第179話 さよなら港町

 夜明けまで続くかと思われた港町の宴も、天辺てっぺんに昇った満月が西へと傾き始めた頃、『明日も忙しいんだからとっとと片すぞ!』と叫ぶオルコの声で、住人たちや冒険者たち、職員たちは酔っていながらも機敏な動きで片付けをして、宴は終わりを告げていた。


 ――そして、二日後の早朝。


 早速海を渡るべく、長い間宿泊していた宿屋を朝早くに後にした望子たち一行は港に集まっており、

「ん〜……っ、いやぁ、晴れて良かったねぇ」

 グーッと背伸びしながらそう口にするフィンの言葉通り、煌めく朝日が穏やかな海を照らしていた。


 そんなフィンの独り言に応える様に、爬虫類ゆえか低血圧な身体を日光で温めていたレプターが、

「そうだな、流石に荒天の日の船出は……んん、私としても避けたいところだ。 何せ初めてなのだし」

「……ん? レプお前、船乗った事ねぇの?」

 昔を懐かしむかの如く目を細めつつそう言うと、隣でコキコキと首を鳴らしていたウルは、きょとんとした表情を浮かべて何の気無しに問いかける。


 すると当のレプターは苦笑いを湛え、首をゆっくりと横に振ってから口をひらき、

「いや、海に出るのが初めてという事だよ。 船自体は故郷の近くにある湖で何度か乗っているんだが」

「……では酔いがくるかもしれぬなぁ」

 蜥蜴人の好物が魚だという事もあって、釣りが趣味なんだと語った事で、人化ヒューマナイズの薬を飲んで擬態したローアが、鬱陶しそうに朝日を見つめながら呟いた。


 それを受けたレプターはチラッとローアを見下ろした後、クルッと後ろを振り返って、

「まぁその時はその時だ。 仮に酔っても……カナタが何とかしてくれる。 そうだろう?」

「え? あ、あぁそうね。 任せて」

 どうやら朝には強いのか特に眠気も無さそうなカナタが、突然話を振られた事に驚きつつもそう返す。


 ――実を言えば今朝、ウルとフィンはいつかと同じ様に呑み過ぎと食べ過ぎで苦しんでいたのだが、カナタの治療術の一つ、感覚治癒キュアフィールによって綺麗さっぱり苦痛が無くなっていた為、それについてウルたちが尋ね返すといった事は無かった。


 そんな中、望子たち一行と同じく港まで来ていたオルコが、おそらく最も操舵の機会が多くなるだろうハピに対して船についての説明をしており、

「――てなところが、操舵に関する注意点だな。 難しかったらもっかい説明するぜ?」

「いえ、大丈夫よ。 ありがとうね」

 その旨が記されている羊皮紙をハピに渡しつつそう尋ねたが、一度で充分理解出来ていたハピは首を横に振って礼を述べつつ……何故か、ウルを見遣る。


 それもその筈、彼女の話では……蒸気帆船と銘打っているが、基本的には風の……要はハピの力で動かしてほしいらしく、それは何故かと問うと、あくまで蒸気の部分は速度を出したい時にのみ使用する……船体に負担のかかる緊急用の動力である様で、

(……話したらまた拗ねそうね)

