第1話 三人の少女
「検査終わったよ~! せんせ~ただいま~!」
「ちょっと美弥。廊下は走っちゃいけないって言われたでしょっ!?」
「ま、待ってよぉ~」
どたどたと足音を立てながら、姦しくも三人の子どもが部屋に雪崩れ込んで来た。
少女たち三人は、いずれも10代前半かそれに満たないほどの年齢にしか見えず、全員が一様に白い特殊な素材で作られたウェットスーツの様なもので全身を包んでいる。
しかも異常な事に、彼女たちは背格好だけでなく、ぱっちりとした目つき、小さな鼻とおとがい、薄い唇と、愛らしい顔つきもほとんど同じで、髪型と表情がなければ見分けがつかないほど似ている――どころか寸分違わず同じであった。
「とぉっ!」
最初に入って来たショートカットの少女が元気よく僕の体に飛びついてくる。
「おっと」
僕は彼女の体を受け止めると、
「
なんて言いながら、短く整えられた後ろ毛を優しく撫でる。
「え~、聞いて聞いて~」
「後でね」
そんな美弥を怒声と遠慮がちな声が追いかけてくる。
「先生にいきなり抱き着くと危ないって博士に言われたばかりでしょう!?」
「あ、あの、ただいま帰りました……」
それを発したのはもちろん残った二人の少女だ。
「はい、検査ご苦労様。二人共」
僕はコアラの様に張り付いている少女を片手で支えながら、入って来たばかりの少女二人の元へと足を運ぶ。
「も、申し訳ありません、先生。報告が遅くなりました!」
肩に届く程度の少し長めの髪を後ろでひとまとめにしている少女が敬礼をする。先ほどからの生真面目な言葉通り、固い態度を崩そうとしない少女だ。
だが僕は知っている。彼女は、
頭を撫でるとネコの様に目を細めて顔をほころばせるのだ。
「敬礼は要らないよ。ここは教室で、僕は先生。君は生徒なんだからね」
だから僕は手を伸ばすと黒く艶やかな頭の上に乗せて、セットしてある髪の毛を崩さない様、丁寧に撫でた。
「は、はい……」
由仁が小さくなったところで、最後の少女に目を向ける。
この娘は引っ込み事案で他の二人の後をいつも追いかけているのだが、それは決して意志が弱いからではない。
心の奥底に自分をしっかりと持っていて、だから他人を心配できる優しさを持っているのだ。
僕はそれを知っていた。
「お帰り、
絵本という単語を聞いて、おかっぱ頭の少女――陽菜の表情にぱぁっと花が咲く。誰が見ても分かるだろう。
それが彼女にとって一番のご褒美となる事が。
「ありがとうございます、先生」
「お礼は読んでから。まだ早いよ?」
僕がそう言うと、陽菜はえへっと笑いながら、小さくごめんなさいと謝った。
謝る必要なんてないのだが、それを指摘してしまうとますます恐縮してしまうので、今は指摘しない事にする。代わりに別の事を言う事にした。
「はい、それじゃあきちんと座った子から検査結果を聞くよ」
「え?」
僕の体にくっ付いている美弥が戸惑いの声をあげる。
「よーいどんっ」
「あーっ!」
だしぬけに始まったレース……とは言っても室内はそこまで広くはないため、一瞬で決着がついてしまう。
しがみついている美弥が悲鳴を上げている間に、由仁、陽菜の順番で、部屋の左隅に用意されているマットの上へと腰を下ろしていく。
由仁がやや勝ち誇っている様な顔をしているのは気のせいではないだろう。
「え~っ、え~っ。そんな~私聞いてないよぉ~」
「言ってなかったからね」
美弥の体をゆっくり地面に下ろしながら、少し意地悪な感じで笑ってみせる。
言わなかったのはきちんとしている二人と、いつもの様にはっちゃけてしまう美弥に差をつけるためにしたからだ。
「美弥は元気なのはとてもいいけれど、メリハリはちゃんとつけようね?」
もっとも、美弥が抱き着くのを許していた僕にも責任は在るのだろうが。
「う~……分かった」
「はい、それじゃあ絨毯の所に行って」
「は~い」
間延びした声で返事をする美弥に苦笑しながら一緒に歩いていくと、そのまま絨毯の上に腰を下ろした。
「じゃあ由仁から検査結果を聞こうかな?」
「はいっ」
由仁が元気よく返事をしながら右手をまっすぐ頭上に上げる。
授業でもないのに律儀に守り続ける真摯さに、僕は自然と笑顔になっていた。
「異常なしです」
「うん、良かった」
「それから身長が2ミリ伸びました」
数日でそんなに伸びるわけはないだろうから時間的なものだろう。だがそれを言ってしまうと由仁は気落ちしてしまうだろうから教えるべきか一瞬悩み……。
「由仁は大きくなりたいのかな?」
「はい、大きくなれればそれだけ力も強くなりますから、皆さんのお役に立てるはずです!」
「なるほど。人の役に立ちたいって考えるのはとってもいいことだね」
今の僕の言葉は欺瞞に満ちている。都合よく教え込んだだけの詐欺師の様な言葉の毒。彼女の言う役に立ちたいとは…………ということなのだから。
そんな一瞬で凍り付いてしまった思考を、無理やり頭の外に追い出して話を続ける。
「それじゃあ次は陽菜だね」
「はいっ。わ、私も問題はありませんでした!」
「嘘~っ。陽菜ちゃんは100グラム体重が増えたって騒いでたくせに~」
「ひゅえぇぇっ!」
横合いから美弥に茶々を入れられ、陽菜が奇妙な悲鳴を上げる。
こんな子どもでも陽菜は女の子で在るらしく、体重は重大な関心ごとの様だった。数日前まではそんな風に気にしていた記憶は無かった気がするが、知らぬ間にそういう事も気にするほど成長していたのだなと、少し感心してしまう。
「ちっ、違うよぉ。そのっ、そのね? 搭載される時に重くなったらいけないからで、先生とは何も関係ないんだよ?」
「陽菜。私に確認すると余計怪しいわよ」
「そーそー、なんで先生が出てくるの~?」
「そっ、それはっ」
陽菜が顔を真っ赤に染めて何事か言い繕おうとするのだが、上手い言い訳が見つからないのか、ただ口を無意味に開閉するだけに終わる。
そんな風に隙を見せれば悪戯好きな小悪魔にとって、格好の餌食になるのは目に見えていた。
だから僕は助け舟を出すことにする。
「みんな同じものを食べているのに体重が増えたという事は、陽菜はそれだけ訓練の成果が筋肉になったのかもしれないね。良いことだよ」
「えっ!?」
訓練と聞いて由仁が耳をそばだてる。
「それはどういう事なのでしょうか?」
「ああ、えっと体を作っている物質の話になるんだけど……」
生物などの知識に疎い彼女たちにどう噛み砕いて説明しようかと頭を捻る。そう言えば久しぶりに先生らしいことをするな、と思考が違う方向に行きかけるのを引き戻して説明しようとして――。
『こちらシレイ。こちらシレイ。相馬情報担当官――』
唐突に、腰につけた無線機がノイズと共に騒ぎ始める。
これの意味する事は一つ。
『即刻ハンガーまで誘導機を持参されたし。送れ』
僕はまた、守れない。
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