第145話 帆船に乗るぬいぐるみ

 港町を離れてしばらく経った頃、船首の近くでふわふわ浮いていたフィンがグーっと背伸びをしつつ、

「青い空、白い雲……で、青い海! 船旅っぽいね!」

 快晴の空を見上げてから、海賊が巣食っているとは思えない程に穏やかな海を覗き込んでそう言うと、

「ぽいも何も初めてだろ」

 干し肉をガジガジと齧りながら、何言ってんだお前は、と心底興味無さげにウルが話しかけてきた。


 その瞬間、先程までの晴れやかな表情は何処へやら、フィンは一気にげんなりした様子を見せて、

「……いやまぁそうなんだけどさぁ。 何て言うんだろう……おもむき? 情緒? みたいなの無いの?」

 ボクもよく分かんないけど、と付け加えてからジトっとした視線をウルに向けたが、

「ねぇよそんなもん」

 そんな彼女の睥睨へいげいなど何処吹く風という様に、ウルは残りの干し肉を一口で飲み込みペロッと舌を出す。


「……ねぇハピ! ハピなら分かるよね!?」


 一方、納得のいかないフィンが少し上を向いて、大きな白い帆の張られた船檣マスト付近で風を読み、扱いに慣れがいるという操舵輪に頼らずとも、常に追い風となる様にしていたハピに声をかけた。


「……? 何か言ったかしら?」

「聞いてなかったらしいな、船動かすのに夢中で」


 しかし、帆船の操舵は風が命だとオルコから聞かされていたハピは一切彼女たちの無駄話など聞いておらず、それを見抜いたウルは半笑いでそう告げる。


「くうぅ……味方がいない……」


 出発から一刻いっこく、既に望子が恋しくなっていたフィンは、悔しげにぎゅっと唇を噛みつつも、さっさと終わらせて帰ろうと密かに決意していた。


 そんな彼女たちの元に、羽音を全く立てずにふわっと降り立ったハピが深く溜息をつきながら、

「何話してたのか知らないけれど……少しは緊張感持ちなさいな。 縄張り、近いんじゃないの?」

 心底呆れ返った様子で二人に話しかけ、一番思慮深そうだから、という理由で彼女に渡されていた海図を広げ、三人でそれを覗き込んでいると、

「あー、そうだな。 確か……もう少し進むと無人島があって、その近くまで縄張りが広がってるらしいぞ」

 ウルはオルコから聞いていた目印についてそう口にしつつ、遠くを見る為か片手を目の上に添えた。


 その一方で、小さくではあるものの、その眼で島の姿を視認出来ていたハピは、

「あぁ、あの島の……あら?」

 島の方角へ光る眼を向けて呟こうとしたのだが、何故か彼女は途中で言葉を止めて首をかしげてしまい、

「ん? どうした?」

 当然それに違和感を覚えたウルは、覗き込んだ彼女の顔と青い海を交互に見遣って問いかける。


「……フィン、ちょっとこっちに」


 だが、ハピはそんな彼女の問いかけには答えぬままに、ウルでは無くフィンの方を呼び寄せて、

「え、なになに? 何か見つけたの?」

 呼ばれた彼女は興味深そうにウキウキとハピの元へ泳いでいき、ハピが指差す……島があるのだろう方角へ目を向けると、フィンもまた彼女と同様に、あれ? と首をかしげてその口を閉じてしまった。


