第9話 宝物庫での一幕

 その腕に少女を抱いたまま、人狼ワーウルフとはまた違った昏い笑みを浮かべる人魚マーメイド


(だ、だめ、ころされ――)


 目の前に迫る脅威に屈しカナタは完全に膝をついたが、そんな彼女に向け笑みを崩さぬまま、

「一つ、聞いてもいい?」

 人魚マーメイドはカナタの心境などお構い無しに、こてんと首をかしげて話しかける。


「……!」


 大声を出すまいと口を抑えていた先程とは違い、返事をしようにも声が出ず、ぱくぱくと口だけが動く。


 津波の様に押し寄せる恐怖に、最早彼女の身体は言う事を聞かなくなっていた。


 それでも何とか首を縦に振る事で、目の前の人魚マーメイドの問いかけに対して肯定の意を示す。


 すると人魚マーメイドは嬉しそうに頷き、少女を抱えていない空いた方の手でカナタを指差しながら、

「さっきさぁ、まおう? ってのを倒せば戻れるって話、してたよね?」

「……!」

 疑問符をいくつか登場させつつそう告げられた疑問に、カナタはこくこく、と頷き、先を促す。


 ――瞬間。



「あれさぁ……嘘でしょ?」



 ――思考どころか、呼吸すら止まりかけた。


 なんで、どうして、いったいなにが……この短時間で何度浮かんだかも分からないそれらの言葉が今、カナタの頭の中いっぱいに溢れ返る。


 そんな彼女に対して人魚マーメイドは、さも何でもないかの様に再び言葉を紡ぎ出して、

「なんで、って顔だね。まぁボクにもよくわかんないんだけど……キミ、ボクたちが出てきてからずっとドキドキしてたじゃん?」

 あっけらかんとした様子で話し出す彼女の言葉に、カナタとしては思い当たる節がありすぎた。


(正直、今だって)


 ……そう、彼女の胸は今にも張り裂けんばかりに脈動し続けている。


 何であれば、彼女たちに殺される前に死んでしまうのでは、と思う程に。


「でもさぁ、ある時だけ急にドキドキが収まって、落ち着いてる様にんだよね……分かる?」

「!」

「そ、まおうがどうのこうの言ってた時だよ。だから、怪しいなぁ、もしかして嘘かなぁって思ったの」


 そう語る人魚マーメイドの言葉を聞き、カナタは一つ、とある事を確信していた。


(人狼ワーウルフは鼻、鳥人ハーピィは目、そして人魚マーメイドは・・・耳)


 亜人族デミたちはそれぞれ、嗅覚、視覚、聴覚に極端なまでに特化している。


 カナタにはこれらが恩恵ギフトなのかは分からないが、一目で聖女と見抜いた事も、瞬時に国内の戦力を判断した事も、死角となる場所で起きている事象を把握していた事も、決して無関係ではないだろう。


 その証拠に人魚マーメイドはカナタに疑問を投げかけつつも、殆ど確信している様に見受けられた。


 本人にとっては質問……ではなく、確認だったのかもしれない。


「キミなりに……死にたくないからって頑張って考えたんだろうけどね」


 そう言うと人魚マーメイドは指差していた手をひらき、カナタへと掌をかざし始めた。


「ぇ……?」


 そこでようやく言葉を発せられたカナタへ向けて、人魚マーメイドは掌に青い魔力を込める。


 王を惨殺した時の様に無意識にでは無く、途方も無い程の純然たる殺意を持って。


「そういうタチの悪い嘘、つくべきじゃ無かったね」

「っひ、あっ」


 心の底から怯えきり、芯を折られたカナタの口からは、言葉とも呼吸音ともつかない物しか出てこない。


「大丈夫だよ、あの王さまみたいに半端に残したりしない。ぜんぶぜーんぶ……呑み込んであげる」


 そう告げる人魚マーメイドとカナタの間に、ぐるぐると渦巻く小さな球状の渦潮が出現した。


 丁度彼女が乗っている水玉の様な物だが、一つだけ違うのは目の前の渦潮からは……絶対的な破壊の意志しか感じられない、という事。


「ぁ……あぁ……」


 カナタは動かない……いや、動けない。


 拘束されているわけでもなければ、動くなと言われたわけでもない。


 それでも、彼女は動けなかった。


 彼女の深く青い瞳を見て、この日感じた恐怖が一瞬の内に蘇り……彼女の身体を侵食していたからだ。



 ――じゃあね、聖女サマ。



 そんな言葉が随分遠くに聞こえた気がして、あぁ、私はこれから死ぬんだ……いや、もう死んだのかなと今際いまわきわでそう思うカナタ。


(……あれ……?)


 だが、いつまで経っても痛みが来ない……いや、痛みの生じる事の無い魔術だったのかもしれないが、こうやって思考出来ているという事は――。


(私、生きてる……?)


 ……そう、聖女カナタはまだ生きており、身体どころか身につけていた神官服や、儀式に必要な装飾品一つにさえ、一切の傷が無かった。


(どうして、彼女に何か)


 全く理解が及ばず、ふとカナタが脳内でそう呟いておそるおそる顔をあげるとそこには。


「ん、んうぅ……?」

「みこ……? みこ! よかった! 目が覚めたんだね! 二人とも! みこが起きたよー!」


 そう、少女が漸く目を覚ました事で、人魚マーメイドは寝ぼけまなこな女の子をぎゅっと抱きしめた後、嬉しそうに仲間の二人に声をかけていた。


「ほんとか!? ミコ、怪我はねえよな!?」

「望子……! そうだわ、気分が悪かったりしない?」


 すると二人は、運んでいた財宝を投げだして一様に望子を囲み、頭を撫でたり抱きついたりしている。


 一転蚊帳の外となったカナタは、命が繋がった自分の幸運と、そのきっかけとなった勇者みこに感謝し、

(たす、かっ……)

 この日、初めて彼女に訪れた真の意味での安堵からかその意識を……完全に手放した。

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