第一話 渾天院

 この日の國には、人に仇なす妖がいる。


 妖は、人の想いから出るとも、異郷より渡ってくるとも言われ、その姿は千差万別だ。

 日の本に生息する動植物や器物に似たようなものもいれば、自然法則から全く外れた外見の妖もいる。


 どちらにせよ、世に、人に、仇をなせば捨て置くわけにもいかぬ。


 帝の治めるこの国を妖から守護し、結界を維持・管理するために編まれたのが、神社に根幹を持つ『四至しいし鎮守ちんじゅ軍』である。

 この軍は、気を練り、『術』となせる者達のみによって構成された――つまりは選ばれた者達のみで構成された軍隊である。


 その四至鎮守軍の上級武官候補を養成するのが、『渾天院』だ。


 渾天院には、成人しており、かつ、身元のしっかりした――有り体に言えば、貴族や武家である――、もしくはその才ありと認められたそれ以外の身分の者が通う全寮制の上級武官候補養成学校である。

 この国は十五で成人するため、渾天院には十五歳以上の者が集まっている。


 例えば、四家の一つ、近衛家出身の伊吹は、成人し、満十五になるのを待って、真っ当に渾天院に入院した。


 大輝・勇輝の二人は孤児であったが、貧民窟『鱶河城ふかじょう』で頭角を現し、後継のいない武家の養子になる形で、渾天院に入院した。


 そんな中、唯一の例外である楓は、兄と慕う伊吹とともに渾天院に入りたいと、慣例を破る形で、年齢が満ちる前に入院したのであった。


 それが、今年の春のことである。


  ◇ ◇ ◇


「と、おりゃぁ!」


 ぶん、と槍が振られ、風切り音を出す。

 槍を振るうのは、大男だった。筋骨隆々といった言葉を体現したような体つきをしている。


 その大男の槍を、余裕を持ってかわした大輝は、次の攻撃が来る前にと、間合いを詰めようとする。

 しかし、それを許してくれる相手ではない。振り切る前に軌道を変えて、槍が直線状に大輝に向かってきた。


「おわっと!」


 大輝が思わず声を出す。突きを躱したのは紙一重だったが、その声にはどこか余裕のようなものが伺えた。


「虎徹、また動きが単調になってんぜ」


 虎徹と呼ばれた槍男は、大輝の言葉に表情を苦々しいものに変えた。


たまには当たれ!」

「ヤだよ。痛ぇじゃん!」


 いくら模擬訓練用にが潰された槍と刀とはいえ、鉄の塊だ。当然、当たれば痛いだけでは済まない。

 それを知っていながら、二人は軽口を叩いた。


 じゃれるようにやいばを交える二人は、真剣でありながら、どこか楽しそうだった。


 今は、一日の課程が終わった、放課後。寮の夕餉の時間までまだあるので、神人の大輝と虎徹は、体がなまらないように、こうして自主的に訓練していた。

 彼らだけではなく、訓練場の四角く区切られた試合場には、何人かがそれぞれの得物を片手に思い思いに訓練している。

 それらを見ると、真剣に勝負している者もいれば、軽く流しているだけの者もいる。


 大輝と虎徹の手合わせは、彼らにとっては訓練とも言えないじゃれ合いの延長だったが、二人とも手練てだれのため、その動きはかなり激しかった。

 近づいては離れ、離れては近づき、くるくると舞うように動く二人。


 その二人を少し離れたところから、勇輝が眺めていた。

 元気だな、と二人を見て思う。

 と。


「元気だねー」


 勇輝に背後から声がかけられた。思っていたことそのままの台詞に、勇輝は思わず肩を揺らす。だが、すぐに友人の声だと気がついて、その顔がほころんだ。


「……太一! 太一も見ていく?」


 振り返ったそこにいたのは、勇輝と同じ神司の太一だった。

 虎徹も太一も大輝・勇輝の同期に当たる。また、武家出身でないため、同じ立場の大輝・勇輝にとって気楽に付き合える友人だった。


 振り仰いで見た彼は、いつもの白衣ではなく、神事用の装束・浄衣じょうえを身につけていた。


「見たいのはやまやまなんだけど、僕はこれから、本殿に行くんだ。勇輝も一緒に行く?」

「んー、……僕はいいかな。この後、ご飯って言ってたし」

「そ? じゃ、僕は行ってくるね。二人によろしく」


 太一はそう言うと、ひらひらと手を振って去って行った。

 彼はこれから拝殿で神との交信をするのだろう。


 神司かんづかさの中には、勇輝のように朝晩の礼拝だけで神とつながれる者もいれば、太一のように定期的に拝殿で神降ろしをし、神との繋がりを強めなければならない者もいる。

