絵に描くように学術を
見てるとおもしろいから。
「うーむむむむむ」
「どうした佐藤。がんばれよ」
「うるさいなあ・・・思考がまとまらないんだよ」
「学生時代の友達にな、拡散しすぎるアイディアを収束させるために酒を飲みながらレポート書く奴がいたぞ。脳の動きを少し削ぐんだろうな」
「やっぱり
「佐藤もな」
佐藤が同業が集う若手有志の勉強会で発表の順番が回ってきたのだ。それで今度の土曜日が発表の日だというのに今日が木曜日であり、ほぼなにも着手できていないということなのだ。
フォーマルではない有志の勉強会だからそこまで気張る必要はないのにそれでも一生懸命になってしまうのはこれは佐藤の性格だってことも僕は分かってる。
それから、業界内でのウチの会社の信頼も高いものにしておきたいのだろう。これも責任感ある佐藤ならそうだろうと思う。
ところが佐藤は先週風邪をひいてしまい、僕がある程度のフォローをしたとはいえ事務系の仕事が溜まって今週も勉強会の準備をする時間がなかなか取れなかったのだ。
「真中っ!」
「なんだ佐藤」
「図書館、付き合って!」
けれども仕事終わりに僕と佐藤が繰り出したのは池袋のメガ書店だった。業務の話だけで言えば図書館に入ってきている書籍は若干古いのだ。いわゆる基礎研究系のことは僕らのレベルでは理解がなかなか難しいしそういうことはそれが趣味の方々に任せるしかないから書店の最新の書籍を漁るしかなかった。
そして僕も助けを求めた。
「こんばんは、佐藤さん」
「げっ」
「佐藤。強力な助っ人さんに失礼だろう」
Mid: Sugarさんが学術研究しています。池袋まで来られませんか?
ところが幸田さんだけでなく、ギャラリーが集った。
Teruさん、Ageさんが理工系の学術専門書エリアをウロウロしていたのだ。
Teruさんは絵に描いたような仕事帰りのスーツ姿のサラリーマン、Ageさんは落ち着いたセーターの老紳士。
「佐藤さん」
幸田さんがカゴに何冊かの学術書と専門誌を入れて佐藤に話しかけた。幸田さんは異様に嬉しそうな顔をしている。
「佐藤さん、この辺は新書だけど情報量も多いし即使えると思うよ。それからナッチャーに載ってる高田教授の論文ははずせないよね」
「え、英語っ!?無理無理!」
僕はふたりの間に入る。
「幸田さん、佐藤にいきなりこれは無理だよ。もうちょっと簡易なやつでどう?」
「あら?でも真中くん。大学や研究機関相手の営業なんでしょう?これくらいは共通言語として最低限必要なレベルだと思うけど?」
なるほど。
これは逆に幸田さんに教えてあげないとな。
「幸田さんは今でも現役の薬剤師なんだよね。ドラッグストアで取引先の製薬会社の営業の人とどんなやりとりしてる?」
「え?そうだね、オーダーを受けてもらったり各薬局の薬の在庫も大体把握してもらって補充のタイミングを提案して頂いたり・・・」
「学会の論文レベルの知識とか相手に求めてる?」
「・・・いいえ」
「僕らが大学や研究機関のお客様たちに営業するのもね、学問なんだよ」
「!」
「!」
びっくりする幸田さんと佐藤に僕はゆっくりと説明した。
「それもマーケティングや経営学っていうエリアとも違う。むしろもっと難しくて厳しい命題」
じいっと僕の顔を見るふたり。
僕は言った。
「約束を守る、さ」
「素敵です、Midさん」
あまり驚いたり動じたりしないのが自分の特徴だと思ってはいるがこの子だけは例外のようだ。
「が、Girlちゃん!?」
制服姿のGirlちゃんがいつの間にか僕の後ろに立っていた。
「Midさんのそのお考え、とっても素敵です。わたしも約束を守れる大人になりたいです」
「あ、ありがとう、Girlちゃん」
だが、佐藤は現実として明後日には同業者たちに発表しないといけない。僕の発言は佐藤にとっては概念的なことでしかなく、こいつはとにかく眼前の同業のみなさんに成果物として示さないといけないのだ。
「真中。約束を守ることが『学問』ってどういう意味?」
「ほんとうの学問は、日々を生きる市井の我々のものだっていう意味さ。たとえば医師」
「うん」
「医師が本当に患者を救おうとするのならそれは患者っていう人間そのものを理解しないとできないことだ。生い立ち、性格、日常の行動。それだけじゃない。家族がどういう思いで看病に当たっているのか。退院した後はどんな仕事や生活になるのか。経済的なことも踏まえた判断と治療でなければそれは患者を救ったことにならない」
「素敵・・・」
なんだろうな。
Girlちゃんの反応が一番いい。
若くてまだ素直だからか。
それとも・・・
「真中くん。つまり、その人の『人生』を踏まえた治療方針や対応をすることが医師の本質であり、それこそが総合的なほんとうの意味での『学問』なんだと」
「幸田さん、ありがとう。その通り。僕もそうあろうとして毎日の仕事に取り組んでいるつもり」
そして、絵を描くことも。
佐藤は自分が取り扱う溶剤に特化した文献を数冊幸田さんに選んでもらい、日々の業務日誌に留めてある顧客たる研究者たちの研究にあたっての悩みについて触れるレポートを書いた。
それは勤め人として仕事に取り組む僕たち自身の悩みとも重なり、発表が終わった時、同業の方達も佐藤に惜しみない拍手を送ってくれた。
佐藤はそのレポートを幸田さんにメールし、彼女もとても感銘を受けたというコメントを佐藤にしてくれた。
さて、池袋のメガ書店にフォロワーさんたちが集った時、また例によって晩ご飯を食べてから解散したのだけど、書店を出る前にGirlちゃんに付き合ってあげた。
「Midさん、画集やデザインに関する本を選びたいので付き合ってください」
「いいよ」
そう言って僕とGirlちゃんが絵に関するフロアを見て回る後ろからフォロワーさんたちがゾロゾロとついて回り、周囲の客たちは何の団体だ?とジロジロ見てきた。
「恋人同士みたい」
並んで歩く僕とGirlちゃんをなぜか幸田さんが冷やかしてくる。
Girlちゃんは頬を赤く染め、耳たぶからうなじまで火照る。
かわいい。
佐藤が僕の袖をくいくいと引っ張って通路から少し外れた。
「なんだよ佐藤」
「真中・・・Girlちゃん、びっくりだね」
「なんで?」
「知らないの?あの制服ってものすごーく有名なお嬢様学校のやつだよ。偏差値も最上級。中等部だったか高等部だったかは忘れちゃったけど」
「へえ」
そうなのか。
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