その物語はハッピーエンドを迎えるだろうか?

星野谷 月光

聞かせて胸が躍るあの音を

 険しい山の中を侍が歩いていく。

 わずかに開けた沢の近くで腰を下ろし、懐から笛を出した。

 優美な音が山中に響く。


「やあ、きれいな音だね。でも山の中でみだりに騒ぐのはよくないね。

獣は逃げるだろうけど、もっと怖い物が寄ってくるかもしれない」


 異装の女がそこにいた。

 狩衣に額から鹿のような角。

 鬼だ。


「そうか。耳汚しならば、すまなかった。だがこれで良い。

あなたに会いに来たのだ。山の鬼殿」


 男は落ち着いた様子で笛をしまい、立ち上がってゆっくりと腰の刀を抜いた。


「なるほど鬼退治ってわけかい」

「そうだ。お前は人を食うのだろう?ならば斬らねばならない」


 鬼はふうん、と鼻で笑う。


「ふうん……それは、天災にでもあったと思ってあきらめな」

「それは悪を成した側が言って良い言葉ではない。

お前は天ではない、倒すことのできる者だ」


 あっはっは、と今度こそ豪快に鬼は笑った。


「悪というが、私には悪人の匂いが解る。私が食うのは悪人だけさ」


 侍の表情が曇る。心当たりがあったのだろう。


「……確かに、そうかもしれない。

世がそのように単純であったならばよかったのだが」

「ま、そんな者を人が許せないのも解るよ。

だから、気にせずかかってきな。鬼退治の時間だ。楽しもうじゃないか」


 そうして、鬼と男は互いに名乗り合った。


「いざ尋常に」

「勝負!」


 一手目で鬼は全力で後ろに下がった。

 果たして、鬼のいた場所ではすでに男の刃が振り下ろされていた。


「速い!やるね人間」


 息をつかせぬ間に手裏剣が飛んでくる。

 驚くべき事に、それは木を貫通して土の中に深く潜り込んだ。


「飛び道具ならこっちもいいものがある!」


 鬼は大岩を投げ飛ばすが、それすら軽々と男に飛び移られてさらに接近を許してしまう。

 男の刀が振り下ろされる。

 鬼はその側面を叩いてなんとか逃れた。


「今度はこっちだ!」


 鬼が男を殴ろうとすると、男はするりと鬼の懐に入り込んで逆に鬼を投げ飛ばした。

 鬼は素早く立ち上がって蹴りを放つが、それすら悠々とかわされる。


「あんた、とんでもないね……鬼を手玉に取るなんて、本当に人として極みにいるか、人から外れているかどっちかだ」

「そうだな。私は人から外れている。しかし人だ。故に人のしがらみからは逃れられない」

「ふられちゃったか。仲間にならないかって言おうとしたんだけどなあ」


 それからは千日手だった。

 鬼の攻撃は大振りで男には当たらない。

 男の攻撃は鬼に防御される。

 互いに相手を一撃で殺せる威力であるからこそ、勝負はそれを避けあう展開になった。


「楽しいねえ!楽しいね人間!あんたもそうだろう。

あんたほどの腕だったら、人間なぞ豆腐も同然だろう。

こんなに本気を出したのは初めてじゃないかい?」

「そうだな、これほど力を出せたのも、勝負が長引いたのも初めてだ」


 それは山肌を削り、木をなぎ倒し、大岩を斬り飛ばし。

 まさに怪力乱心。

 山は二柱の神が大暴れした有様だ。


「ならば、これを使ってみるか」

「ほう、人間の切り札ね。いいさ、受け止めてやる!」


 男は懐から一枚の札を取り出し、こう唱えた。


「鬼子母神に拝し奉る。オン ドドマリ ギャキテイ ソワカ」

「そ、それは!それはいけない……本当にいけない……!」


 男の感覚にはなにか空気が変わった、何か見られている気がする、程度のものだった。

 しかし、鬼にははっきりと見える。

 雲を分けてこちらを睨みつける仏の巨大な目が見えた。

 その強大な力が解った。鬼は真っ青になって腰が抜ける。


「くそう、くそう……!ここに来て神頼みで、しかも本当に呼んでしまうなんて……!

