絵に描くように初日の出

 Girlちゃんの家の氏神さまはとても静かなお社だった。騒ぎ立てる参拝客もおらず、本当に原宿を居住区とする地元のひとたちの聖域、という感じだ。

 二年参りだからつまり初詣であるにもかかわらずGirlちゃんが部屋着にもうひとつクリーム色のセーターを被り、その上から黒のダッフルコートを着込んだだけで出かけて来たのも却って正月らしい感じがする。


「人が少ないので年が変わる瞬間をここで待ちましょう」


 社殿のお賽銭箱の前で10人ほどが並んでカウントダウンを待っている。

 とは言ってもそれはあまりにもあっさりと神職が、


「新年、明けましておめでとうございます」


 と厳かに告げるだけの新春だった。


 僕と佐藤さとうとGirlちゃんはまずはその場で二礼二拍手一礼し、それからようやく言い合った。


「明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします」


 と同時に3人のスマホが一斉に振動する。幸田こうださんだった。


 Happy: Midさん、Sugarさん、Girlちゃん、明けましておめでとうございます。3人揃って二年参り、羨ましいです。わたしも実家の神社で手を合わせているところです


 そういえば・・・幸田さんの実家がどこか聞いてなかったな。お父さんがずっと転勤族だったみたいだからそういう意識とかあんまりなかったな。

 少し肌寒いなと思っていたらGirlちゃんが粋なことを言った。


「初日の出、観ませんか?」


 ただ、こんな東京のど真ん中でビルの隙間を縫って拝めるのだろうか。そもそもそんなスポットがあったとしたら人が殺到して日の出どころじゃないだろう。

 でもGirlちゃんは落ち着き払って僕たちを案内した。


「疲れて大変かもしれませんけど、ここで日の出の時間まで待機します」

「なるほど・・・」


 Girlちゃんに先導されて入ったのは個店のカフェ。地元の人しかほぼ来ない店で大晦日と元旦だけはオールナイトで営業するのだそうだ。

 個店の店構えとは言いながら、店内は広くて二階にも5席ほどテーブルがあり3人でそこに陣取った。

 店に出ているオーナー夫婦の趣味なのだろう。カウンター脇に置かれたターンテーブルには僕が聴いたことのない交響曲のレコードが回り、店内に何基か置かれたJBLのスピーカーから柔らかな弦楽器の音色が流れてきた。


「MidさんもSugarさんも少しウトウトなさっても平気ですよ。毎年この日だけは仮眠をとってもOKな感じですから」

「Girlちゃんは毎年このパターンなの?」

「はい、Sugarさん。中学に入ってからは同級生なんかと。母がそういう社交も必要だと」

「へえ・・・Girlちゃんのお母さんって素敵だよね。わたしよりも若々しいぐらいで」

「実際僕らより10も違わない訳だろうからね」

「恐れ入ります。実はわたし、結構母を尊敬してます。16でわたしを産んだというのも、なんだかすごく凛々しさを感じるんです」


 わかるな。

 出産というのは女性にとって一大事なわけだから。それを16で決断する。

 産後の肥立ちというものがその時の体調だけじゃなくてずっと人生の健康を左右するぐらいのもので、できるだけ水仕事を避けるようにという具合のことを僕もばあちゃんや母親から聞いたことがある。

 ただ、ここで佐藤が意味深な発言をする。


「Mid、いたわっておくれよ」

「なんのことだ」

「きっとわたしは病弱だと思うから・・・ふたりの間の最初の子を産んでそれからしばらくしてわたしは死ぬ・・・ああ、なんてこの世は悲しいんだろう」

「僕はSugarの無限に広がる異世界のような発想に戦慄を覚えるぞ」


 でも、Girlちゃんも意外なことを言った。


「Midさん、でも本当にSugarさんをいたわってあげてください」

「Girlちゃんまで。どうしたの?」

「いえ・・・その、片想いの気持ちが痛いほど分かるんです」

「ちょいちょい!」

「あ、すみません、Sugarさん。決して揶揄したりとかいう意味じゃないんです。事実だけで言うとどう考えたってわたしのMidさんへの想いは片道です。SugarさんとMidさんのご関係はもっと親密なものだとは思うんですけど、Happyさんの存在がある以上、恋人という関係ではあり得ないわけです」

「はあ・・・Girlちゃんじゃなかったら錯乱してるところだよ」

「す、すみません!でもSugarさんも分かってください。本当に、本当にこの状態って切ないんです」


 なんだか僕が悪逆非道の徒のような気分になってきた。でも僕が何か言葉を発すると余計に嫌な思いをさせるだろう。僕はちょっとだけ狸寝入りしてみた。


「Girlちゃん。同年代で好きな男の子とか居ないの?」

「いません」

「Midのどこがいいわけ?確かに絵は魅力的だし誠実な感じはするけどさあ」

「そうおっしゃるSugarさんはMidさんのどこがいいんですか?」

「うっ・・・とりあえずは顔かな・・・」

「わあ!」

「えっ。なに?」

「Sugarさんってすごいです。はっきりそう言い切れるなんて!」

「も、もちろんそれだけじゃないよ。仕事で四六時中一緒だから何気ない仕草もしっくりくるようになってるし、つっけんどんな応対の中に時々優しい振る舞いが混じったらそれだけでぐっときちゃうし」

