第7話 遺された花はまだ咲かず
先生が教えてくださったのだけれど、陽菜はたった一人で敵の中に飛び込んで行って倒したらしい。
それを聞いた時、私は凄いと思った。
陽菜は本当に立派だ。
立派に生体誘導機としての役目を果たし、人類を守ったのだ。私も見習わないとって。
何故か美弥はそう思わなかったみたいだけど。
多分、もう会えないのが寂しいとか思っているのだろう。
それで私は思い出した。
陽菜がお花を育てていたことを。
先生が植える場所を探して許可をもらい、安寿博士が種を探して来て下さったのだ。
毎日のようにお水をあげに行っていた。
でも……もう水をあげに行く陽菜はいない。
このまま枯れてしまうのはかわいそうだったから、私が代わりにお水を上げに行こうと思った。
私は先生に許可をもらい、バケツと陽菜が小さな穴をいくつも開けて作ったジョウロを持って花へお水をあげるために、宿舎裏へと向かったのだが……。
「そこを退いてっ!!」
宿舎裏にある、周りをプラスチックの廃材で囲って作った小さな花壇の前で、私は思わず大声をあげてしまった。
「んあ?」
手入れが行き届いていないのか、短い髪の毛ピンピンと跳ねていてちょっとだらしない。目つきも少し寝ぼけている様な感じで、先生に比べるとイマイチだ。
でも、背は先生よりちょっと高いくらいで、筋肉は先生よりもかなりついていて、ガッチリしている。
そんな男の人が、口に棒のような物を咥えて、花壇のど真ん中でぼーっと空を見上げていた。
「なんだって?」
「退いてって言ったでしょ! そこは陽菜が作った花壇なの」
まだ芽が出たばかりで花壇だって分からなかったのかもしれないけど……酷い。
男は眠たそうな目を下に向け、緑色の新芽が萌え出ている事に気付くと、
「すまん」
そう言ってその場で固まった。
「どこなら踏んでも平気だ?」
「線が見えるでしょっ」
花壇は縦30センチ、横40センチくらいの本当に小さなものだ。
男が一歩踏み出すだけで花壇から出る事が出来る。
その男は「ああ」と頷くと、大股で一歩踏み出して花壇から出た。
私は急いで花壇に駆け寄ると、花の状態を確認する。
芽がひしゃげていたり、潰れて小さな茎が折れているのもあった。
私は泣きそうになりながらそれらを元に戻そうとして――。
「待て、無理に掘り起こすな。根が傷つく」
私の隣にしゃがみこんできた男の人が私の手を掴んで留める。
「でもこのままだと枯れちゃうでしょ」
「お前のやり方だと枯れるんだ。俺が直してやる」
「偉そうに言わないでよ。あなたがやったんじゃない」
「なら俺がやるのが筋だな」
確かに男が言う事は正論だ。口ごもっている私を他所に、その男は花の手入れを始めてしまう。
手が汚れるのも気にせず素手で花の周りごと掘り返してそっと横に退け、更に適当な石を使って地面を掘り返していく。
その様子をしばらく見ていたのだが……。
「……私と何が違うの?」
陽菜は沢山調べていたし、先生もそれに色々と付き合って教えてらっしゃった。
でも考えてみれば、私は花の事についてほとんど何も知らなかったのだ。男がどうしてそんな事をやっているのか見当もつかなかった。
「植物っていうのは芽も大事だけど特に根っこが大事なんだよ。ここが傷つくと一気に死ぬんだ。お前みたいに葉っぱを掴んで引き抜くなんて事をしたら絶対枯れる」
「ふ~ん。じゃあ今は何をしてるの?」
男はずっと石を使って地面を掘り返している。植物を退けたのだからその行動に意味があるようには見えなかった。
「こうして土を柔らかくして、空気を含ませてやった方がよく育つんだ……って、お前こんな事も知らないのか?」
「情報転写された中に入ってないんだから知らないわよ」
「は?」
男の手が止まり、こちらの顔に穴が空きそうなほどまじまじと見つめてくる。
私は自分の格好が変なのかと思い、後ろでひとまとめにした髪の毛や、身に纏っている自衛隊員用の無地のTシャツなどを手で払ってみたのだが……。
相変わらず男は固まっていた。
「なに?」
そう聞くと、ようやく男は動き出した。
ただ、先ほどと違って少し動きがぎこちなかったが。
どうやら何事か考えている様だった。
「言いたい事があるのならきちんと言って欲しいのだけど」
「…………お前、もしかして生体誘導機か?」
「そうだったら悪いの?」
私には、整備員からやや邪険に扱われている自覚があった。
他の生体誘導機と違って確かに私はよく喋るし指示通りに動けなかったりもする。
でも、そんな私でも先生は受け入れて下さったのだ。それでもいいよって。
だから私はその事には一種の誇りのようなものを抱いていた。
「いや」
「だったらいいでしょ」
「いい悪いじゃなくってな……」
言いよどんだ男は、口に咥えていたプラスチック製の棒を、音を立てて吸い上げる。
その棒には先端に極小さな穴が空いており、そこからシューっと音が響く。
「生体誘導機がこんなに喋るなんて知らなかっただけだ」
ため息混じりに男がそう言うと同時に、甘い香りが周囲に漂って来た。