くやしいなあ、悲しいなあ……!だけど、勝負は勝負だ。

私の首、取っていくが良い……!」


 男はまさかこんな事になるなんて、という顔をした。

 そして、札を破った。


「……なんで?」


 鬼は呆けたような声を出した。

 男もまた、気まずそうに言った。


「……何かこれは違う、そう思った。

明日また来る故、決着はそのときに」

「……ああ」


 そうして、次の日も山肌を焦がすような戦いが繰り広げられた。

 ただし、その日は決着がつかなかった。また次の日も、次の日もそうだった。

 そうしていつの日か、男と鬼は友誼を交わすようになった。



「なあ、鬼が産まれるにはいくつも方法があるが、その一つを特別に教えてやろう」


 戦い終えて、星空に杯を傾けながら鬼は言った。


「怨みを残して死んだ者は鬼になる。だけどそれは正確じゃない。

人を怨んで死んだ者は死後もたたる。普通はそこでたたり殺しておしまいだ。

だけど、その怨みがあんまりにも深かったりして、たたり殺してもなお消えることができなかったらどうなると思う?

八つ当たりするのさ。半端に消えながらね。

やがて心はすり切れ、何もかも忘れ……しかし魂を喰らうから消えはしない。力は強くなる。

祟り神だね」


 鬼はどこか寂しそうに呟く。

 男はその話をじっと聞いていた。


「そうして、ただの力の塊となった赤子のような魂に、名をつけ、崇め祈る。

神と奉れば荒神様、呪いで縛れば式神ってわけさ」


 それはある意味で呪術の秘奥に値する知識、鬼は男に惜しげなく教えた。


「お前もそうして産まれた者なのか」

「そうともいえるし、そうでないともいえる。

私が残した思いは怨みじゃない。そうだなあ……飢えかなあ」


 鬼は女で、侍は男で、そして二人は初心だった。

 だから、鬼は何も言えなかった。

 鬼は愛に飢え、そして人でいられなかったのだ。


「それは何か食べれば直る者ではないのか。だから人を食うのか?」

「そうともいえるし、そうでないともいえる」


 鬼は本当に欲しい思いを隠して、男と話す。

 それは奇跡的なことだった。鬼がその本性に関わる欲求を目の前にしながら我慢するなど。

 それは、男には妻子がいると知っていたからか。

 それは、少しでも今の関係を壊すのが怖かったからか。

 誰にも解らない。



 そうして、瞬く間に一月が流れた。

 ある日、鬼は男の者ではない気配を感じて山を下りた。

 ある意味で懐かしく、ある意味で嫌な気配だ。

 それは、悪人の気配だった。


「なあ。鬼殿。あやつの魂が欲しくはないか?

鬼殿はあやつに妻子がいるからあきらめたのだろう?

そのあたりの面倒な事情をすっぱりと私が解決してやろうではないか……どうだね?」


 その悪人は呪術師だった。

 鬼の心はその言葉を聞いて千々に乱れる。

 山に穢らわしい者が来た、汚された想い。

 欲望。

 そして、男の顔。

 誘惑を振り切ろうと声を上げようとしたまさにそのとき、呪術師は笑う。


「おっと、答えなくとも良い。ただ鬼殿はこのまましばらくあやつと遊んでおれば良い。

そうさな。あと一月、いいや3、4日このままでいればいい。それだけ約定してくれれば何も問題ない。

どうだね?誰にも損はないだろう?」

「うるさい!消えろ邪な者め!」


 鬼の爪で呪術師は八つ裂きになったかと思われた。

 しかし、バラバラになった呪術師の体は紙切れの塊になって消えた。

 呪符だ。まじないによる分身だったのだ。


「……あいつの、あいつの妻子に何が……?」


 鬼は何も考えたくなかった。

 その日、鬼と男の戦いは精彩を欠いた。

 そして、鬼は自分の恋心だけを語らず何があったかを話した。


「それは……そうか。すまない、鬼殿。私は都に戻らないといけない。

あの法師が動いているならば、何か良からぬ事が仕組まれているはずだ」

「そうか……そうだな。急げ。また会おう……!会えるよな?」

「……」


 そこに、あの法師が現われた。


「やあ、侍殿。鬼殿との睦言は楽しかったかな?そのまま祝言でも挙げてしまえば良い。

なあに、おぬしのさしてかわいくもない妻子はこれ……こうなった」


 ごろり。生首が2つ、3つ。

 誰の者かは明らかだ。男の妻子の首だ。


「鬼殿もご協力ありがとう。とはいえ、どうせ鬼殿と合う前、こやつが都をたってすぐにこの妻子共はこうなっておったのだがな!