「つまり、好きなんですよね」

「・・・ははは。そうだね。それ以外に言いようがないね」

「負けませんよ」

「わたしも。でもその前にHappyさんになんとか追いつかないとね。Girlちゃんは美人だし背も高いし原宿のお嬢様だからわたしより遥かにリードしてるけどね」

「いいえ。全然です。Sugarさんの勉強会の資料見て、ああやっぱり社会人ってすごいな、って思いました」

「いやー。でもGirlちゃんはなんだっけ・・・スーパーサイレンスなんとか」

「スーパーサイエンス・ハイスクールですね」

「そうそうそれそれ。そういう学校で研究実習もすごいし、何より化合実験みたいな感覚で超一流料亭なみの料理を作るし・・・叶わないなあ」

「Sugarさん」

「うん。なに?」

「わたしひとりっ子で内気で。小中高大一貫校なので慣れ親しんだ級友たちとなんとかやりとりしてますけど、一皮剥けば実質はぼっちで非社交的なネクラなんです」

「Girlちゃん・・・」

「だから、Sugarさんと姉妹みたいな感じで甘えさせていただいても構いませんか?」

「Girlちゃん」

「はい」

「わたしを憐んで言ってくれてるの?」


 あ。


「ごめんごめん!年下のGirlちゃんにわたしなんて酷い言葉を」

「わたし自身への憐みなんです」

「えっ」

「『わたしでないとダメ』そういう存在が居ないんです、わたしには」

「そんなこと・・・お母さんは?」

「彼女は、父が一番好きです」

「じゃ、じゃあ、カノさんは?」

「多分カノさんの本心はわたしを好いて心配してくれているでしょう。でもどこまで行ってもわたしたちの関係は雇用者と被雇用者で、契約に基づく間柄です」

「じゃ、じゃあ・・・Midがあなただけを見つめてくれる人になって欲しいのね」

「違います」

「・・・・・・・」

「Midさんの絵は色んな人から愛されて尊敬すら受けています。わたしも尊敬しています。だからわたしだけの専属の人ということにはならないでしょう。だから、だから・・・」


 Girlちゃんは流す涙を止めようとしなかった。


「わかってるんです。Sugarさんは本当に優しくて誰に対しても親切です。だからわたしだけになんて無理だって・・・」

「なるよっ!Girlちゃんだけの女に!」


 女の子に対して『女』になるという佐藤独特のセリフが余程おかしかったんだろう。泣きながらGirlちゃんが、ぽふ、と吹き出した。


「慰めでも嬉しいです・・・」

「ほんとになるっ!Girlちゃんの隣にどんなにお腹を空かせて泣いてる子がいてもGirlちゃんにだけお菓子をあげる!」

「ふふ」

「それから、Girlちゃんの隣に瀕死の重病人が倒れてても・・・あ、瀕死じゃまずいか・・・ほ、ほっといても助かりそうな病人がいても、Girlちゃんにだけ手を差し伸べる!」

「嬉しい」


 ああ・・・僕はなんて情けなくてやらしい男なんだろう。こんな真面目でまっすぐな女子2人に哀しいやりとりさせて。


 そして、佐藤。

 お前は最高だっ!


「わー見て見てGirlちゃん。Midの野郎、寝ながら笑ってやがる。キモー」

「ふふ。かわいい」


 急速に店内の気温が下がってきた辺りで佐藤にガシガシと揺すり起こされた。Girlちゃんがやっぱり僕らを先導する。


「行きましょう」


 店を出て原宿の新年のまだ明けぬ早朝を歩く。

 Girlちゃんが本当になんでもない交差点で立ち止まった。


「交差点の向こうのとんがったビルを見てください」


 幅が細くてやたらと高さだけはある都心の地理に応じたビルが一棟立っている。隣にはそれよりもかなり背の低いビルが凸凹コンビのように立っている。

 僕と佐藤は背の高いビルのてっぺんを見ていた。


 否応なく視線を下げさせられた。

 でも、まっすぐに直視することができない光景。


「うわー!わーわーわー!」

「ああ・・・Sugar、うるさい」

「えーい、これを観て叫ばずにいられるかっ!Girlちゃん、すごい!すごいよっ!」

「ふふふふ」


 僕たち3人は凸凹のビルとビルの隙間の底辺から、姿形を捉えることのできない振り切った光源を観た。

 思いっきり目を細めて。


 ビルとビルの隙間はほんのわずか。

 その隙間が万度の光で満たされてそして光の細い線が面となりゆっくりと上昇していく。透過光の仕切り線をなぞるように。


「一列渋滞!」


 誰もいない原宿の路上で佐藤が怒鳴った。

 背の低い順に、佐藤、Girlちゃん、僕がその隙間の真正面に一列に立って、令和二年の初日の出を見る。


 太陽が低いビルの上まで昇ると真円の右半分を完全に露出させた。その段階で僕らは、パンパン、と手を二回叩いて祈った。


「女子ふたりは、何頼んだの?」

「内緒!」


 日は昇り続け、背の高いビルの上空に出ると、本当に美しい円を描いて、けれどもそれは球体であるので、遍く原宿を照らし、それからこの日本っていう国の全部を新しい年の空気を透過して照らし切った。


「今年もよろしくお願いします」

「うん。よろしくね」


 Girlちゃんがかわいく言うと、大人ふたりはそれに応じた。

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