「私はちょっと変わってるってだけよ」
「ああ、感情なんたらって奴か」
「感情・自我発露個体よ」
そうか、と短く返事をしただけで、男は再び手を動かし始める。
嫌なのかと思い、男の横顔を確認してみたのだが、黙々と作業を続けているだけで、表情からは何も読み取れなかった。
その後もほとんど会話のないのまましばらく二人で作業を続け、全ての花を植え替えたのだった。
「……ありがとう。花壇を広げることまでやってもらって」
彼はついでだからと間引いた芽を捨てず、花壇を拡張してまで全て植えてくれたのだ。陽菜が大切に育てていた花を、たった1本たりとも無駄にせずにいられたのは本当に嬉しかった。
「どうせしばらく暇だからな」
「なんで?」
「出撃してしこたま戦ったからだ」
……という事は、この男は戦場にいたはずだ。
陽菜が特攻をかけたあの戦場に。
私は陽菜の事を思い出し、少し胸に灯が燈る。
「ねえ、もしかして貴方、陽菜の
知っているのなら、どうやって陽菜が散ったのか教えてほしかった。
「陽菜が特攻を成功させて、空中要塞を破壊したらしいの」
同じ細胞から作られて、二人共たまたまEE体になって、一緒に育って来た姉妹とも言える存在なのだ。たった四カ月しか一緒に居なかったけれど、それでもある種の情のような物は抱いていたから。
「…………」
男は汚れた手をズボンに擦り付けながら、口先に咥えた棒を、唇の先だけで弄ぶ。
そんな風にしてしばらく黙っていた男は、
「知らねえ」
短くそう告げる。
だがそれは私からしても分かるくらい明らかな嘘で。
……何をためらっているのだろうか。
聞きたかった。でも、聞けなかった。
「…………」
私は無言でジョウロを始めとした器具をかき集めると、からっぽになったバケツの中に放り込む。
そしてまとめた荷物を手に持つと、
「ありがとう」
お礼を言って踵を返した。
すると――。
「なあ、たまにこいつの世話をしてもいいか?」
「なに?」
まさかそんな事を言われるとは思ってもみなかったので、少し驚いてしまう。
私はもう一度180度体を回転させて男へと向き直った。
「水は私があげられる……」
途中で言葉が止まる。
そうだった。私は何時までも水をあげ続ける事はできない。
私が居なくなっても多分先生が面倒を見てくださるはずだけど、先生以外に世話をする人が居ても別に損になる事はないはずだ。
「分かった、構わないわ。私はなるべく毎日お水をあげるつもりだけど、出来なくなったらお願い」
「……毎日やると根腐れするからやめとけ」
「そうなの?」
私にはまだまだ知らない事が沢山ある。
後で先生に質問すべきだろう。
「教えてくれてありがとう。それじゃ」
手を振る事は出来ないため、軽く会釈をしてからその場を離れ――。
「お前、なんて言うんだ?」
もう、一回で全部言ってよね。
ちょっと不満に思いながら、私は首だけ男の方へ向ける。
「へ号生体――」
「違う」
「違うって……」
私の正式な呼称はそれしかないのに。
「陽菜って言ってるだろ? そういう名前だ。お前にもあるんだろ?」
ある。
けれどそれは先生と安寿博士、そして美弥しか使う存在はいない。
公式な文章にその名前を書くことは無いし、整備員も、その他いろんな自衛隊員も、全てへ号生体誘導機・一番と呼称するのだ。
でも彼はその正式な呼称は要らないという。
……なんだか不思議な気持ちだった。
「……由仁」
そう口にすると、とてもくすぐったい気持ちでいっぱいになる。
更に男がぼそりと復唱した事で、何故かとても恥ずかしく思えて来てしまった。
……もしかしたら顔が赤くなっているかもしれない。
それを見られるのが嫌で、私はついと顔を背けた。
「じゃ、じゃあね」
「待て」
……本当にさっきから何なのだ、この男は。
呼び止めるのが趣味なのだろうか。
「なに?」
「……俺は水原だ
ああ、そうか。名前を名乗ったらこうして教えてもらえるものなのか。
こんな事は初めてだ。
先生と安寿博士が名前を教えてくださった時は、由仁という名前はまだ付けてもらっていなかった。
だから、自己紹介をしあうというのは正真正銘今が生まれて初めてなのだ。
そう考えるとこんな風に、ぞんざいにやってしまったことが悔やまれてしまった。
「みずはらまこと……」
口の中で教えられた名前を転がしてみる。
言いやすくはあるけれど、これが良い名前なのかとかは分からなかった。
「桜花特攻隊の護衛を務めるパイロットだ」
……わざわざそんなことまで言わなくてもいいのに。
陽菜の
「そう。じゃあいつか私の事も護ってもらえるんだ」
「そう……なるな」
水原の声は、少し苦しそうだった。
なんでだろう。
「私が敵を倒して人類を守れるようにしっかり護衛してね」
それが私の生きる意味だから。
「……………………ああ、もちろんだ」
「よかった。それじゃあ」
長い沈黙の後、そう返って来たので、ようやく私は帰路につくことができたのだった。
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