秋の鹿は笛に寄る

川津 聡

序章

「回り込め!」


 鋭い声とともに、森をけ抜ける影――その数 六十と四。


 揃いの白衣びゃくえに、馬乗袴。揃いの衣装の上には、胴までしっかりおおう防具をつけている者もいれば、機動性を重視し、胸当むねあてしか着けていない者もいる。

 その身におびたるは、刀、太刀、槍に弓。衣装に反して、手にした武器は多様だった。

 己が武器をたずさえて、彼らは森の中を疾走しっそうしていた。




 季節は夏の終わり。


 とうに大暑たいしょを過ぎたとはいえ、ひらけた所では、日光が降り注ぎ、じっとしているだけでも汗ばむ陽気だったが、ここは木々の葉に日光がさえぎられ、暗くすずやかだった。


 それでも、全力で走れば、汗もかく。疲労もまる。

 その中で、一際ひときわ元気な若武者が集団から飛び出した。


「そこだぁ!」


 気合いとともに、彼は術をまとわせ、あかく発光した大太刀を地面に突き刺した。


 その瞬間、地面が爆発した。――いや、土中から、土や落ち葉を跳ね上げて飛び出して来たのは、たけ二丈にじょう(約6m)はあろうかという大百足おおむかでだった。


「キィアァァァ!」


 尾に近い所を深々と刺された大百足は、怒声を放った。

 高音域のその声に、空気が振動し、周りにいた者達は思わず身をすくめる。

 そんな中、冷静な声が彼らの背中を押した。


「一番中隊、二番中隊は前へ! 大百足を弱らせてください! 三番中隊は後方にて支援、四番中隊は結界を張って皆を支援!」


 全力疾走してなお、りんとしたたたずまいの彼が、この一番大隊を率いる隊長・伊吹いぶきだ。


「「「了解!」」


 役割が与えられれば、身をすくめるだけの能無しものなど一番大隊にいない。

 大百足を刺した若武者が、正面から大百足それと対峙する。それ以外の者は散開し、大百足を包囲した。


 彼らが構える武具は、それぞれの気をまとい、薄く発光していた。

 これが『術』と呼ばれる、人のことわりを超えた力である。

 彼らが対峙しているこの大百足のように、自然の摂理の外にいるモノを調伏するための力である。


 逃げられないと悟った大百足は、その巨体を土中から引き出した。

 ずる、ずると幾多いくたもある足がうごめきながらい出てくる。その一本一本が人の胴回りほどの太さを有していた。


「イィィアァアアア!」


 威嚇するようにきしんだ音を出し、身をもたげた本体は、大人三人が両手で輪を作っても囲いきれないほどの太さがあった。


 だが、若武者は怯えなど微塵みじんも見せずに、大百足に向かって行った。


大輝だいき! 無茶するなよ!」


 掛けられた声も聞こえないのか、大輝と呼ばれた若武者は、単騎たんきで大百足に肉薄にくはくする。


「どりゃあぁ!」

 ぎぃん!


 気合いとともに振り下ろされた大太刀は、大百足の外皮に弾かれた。


「――かってぇ!」

「見たらわかるだろ!」

「はははっ」


 大輝は、突っ込みに笑い返すと、それでもなお臆することなく大百足に向かって行った。


  ◇ ◇ ◇


「見たらわかるだろ!」


 そう突っ込んだ人物は、己の発言が軽く流されたのを知って、はぁ、とため息をついた。

 その呆れ顔の人物は、若武者――大輝と瓜二つの顔をしていた。

 赤髪と黒髪という髪色こそ違えど、精悍せいかんな顔つきの二人は、鏡に映したようにそっくりである。誰が見ても、『双子』だと思うだろう。


勇輝ゆうき。あいつは駄目だ。しつけのできていない犬と一緒で、餌と見ればすぐ飛びつく」


 若武者にツッコミを入れた者――勇輝の隣から呆れた声がした。

 そちらへ目を向けると、からす濡羽ぬれば色のあでやかな髪をした少年が立っていた。その少年は、年の揃った一番大隊の中で一人、幼かった。だが、その幼さを残す顔立ちは引き締められ、この戦場に身を置く覚悟のようなものが伺えた。


