第37話 未来の無い賭け

 僕は通信機のスイッチを入れ直し、田所一佐へと連絡を入れる。


 彼が――正確には司令室に居る通信士だが――司令官と話すことを許可してくれたから……恐らく最期になる安寿さんとの会話が出来たのだ。


「田所一佐、ありがとうございます。スッキリしました」


『……お前はな、まったく』


 真っ先に返って来たのは失笑というか苦笑。


 恐らく僕らのやり取りは聞かれてしまっていたのだろう。


『最初の、上官侮辱罪だぞ?』


「最期まで遠慮してても仕方ないじゃないですか」


『一応、あれでも最後まで残っていらしたんだ。まだマシな部類だよ』


 敵襲ギリギリまであの司令官は残っていた。確かにそうだが、敵襲が予想より早かっただけかもしれない。


 別段、良く受け取る必要性はまったくなかったので、だからどうしたとしか思わなかったが。


『だが――痛快だった。俺も通信士も笑いを堪えるのに必死だったぞ』


 気付けば田所一佐の口調は随分と砕けたものになっている。


 見捨てられたとは思っていないだろうが、それでも捨て駒にされているのは事実なのだ。思うところがあって当然だろう。


 僕の罵倒は、彼らの内心を代弁することになっていたかもしれない。


「ありがとうございます。あまりこういう事言ったことが無かったので……」


『十分だ。生き残ったら一杯奢らせてくれ』


「僕はお酒を飲めませんので、別の嗜好品でよろしいですか?」


『もちろんだ』


「ありがとうございます」


 僕が生きているのなら美弥も生きている。


 チョコレートでも貰ったら、たぶん喜ぶだろうな。


「それじゃあ、お互い最後まで生き残りましょう」


『ああ』


 なんて、先ほど安寿さんに言った事とは180度真逆の事を、僕は口にする。


 そうだ。僕は本気で生き残れるとは考えて居ない。


 だから安寿さんには死ぬことを前提で話をしたのだ。


 だから田所一佐はその事を弄って来なかったのだ。


 でも、万が一、億が一、生き残る事が出来たら――。


「失礼します」


 僕は通信機のスイッチを切ると、腰に取りつける。


 花を植えてあるコップも、適当な袋に入れて通信機の横に引っかけておいた。


 これで準備は完了だ。


「美弥、じゃあ行こうか」


 一声かけた後に、僕はカプセルの中で体を横たえている美弥を抱き上げると、そのままシェルターへの避難を始めたのだった。








 長方形のコンテナを地面に埋め込んだシェルターの中には僕と美弥を含め、10人以上の整備士が避難していた。


「これで、問題ないと思われます」


 共に美弥へと防護服を着せるというか被せてくれた整備士が、問題ないことを確認して頷く。


「ありがとう」


 美弥は、宇宙服の様にごてごてした防護服とヘルメットに包まれても、まだ呆然としている。オームの影響権を離脱しなければ、恐らくずっとこのままだろう。


「相馬担当官。この生体誘導機は……何故?」


 整備士の彼が言うのももっともだ。


 意識の無い美弥を連れて避難など、正気の沙汰ではない。


 爆発があった後、瓦礫の中を何十㎞と歩いて避難しなければならないのだ。


 いくら美弥が軽かろうと、数十㎏を越える彼女を抱えて逃げるのは自殺行為だった。


「そうだね」


 だから、僕は嘘をつく。


 きちんと仕込みは終わっているのだから、嘘というよりはもっともらしい理由だが。


「美弥、という名前が付いているんだけどね。彼女は非常に生存能力が高い。搭乗員全員が死亡した富嶽からの、唯一の生存者だと言えば分かるかな」


 美弥が生きていた理由など、たまたま運が良かっただけ。


 それ以外に理由などない。しかし、目の前に居る整備士はそんな事知る由もないのだ。だから、さも理由があるかのように想わせることが出来た。


「だからこの子の行動パターンなどが分かれば、今後の発展に役立つだろう。中村管理官はそれを研究していたんだが……」


