第三章

第50話 側近への現状報告

「ふぅ……」


 ――ここは、魔族領に存在するたった一つの城、魔王コアノル=エルテンスの坐す魔王城。


 魔王コアノルの側近、上級魔族のデクストラは豪華な机の上に置かれた数多くの書類に目を通しつつ、溜まる疲弊を隠そうともせずに軽く息をついていた。


(……召喚勇者……もといミコ様を魔王様の元へとお連れする為の隊の編成……魔王様直々のめいだというのもあるのでしょうが……)


 そう脳内で呟く彼女の目の前……机の上には、所狭しと書類の束が並べられており、その一枚一枚には魔王軍に所属する下級から上級に至るまであらゆる魔族たちの名とその能力が履歴書の様に記されている。


 本来であれば、積極的に王命を遂行せんとしている部下たちの意欲に感心すべきなのだろうが、

(希望者が多過ぎます。 傷つけてはいけない、というのを真に理解している者がこの中にどれ程いるか……)

 如何いかな魔王軍といえど全てが全て精鋭という訳にはいかず、烏合の衆と呼んで差し支えのない落ちこぼれドロップアウトも数多く存在する事は紛れも無い事実であった。


 ゆえに彼女は溜息をつき、漏れなく全ての書類を目を通して、彼女自身も把握しきれていない有能な部下たちを発掘し、選抜しようとしていたのだが――。


(幹部の一人ラスガルドが消え、多少の動揺や戦意の喪失もやむなしと考えていた以上、嬉しい誤算ではありますね)


 ……そう、魔王軍三幹部の一角が勇者一行に消された今、その意欲だけを見るのであれば落ちこぼれドロップアウトの全てが不利益マイナスとは言い切れず、そう考えて軽く微笑んでいた彼女の耳に扉をノックする音が届いた。


「……? はい、どなたでしょう」


 今は特別指示も出しておらず、誰かが訪ねてくる事も無い筈……そう思っていた彼女は一旦書類から目を離し、扉の方へ視線を向けて声をかけると、

「はっ、観測部隊ゲイザー所属、ヒューゴです。 御命令通り、召喚勇者の現状報告に参りました」

 扉の向こうの魔族はハキハキとした高めの男声で、自身の所属部隊と参上した理由を述べる。


 観測部隊ゲイザーとは、魔王コアノルがとある大陸を掌握し魔族領を作り上げた後、デクストラが必要な事なのですとコアノルに進言して発足させた部隊である。


 役割としては、未だ魔族たちの支配下に無い大陸や国家の偵察、或いはこの世界に満ち満ちている魔素を絶えず観測し、その情報を各部隊へと通達する……などといったところなのだが――。


(……私が世界各地に振り分けていた部隊を、コアノル様が勝手に動かしたんでしたっけ。 全くあの方は……)


 自らの欲望のままに部下たちを振り回す……ある種魔王らしいその行動にズキズキと痛む額に手を当てつつも、もう片方の手を扉に向け中指を下ろす。


「……どうぞ、鍵は開けましたから」


 するとそれと同時に鳴った、ガチャッと明らかに鍵のいた音と共に彼女が扉の向こうへ声をかけると、

「はっ、失礼致します」

 極めて控えめにその扉を開けたのは、褐色、角、翼、尻尾……これらの要素が無ければ、一見単なる好青年の様にも思える比較的若い魔族だった。


「ご苦労様です……おや、貴方は確か……懲罰部隊エクスキューショナー所属だった様に思うのですが」


 彼を一瞥した後すぐに書類に目を戻したデクストラは、されど再び彼の方に向き直り、彼女の記憶の片隅にあった彼の所属部隊について問いかける。


 ……ちなみに懲罰部隊エクスキューショナーとは文字通り、基本的に魔王コアノルの元に一枚岩ではあれど、魔王軍も組織である以上裏切り者というのは現れてしまう訳で、そんな魔族を罰する為の……戦力は元より規則を重んじる比較的真面目な魔族が所属する部隊だった。