かえで! 〜〜〜〜っ!」


 勇輝はとがめるような声を出したが、反論できないのか開いた口を途中で閉めてしまった。そして、ため息ひとつ。それだけで気持ちを切り替えた勇輝は、少年――楓に向き直った。


「あれが大輝の仕事だから。楓は? 『堅固けんごなる護り』と――」

「『業物わざもの』の付加だ」


 楓の言葉を聞いて、勇輝は一つ頷いた。

 楓は腰の刀をさやから抜くと、勇輝の前でささげ持つ。

 勇輝はその正面に立ち、腰に下げていた鉾鈴ほこすずを手に取ると、しゃん、と軽やかな音を一つ降らせた。


 その瞬間、勇輝の雰囲気が変わる。


 いつものふわりと優しい雰囲気が消え、人間らしさが薄くなる。

 ここを見ているようで見ていない。ここに居るようで遠くに居る勇輝は、人であることを超越した存在のように感じられた。


掛巻かけまくもかしこ建御雷之男神たけみかづちのおのかみ――」


 勇輝の口から、独特の調子の祝詞のりと奏上そうじょうされ、しゃん、しゃんと鈴がなるたびに、そこから清浄な空気が広がっていく。


 楓は、その雰囲気に自然、こうべれていた。


 二人の体が、金色こんじきの光に包まれていく。


萬物よろずもの禍事まがごと、罪、けがれをはらたまい、きよめ給い、萬世界よろずせかい御親みおやのもとにおさめしせめたまう力をこの者に祈願こいねがいたてまつることをもうすことを聞こし召せとかしこかしこもうす――」


 しゃん、と最後の鈴の音が鳴り響いた瞬間、少年の体とささげ持った刀に光が吸い込まれて行った。

 この光は、ここ日のくに八百万やおよろず御坐おわします神々からの加護の光だ。

 勇輝のように神職にある者――禰宜ねぎかんなぎの中には、まれに神々と交信し、その力を他者に授けられる者がいる。

 その者たちの中でも、戦神いくさがみの守護を持ち、いくで神の力を顕現けんげんさせる者のことを『神司かんづかさ』と言った。

 勇輝も神司の一人で、こうやってもののふに加護を分け与え、『神人じにん』へといたらしめる役目をになっていた。


 勇輝から発せられた光が、楓とその刀に収束していく。

 光が吸い込まれていった楓は、体の調子を確かめるように拳を握ったり解いたりした。


 勇輝の神性がふっと消えた。閉じていた目を開いた勇輝は、いつもの勇輝だった。


「カミサマは……?」

「その辺は、お前を信用している。――流石だな」


 明らかに年下である楓に、上から物を言われたが、勇輝は、それを気にすることなくニッと笑うと、鉾鈴を持っていない方の手でその背を叩いた。全幅の信頼を乗せて、行ってこいと送り出す。