だが約定は約定……ふははは」


 男は鬼が聞いたこともない叫びを放ち、法師に斬りかかった。


「みじめだなあ!侍殿。わしをコケにしたからそうなるのだ。鬼殿とわし、どちらを切ってよいか解るまい。

迷いのある剣ではわしを切れんよ」


 しかし、法師も戦いの心得があるのか、逆に男の額に呪符を張ってしまった。

 がくん、と男の体が崩れ落ちる。

 男は法師の邪悪な術で支配されてしまったのだ。


「そして、鬼殿。くくく……こやつはこれ。こうなった。わしの術中じゃ。

おっと、わしを殺すのかね?そしてその後こやつを殺し、浄土へでも送るかね?どうやって?

ははは……いいや、お前さんはその魂を欲するだろう」


 ぎりり、と鬼の牙がきしむ。


「わしはこやつの体があれば問題ない。この無双の力があればな。

鬼殿はこやつの魂をその胎に取り込み、産み直すが良いさ。

そうして鬼の家族でも何でもやっているがいい。

どうだね?こやつの魂を約定通りにくれてやる故、見逃してくれんか?

さすればわしも邪魔せん。鬼とはいえ、身重の体ではわしに戦いは挑めんだろうからな」


 だが鬼は切り札を持っていた。そしてそれは法師では予測し得ない事だった。


「オン ドドマリ ギャキテイ ソワカ」

「そ、それは鬼子母神の真言!だが鬼が唱えたところで……バカな!?」


 二人の目には見えた。仏の目と、その恐ろしいほど大きな手が法師へと飛んでいくのが。


「神さん仏さんってのは力の塊だ。

私やお前がどう願ったところで、仏さんは仏さんの道理でしか動かない

祝詞だの真言だのは、ちょっとだけ眼を向けるだけのもんなのさ。

そして、お前も私ももう「観測」された」


 それはつまり、一度鬼は観測された事で縁ができたと言うことだろう。

 その札を何を思ってか男に渡した法師にも縁があった。

 仏はどちらが悪いかなど、ようく解っているのだ。


「天に裁かれろ、生臭坊主」

「バカな……こやつの魂が欲しくはないのか!惚れた男をはらんで産み直す……その冒涜がしたくはないのか!きさまは鬼なのだぞ?」

「天災にでも遭ったと思ってあきらめな」


 そうして、裁きのように雷が法師に落ちて、今度こそ法師は死に、男の魂は天へと昇った。


「また……輪廻が巡って、産まれ尚したら会おう。きっと、いつか会えるさ」


 鬼はいつまでも天に向かって手を合わせていた。



 そうして、幾百年が経って。

 日本は開国し、大きな戦争を経験し、世界で一番豊かな国であったのも昔。

 いつの頃か、妖と呪いはネットを通して世界に蔓延し、当たり前にあるようになった。


「この鬼の討伐依頼を受けたいのですが」

「ああ、これなあ……やめとけって、世の中そう単純じゃねえ」

「ええ、解っています。それでも、なぜだか惹かれるのです。会わねばならない……そんな気がするのです」


 刀を差した少年の手にあるのは、ヴィランともヴィジランテともつかない義賊の鬼の賞金チラシだった。

 食うのは本当にどうしようもない悪党ばかり。

 食うに及ばない悪党は、証拠付きで告発する。

 珍しい義に厚い鬼。

 その鬼が幾百年ぶりに見知った魂と出会うのはもうすぐである。


 その物語は、今度こそハッピーエンドを迎えるのだろうか?

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