「お、覚えて下さっているのですか?」


 一方で、たかだか中級の自分を魔王の側近たる彼女が覚えてくれていた事実に、きょとんとした顔のヒューゴと名乗った魔族がそう聞き返すと、

「えぇそれはもう。 基本的にあらゆる部隊を動かす権限は私に任されていますから、当然部隊に所属している者たちの顔くらいは記憶していますよ」

 コアノル様はあんなのですし、とは口が裂けても言えない彼女は魔族特有の昏い笑顔でそう告げる。


 そんな彼女の妖艶な表情に少し顔を赤らめたヒューゴは、報告用の書類を抱きかかえながら、

「こ、光栄です……実は、魔王様が直々に私の元へいらっしゃいまして、『お主にはこれより勇者ミコの観測を命じる! 確と励み、妾を満足させよ!』と」

 満面の笑みで自分を見上げていた魔王を脳裏に浮かべつつ、配属先が変更になった理由を簡潔に述べた。


「はぁ……相変わらずですね。 まぁあまり深く考えない事です。 コアノル様の鑑識眼は確かですから、貴方にそれを任せるだけの能力があると判断されたのでしょう。 誉れある事ですよ……一応は、ですが」


 ほぼほぼ想定通りだった魔王の口説き文句に彼女は深く溜息をつきながらも、これも側近じぶんの役回りだとばかりに諦め、あるじと目の前の部下を同時に持ち上げる。


「そう、ですか……で、ではそろそろご報告を……」


 随分と浮かない顔をする彼女を見て、話題を切り替えんと報告に移ろうとするヒューゴに対して、

「えぇ、お願いします。 あぁ、手は止めませんがちゃんと話は聞いてますのでお気になさらず」

 デクストラが羽根ペンを走らせながら下を向き、どうぞ? とそのままの姿勢で先を促してきた為、彼は軽く敬礼しつつも報告を開始しようとした。


「はっ、まず勇者ミコの現在地ですが……」

、或いは、ですよ」

「えっ……?」


 だがその瞬間、何故か途端に目の前の上司の声音が低く冷たくなり、妖しく光る薄紫色の双眸だけをこちらへ向けている事実に彼は言葉を失ってしまい、

「あの少女はコアノル様のお気に入りです。 不用意な敬称略は身を滅ぼしますよ……比喩抜きでね」

 望子に、では無くあくまでも自身の主たるコアノルに不敬だと告げて、目の前の部下を威圧する。


 もし彼が下級であればそれだけで昏倒してしまいかねない程の、魔術でも武技アーツでも無い単なる威圧。


 それを受けたヒューゴは露骨に畏怖し、冷や汗を流しつつもバッと頭を下げてから、

「し、失礼致しました、以後気をつけます」

「えぇ、そうして下さい。 死にたくなければ」

 目の前の上司と、ここにはいない魔王への心からの謝罪を口にすると、デクストラは軽く息を吐いて威圧を解き、多少なり呆れた様子でそう言った。


「では改めまして……勇者様の現在地は、サーカ大森林を抜けた先にあるドルーカの街となります」


 その後、彼は改めて報告を開始すると共に、書類をパラパラとめくり召喚勇者一行の現在地を伝えると、

「概ね想定通りですね」

 どうやらデクストラは望子たちの動向を大方予想していたらしく、その予想がほぼ合致していた事にも彼女は特に表情を崩さず、俯いたままそう口にする。


「……ですが、二つ程問題がありまして」

「? 何でしょう」


 しかし、彼女の意に反して浮かない声でそう告げるヒューゴをチラリと一瞥したデクストラに対し、

「……サーカ大森林にて、デクストラ様が直接赴かれて精錬された魔素溜まりについてですが、勇者様が連れ立った亜人族デミによって取り除かれてしまい……」

「……あの森には洗脳した蜘蛛人アラクネもいた筈ですが?」