「避難するために置いていかざるを得なかったという事ですね」


「そう。大事な研究対象であるために、美弥を連れて行かなくちゃいけない。逆に言うなら、美弥を連れていれば、神戸からの救援は真っ先に駆け付けてくれるはずだ」


 それを聞いた整備士たちの顔に光が差す。


 自分たちの助かる可能性が上がるかもしれない話を聞いたのだから当然だ。


 ただ……それは嘘なんだ。


 安寿さんが優先するようにと言い添える事が出来たとしても、危険があるのにそれでも救助してくれるほどの重要度ではない。


「オームの影響範囲を出れば、彼女は自立歩行可能だから、何時までもお荷物じゃあないはずだ。だから……」


 少しだけ、言葉に詰まる。


 覚悟をしていても、その事実を口にするのはためらいがあった。


「だから、僕が死んでも彼女を守ってくれ」


「はいっ」


 整備士たちが頷いてくれる。


 どこまで彼らの事を信用できるか分からないが、きっと無いよりはマシだろう。


「爆発まであと3分っ」


 刻一刻と、運命の時間が迫っている。


 脱出用の荷物を整え、それ以上何も出来ない僕たちは、ただ祈りながら時間が過ぎるのを待つしかないのだった。








 やがて、その時が訪れる。


「口を開けて耳を塞げっ」


 誰かの言葉に従い、言われた通りの体勢を取る。


 シェルター自体は核の爆発にも耐えられる様になっているらしいが、やっておいて損はないだろう。


 美弥が気になって視線を向けるが、今更どうしようもなかった。


 予定の時間から遅れる事数秒。


 全身が痺れるような衝撃が、壁や天井を突き抜けて、大気を走り、体を打ち据えていく。


 それが音であったと気付いた時には、三半規管が完全にしびれてしまっていた。


 音に続く様に、細かな振動が体を揺さぶり、天井に備え付けてあった豆電球が不規則に揺れ、僕らの影法師が不気味なダンスを踊る。


 どうなっているのか。


 本当に大丈夫なのか。


 うまく行くのか。


 無事逃げ出せるのか。


 不安で胸が押しつぶされそうになるが、それでも歯を食いしばって耐える。


 どのくらいの時間が経ったのだろう。


 まだ10秒か。それとももう1時間なのか。


 どちらを言われても信じられる。そんな、不安定であやふやな世界を漂っている様な錯覚に襲われていた。


 やがて、体に感じる振動が無くなったことから、爆発が収まったことを知る。


 僕は恐る恐る耳を塞いでいた手を外すと、世界にようやく音が戻って来た。


 腕時計を見ると、もう5分以上の時間が過ぎており、それだけ長い間、爆発に翻弄されていた事を知った。


「みんな、大丈夫か?」


 頭を巡らせて怪我人が居ないか確認する。


 青い顔をしてまだ震えている者、気丈にも返事をする者、隣の者と抱き合っている者。色々居たが、とりあえずは無事な様だった。


 もちろん、美弥も防護服の壁に守られ傷ひとつないように見えた。


「美弥、まだ頑張れるよな?」


 返事は当然の様になかったが、美弥が元気な事は感じている。


「よしっ、偉いぞ」


 ヘルメット越しに彼女の頭を撫でると、僕はゆっくり立ち上がった。


 天井の隅に取り付けられた、シェルター入り口へと歩いていき、扉へ手をかざす。


 シェルターは、コンテナを地面に埋めた様な造りになっていたため、直接水爆の放射線を受けてはいないはずだったが、それでも手のひらには生温い大気を感じた。ここでこれなのだから、外はまだ地獄の様な熱さだろう。


「どうですか?」


「まだ無理だと思う。予定通り後7分待とう」


「もう少し威力を弱めればよかったですね」


 冗談なのか本気なのか分からない事を整備士から言われ、曖昧に頷いておく。


 脱出にはもう少し時間がかかりそうだった。

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