 彼女が自分と同じくその現象に気がついたのだろうと理解したハピは、こくんと首を縦に振り、

「気づいたみたいね。 あれ、どういう事だと思う?」

 風による操舵を一度中断しつつ、緑色と黄色の瞳を妖しく光らせ海を見遣って意見を求めたのだが、

「んー……分かんない。 でもさ、あれが原因なんじゃない? 海賊たちが悪さを続けられるのって」

 少しばかり唸ったフィンは、ボクに聞かれてもね、と首を横に振りながらも、彼女なりに思いついた推測を口にして、どうかな? とハピに尋ね返す。


 ひるがえってハピは、フィンの推測にも一理ある……というより、おそらくはそうなのだろうと考え、

「私も、そう思うわ。といっても、何でああなってるのかが分からないんじゃ意味が――」

 軽く首を縦に振って彼女に同意しつつも、結局詳しい事は何一つ分かっていないという事実に辟易へきえきしていたそんな時、完全に蚊帳の外になっていたウルが、

「……なぁ、さっきから何の話してんだ?」

 悩める二人の間に割って入る様にそう口を挟むと、ハピとフィンは互いに顔を見合わせ首をかしげた。


 首をかしげた理由としては、何で話についてこれてないの? と思ったからであったのだが、

「あー、そっか。 ウル見えてないんだっけ」

 その理由に心当たりがあったフィンが、ドンマイ、と口にして、慰めと……何なら憐みまでこもっていそうな表情で彼女の肩をポンポンと叩く。


「は? 見えないって……もしかしてあれか? あの……海精霊ネレイスとかいうやつの……」


 ウルはそんな彼女に若干イラッとしつつも、見えないというワードに、先日波打ち際で自分とローア以外には見えていた精霊の名を思い出す。


 そんな彼女の言葉を受けたハピは、至って真剣な表情で頷きながら視線を海へ向けて、

「えぇ、そうよ。 実はね、あの島の向こう……っていうより島の手前から既に、海精霊ネレイスが全く見えないの。 今この船の周りにはいるのに」

 ウルには見えてないとは分かっていつつも、情報の共有はしておこうと考えて、島のある方角へ指差した後、脚の爪で甲板をカツッとつついてそう告げた。


「ボクにはまだ島は見えてないけど、何かこう……グルーっと囲うみたいに海精霊ネレイスたちがいる場所といない場所が分かれてて、あの辺に近寄りたくなーい、って言ってる感じ……かな? 分かんないけどね」


 その一方で、ハピ程の視力は無い為か島は視認出来ていなくとも、海精霊ネレイスたちの妙な動きはハッキリ見えていたフィンが、彼女の説明にそう補足する。


 事実、波に揺られる海精霊ネレイスたちは、線を一本引いたかの様に島とその向こう側には近づこうとせず、

「……ほーん。 あ、そういやファタリアが何か言ってたよな。 何だっけか、神がどうのこうのって」

 されど、それが見えていないウルは二人の説明を理解しているのかいないのか分からない、そんなふわっとした反応を返していたのだが、その時、ふと葉巻を咥えた妖人フェアリーのギルドマスターの名を挙げて、彼女が口にしていた憶測を思い出してそう言った。


「『神、或いは神に近いものの加護を得てる』かもって話だったわね。 それが原因だと?」


 勿論、それについてはハピもその場に居合わせて直接聞いていた為、思い出すまでも無くあっさりとファタリアの言葉をなぞりつつ彼女へ問いかけたものの、

「さぁな。 そもそもあたしにゃ見えねぇんだし、聞かれても分かんねぇよ。 とりあえず行ってみようぜ」

 結局のところウルとしても確かな事は何一つ分からず、ゆえに滅多な事は言えないと判断し、ひとまず現場に向かう事を二人に提案する。


「そうだね。 どのみち海賊は倒さなきゃいけないんだし、海精霊ネレイスうんぬんは後回しでいいんじゃない?」


 それを受けたフィンはうんうんと頷き彼女の意見に賛同し、未だに軽く俯いて、浮かない表情で思案しているハピに対してニコッと笑みを向けると、

「……まぁ、そうかもね。 そうしましょうか」

 二対一となっている以上、特に否定する理由も無い為かハピは苦笑いでそう答え、再び操舵へ戻った。


(……また邪神だなんて、思いたくも無いのだけれど)


 ハピは左手で風を操り、自身の黄色い右眼を右手で覆いつつ、無事に終わります様にと脳内でそう願いながら、深い深い溜息をついたのだった。


 ――そんな右眼の黄色い輝きが少しずつ、本当に少しずつ……その強さを増している事に、ウルたちは勿論、彼女自身も気がついていない。

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