第174話 上級魔族謹製の薬品

 屋台での充分過ぎる程の食事を終えた望子たち一行は、地球と同じく西の方角に沈んでいく夕日によって赤らんで、人通りの少なくなってきた港町を歩き、船長二人が収容されている牢屋敷へと向かっていた。


「……ここにいるの?」


 フィンを見上げた後、再び目の前にあるお世辞にも綺麗とは言えない牢屋敷に視線を戻した望子に対し、

「そうなんだけど……あの三人はまだ来てないみたいだね。 ちょっと待っとこうか、みこ」

「う、うん」

 彼女は牢屋敷の前にいた、船内でも見張りをしていた二人の男性に話を通して離れてもらった後で、声をかけていたギルドマスター二人と町長が来ていない事を確認して提案し、望子はそれを受け入れる。


 そんな中、おい、と未だに若干不機嫌なウルが軽く舌を打ちつつフィンに声をかけて、

「……ここまで来といてあれだけどよ、あいつらちゃんと反省してんのか? 依頼クエストの協力持ち掛けた時は処刑もやむなしみたいな雰囲気だったんだろ?」

 仲間に加える、なんてフィンの提案に乗ったという事は、もしかして反省などしておらず折を見て逃げ出すつもりなのでは、と考えてそう問いかけた。


 それを受けたフィンは、んー、と唸って人差し指を唇に当てつつ海底で二人と話した時の事を思い返し、

「……まぁね。 でも反省はしてたよ? 少なくとも、今日の依頼クエストの時はそう見えた……かな?」

「……そうか。 ならいい……いや、良かねぇか」

 処刑になってもいいの? と尋ねた時の様子だと多分反省してた筈、と判断していた彼女がそう答えると、ウルは納得した様なしていない様な表情を浮かべ、頷こうとして……いやいや、と結局首を横に振る。


 ――そもそも反省してなきゃおかしいんだしな、とそんな意を込めて。


 そんな中、牢屋敷に近づいていくにつれて、一人だけやたらと緊張感を増していっているハピが、

「……っ、はあぁ……」

 既に船長たちから邪神の加護は消えているのだとローアから話は聞いていても、実際に対面したらまた苦痛に襲われてしまうのではと考え、溜息をついた。


 レプターやカナタから、一応休んでおいた方が良いのではと心配から提案されていたものの、一党パーティの……ましてや、望子に直接関わる事で席を外す訳にもいかず彼女は眼を覆いつつ此処まで来ていたのだった。


「――ハピ嬢、これを」

「え……な、何かしら、これ」


 その時、いつの間にか彼女の前に立っていたローアが試験管に入った黒と黄色の混ざった液体をこちらに差し出している事に気がつき、何それと尋ねると、

「例の二人に投薬し、邪神の加護を消す事に成功した薬品……を、改良したものであるよ」

「……これを、飲むの?」

 ローアはドロッとした液体が入ったそれを振りながら、消滅から制御へと改良したのだと口にしたが、当のハピは渋面を湛えておそるおそる薬を指差した。


 するとローアが薄い胸を張った姿勢で、うむうむと頷きつつもその試験管をハピの手に握らせたものの、

「ねぇ、ちなみになんだけど……これ、何が入ってるのかは教えてくれるのよね……?」

 その手にあるあまりにもおどろおどろしい色の液体の正体を見通したくも無いハピが、製作者たるローアに対しておずおずといった様子で尋ねてみる。


 ――実を言えば、心当たりはあったのだが。


「……翼人ウイングマンの集落にて所有権を譲り受けた、有翼虫螻ビヤーキーの残骸であるよ。 さぁ、一口で――」

「い、嫌よそんなの! 飲める訳無いじゃない!」


 ローアの小さな口から出た答えはハピが予想していたものと一切相違ない、かつて交戦した風の邪神ストラの眷属ファミリアだったものの残骸らしく、それを聞いたハピは眼を見開き、声を荒げて拒絶しようとする。


