第187話 どうして壊れたのか

 頭の天辺てっぺんから爪先つまさきに至るまで、蒼く燃ゆる狐人ワーフォックスと化している望子の纏う気迫は最早、元となるリエナに迫り、何なら超えているかもしれない程だった。


 ──ゆえに。


「そ、その……な? レプと腕相撲をしててな?」


 相手が守るべき存在だという事を差し引いても、その真っ青な瞳に射抜かれたウルは思わずビクッとなってしまい、床に正座した状態であわあわと弁明する。


『……うでずもう? なんで?』

「その、ですね? ウルが私の素の力を確認したいと言ってきまして、それで力比べにと……」


 その一方で、最初は片膝をついた姿勢だったレプターも、ウルが咄嗟に取った姿勢を見て、そちらの方が良いのだろうかと考え同じ様に正座してから、自分たちが仕出かした所業について補足したのだが──。


『……あっそ』

「もっ……申し訳ありませんでしたぁ!」


 普段とは全く異なる……極めて冷え切った視線を自分へと向けてくる望子に対し、不甲斐無さで一杯になったレプターは図らずも土下座の姿勢を取っていた。


(あぁ、ああいうみこも良いなぁ……! リエナの姿じゃなきゃもっと良いんだけど……)


 そんな中、自らが怒られていない分には冷淡で辛辣な望子も好きらしいフィンが、自分の肩を抱いたままブルッと震えて悶えていたが──それはともかく。


 ふぅ、と溜息にも似たそれを吐いた望子が、二メートル弱の高い位置から二人を見下ろしてから一言。


『……それで? どうしてふつうにうでずもうしてて、つくえがこんなになっちゃうの?』

「あ、あーっと……」

「それは、ですね……」

 

 こうなってしまった原因を問おうとしたものの、ハッキリとしない様子の二人を見た望子は、より一層メラメラと自分の身体を蒼く燃やして──。


『──はやく、こたえて。 ごはんさめちゃうから』

「「は、はいっ!」」


 九本の尻尾に載せた食事に気を使いつつ、若干の苛立ちと共にそう告げた事で、彼女たちは改めて姿勢をビシッと正し……自分たちの所業を語り始めた。


 ──時は、カナタとキューが望子に言われてキッチンを後にした辺りまで遡る。


 結局、どうして最後まで手伝わせてくれないのかは分からなかったが、カナタとしても出来る限り望子の意思に沿った行動をすると決めていた為──。


「ふぅ──え、何やってるの……?」

『きゅー?』


 溜息をつきながらも扉を閉めて、ウルたちが集まって昼食を待っているだろう部屋に入ったのだが、何故か部屋の中はやたらと緊迫した空気に包まれている。


 ……その原因が、中央の長机を挟んで互いの右手を組んでいるウルとレプターにあるというのはカナタにも分かるが──いや、やはり分からない。


「む? あぁ……上肢闘技アムドラッケンであるよ」

「は、はぁ……そうみたい、ね……?」


 お主も知っているのでは? とのローアの言葉を受けはしたものの、どうして上肢闘技アムドラッケンをする事になったのか、どうしてここまで緊張状態にあるのか、など……分からない事が多すぎて、そんな言葉しか出ない。


「レプ、一応言っとくが……魔術だの何だのは無しだからな? 純粋に力だけで勝負だぜ」

「当然だ。 まぁ……そもそも私は魔術を扱う事は出来ないから、封じるのは武技アーツだけだが」


 そんな風に疑問符を浮かべ続けているカナタをよそに、ウルとレプターはそれぞれ真紅と金色の瞳をギラギラと輝かせながら、互いに即興で決めたルールを確認しつつ、組んだその手にギシッと力を込めている。


「じゃ、ボクが『スタート』って言ったら始めてね」

「おぅよ」

「了解だ」


 そして、二人以上に乗り気なフィンが彼女たちの組んだ手に自分の手を重ねつつ、合図は自分が出すからと告げた事で、あくまでも互いの瞳から視線を外す事無く頷き合い、それを了承してみせた。