 苦々しい表情と声音で報告する彼の言葉を聞いてすぐに、自分が負かして洗脳した、そこそこの強さを持つ蜘蛛人アラクネの存在を思い返して問いかけた。


「確証はありませんが……どうやら人狼ワーウルフの一撃で正気に戻った様で……結局勇者様と親密に……」


 するとヒューゴは渋面を湛えてそう報告し、一方のデクストラは一度羽根ペンを机に置いてから、

「そう、ですか……はぁ、私もまだまだですね……それで、もう一つの問題とは?」

 随分と落胆した様子で自分の未熟さを恥じながら、気を取り直して二つ目の問題を聞く為に先を促す。


「は、はい。 サーカ大森林とドルーカの間にある草原に、が放った魔改造マスタム済みの……」


 言い憚られる様な事なのか、何故か一部をぼかすかの如く報告する彼の言葉を遮る様にデクストラが、

「あぁ、暴食蚯蚓ファジアワームでしたか? あの辺り一帯の生態系を変化させる目的でに改造させたのでしたね……まさかとは思いますが、それも?」

 何某かが改造して放し飼いにしていた蚯蚓みみず型の魔蟲の名とその目的を口にしたデクストラだったが、一拍置いた後、怪訝な表情でヒューゴに尋ねた。


「……はい。 人狼ワーウルフ鳥人ハーピィ によって、一撃の元に……魔石も回収されてしまいました」


 ひるがえって彼が空いた方の手をぎゅっと握ってそう言うと、デクストラは一瞬、貴方が戦えば良かったのでは? とそんな考えが頭をよぎりはしたものの、

(元懲罰部隊エクスキューショナーの彼なら、そこそこ戦えはするのでしょうけど……観測部隊ゲイザーに配属された以上、戦闘よりも報告が至上命令ですし……責められませんね)

 彼はあくまでも命令と規則に従って行動したまでであり、そんな彼を責めるのはお門違いだと判断し、彼女は首を横に振ってその考えを訂正する。


「……それとですね、勇者様一行はどうやらしばらくの間、ドルーカを拠点とする様でして」

「……? 何故です?」


 そんな折、ヒューゴが突然思い出した様にそう付け加えた報告の理由をデクストラが問うと、

「いえ、そこまでは……ですが、戦力増強目的かもしれません。 あの街には、がいますので……」

 詳細までは調べきれなかったものの、自分なりの解釈と共に、何某かの存在を仄めかした。


 一方、彼の言葉にデクストラも心当たりがあった様で、再び手にした羽根ペンをクルクルと回しつつ、

「……『火光かぎろい』、ですか。 先の大戦で随分こちらの戦力を削った狐人ワーフォックス……確かにあり得る話ですね」

 そんな彼女に賛同し、うんうんと頷くヒューゴ。


 その後、デクストラは少しだけ思案する様子を見せてから、仕分けした書類を束ねつつ視線を向けて、

「と、なると……早めに行動に移した方が良さそうですね……あぁ、報告ありがとうございました。 もう下がってもらって構いませんよ。 ご苦労様でした」

「はっ、失礼致します!」

 優しく気配りの出来る上司の表情で彼にそう告げると、ヒューゴはビシッと敬礼し、執務室を後にした。


「さて、善は急げ……いえ、悪も急げ、ですかね。 ふふ……『限定通信リミスピリク』」


 彼女はクスクスと笑みを浮かべてそう呟き、自分の首元に手を添えつつ薄紫の魔法陣を浮かべ、

『……厳正なる審査を通過し、私の声が届いた諸君らは、らこれより『勇者招集部隊インヴァイター』へ配属となる。 可及的速やかに、正門前へ参集せよ』

 限られた者のみに自分の声を届けつつ、自分も彼らに一声発破をかける為に指定した場所へ向かった。

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