 これをウルに話してしまっては、またダウナーになって……望子に甘える口実を与えてしまいかねないという、フィンにも似た思考を繰り広げていた。


「……んぅ」

『きゅ〜……』


 その一方、早朝という事もあってか望子は眠たげに目をこすって、そんな望子の頭に乗るキューも、いつも通りの鳴き声と共に小さな欠伸をしており、

「みこ、大丈夫? ごめんね、まだ眠いよね」

「んぇ? う、うぅん。 だいじょうぶだよ、ね?」

『きゅ? きゅ〜』

 先程まで身体をほぐしていたフィンが心配そうに声をかけたものの、当の望子は寝ぼけまなこで首をゆっくりと横に振り、ニッコリと笑ってみせた。


「……目立ちたくないから早朝に、ってのは分かるけどねぇ。 町一つ救っといて今更何言ってんだか」


 そんな折、そのやりとりを俯瞰していたファタリアが、若干呆れた様子で葉巻をふかしてそう呟くと、

「自分でいう事じゃねぇけど、あたしらが出航するってなると……騒ぎになるんじゃねぇのか?」

「それはそうでしょうね。 何せ町の恩人ですから」

「だからわざわざこんな朝っぱらに――あ?」

 その小さな呟きが聞こえていたウルが頬を掻きつつ口にした問いかけに、苦笑いでそう答えたグレースの言葉に対して、だろ? と反応したウルは、ファタリアに顔を向けてぼやこうと――。


 ――したのだが。


「え? あれって……」

「町の人たちに冒険者……ギルドの職員と、船を造ってくれた業者さんたちもいるわね」


 ウルに釣られて彼女の目線の先を見た望子とハピの言葉通り、そこには先日の宴にも参加していた者たちが総出で彼女たちを見送りに来ている様で、

「な、何でだ……?」

 住人や冒険者たちにいつこの町を発つのかと聞かれても、さぁなと誤魔化していた事もあり、知らない筈の船出を何故悟られたのかとウルが困惑する一方、

「あっはっは! どっかから聞きつけたらしいな!」

「何で嬉しそうなの……」

 小さい町だから噂が広がるのも早ぇんだと高笑いするオルコに対し、早く起きた意味無いじゃんとフィンはげんなりしつつも望子に後ろから抱きついていた。


「カナタさん! 黙って行こうとするなんて、水臭いじゃありませんか!」

「そうよ。 折角仲良くなれたと思ったのに」


 いの一番に近寄ってきたのは、カナタと共に海霊ネビルの浄化を行った神官、エシュメとイザベラであり、

「あ、あはは……ごめんなさいね」

 この一月ひとつきですっかりカナタの力や信仰心を尊敬していた二人が捲し立ててきた事で、カナタは苦笑いで謝意を示し、彼女たちと握手を交わしている。


「あの……」

「「ん?」」


 そんな中、一人の女性がウルとフィンに声をかけてきて、それを受けた二人が反応すると、

「……あぁ。 あんた確か、海運ギルドの」

「はい、受付のリヴリィです」

 フィンはしばらく首をかしげていたが、ウルは彼女が誰かを思い出せた様でポンと手を叩いてそう言うと、リヴリィはその言葉を肯定し、こくんと頷いた。


 その後、リヴリィはゆっくりと頭を下げて、レプターと似た金色の長髪を垂らしながら、

「その節は、本当に申し訳ありませんでした。 まさか貴女方に、町を救う程の力があるなんて……」

 どうやら自覚はあったらしく、ウルたち二人が初めて海運ギルドを訪れた際の自身の非礼を詫び、

「あー、別に謝んなくていいぜ」

「そうそう。 ボクたち気にしてないからさ」

 それを見たウルとフィンはそれぞれそんな風に、婚約者を失った彼女を気遣う様な発言をする。


「ちょっとどいてくれ……おぅい、お嬢ちゃん!」

「あ、おじさん! どうしたの?」


 その時、互い違いに望子たちに礼を述べていた住人たちの波をかき分けて、一行がショストに訪れた時に立ち寄った屋台の店主が息を切らして現れた事で、

「あぁ、これを渡したくてな」

「? これって……あっ!」

 望子が彼に気づいて声をかけると、店主は握りしめていた羊皮紙を望子に手渡し、ローアの協力もあってか既に異世界の文字の読み書きを習得出来ていた望子は、その内容でその紙が一体何なのかを理解した。


魚醤ガルムの製造方法だよ。 簡単に造れるもんじゃないが……お嬢ちゃんくらい料理上手なら大丈夫な筈だ」


 あぁそうさ、と前置きした店主は、この一月ひとつきで何度か望子からお願いされていた料理の手ほどきをした際の、とても八歳児とは思えない望子の料理の腕を知っていた為、望子の頭にポンと手を置きそう告げて、

