第八章

第180話 勇者、海へ

 旅の途中で訪れた港町ショストにて海賊騒ぎを鎮めただけで無く、海賊を率いていた二人の亜人族デミの船長を新たに仲間……もとい使い魔として加えた勇者一行は、造ってもらった船に乗って港町を後にしていた。


 そして今、彼女たちは三素勇艦デルタイリスという名の蒸気帆船で船旅を楽しみながら、次の目的地であるヴィンシュ大陸を目指して航海を続けており――。


 大きな船の船首近くに用意した木製の箱の上に立って、小さな身体で朝日に煌く海面を見ながら、

「うわぁああ……! すっごーい……!」

『きゅー!』

 寝ている間にこの世界に召喚されてしまった八歳の少女、舞園まいぞの望子みこが、同じくらいに黒い瞳をキラキラと輝かせていると、その言葉に同意する様に望子の頭に乗った幼体の樹人トレントであるキューが、名前の由来となった甲高い鳴き声を上げてみせる。


「ねぇろーちゃん! すっごいね、うみって!」

「……む? あ、あぁ……そうであるな」


 そんな折、望子がクルッと後ろを振り返って、友人の一人である白衣の少女に笑顔を向けるも、ろーちゃんと呼ばれた当の少女は何故か不調な様子を見せて、

「? どうしたのローア。 顔色悪いよ、茶色いし」

 望子が図らずも地球から持ち込んだぬいぐるみの一体であり、望子の人形使いとしての力で亜人族デミと化していた人魚マーメイドのフィンが、そのやりとりを見て茶化す様な口ぶりで、の肌を晒すその少女に声をかけた。


 ――その少女は、港町に一月ひとつき程滞在したからといっても決して日焼けしている訳では無い。


 ローアと呼ばれた少女は若干苦笑しつつもフィンに顔を向け、銀色の長髪を揺らし、腰の辺りから生える先端の尖った黒く細い尻尾を指で弄りながら、

「……それは人化ヒューマナイズを解いたからであって……いや、それよりも……なにぶん朝であるからな。 魔族の我輩には中々辛い時間帯なのであるよ」

 そう語る彼女の言葉通り、つい先程まで人化ヒューマナイズという魔術によってローアは人族ヒューマンに擬態しており、何故そんな事をする必要があったのかといえば……それは彼女が、この世界を支配せんとする魔王コアノル=エルテンスの配下……つまり、魔族であるからだ。


 海にさえ出てしまえば人の目も無かろうし、と口にして解除した事もあってか、どうやら人化ヒューマナイズは彼女にとって、少しだけではあるが負担になるらしかった。


 それを聞いたぬいぐるみの一体、フィンと同じ様に亜人族デミに変異していた人狼ワーウルフのウルが欠伸をしながら、

「そういや魔族領はずっと夜っつってたか。 よくもまぁそんなとこで生きてけんなお前ら」

 魔族の住処たる魔族領が、昼の訪れない……所謂極夜である事を他でも無い魔族ローアから聞いていた為、グーッと背伸びをしつつもそう投げかける。


 するとローアは自身の薄紫色の双眸を――正確には下目蓋したまぶた辺りをトントンと指で叩き、

「我々は宵闇でも支障無く見通せるゆえ。 そして何より……魔王様の力の影響によるものであるからな。 それを享受しようとしない魔族は存在せぬのである」

 今はこの船を操舵している最中の為、船檣マストの天辺に立っているもう一体のぬいぐるみ、鳥人ハーピィのハピと同じ夜目である事を語りつつ、勇者みこの監視役かつ一党パーティメンバーありながらも、創造主たる魔王への畏敬の念は忘れていないらしく、誇らしげな表情を浮かべていた。


「そういえば……私たちが向かうヴィンシュ大陸は、今どの様な状況なのだろうか?」

「あれ、レプは行った事無いの?」

 

 そんな中、船檣マストにてハピと会話していた龍人ドラゴニュートのレプターが降りてきて、そのやりとりが聞こえていたのだろう、違和感の無い口切りで次の目的地たるヴィンシュ大陸の現状についての話を振ると、レプターの物言いに引っかかったフィンが何の気無しに尋ねる。


 元々この世界に住むレプターやローア、カナタが言う事には、ルニアという他国を圧倒する力を持っていた大国が代表となって治めていたガナシア大陸とは違い、ヴィンシュ大陸はいくつもの小国が連なり、大陸自体が一つの共和国となっているらしいが――。


「……それはそうだろう。 何せ、海に出る事すらも初めてなのだからな」

「あぁ、そんな事言ってたね。 で、どうなの?」


 その一方で、子供が親に拗ねた様子で言い訳するかの如く、暗に知らないのだという事を言ってのけたものの、フィンは特に彼女の機微に言及する事も無く、この中なら一番詳しいだろうローアに話を振って、

「……一言で言ってしまえば、支配一歩手前……というところであろうな」

「え……そんな場所に行って大丈夫なの……?」

 おそらくは、と前置きして興味の無い事にはとことん疎いローアがそう語ると、ここまで沈黙を貫いていた金髪の神官、望子をこの世界に喚び出した張本人である聖女カナタがおずおずと問いかける。


 そんなカナタの疑問の声に対し、くははと軽く笑い飛ばしてみせたローアが肩を竦めて、

「まぁ問題無いであろうよ。 お主らが今更そこらの上級程度に敗北するとも思えぬし」

「そりゃまぁ……そうかもしれねぇが」

 自らもその上級に属する魔族なのだが、さもそれを棚に上げる様な発言をしてみせた事で、こいつ自覚あんのか? と呆れつつもウルは頭を掻いてそう答えた。


「……ただ、一つだけ伝えておかねばならぬ事が」

「「「「?」」」」


 その時、突然ローアの表情から笑みが消え、右手の人差し指をピンと立てたのを見たウルたちは一様に首をかしげて彼女の次の言葉を待っていたのだが、

「おそらくヴィンシュ大陸には――幹部がいる」

「「「!!」」」

 そう告げられたローアの言葉に対し、かつて幹部の一人であるラスガルドをその瞳に映した事のあるレプターと、実際に戦闘までしてのけたウルとフィンが目を見開いて驚愕を露わにする一方で、

「幹、部……?」

 生まれて間も無いキューを除けば、唯一幹部を見た事の無いカナタは首をかしげてそう呟いていた。


 ――尤も、魔族たるローアを除けば彼女は唯一、より精強な魔王の側近に遭遇してはいるのだが。

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