 その声援を背に、楓は一直線に戦場へと駆けて行った。


  ◇ ◇ ◇


 加護の効果か、楓の動きはよくなっていた。というより、その動きは、人の動きを超えていた。

 楓は瞬く間に大百足に近寄ると、一閃いっせんの元、その足を断ち切る。


「キシャァァアァァ!」


 痛さにか衝撃にか、大百足は咆哮ほうこうを上げた。

 暴れる大百足から距離をとった大輝が、楓の隣へと着地してくる。


「――楓、おせぇよ」

「文句があるなら、勇輝に言え」


 楓はそう言いながら、次の足に狙いをつけ、またそれを断ち切った。


「あー、やっぱ、神様から加護をもらわねーと切れねーか」


 その様子を見ながら、大輝がつぶやいた。

 大輝が言う通り、大百足の外殻は硬く、彼の術だけでその足を断ち切ることはできていなかった。

 とはいえ、楓が来るまでに大百足にそれなりの痛痒つうようを与えていたのだから、恐れ入る。


 加護が必要だと呟いたくせに、大輝は前線を退しりぞく気配もなく、再度、大百足へと突っ込んでいく。

 その無謀とも言える思い切りの良さに、楓は舌打ちをしつつ、遅れまいと斬りかかる。


 二人が大百足とやりあっているうちに、加護を受けた他の中隊の者達が次々と前線に加わり始めた。大百足の足の多さに手間取りつつも、危なげなく立ち向かっている。

 大百足は、体こそ大きく、硬いが、攻撃は単純で、よく修練を積んだこの一番大隊にとって、恐れる敵ではない。


「楓、ちょっとここ、任せるぜ」


 皆の動きを見て、大輝がそう言い残し、勇輝の元へ向かう。

 大輝の役目は、『先駆せんく』。つまり、戦線が整うまでの足止めだ。特に今日の妖は足が速いため、一度距離が開けば、そのまま逃げられてしまう恐れがあった。そうならないように、彼は無茶と知りつつ、加護も受けずに戦っていたのだ。


「――気に食わん」


 楓はそうつぶやくと、せまってきた足を刀で受け流した。勢いのついた足は、楓の背後の地面に刺さる。その隙をのがさず、大百足の胴に斬りかかったが、外皮に弾かれてしまった。


 距離をとって、もう一度、気に食わんと呟く。


 多少、年上というだけで、隊長である伊吹のしんも厚く、危険だが、花形である『先駆せんく』を任されている大輝。


 (伊吹兄様の先駆は、俺が狙っていたのに……!)


 と、楓の死角で矢が弾けた。


「――楓! 足を止めるな!」


 振り返って見ると、勇輝が弓を放った体勢で叫んでいた。その近くでは、大輝がこちらを見て笑っていた。


 加護をかける合間に、楓の支援をこなす勇輝。危険な足止めを、加護のない状態でも難なくこなす大輝。双子のその余裕に、経験の差を思い知らされる。


 年齢はともかく、学年としては一つだ。一年先に『渾天院こんてんいん』に入院しただけであるのに、この余裕の差はなんだ。自分の『足りなさ』を見せつけられる思いがして、楓は二人から視線をらした。


 異例の若さで渾天院に入院した楓。

 周囲は、天才だなんだと褒めそやすが、楓は、自分が天才でないことを自覚している。

 天才とは、伊吹のような者のことを指すのだ。


 だが、楓は、三条家次期当主として、できないと弱音を吐き、膝をつくことは許されていない。

 だから楓は、尊大に、自信満々に言い切るのだ。


「わかっている! 俺を誰だと思っているんだ!」


 楓はそう叫び返すと、降ってきた大百足の足をひらりとかわし、その足を断ち切った。


  ◇ ◇ ◇


 加護をかけ終えたとて、勇輝の仕事は終わりではない。

 大百足の周囲にいる神人じにん達の援護をすべく、矢をはなつが、大百足の硬い外皮に弾かれてしまった。

 だが、牽制けんせいにはなっているようだ。だから、痛みを与えられないとはわかりつつも、弓を射る手を止めなかった。


 と、そこへ一人の美丈夫が駆け寄ってきた。それは、最初に指示を出したこの一番大隊の隊長、伊吹であった。


「勇輝! 矢はもういいです。それよりも、舞を。鎖の強度が足りない」


 伊吹が言う通り、第四中隊の所属の神司が妖を拘束する縛鎖ばくさを出す舞を舞っているが、大百足の動きを止めるに至ってはいなかった。


「わかりました、先輩」


 勇輝は弓を背負うと、鉾鈴を手に取った。そして、祝詞のりとの時とは違った、華やかな音を立てて振る。


 しゃらららら……!