 ――件の二人が先に飲んでいるという事実すら否定しかねない程に、彼女は手と首を振って拒絶する。


「……取り敢えず飲んでみりゃいいじゃねぇか」

「そうそう。 ほら、一気、一気」

「貴女たち、他人事だと思って……!」


 しかし、ハピが悔しげに口にした言葉通り、完全に他人事であるウルとフィンが彼女を煽る一方で、

「ねぇ、とりさん。 わたしもそれ、のんでほしいな」

「え、み、望子……?」

 ハピの服の裾をくいくいとつまんでいた望子までもが勧めてきた事に、彼女は思わず絶望と困惑が入り混じった様な表情を浮かべてしまう。


 だが当の望子は何故かその黒い瞳を潤ませ、ハピの黄色と緑色が鮮やかな双眸を見つめながら、

「だって……とりさんがつらそうなのは、わたしもつらいもん……もし、どうしてものめないっていうんだったら、わたしがまえみたいに――」

 ウルたちから聞いていた、海賊討伐の際にハピがその眼のせいで苦しんでいた事や、色が変わってしまった自分の眼を嫌っていた事を思い返しており――。


 ――どうしてもと言うのなら、とかつてサーカ大森林で意識を手放していた彼女に望子がおこなったをした方が、と提案しようとしていたのだった。


「え、前って――」


 無論、完全に気絶していたハピとしては、望子の言う『前』とは一体何なのか全く検討もつかない為、僅かに心を弾ませながら問いかけようとしたものの、

「あー! 何でもねぇ! な、フィン!」

「そうそう! ほら! いいから飲む!」

「ぐ、もご……っ!」

 その行為がどういったものか良く理解していた――理解したくは無かったが――ウルたちは途端にあたふたとし始めて、かたや望子を抱きしめ、かたやハピの手から試験管を奪って無理矢理薬を飲ませてしまう。


「二人とも! そんな無理矢理は――」


 その時、そこまで彼女たちのやりとりを静観していたレプターが、いくら何でもと止めようとしたが、

「んぐ……ぅ、うぅぅ……!」

「と、とりさん……?」

 彼女の言葉を遮る様にハピが苦しげな声と共にうずくまってしまった事で、望子は心配そうに寄り添っている。


 その瞬間、ハピの黄色く染まった瞳から強い光が溢れ出し、最早夕刻も終わりを告げそうな周囲を明るく照らし出した事により全員が目を見開いて驚き、

「何、この光……!」

『きゅ、きゅー!?』

 かたやカナタは治療術を行使すべきか逡巡し、かたやキューは訳も分からず彼女の肩にしがみつく。


 そんな中、唯一全く驚いていない――当然ではあるが――ローアが、ふむ、と顎に手を当てつつ、

「先の二人の時も似た様な現象を確認しているゆえ、問題は無い……筈であるが」

「本当かよ……」

 船内で同じ様に投薬した時も、二人の眼の色に対応する群青色の光が溢れたのだと口にしたが、いまいちローアを……上級魔族を信用出来ないウルは、心底眩しげに目を細めつつ愚痴を漏らしていた。


 その後、段々とその光が弱まっていき、光の中心にいたハピの姿がハッキリと見えてきた頃、

「う、あ……? どう、なったの……?」

 どうやら自分をさいなんでいた苦痛から解放されたらしく、ハピがゆっくりと望子の方を向いた時――。


「あ……と、とりさん! めのいろ、もどってるよ!」

「え、ほ、本当に……?」


 望子は瞬時に、ハピの眼の色が右も左も同じ翠緑である事に気づいて、自分の事の様に嬉しそうな声を上げて、それを受けたハピは望子が嘘をつく筈は無いと分かっていても念の為とばかりに、自分の眼を確認した時の事を思い返してフィンの方を向き、話を振る。


「ほんとほんと。 はいこれ」

 

 フィンも同じ事を考えていたのか、すぐに掌に浮かべた水玉を鏡の様な形へ変えてハピの眼を映し、

「よ、良かった……! 望子、戻ったわ……貴女が作ってくれた、元の私の眼に戻った……!」

「うん。 よかったね、とりさん」

 自分の眼をの色が元通りになった事を確認したハピは、その双眸から涙を流して喜びを露わにして、それを見た望子はその喜びを共感する様に頷きながら、ハピの頭を自分の薄い胸に寄せて抱きしめていた。


 そんな彼女に起こった結果に対してローアはうむうむと満足げにしつつも、改めて、邪神の力は消えたのでは無く制御可能となっており、戦闘の際に切り替えが出来る様になっている筈ではあるが、それは追々試してみてほしいと告げた為、えぇ分かったわ、ありがとうとハピが感謝を口にしようとしたのだが――。


「おっ」

「うん?」

「おや」


 ――瞬間、ある者は超人的な嗅覚で、ある者は驚異的な聴覚で、またある者は先の二人とは言えないまでも、人族ヒューマンとは比較にもならない感覚で何某かの接近に気がついて、声を上げつつ振り返る。


「おいおい! さっきの光は何だってんだぁ!?」

「これ以上の面倒ごとはやめてほしいんだけどねぇ」

「す、素直に感謝出来なくなりそうです……」


 そこには、望子たち一行の待ち人たるギルドマスターのファタリアとオルコ、そして町長のグレースが到着しており、どうやら先程の光が見えていたらしく、一刻も早い説明をと問いかけてきていたのだった。

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