第四話 哨戒任務
哨戒任務は、順調に進んでいた。
哨戒任務は、基本的に結界の要所を巡り、そこに綻びがないか調べる任務だ。
山や森、人里から離れた所にある結界の綻びは気が付かれにくい。だが、放置していては障りがある。故に、四至鎮守軍は定期的に巡回をしていた。そして、その予行練習として、渾天院でも哨戒任務と銘打ち、小隊ごとに結界を巡回させているのだ。
ただ、いくら訓練とはいえ、あまり無茶なことはさせられない。四至鎮守軍の定期巡回の道程の中でも、比較的安全で、小隊がいれば十分間に合う所を選んで指令は出されていた。
八ノ瀬山は、都の鬼門に当たり、決して易しいとはいえないが、鬼門を司る三条家の者が密に巡回していること、山自体に難所がなく、歩きやすいこと、そして、何より、将来、楓がここの管理を任されるであろうことから、今回、指令が下ったようだ。
「私も、渾天院に入ってから、何度も自領へ哨戒に行った事があります」
山を登りながら、伊吹は言った。
「これは別に、贔屓とかではなく、合理的な判断なのだと思います。四至鎮守軍に入った時、一から教える必要はなくなりますから」
だから、哨戒任務は、今回のように
伊吹の話を聞いて、楓はそういうものか、と納得した。
急な斜面を登りきると、少し開けたところに出た。
「この近くに、
先頭に立って登った勇輝が、地図を確認しながら言う。
要石は、結界の要となる石だ。だから、ある程度の大きさがあるはずだったが、伊吹に次いで斜面を登りきった楓の視界の中には見当たらなかった。
どこかに埋もれているのか、と思ったその時だった。
「警戒!」
勇輝の鋭い声が響くとともに、
「来るぞ!」
その大輝の声を合図に、近くの茂みから小さな影が飛び出してきた。
「チッ――!」
大輝に遅れる事、数瞬。楓が飛び出してきた影を切りつけようとした時には、すでに影の眉間に矢が突き刺さっていた。
影は、楓の目の前でギャッと一声鳴くと、そのまま地面に落ちていった。
断末魔は、三つ。
楓が動く前に、勝敗は決していた。
楓は、柄に手を掛けたままの体制で周りを警戒する。
茂みから飛び出してきたのは、『
野干とは、犬と狐を掛け合わせたような姿をした妖で、野山に出没し、集団で人を襲う。だが、体躯は小さく、顎や爪も強くはない。それほど恐れられる妖ではなかった。
「――楓、大丈夫か?」
勇輝の声に我に返り、周りを見回すと、大輝の側にも、伊吹の足元にも野干の骸が転がっていた。
「……俺は大事ない。皆は」
楓は努めて冷静な声を出した。急に襲撃されたのとは違った焦りが、楓の腹の中を掻き回す。
しかし、勇輝は楓の動揺に気付かず、皆も大丈夫、と呑気に笑った。
周囲を警戒して、動く物の気配を探っていた伊吹が、体から力を抜いた。それと同時に、大輝も警戒を解く。
勇輝は、二人の様子から脅威は去ったと判断したのか、地面に転がっている野干の死体を集めると、簡単にだが弔いをした。
いくら人に仇なす妖とて、命は命である。その命が
楓も皆とともに手を合わせてはいたが、その胸中は
(俺一人だけ、動けなかった……)
伊吹が反応出来たのは当然のこととして、問題は大輝、勇輝の双子の方だ。
勇輝は真っ先に妖の気配に気付いたし、大輝は殿にいたのに、楓を飛び越し、皆を守るような位置にいち早くついていた。
これが一年の差か、と思うと同時に、一年後、自分は二人の様になれているだろうかと焦りもする。
楓や伊吹は、次期当主として、幼い頃より一流の師範に手ほどきを受けていた。だから、渾天院に入った時、すでにある程度、出来上がっている。
だが、
それなのに、もう、伊吹と肩を並べても遜色ないくらいに成長している。
たった一年。されど一年だ。
この一年の差が、楓には非常に遠く感じられた。
その事実は、こういう時――自分一人、実力が足りていないと見せ付けられる時、楓の胸をかき回した。
楓は認めたくはなかったが、この二人も推挙されただけあって、並みの者ではない。
