第18話 束の間夫婦の真似事を
コンッコンッと調整室のドアがノックされ、私は手首の時計に目をやった。
時間は20時を少し回ったところで、終業時間はとっくの昔に過ぎ去っている。まあ、世界が崩壊しかけているというのに労働基準法もくそもあった物ではないのだが。
「どうぞ」
「……ごめん、安寿さん。手が塞がってるから開けてくれないかな?」
「ノック出来たでしょ」
少し意地悪く返しながら、私は椅子から立ち上がるとドアノブに手をかけた状態で待つ。
本当は開けてあげても構わないのだけれど、先ほど唯人がやったことに対する意趣返しみたいなものだ。
「足で蹴ったんだ」
だから少し間が空いたノックだったのか。
「あの子たちに見られない様にしなさいよ」
いつもは先生と言われていてかなり言動に気を付けている唯人だが、子ども達の視線が届かないところでは意外と抜けている部分があったりする。それも可愛い所なのだけれど。
「ありがとう」
「どういたしまして」
招き入れた唯人は、悲鳴をあげ疲れて眠ってしまった恋を抱えている。
ここに来る時間を考えればもう少し前から静かになったのだろうが、5時間程度は恋に付き合い続けていたのだろう。彼の顔には濃い疲労の色が見て取れた。
「恋ちゃんはベッドに寝かせて大丈夫?」
言外に、目覚めた時にまた暴れ出す可能性を聞いたのだが、唯人もその可能性を分かってなお、麻酔を使う事はないだろう。ただでさえ薬を使って無理やり成長させた細胞に、更なるダメージが加わるかもしれないからだ。
私は手前のベッドに向かうと、かけ布団をめくってシミ一つない真っ白なシーツを手で伸ばす。
そこに唯人が優しく恋を寝かせてから、
「ふぅ……」
ようやく肩の荷が下りたというように、深く息を吐く。
「ご苦労様、お父さん」
「お母さんも」
少し皮肉を込めて言ったのだが、朴念仁な唯人は気付いていないらしい。というかお父さんが誉め言葉だと勘違いしていそうだ。
だから私はもう少し直接的な手段で訴える事にした。
唯人の襟首を掴んでグイッと引き寄せ、ほとんどぶつかりそうなくらい顔を近づけてやる。
案の定、純情な唯人は顔を赤くしながらチラチラと恋ちゃんの方を気にしている様だ。
「お父さんは、娘を相手に出来て満足かもしれないけど。放置された奥さんは拗ねちゃうんだぞぉ」
まあ、私と唯人は恋人同士という関係ではあってもまだ結婚はしていないのだけれども。
「えっと~……」
分かるよね? という感じでにっこりと笑ってみせれば、ようやく観念したのか、
「ごめん」
また謝罪した後に……。
ついばむ様なキスをしてくれた。
しまった。眼鏡をはずしていればもっと激しくしてくれたかもしれないのに、失敗したなぁ。
「これでいい?」
「40点」
及第点にも達していないが、赤点は回避できた程度だ。
しかし満点を取るのにはちょっとだけ場所がよろしくないので今回は許してあげよう。
「……電池を充電するから恋ちゃんの義肢を外してくれる?」
「あ……ああ、うん」
ちょっと残念そうなのはなんでかなぁ。とは聞かないでおいてあげる。
私もそんなに鬼じゃないんだからね。
私が見ている先で、唯人が恋ちゃんの義肢を手早く外すと、接合部を弄ってバッテリーパックを取り出した。
その作業を唯人は何千何万回とやってきたのだから目をつぶっていても出来るほど手慣れているだろう。修理やちょっとした改修だってやってのけるのだから、下手をすると義肢を作った人や整備員よりも義肢については詳しいかもしれない。
「ありがと」
私は卓上に置かれたマット型の充電器にバッテリーを置くと、書類を仕舞い、電気スタンドの明かりを消す。
「いいのか?」
「いいの」
どうせ読んでいても気が滅入って来るだけの書類だし。
それに、私にも充電が必要なのだ。
唯人はベッドのヘリに腰掛け、寝かせた恋の頭を優しく撫でている。
私と話をしている間にも手が止まっていないところを見ると、無意識なのかもしれない。
本当に彼は子どもの事が大好きなのだ。
多分彼はこの後ずっと恋の傍に居て面倒を見るつもりなのだろう。恋ちゃんが目を覚まして怖がれば声をかけて撫で続け、お腹が空いたのならばミルクを持ってくる。