 鈴の音が舞い、五色絹が踊る。

 勇輝の舞に合わせて、勇輝の周囲に光の玉が集まり始めた。

 最初はぽつ、ぽつと淡い蛍のような光の粒だったが、それがだんだん数を増やし、光の鎖へと変化していく。その鎖は、だんだんと太くなり、強い輝きを放ち始めた。


 複雑な足踏みと、それに反してゆったりと動く上半身。独特の調子で鈴が鳴らされ、神気しんきが高まっていく。

 鈴の音があたりに満ちた時、勇輝は言霊ことだまを発した。


「五の舞『縛鎖ばくさ』!」


 勇輝の声と鈴の音に導かれて、一直線に光の鎖は大百足へと伸びて行った。そして、その身にからみつく。


 これが日の國の禰宜ねぎかんなぎが持つ力の一つ――神の御力を形にする天啓だ。

 それは主に、神楽かぐら巫女舞みこまいなどによって希求ききゅうされる。


 先ほど勇輝が舞った舞は、神に妖の動きを制限する鎖をねがうためのものだ。そして、その願いは神に通じ、見事な鎖となって大百足を拘束する。

 大百足は、新たに出現した鎖から逃れるべく身を震わせるが、その鎖はがっちり食い込んで、大百足を締め上げていった。


「キィイィィィイ!」

「でかした! 勇輝!」


 大輝は、そう叫ぶと、縛鎖ばくさを足がかりに、大百足の背を登って行った。

 そして、気合い一閃いっせん、大百足の触覚を叩き斬る。


「ヒィィィィ!」


 悲鳴のような声をあげて、のたうち回る大百足。その動きの激しさに、大輝をはじめとする神人は距離を取らざるを得なかった。


 大輝も大百足の背から危なげなく飛び降りると、とっととっ、と軽い調子で距離をとった。


 神人が後退したのと入れ替わりに、一つのあおい影が走った。


「封じます!」


 そう言って大百足に駆け寄ったのは、それまで指揮に徹していた伊吹だった。

 彼が手にした刀は、彼の気により、蒼く、強く、発光していた。これほどの気を神司かんづかさの助けなしに行使できるのは、日の國広しと言えど、そう多くはない。


 伊吹は、暴れる足をくぐり、大百足の背を駆け上った。

 大百足は、登ってきたが自分の命を脅かすものだと本能的にわかっているのだろう。必死に身をよじり、振り落とそうとする。しかし、伊吹はその抵抗も構わず、易々やすやすとその背を駆け上っていく。

 途中、伊吹を狙って、大百足が足を振り上げたが、勇輝の援護により、その攻撃は伊吹に届く事はなかった。


 伊吹は頭上まで駆け上がると、気合いとともにその刀を振り下ろす。


滅剣奉納めっけんほうのうしいたてまつる!」


 凛とした声が森に響いた。

 伊吹が振り下ろした刀は、大百足を一刀両断の元に切り捨てた。


「キイィィィィィ!」


 頭部と胴体が別れた大百足が、ずうんと倒れ、枯葉を撒き散らす。


 しばらく大百足の胴体はビクビクと痙攣していたが、次第にそれも弱まっていく。

 完全に大百足が沈黙したのを確認した伊吹は、大百足をほふった刀を血振りし、鞘に収めると、皆の方に向き直った。


 にこりと笑い、一番大隊の皆に声をかける。


「お疲れ様。皆のおかげで、討伐成功だ」


 それは、大百足の体液が飛び散り、木々がなぎ倒されたこの場にそぐわない、優しげな微笑みだった。


  ◇ ◇ ◇


 いつも冷静で、渾天院一の英傑えいけつと名高い隊長・伊吹。

 その先駆せんくとして、鍛えられた膂力りょりょくでもって妖を圧倒する若武者・大輝。

 幼いながらも、卓越した戦いの素質で一歩も退かない少年・楓。

 この三人の神社に属する武人――神人じにんと。

 そして、彼らが傷付く事なく戦えるように、神にい願う神司かんづかさ・勇輝。


 以上がこの一番大隊の核をなす伊吹隊の隊員達だ。

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