百年に一人の逸材と目される伊吹。
その彼が率いる小隊は、もちろん渾天院を代表する小隊である。
そんな小隊に、何の後ろ盾もない、身分卑しい二人が入ることに、当初、猛烈な反発があったと聞く。
だが、大輝と勇輝は一年かけて自分達がそれにふさわしいと証明してみせたのだ。
未だ、口さがない者はいるが、ほとんどの者が二人の実力を認めている。
――自分は、どうなのだろうか。
楓は、自分が伊吹隊に入れたのは、家同士の
楓と伊吹の家は、家ぐるみで付き合いがあり、非常に関係が深い。
また、楓は伊吹を追いかけて、横紙破りと知りつつ、渾天院に入ったという経緯がある。
だから、伊吹は楓を無下にできず、仕方なく伊吹隊に入れてくれたのではないだろうか。
「――どうしましたか、楓。疲れましたか」
黙り込んだ楓を心配して、伊吹が声をかけてくれた。
その顔には、心配の色しかない。それが――辛い。
「いえ。大丈夫です。まだ動けます」
伊吹は、優しい。だから、楓が不安をぶつけても、受け止めてくれるだろう。
受け止めて、そして――否定する。楓の不安を「そんなことはありません」と、いつもの優しい微笑みで否定してくれるだろう。
だが、それは、本心なのだろうか。それとも、楓を傷つけないための方便?
結局、楓は伊吹が信じられないというより、自分が信じられないのだ。
だから、誰にどんな言葉をもらっても、仕方がないのだ。
◇ ◇ ◇
楓は大丈夫だと言ったが、結局、要石を探しているうちに昼になり、一行はそこで昼食を取った。
今回の任務中、山から珍しい山菜や木の実が採れるため、勇輝が張り切ってご飯を作っていた。――と言っても、基本は干し飯と味噌なので、あまり違いはなかったが。
昼食後、手分けして要石を探そうという話になった。要石は文字通り、結界の要だ。それが何処かに行ったままで放ってはおけない。
「じゃ、私は大輝と東の方を探します。二人は南の方を探してください」
一行は、東の方から山を登ってきた。要石が移動しているなら、山を滑り落ちたのだろうということで、南東に広がる斜面を捜索することになった。
「――勇輝、よろしく頼みます」
「はい、頑張ってみます」
伊吹と勇輝が小さな声で言葉を交わし、一行は二手に分かれた。
南側は、太い木が立ち並んでいた。梢が幾重にも影を落とし、昼、なお暗かった。人も獣も通る所から外れているため、溜まった落ち葉で地面は柔らかかった。その地面は、体の重みで足が沈むため、妙に歩きにくかった。
「おい、勇輝、大丈夫か」
段差に苦戦している勇輝に手を差し伸べ、引き上げてやる。
「ありがと。……やっぱり山は慣れないな。楓はすごいね。自在に動けて」
とはいうものの、勇輝も全く動けないわけではない。小隊の先導役として、山の中でも方角を見失わずに、地図通りに歩けている。
「ふん。こんなのは、慣れているだけだ」
そう、慣れているだけなのだ。もっと小さかった頃から、山は遊び場だった。ただそれだけのことだ。
「いやぁ、そんなことないよ。――楓は、頑張ってると思うよ」
勇輝の声の調子が、急に真剣なものに変わる。その声に弾かれるように、楓は顔を上げた。すると、真剣な顔をした勇輝と目が合った。
「――何のことだ」
「う〜ん。それは僕が聞きたいんだけど?」
「お前には、関係ない」
話が嫌な方へ進みそうになったのを、拒絶の言葉で断ち切る。
強い調子で発せられた言葉に、勇気はへにゃりと情けなく眉を下げた。
「関係なくないよ。同じ小隊だし、僕は楓の先輩だ。伊吹先輩に言えないことでも――」
「伊吹兄様は関係ない!」
とっさに出た声は、思ったよりも大きかった。それで、言った楓本人も息を飲んだ。
二人の間に沈黙が落ちる。ザザァと、梢の間を風が走り抜けた。
楓は、勇輝の顔が見られなかった。もし、勇輝の瞳に、同情の色があったら、立ち直れそうになかったからだ。
同情されるくらいなら、笑われた方がマシだ。笑わば笑え、とばかりに、楓は勇輝を見ないまま、半ばやけくそで口を開いた。
