第38話 私の一番大切なもの

 本当はずっと分かっていた。


 私の目は外の世界を映し出していたし、耳は正確に音を拾っていた。


 ただ、私の体はまるで私の命令を聞かず、私が必死になって騒いでも、指先すら動かなかった。


――先生!


 先生が私を見て、うっすらとほほ笑む。


 寂しそうに、痛みを抱えている様な、そんな笑みを。


「絶対守るから。僕の命に代えても……」


 先生が何度目かの呟きをこぼす。


 そんな事しなくていいのに。


 先生が死んじゃうくらいなら、私が死んだ方がマシだった。


 まともに動けもしないし喋れもしない。何もかもやってもらうしかないお荷物な私なんて、邪魔でしかないから。


 その事を伝えたくても、私の口はまったく動いてくれなくて、どうしようもなかった。


「相馬担当官。そろそろ防護服とガスマスクを」


「ああ、ありがとう」


 先生へと整備士の一人が深い緑色をした防護服を手渡す。私の着ている物よりも随分と薄いようだが、熱と粉塵に注意すればいいだけなのだから、本来はそういうので構わないのかもしれない。


 お礼を言った先生が、それらを装着しようと広げた時だった。


 ガンガンッというハッチを固い物で叩いている様な甲高い音が響く。


 一度だけならば、瓦礫か何かが降って来てぶつかったと考えるところだが、その音は何度も何度も執拗なまでに続いていた。


 先生達は顔を見合わせた後、「入りたいのか?」や「救助かもしれません」とひそひそ声で相談を始める。


 その間も音は続き――。


「あぁっ!」


 それが見えたのは一瞬だけ。でも確かにそうだった。


 私と同じものを見てしまったのだろう。一人の整備士が腰を抜かしてへたり込む。


「どうした?」


「何を見た?」


 その整備士を口々に問い詰める。


 しかしその整備士は青ざめた顔でブルブルと震えるだけで、何も応える事は出来なかった。


 ただ、彼のそんな態度こそが答えになっていて――。


「オーム、か?」


 その呟き一つで、シェルターの中は一気に地獄へと突き落とされてしまった。


「なんで!? さっきの爆発で死んだはずだろ!?」


「知るかよ、現にこうして生きてんだよ!」


「それよりどうするかを考えろ!」


「逃げるしかないだろ!?」


「逃げるって――」


 どうやってだろう。


 唯一の入り口は、今オームが破壊しようと躍起になっている。


 そんなところから逃げ出すことはできない。


 戦う? それも出来ないだろう。


 まともな武器も持たない整備士がほとんどだし、シェルターの中には拳銃程度しか用意されていなかった。


 ちょっとした装甲車並の頑丈さと大きさを合わせ持つオームを、そんな武器で倒せるはずもない。


 そもそも、武器があったとしても立ち向かえる人が――。


「僕が一番最初に突っ込んで気を引くよ」


 一人だけ、居た。


 先生がこんな時に自らを進んで犠牲にする様な事を言うのは当然だ。


 何せ私達に対して、率先して命を使えと教えて居る人なのだから。


「だから君たちは美弥を運び出してくれ」


 ――やめて、そんな事しないで。


 必死になって願う。


 きっと先生がそう口にした一番の理由は私だから。


 でも、どれだけ私が強く想おうとも、願おうとも、その祈りが聞き届けられることは……ない。


 だって、先生だから。


「え……」


「爆発した戦略水爆は、半径数十キロを吹き飛ばす。侵攻してきたとは考えにくいから、運良く生き残った個体だろうね」


 冷静すぎる先生の態度で整備士たちの頭も冷えたのだろう。


 あれほど怒鳴り合っていた声が、一気に途絶える。


「だから、コイツさえ潜り抜ければ、まだ生きられる可能性は残っているよ」


 ガツンッと一際大きい音がして、ハッチの残骸と共にオームの真っ黒い爪のついた脚が穴から伸びて来る。


 それは蜘蛛を思わせる気持ちの悪い物で、状況と相まって生理的嫌悪感がいや増していった。


「頼む!」


 それだけ言うと、先生はその脚めがけて突進し、それを掴んで引きずり降ろそうとする。


 先生とオームの綱引きは、オームがハッチを壊すことに躍起になっていたお陰で先生へと軍配が上がった。


 バランスを崩したオームの脚が、ずるりと入り口から落ちて来て、顔か胴体かが引っ掛かって止まる。


「早くしろっ!」


 先生の怒鳴り声に、整備士たちは弾ける様に動き出す。


 私を抱え、食料などが入ったバッグを背中に負う。


 そんな整備士たちを待つはずもなく、再び動き出したオームは――。


「担当――っ!」


 先生の体をシェルター外へと引き上げてしまった。


「抑えるから脱出しろぉっ!!」


 呆然となって立ち止まっている整備士を、再び先生の声が打ち据える。そうなって整備士たちはようやく動き出した。


 私は彼らにはいら立ちを覚える。


 でも――本当に苛立っているのは、何もできない私自身。


 私がきちんと作戦を成功させていれば、きっとこんな事にはならなかったはずなのに。


「俺が出て引き上げるっ」


 整備士の一人が急いで梯子を駆けあがり、私に向かって手を伸ばす。