「よ〜〜〜い……スタート!」


 その後、溜めに溜めたフィンが二人の手から自分の手を離し、元気良く開始の合図を出した瞬間──。


「ぅらぁっ!!」

「っ!!」


 かたや巻き舌気味に気合いを入れて叫び、かたや声を上げる事は無くとも力だけはしっかりと込めて、机なのか手なのか腕なのかは分からないが、ギシッと軋む様な音を立てて──上肢闘技アムドラッケンが幕を開けた。


 空いた片手は不正をしない様に机の上に置いたままにしてあるが、その手や腕にはビキビキと血管が浮かんで、彼女たちがどれだけ本気で挑んでいるかが分かり、観客となっていた五人が息を呑む中で──。


「く、うぅ……!!」

「ん、んん……!?」


 レプターが至って真剣な表情で、全く気の抜けない状態にあるのだと誰の目にも分からせる一方で、ウルは何故か極めて怪訝そうな表情を浮かべており、こちらも何かを疑問に感じている様だと分からせる。


「何というか……拮抗、してるわね」


 そんな二人を妖しく光る翠緑の瞳で見つめていたハピは、てっきりウルの圧勝で終わるだろうと思っていた為に、梟らしくカクンと首をかしげて呟く。


「……龍人ドラゴニュートは数ある亜人族デミの中でも最上位の種族であるからな。 魔力や知能は勿論、その膂力も……そこらに転がっている亜人族デミより遥かに勝るのである」


 そう語るローアの言葉通り、この世界のあらゆる場所に存在する亜人族デミの中で、龍人ドラゴニュートは元となった生物の影響もあってか最上位の種族だと云われており、本来であれば人狼ワーウルフ相手に劣る部分など何一つ無い。


 ──それがたとえ、勇者の所有物であっても。


「ほぇー、成る程ね。 よーし、レプ頑張れー!」

「ウル貴女……力で負けたらいよいよ終わりよ」


 それを受けたフィンとハピは先程の賭けの事を忘れてはいなかった様で、かたや煽り散らすかの如くやいのやいのと龍人ドラゴニュートを応援する声を出しかたや最後通告の様な口ぶりで人狼ワーウルフを自分なりに鼓舞する。


「うっ、せぇ……! 黙って見てろっての……!」


 そういって毒づくウルだったが、実を言えば自分の圧勝だろう、とハピと同じ事を考えていたらしく、されど殆ど膂力の差は無いというこの事実に彼女は若干の焦りを見せながら、更に右手に力を込めた。


「ふ、ふふ……どうだ、ウル……私も中々、やるだろう……? 降参するなら、今の内だぞ……!」


 一方、ウルに余裕が無い事を直感で見抜いたレプターは、自分も大して余裕が無い事を誤魔化すのも兼ねて苦し紛れの笑みを浮かべて挑発する。


「……冗談じゃねぇっつの……! こっからが、あたしの本気だ……っ! 目に物……見せてやるよ……!!」

「受けて、立とう……! 来いっ!!」


 だが、自分から挑んだウルとしては降参など出来よう筈も無く、まるで今までは本気で無かったかの様な表現をした事で、上等だとレプターも挑発的な笑みを浮かべた後、一も二も無く同時に深く息を吸い──。


「う、らぁああああああああ……っ!!」

「く、おぉおおおおおおおお……っ!!」


 互いの手に互いの鋭い爪が食い込み赤い血が滲むのも気にせず、絞り出す様な叫びと共に全力で力を込めて、相手の手を机に押し付けようとする。


 その時、ウルの手の甲に刻まれた限界突破オーバードーズの印が強く輝き、一瞬だけレプターの手が机に近づいたが何とか持ち直し、もう一度だとばかりに視線を交わす。


「あ、あまり力を入れ過ぎると机が──!」


 そんな中、二人の迫真の叫びに紛れた……何なら場違いにも思えるカナタの必死の忠告も虚しく──。


 ──バキャアッ!