「お前は、俺を頑張ってるというがな。俺は、『頑張ってる』じゃ、駄目なんだ」
「……どうして?」
「俺は、三条家次期当主だ。上に立つものは、結果を出す必要がある」
「結果?」
祖父も父も、結果を出した。その流れの先頭に楓はいる。楓だけが何も為さないでは済ませられない。武家とはそういうものだ。
「あぁ、そうだ。結果だ。俺も、伊吹兄様も家を背負っている。その采配ひとつで人が何人も死ぬかもしれないんだ。そんな立場の人間は、『頑張りました』『でも、負けました』じゃ済まないんだ。賭ける物の重さが違う。責任が違う。――だが、現実はどうだ。野営の準備もまともにできない。妖にもとっさに反応できない。こんなことで、当主と言えるのか」
「そんな!」
楓の述懐に、勇輝は驚きの声をあげた。他人事なのに、なぜか傷ついた顔をする。
楓は気づいていなかったが、それは楓の表情を鏡のように映しているだけだった。
「でも……。だって、楓は、渾天院に入ってまだ一年も経ってないだろ。できないことがあって当たり前だし、できなかったこともどんどんできる様になってきてるじゃないか。僕だって、一年目は先輩に教えてもらうことばかりだったよ。そのために渾天院はあるんだし、そのための小隊だろ」
「お前と俺とは、違う」
何を寝ぼけたことを、と楓は思う。だから先程から行っているだろうに。
「お前は、武家出身ではないのだろう。――なら、俺のこの気持ちは、お前にはわからん」
それは、理解を拒絶する言葉だった。楓は、勇輝に理解してもらいたいと思っていなかった。
どうせ、伊吹が卒業するまでの付き合いだ。
伊吹が卒業し、伊吹隊が解散すれば、勇輝との縁も切れる。そんな相手に、言葉を尽くした所で何になる。
「そう、だけどっ。僕は、楓を理解したいよ。楓に、話をしてほしい」
「……なぜ?」
なぜ、
「だって、僕は楓の先輩だし、こうやって、一緒の小隊っていう縁もあるんだし……」
勇輝の主張は、モゴモゴと消えていった。落ち込んだ様子の勇輝を見ていると、こちらがいじめている気がして、罪悪感が湧いてくる。だが、楓は素直になれなかった。
「話した所で、何になる。どうせ、この小隊も、伊吹兄様が卒業するまでだろ」
伊吹が卒業し、隊の再編が行われる。どうせ、勇輝は大輝と組むのだろう。その小隊に楓は入る気が全くない。
「楓はそのつもりなの?」
「お前もそのつもりだと思っていたが?」
何を当然、と言い返したら、勇輝は楓の言葉に戸惑っていた。
「そっか……。そうなのかな。……僕は、考えたこともなかったや。何となく、楓とはずっといる気がしていたし……」
そう言われれば、そんな気がするから、不思議だ。
たまに、勇輝は突拍子も無いことを口にする。それは、根拠も何も無いはずなのに、なぜか信じさせる力があった。
(そうか。これからも、一緒なのか。それなら――)
「――ふん。お前が言う通り、これからも一緒なら、次は話してやらんこともない」
理屈で言えば、そんな未来は来ないとわかっている。だが、楓はそう言った。
その言葉に、勇輝の顔が輝く。全くこいつは、単純だ。だが、それも悪くない。
「本当?」
「ああ。だが、どう考えても、そんな未来はこないがな」
「そうかなぁ?」
勇輝が悪戯っぽく笑う。そのコロコロ変わる表情に、つられて楓も笑っていた。
「そうだろう」
そう言いながら、そんな未来を考えるのも、悪くない気がした。
勇輝は、多少口うるさいし、心配性だし、やたら先輩風を吹かせたがるが、悪いやつではないと知っている。
楓を尊重するものの、常に一歩引いて自分と接する近習たちと、勇輝は違った。
今は、『同じ小隊の隊員』と名の付いている二人だったが、それがなくなった時、どう変わるのだろう。
そんなことを考えているうちに、落ち込んでいた気分はどこかに消え去っていた。
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