は、何も知らなかった。あの部屋に入るまで。

 無垢ともうぶとも言える子供だった。

 あんなことができたのは、ひとえにあの男の手引きがあったからだろう。


 ――おぼろ


 名前の通り、掴み所のない男だった。

 その何の感情も見られない冷たい瞳を思い出して、勇輝はゾッとした。

 あの男は、準備と称して勇輝の体を弄んだ時も、楓が獣のように勇輝を蹂躙していた時も、一切、熱を帯びなかった。

 ただただ冷徹な目で、楓の行いを見ていた。

 それが、勇輝には何よりも恐ろしかった。

 楓のように、初めての行為に溺れ、興奮と快楽でその瞳をギラギラと輝かせてくれた方がまだ理解できる。

 だが、あの男は、初めから終わりまで、何にも反応しなかった。

 あんなことをしておいて、自分には関係ないのだ、とでも言うような平然とした態度が……憎い。


「どうした? 大丈夫か?」


 あの夜のことを思い出して、黙り込んでしまった勇輝を、心配そうに楓が覗き込んで来た。


「……大丈夫。ちょっと疲れただけ。楓こそ、疲れていないか?」


 にこり、と笑ってやると、楓は安心したようだった。


「俺は大丈夫だ。そこらの凡夫と鍛え方が違うからな」


 楓は、いつも通り、偉そうに胸を張った。尊大な物言いが板についている。

 この子は、こうやって、皆に大切にかしずかれて生きてきたのだろう。人に譲るとか、一歩下がるとか、考えもしない。

 だが、それで当然なのだと思わせる『貴さ』が彼にはあった。

 彼は、三条家の次期当主だ。

 言って通らない言はない。


 なら。

 それなら、初めてだって、もっと幸せなものにしてやったらよかったのに。


 こんな己の欲望を一方的にぶつけるだけの行為ではなく。

 襲われたのは自分だと言うのに、勇輝は楓を哀れに思った。

 体を売ることなく生きていける恵まれた人たちには、肌を合わせる幸せがある、と勇輝は思っている。想い想われ、心を通わせた相手と交わる幸せだ。

 それが初めてなら、尚更なのではないだろうか。

 それなのに、男のなりをして、戦うために生きているこんな自分と初めての夜を迎えてしまった。迎えさせられてしまった。

 それで楓はよかったのだろうか。

 もっと姫と呼ばれる高貴な女子や、熟練の技術を持った玄人の女性に優しく手ほどきされた方がよかったのではないだろうか。


 そう思って、楓を伺うと、「少し早いが寝ようか」と言われた。


「確かに、行軍から帰って来たばかりだしな。ゆっくり体を休めた方がいいだろう」


 先ほど、誤魔化すために「疲れた」といったのが、重く受け止められたらしい。

 だが、あの夜の記憶が蘇って来たせいで、気分が悪くなった勇輝は、その言葉にありがたく従うことにした。


 楓のことは嫌いじゃない。だが、忘れるにはまだ早すぎた。


「じゃ、後片付けはしておくから、部屋に戻りなよ」

「何を言っているんだ。そんなこと、青羽にさせればいいだろう」


 当然のように楓は言った。その言葉を聞いて、文句一つこぼさず、青羽が立ち上がる。


「俺は勇輝を送ってから部屋に戻る」

「承知いたしました」


 楓は、青羽の言葉を聞き終えることなく、勇輝の手を引いて歩き出した。


「……ちょっと、青羽に悪いよ!」

「いいんだ。洗い物一つできなくて、何が近習だ」

「そう言うことじゃなくて!」


 だが、言い出したら聞かないのが楓だ。勇輝は諦めて、あとで青羽にお詫びしよう、と思った。

 そして、ふと気がつく。


「――楓」

「何だ?」

「楓って、手が大きいんだね」


 そう言って、比べてみたてのひらは、ほとんど同じ大きさだった。勇輝の細い指と比べると、楓の指は、胼胝たこのいくつもある、硬い掌だった。

 それは、楓の勤勉さを表していた。皆よりも年下だからといって、『できない』ことに甘えない。勇輝は、その努力に素直に感心した。


 にも関わらず。


「――身長は、こんなに違うのにね」


 頭一つ小さい楓に向かって、言わなくてもいい一言を言ってしまう勇輝だった。

 目に見えて機嫌が悪くなる楓。


「勇輝。ちょっと来い」


 楓は、勇輝をあまり使われていない方の階段まで引っ張って行った。


「ごめん。怒った? 楓」


 あまり反省していないのが、伝わったのかもしれない。楓はぶすっとしたまま階段を一段登ると、そこでくるりと振り向いた。

 楓に付いて登ろうとした勇輝が、慌てて立ち止まる。

 そんな勇輝の肩を掴むと、楓は勇輝にむちゅっと口づけをした。

 それは、口づけとは呼べない、唇と唇が合わさるだけのものだった。

 一瞬にしては長く、かと言って時を数えるほどでもなく――。

 実際、そんなに長い時間ではなかったのだろう。だが、勇輝はとても長く感じた。

 ――これ、大輝にバレたら、甘いって怒られるな、という考えが頭に浮かぶ。

 しかし、目をつぶった楓の必死な顔が可愛くて、勇輝には突き放せなかった。

 しばらくして、楓はぷはっと唇を離すと、真っ赤な顔をして言った。


「いいか。今はまだ小さいかもしれないがな。俺は成長しているんだ。この階段、一段分くらいすぐ大きくなる。すぐに勇輝なんか、追い越してやるからな!」


 そう宣言する楓は、どうしてもかわいい後輩にしか見えなかった。

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