自分が寝る時間を犠牲にして。
「ねえ唯人」
「うん?」
「一緒に寝る?」
面白いように唯人の頬が朱色に染まっていく。
何を考えて居るのか一発で分かろうものだ、このスケベめ。
「唯人はホントにエッチなんだから。何考えてるの」
制裁としておでこに一発デコピンを叩き込んでから話を続ける。
「2つあるベッドを寄せて、恋ちゃんを間に挟んで3人で寝ましょうって提案よ。どうせ今日はずっと恋ちゃんの傍に居るつもりだったんでしょう?」
「まあ……」
照れ隠しに頭を掻いている唯人に、若干怒りを覚える。
これはあれだ。よく離婚原因になる、仕事と私どっちが大事なのってやつだ。
こんな事を聞いたところで、唯人はどっちもと素で答えてしまいそうだから一度も聞いた事はないのだが。
「私も居てあげるから準備を早くする。それから少し何か胃に入れなさいよ。ご飯食べてないでしょう? それから……」
まったく、これではまるで私が唯人のお母さんではないか。
そんな私の内心を知ってか、唯人はさっさと用事をすませてくれた。
「電気消すわよ」
時間はまだ21時で、こんな時間に眠るのは子ども位のものだろうが、今唯人も私も疲れ切っているし、そもそも恋が真夜中に起きてパニックを起こしてしまうだろうから実際の睡眠時間はかなり少なくなるはずだ。
「ありがとう」
部屋の電灯を消した私は、代わりの灯した懐中電灯の頼りない明りを使ってベッドにもぐりこんだ。
二つのベッドをくっ付けただけあって、キングサイズよりも更に広い面積を持っていて、思いきり腕を伸ばしても……唯人にあたってしまった。
「ごめんね」
「いや、恋に当たってないから平気だよ」
まったく、唯人はいつも子ども基準である。結婚してもこのままかもしれないので今の内に矯正しておくべきだろう。
……死んでも治りそうにないが。
私は懐中電灯を消し、枕を敷いて頭を乗せる。これで恋が起きた時にも対応できるだろう。
「ゆ・い・と。一緒に寝るの久しぶりね。エッチな事する?」
「恋が居るでしょ……」
暗いからこそ人は少しだけ本音を言えるようになる。
いつも仮面を被っている唯人であろうと、その仮面がわずかにズレるはずだ。
そして、少しだけでもいい。私にその苦労を支えさせて欲しい。
「でも最近ずっとしてないから寂しいなぁ」
「…………」
暗くても分かる。また顔を真っ赤にしているのだ。
実際に始めると結構積極的でむしろドSじゃないかって思う位求めてくるくせに。
「いつか、二人の時間を作るから」
いつかということはこれから先しばらくない可能性の方が高いだろう。
そうやって色んなことをため込むから、いつも罪悪感にまみれた顔をしているというのに、まだわかっていないらしい。
「一週間以内にしてね」
「…………善処します」
はい、確約貰ったからね。
「あ、そうそう。今日は面白い話を由仁から聞いてね。男の人から貢いでもらったんだって」
「ぶっ! ごほっごほっ……み、貢ぐ!?」
そんなに大きな声を出すと恋ちゃんが起きちゃうでしょ。
「そうそう。水原誠っていう戦闘機乗りの男の人からオレンジ味の吸入器みたいなのを貢がせたんだって」
「……ああ、肥料をくれた人か。またくれたんだ」
「お父さんは心配かな?」
ちなみにどんな人物かは調査済みだ。
割とストイックな人物で、女性関係などで問題を起こした経歴も無い。そして……陽菜の最期を観測した人物だった。
そのため、由仁達に対して何か罪悪感の様な物を持っているのかもしれない。
恐らく危険はないだろう。
「まあ、少しだけ」
「娘にちょっかいかけられてるお父さんとしてはどう?」
「…………こ、交友関係が広がるのは良いことだと思うよ、うん」
結構長い間が空いてたし、声も少し震えている。
我慢しているのはバレバレだった。
「無理しちゃって」
「無理なんかしてないよ」
「じゃあねぇ……」
それから私は少しだけ唯人と睦み合って……多分、二人同時に夢の世界へと旅立った。
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