 数秒と経たないうちに私の体は地上へと引き上げられていた。


 先生はどうなっているのか。私はほとんど動かない体に命令をして、せめて視線だけでも、そう思ったのに――。


 ぐちゃっと、目の前で赤色が弾ける。


 蜘蛛の様な形をしたオームが、私を引き上げた整備士の体を長い足で叩き潰したのだ。


 私の体は支えを失い、もう一度シェルターの中へと逆戻りしてしまう――はずだった。


 オームが私の体を爪で引っかけなければ。


 ――ああ、私もここで死ぬんだ。


 そう理解する。


 オームは理由も分からずとにかく人間を殺戮するのだ。


 きっと私もさっきの人みたいに引き裂かれて終わりだろう。


 抵抗も出来ない。する気も、ない。


 もう、私はこんな世界が嫌だ。


 私に死ばかり求めて来る世界なんて、大嫌い。


 そう、思ったのに――。


「美弥ぁっ!」


 私の体がグイっと引かれ、シェルターの中へと投げ込まれる。


 それをしたのは……。


「もういいだろうっ! もういいだろうっ!? この子は生きたいだけなんだ! それだけなんだよっ!!」


 先生は殺されるかもしれないのに、私を守ってくれる。


「それの何が悪いっ。求めすぎなのか!? たったそれすらも許されないのか!?」


 世界の全てが私に死ねと言っているのに、先生だけは違う。


 そんな先生だから、私は……。


「せん……」


 どれだけ望んでも一言だって話せなかったのに、今は言葉が出る。


 歪んだ入り口に向けて、震える手を力の限り伸ばす。


 なんで動くのか、なんて、そんな事は分かり切っていた。


 何よりも先生を守りたかったから――。


「せ……い」


 逃げて。


 私は殺されてもいい。


 その代わりに先生だけは助けて。


 お願いします。


 先生は私の命よりも大切な人なの。


 私の人生を作ってくれた人なの。


 だから、だから、だから――!


「頼むよっ! 美弥だけはっ!!」


 先生だけはっ!


 そう願ったのに。


 全ての祈りは無残にも――。


「生きさせてく――――」


 潰えてしまった。


 あかい雨が降る。


 命のしずくが。


 何もかも、全てが散って逝く。


 視界の全てが、あけに染まっていった。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 先生が、死んだ。


 あれほど力強く光に満ちていた瞳からは一切の意志が消え、私の頭を何度も撫でてくれた手は、ピクリとも動かない。


 終わってしまったのだ。


 胸を貫かれて、殺された。


 何よりも大切ないのち――。


 それが、なくなってしまった。


「――なんでぇ……なんでよぉ…………なん、でぇ…………」


 オームが、先生を、先生だったものを投げ捨てる。


 そして、まるで何事も無かったかのように、再びシェルターの入り口を広げる作業へと戻った。


 8本ある脚を器用に動かし、少しずつ少しずつ広げていく。


 やがてシェルターの穴が完全に開くと、脚を床につけて頭部を無理やねじ込む。


 私の上に覆いかぶさるようにオームの体が降って来て、このまま私を殺すんだ、そう思ったのに……。


 シェルターの隅で震えている整備士たちへ、ガラスの様な瞳を向けて――。


「うぐっ」


「がっ」


 レーザーを、撃ち放った。


 ほんの数秒で一切の気配が消える。


 私以外の命の灯が、全て吹き消されてしまった。


 オームはその後、何かを確認するように周囲を見回した後、私の体を爪に引っかけると、地面へと引っぱり上げる。


 その行動には、それまであった殺意の様なものがまったく無くて、むしろ壊れやすいガラス細工を扱う様な、そんな気遣いさえ感じられた。


 オームはそのままゆっくりと私を地面に下ろすと、廃墟まみれの世界へと足を向ける。


 これで仕事は終わったと、そう言うかのように。


――お前は何がしたいの。


――何が目的なの。


――私の全てを、私の一番大切なものを返せ!


 言葉にならない声を、感情だけを乗せた声をあげながら、私は立ち上がる。


 手近にあった石を拾い上げ、オームの背中へと投げつける。


 金属の体に弾かれ、なんのダメージも与えられなかったけれど、私の意思は、敵意は、殺意は、伝わったはずだ。


 だから……。


「先生を返せぇぇぇっ!!」


 もう一度、石を投げつける。


 言葉を、激情をぶつける。


「返してよぉっ! 大好きだったの! 何よりも……私の命よりも大切だったの!!」


 それが先生の願いに相反すると知りながら、それでも私は止めなかった。


 オームの動きがピタリと止まり、ゆっくりとこちらを見返して来る。


 無感情なガラスの瞳――レーザーの砲口が私に照準を合わせているのだろう。


 これで私も終わり。死んでしまう。


 でも、先生と同じ時、同じ場所で死ねる。


 それならいいかなって思った。


 退廃的かもしれないけれど、私は――。

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