 これはどちらが上かという問題ではなく、ただの性質だ。戦いの時に、恙無く神の御力を顕現させることができれば、日々の信仰はそれぞれのやり方に任されていた。


「僕のカミサマは、いつも戦場に在るものねー」


 戦いになると、途端に張り切ってあれやこれやとうるさい勇輝の神様。

 それでも、その力のおかげで渾天院に入れたのだから、本当に神様サマサマである。


  ◇ ◇ ◇


 夕飯時の食堂は、ある意味、戦場だ。

 腹を空かせた食べ盛りが一同に会するのだ。そこに戦いが生まれないわけがない。


「おばちゃん! もうちょっと盛ってよ!」

「煮物、追加! 持って行きな!」

「この味噌汁、もう具ないんだけどー!」


 喧々囂々けんけんごうごう、誰もが己の食欲を満たすだけの食事を確保するのに必死だった。

 だが、そんな騒ぎから、一線を画している者もいる。


「相変わらず、騒がしいな」


 楓である。彼は馬鹿にするように食堂内を見回した。

 楓の後ろに、影のように控えていた男が、そっと楓に耳打ちをした。


「活気がある、と」

「ふんっ。物は言いようだな、青羽」


 楓より二つ、三つ年上の少年、青羽にたしなめられても、楓は馬鹿にするような表情を変えなかった。


 彼らは、食堂に入ると、食事を受け取る列に並ばず、真っ直ぐ机の方へと向かう。

 あんな所に並ぶのは、楓からするとありえなかった。


 楓が向かった先には、すでに六人分の膳が過不足なく用意されていた。

 席には、四人の少年が座っている。この膳は彼らが用意したものであったが、彼らはそれに手をつけることなく、楓を待っていた。


 楓は当然のように上座に座る。皆、楓よりも明らかに年上だったが、それでも上座は楓のものだった。なぜなら、この中で、楓の身分が一番高いからである。


 楓を取り巻く五人の少年達は、楓の近習だった。

 近習とは、主人と同じように渾天院に通いながら、主人の身の回りの世話をし、その護衛を務める者のことを指す。楓の場合、彼の近習は全て三条家の分家から選出されていた。


 そこにあるのは、身分の差。年齢などは考慮の内ではなかった。


 主人あるじたる楓が、合図を出す。


「それではいただこう」


 楓の言葉に、皆が手を合わせて、食事を開始する。

 その所作は、さすが上流階級出身者ばかりなだけあって、全員、洗練されていて、美しかった。


 特に話すことのない彼らは、黙々と箸を動かす。

 きちんと整えられた膳は、見栄えは良かったが、食べ盛りの楓には少し物足りなく感じられる。だが、用意された食事の量に文句を言うほど、卑しくはない。

 楓は、顔色一つ変えずに、黙々と食べ進めた。


 最近、食べる量が増えてきた。成長期という時期に入り始めたのかもしれない。

 それとなく、量を増やすように言っておくか。


 そう思った時、脇の通路から声が降ってきた。


「お! 坊ちゃんじゃん」


 そう声をかけてきたのは、大輝だった。後ろには、勇輝と名前も知らない大男が立っていた。


「食事中だ。話しかけるな」

「……坊ちゃん、そんだけで足りんの?」


 ツンと拒絶するような楓の声を気にした様子もなく、膳を見た大輝が言った。

 そう言う大輝は、ご飯もおかずも山盛りに盛られた盆を持っていた。逆に、それを一人で食べきれるのかと問いたくなるほどだ。


「お前には、関係ない。あっちで静かに食べてこい」

「おぇ、成長期なんだから、もっと食え。しっかり食わねーと、大きくなれねーぞ」


 この男だいきはいつもそうだ。こちらの話をまともに聞かない。いつも自分の言いたい事を勝手に話すのだ。


 この男はこれでいいのか、と後ろを見やると、二人とも微笑ましいものを見ているような表情でこちらを見ていた。その生ぬるい表情にも腹が立つ。


 大輝は、しょうがねーな、と言いながら、楓の皿の上に魚の素揚げをぽいぽいと放り込んだ。


「大輝!」

「俺の魚、分けてやるよ。おっきくなれよ、坊ちゃん」


 楓の非難の声も気にせず、へらへらと笑う大輝。楓は、遠慮なく距離を詰めてくる行為も気に入らなかったし、『坊ちゃん』と呼ばれ、子供扱いされるのにも腹が立った。


(こいつ、本当なら、俺と口を聞くのもはばかられる身分のくせに……!)


 流石に文句を言ってやろうと、立ち上がりかけた瞬間、大輝の頭に手刀が降ってきた。


「こら、大輝!」

いてっ」


 大輝の背後から手刀を降らせたのは、勇輝だった。


「楓が困ってるだろ。無理矢理、食べ物を押し付けるなよ」


 と、非常に真っ当なことを言う。同じ顔なのに、こちらは常識人だった。


「ごめんな、楓」


 先に謝られたら、声を荒げることもできない。それに、これくらい食べられないでもない。

 そう思った楓は、非常に寛大な心で許してやることにした。


「ふふん。勇輝がそこまで言うなら、許してやる」


 その言葉に、勇輝はありがとうと笑った。

 それは、ふわりと花がほころぶような笑顔だった。


 そうやって笑うと、勇輝と大輝は全く似ていない。だが、そう思ったのも一瞬だった。すぐに彼らは、見分けのつかない双子へと戻ってしまう。


 それをなぜか不安に思ってしまい、楓は勇輝、と呼びかけた。


「何?」


 呼び止めたはいいが、言うべき言葉が見つからずに、楓は結局、偉そうにするしかなかった。


「――勇輝。兄の手綱ぐらいしっかり握れ」

「う〜ん。……この奔放さが大輝のいいところだと思ってるから、僕には無理かな〜」


 苦笑してそう答える勇輝は、やはり大輝とそっくりだった。

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