「わぁ……! ありがとう、おじさん!」

 一方の望子は、ここまで良くしてもらった事をとても嬉しく思い、満面の笑みで礼を述べる。


 ――それを見ていた住人や冒険者たち……延いてはこの場に集まった者たちは皆、その笑顔に目を奪われていたが……それはまた、別の話である。


 その後、ある程度集まっていた者たちへの対応を終えたと判断したウルは、よし! と声を上げて、

「そんじゃあそろそろ行くか!」

「うん!」

 一党メンバー全員に視線を向けてそう言うと、真っ先に反応した望子が元気良く答えてみせた。


 望子と、望子の頭に乗ったキュー、望子に手を引かれたローア、そしてそんなローアを羨ましそうに見るフィンが先に船へと乗り込み、その四人の後ろをウルとカナタがついていく中で、

「……ハピ、レプター。 ちょっといいかい?」

「「?」」

 自分たちも、とついていこうとしたハピとレプターを、何故かファタリアが声をひそめて呼び止める。


 一体何事だと首をかしげてから二人がファタリアへと近寄っていくと、彼女は至って真剣な表情で、

「サニルニアの冒険者ギルドのギルドマスター、ノーチスから聞いたよ――あんたらの目的を」

「「!?」」

 かつて王都であった首都の名と、そこに存在する冒険者ギルドのおさの名を挙げつつ、あまりに衝撃的な話を突然聞かされた事で、二人は揃って目を見開いた。


 どうやら彼女は海賊騒ぎ……もとい、海精霊ネレイス絡みの問題が解決した際にノーチスへと連絡を入れていたらしく、もう自分はこの町にいらないんじゃないかと問い合わせたものの、他に割ける人員もいないのでもうしばらくお願いしますと言われてしまったとの事。


 ならば、と考えたファタリアは交換条件だとばかりに、ずっと気になっていながらも本人たちは教えてくれなかった望子たち一行の旅の目的を彼から聞き出さんとし、最初は断っていたノーチスだったが、結局はファタリアに押されて自分の知る情報を明け渡した。


 ――尤も、ノーチスでさえ望子が召喚勇者だという事実に対する確証は無かった為、その事をファタリアに話しはしなかった様だが。


「……本当はヴィンシュ大陸じゃなく、魔族どもの住処、魔族領に向かうつもりだったんだろう? あんな小さな子たちを連れて、一体何を考えてる?」


 そんな数日前の出来事を簡潔に語った後、極めて怪訝そうな表情を浮かべたファタリアが、元々一行が向かわんとしていた目的地を推測しつつ問いかけると、

「……私たちにも色々と事情があるのよ」

「そう、だな。 察してもらえるとありがたい」

「……そうかい。 ま、無茶はするんじゃないよ」

 大前提として、余計な騒動トラブルを起こしたくない二人としては、少なくとも望子が勇者であるという事だけは隠しておきたい為、かたや翠緑の瞳を、かたや黄金色の瞳を光らせてそう告げた事で、当のファタリアもこれ以上は無駄かと判断し、深い溜息と共に煙を吐いてから、この話を締めくくる。


「何やってんの二人とも! 早く乗ってー!」


 その時、既に船へと乗り込んでいたフィンの声に、ハッと反応したハピとレプターは互いに顔を合わせ、

「っと、それじゃあね。 ファタリアさん」

「また会おう。 全てが終われば、だが」

「あぁ、壮健でね」

 それぞれ別れの言葉を口に――レプターは意味深な事を言っていたが――した事で、ファタリアも軽く苦笑いを湛えつつ、葉巻を持った手を振っていた。


「――じゃあね、みんな!」


 そんな風に元気良く手を振る望子の声に呼応する様に、その場に集まっていた者たちはこぞって同じく手を振り、一行に改めて感謝の言葉を投げかける。


 段々と遠くなっていく船の姿が完全に見えなくなるまで見送った彼らは、一人、また一人と日常に……海賊騒ぎが起きる前の日常に戻っていく。


 そうして勇者一行は、港町ショストを後にした。

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