「おわぁ!?」

「ぐぅっ!?」


「「「「あっ」」」」

『きゅ?』


 全員の視線が集中する中で、長机は中央辺りから派手な音を立てて真っ二つに折れてしまい、当事者たる二人は驚きの声を、そして観客になっていた五人は思わず声を上げ……ポカンと口を開けてしまう。


 ──これが、ほんの数分前の出来事である。


『──はぁ』

「「……っ」」


 二人が語り終えるやいなや、望子はメラメラと蒼く燃えている状態のまま心底呆れた様に溜息をつき、それを見た二人はまたしてもビクッと身体を震わせる。


『……もういいよ。 つくえ、かたづけて。 このままじゃごはんたべれないでしょ?』

「お、おぅ……」

「了解しました……」


 その後、充分反省しただろうと何となく判断した望子が、少しだけ声音を柔らかくして後始末を指示した事で、二人はしゅんとしつつも立ち上がり、船に備え付けられていた掃除用具で机の残骸を片付け始めた。


「よ、よーし! それじゃボクたちはごはんを──」

『いるかさん』

「──ぅえっ!? な、何……?」


 一方、暗くなってしまった空気を切り替えんとしたのか、フィンが手を叩きながら元気良く食事に移ろうとしたのだが、彼女の動きは望子の冷め切った声で止められてしまい、二の句を待つ事しか出来なくなる。


『……いるかさんだけじゃなくて、とりさんとろーちゃんもいっしょになってみてたんだよね?』


 ──要は、後から入ったカナタとキューを除き、止めなかったフィンたち三人も同罪なのではないかと望子は言いたいらしく……声が、段々低くなる。


「えっ、いや、あの……」

「あー……ミコ嬢、我輩たちは観戦していただけであって、そこまでの非は無いと──」


 その言葉を聞いたハピは、まさか自分たちに矛先が向くとは思っていなかったらしくあたふたして、その一方でローアは望子に歩み寄りつつ、少し落ち着いて欲しいと諭す様に声をかけんとしたのだが──。


『……?』


「「「!?」」」

「「「……!!」」」


 ……望子としては、一体何を言っているんだろうかと純粋に疑問を持ち、首をかしげただけである。


 しかし──ハピやフィン、ローアにはそんな望子のたった一つの動作がとても恐ろしいものに感じられ、その視線が向けられていない筈のカナタやカリマたちでさえ指一本動かす事が出来なくなってしまう。


『きゅ〜……?』


 ……キューだけは、よく分かっていない様だが。


「……ご、ごめん! 謝るから、謝るからご飯抜きとかは勘弁してぇ!!」

「み、望子? 確かに私も悪かったわ。 だから、ね?」

「く、くふふ……! これが勇者の本気の凄み……!」


 瞬間、ある者は先程のレプターと同じ様に平伏して謝罪し、ある者は何とか望子を宥めようと慌て、またある者は観察対象の無限の可能性に打ち震えていた。


『──ふたりを、てつだってあげて。 そしたらゆるしてあげるから』

「「「りょ、了解」」」


 望子がスッとウルたちの方を指差し、先程よりは多少なり和らいだ声音でそう告げると、フィンは慌てた様子で、ハピは若干しゅんとして、そしてローアはくふふと愉しげに笑いながら、片付け途中のウルとレプターの元へと重い足取りで向かっていった。


「す、凄ェなミコは……流石勇者だぜ」

「えぇ、あんなに易々と手玉に取るなんて……」

「あ、あはは……」


 そんな勇者一行のやりとりを扉の近くで食器を持ったまま見守っていたカリマとポルネが勇者の手腕に舌を巻く一方、彼女たちよりも多少は一行の事情に詳しいカナタはそんな風に苦笑いを浮かべており──。


(手玉っていうか……堕ちてるのよね、揃いも揃って)


 流石にそれを口にする勇気は無いカナタは、そんな考えを脳内でのみ留めた後、改めて望子の手伝いをする為に、蒼く燃ゆる狐人ワーフォックスの方へと歩いていった。

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